62 / 103
3章
19 大喰らいと大酒飲み
しおりを挟むその夜、カラオケボックスの一室に、坂戸とトキネが向かい合わせでソファに腰かけていた。
容赦なく両隣から流行歌が音漏れする中、ここは通夜のように静まり返っている。
寮の監督室に呼びつけるわけにいかず、かといってほかの誰に聞かれてもまずいので、やむなくここに呼び出したのだった。
「ねえ、もしかしてアイツは……過去の政に当たる人物なんでしょ」
トキネは瞬きひとつせず、口だけを動かして答えた。
「どうしてそう思われますか?」
「それに、アイツの本名の狭山嘉奈を並べ替えれば金谷政と仲正弥になる。奴の戸籍謄本だって手に入れた。これだけで証拠になりえるでしょ?」
「確かに……そうですね」
「ここで問題は狭山嘉奈が自分の意思で動いたのか。他人の意思で動いたのか。前に言ってたことがあるわよね」
男が女になったり、女が男になったり。性別が変わらなくても、身長や顔などのわかりやすい見た目がガラリと変わる者もいる。しかし、アナグラムによって名前の響きはわかる者にはわかるようになっている――前にトキネが話していたことだった。
「でも不思議な点がある。なぜか私の前の名前――佐渡由加里とハッキリ言ってた。普通の人間なら絶対に知らないはずよね? 過去の私が政の本名を知らなかったように、過去の政である狭山嘉奈が私の佐渡由加里という名を知るはずもない」
坂戸は詰め寄った。
「こんなことは考えたくないけど、何かがどう間違って政が過去の自分を利用し、新後アイリスを潰そうとしていたら……」
言葉を区切って、大きくため息をついた。
「……はあ、頭の中でこう描くしかできないの。もう最悪よ」
トキネは持ち込んだペットボトルのコーラを2本一気飲みしてから答えた。
「なるほど。大変でしたね。私はただの見守り人なので、双方が損得に関わることを指示などはできません」
「じゃあ、どうして狭山嘉奈は私に関する情報を知り得たのか。これはどう説明するというの?」
明らかに困った様子でトキネは眉を八の字にした。
「そ、それは……私が知らない所でほかの『見守り人』がいるのかもしれません」
苦し紛れにも見える言い訳じみた小声に、坂戸はカチンときた。
「『いるのかもしれません』? なんでわからないのよ。スパイや工作員同士の戦いのたぐいとでも言いたいの?」
トキネは口をもごつかせてから、ようやく答えた。
「……はい。私レベルでは感知できない存在がいるのかもしれません」
馬鹿くさいと言いかけたものの、実際にありえないことが起こっている世界だからそう切って捨てられなかった。
「じゃあ、その対抗勢力が狭山嘉奈を利用して私の情報を持たせ、新後アイリスをぶっ壊そうとしてたってこと?」
「はい。断定はできませんが、可能性は大いに高いかと。仲正弥さんが巻き込まれてなければいいですね」
今度はサイダーを一気に飲み干してソファから立った。
「どこに行くの」
「すみません、少しお手洗いに行ってきます」
「半端人(はんぱにん)もトイレは行くのね……」
独り言をつぶやき、辞書並に厚い歌本(うたほん)を見るともなくパラパラめくった。その間も両隣の調子を外した歌声が絶えず聞こえてくる。これからブン殴りに行くだとかポケベルが鳴りませんだとか平凡な夜だとか、1993年のヒットチャートを賑わせた楽曲ばかりだ。
――よく歌ったし、いろんなグループのCDが飛ぶように売れまくったなぁ。元の時代じゃ特定のグループばっかりで、いい曲もあるけどつまらなかったわね。
辿った年月に想いを馳せていると、
コンコン
小気味よくノックする音がした。
「はーい?」
「ご注文の品をお持ちしましたー」
女性店員が瓶ビールの大瓶を3本テーブルの上に置いた。
「頼んでませんけど」
「はーい♡ 頼んだのはあ・た・しでーす♪」
トキネが見せたことのない高いテンションで部屋に戻ってきた。
「この方、わざわざ受付までお越しくださって注文されたんですよ」
電話のほう目をやりながら女性店員が、
「失礼します」
と、去っていた。
「アンタ、酒なんか飲めたっけ」
「トキネは飲めないよ」
「は? それじゃ、アンタは何者よ?」
見た目はトキネそのものの女が、大瓶をラッパ飲みし始めた。ビールの1本1本が、ものの10秒もかからずにトキネの胃の中へ消えていく。まるで牛乳の早飲みを披露する男子小学生のようだ。
「まあまあ。まずは駆けつけ3本ってね。うっ」
ウシガエルの鳴き声にも似た酒臭いゲップが、目の前の坂戸を襲う。
「殴るわよ」
「えー、どうして?」
テーブルに両手を付き、顔を近づけて来る。Yシャツの第1と第2ボタンが開けられ、谷間が見えている。
――何かがおかしい。普段のトキネはこんな下品な奴ではなかった。
そのときに、さらなる異変に気づいた。
「何よその手……」
トキネの手にはいつも白い手袋がはめられていた。だが今は、両手ともに素手を晒している。トキネがいつも手袋していた理由がわかった。親指と小指以外の付け根に赤い傷があったのだ。いわゆる吐きダコである。
「トキネは弱い奴だよ。せっかく、与えられた体をこんな傷をつけるなんて」
「よく食べてた理由ってまさか……」
「そう。ストレスでドカ食いして、思いっきり吐いてたの。ヘタに人間に近づけなければよかったかなー。かわいそうでかわいそうで♪」
口ではそうは言うものの、声音と表情は喜々としている。
「あと、トキネちゃんはお酒が嫌いなの♡ ビールの小瓶も飲めないほど。少しでも飲んだら、気持ちが悪いのか吐いてたねぇ。でも、あたしは大好きだから、今この瞬間あの娘(こ)に体を返してあげたらおもしろいかも♡」
「ド畜生ね。アンタ」
「アンタじゃなくてト・キ・ナ。トキネの先輩でーす♡ トキネちゃんのお願いで中身を入れ替えてここにいるワケ」
トキネの姿形でウィンクして目元にピースサインをする。中身は違えどあまりのギャップに坂戸の頭がついていかない。
「話は聞いたよ。嘉奈ちゃんは間違いなく私たちの敵対組織に焚(た)き付けられてるねぇ。そこから情報をもらって、新後アイリスを崩壊させればウン千万円単位の報酬があったみたい。嘉奈ちゃんはお父さんの借金で苦しんでたみたいだから。あ、ちなみに、仲ちゃんは敵対してるとことの接触は確認できないから安心して。な~んにも知らないで元気に鎌倉造船ってとこで働いてるよ♡」
この軽口を叩くうさん臭い奴の話を信じていいものか。突然現れた人間でもない奴が、嘘を並べ立てている可能性だって十二分にありえる。でも、今の坂戸はそうであってほしい願望のほうが勝(まさ)った。そうでなければ、仲が新後アイリスと敵対して潰そうとしているのなら――。
――ありえないし、考えたくないわ……。
不意にノックの音がし、ドアに目を留める。さっきビールを置いていった店員が、またもビールの大瓶を3本持ってきたのである。
「よく飲むわね……」
「あたしが話をするときは酒が必需品なの♡ トキネが飲み食いするようにね」
大瓶を立て続けに3本全部一気飲みする。呆れ顔の坂戸にゲップを浴びせかけ、肩をすくめた。
「さて、あたしはあたしで別の組織との戦いで忙しいのよね。あたしたちは坂戸ちゃん専門じゃないの。坂戸ちゃんみたいな未来からきた人間も見れば、今この時代を生きている人間たちも見てるのよ♡」
「ああ、そう」
坂戸が冷たくあしらう。とりあえず、仲さえ関わってなければもはやどうでもいい話だった。
「私みたいな人間が下等な存在で、アンタたちが高次で高尚(こうしょう)な存在とでも言いたいの?」
「そうそうそう、100点まーんてん♪ あたしたちが人間の姿でいるのは、人間と接触しやすいってだけだし。面倒くさい仕組みだよねー、人間って。肉体を持ちながら負のダメージも蓄積されるしさ。難儀な存在だよねー。生きててもあんまりいいことないし、病気になって苦しむし。ま、前世での行いのせいなのと、この世は修行の場だから仕方ないんだけどね♡」
坂戸は苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振る。トキナという存在が、トキネに輪をかけて訳がわからない。
「あ、そうそう」
トキナは去り際に思い出したように忠告めいたひと言を残した。
「萩野一女ちゃんに気をつけてね。元の世界にはなかった底知れない未知のパワーを感じるから♡」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
名もなき春に解ける雪
天継 理恵
恋愛
春。
新しい制服、新しいクラス、新しい友達。
どこにでもいる普通の女子高生・桜井羽澄は、「クラスにちゃんと馴染むこと」を目指して、入学早々、友達作りに奔走していた。
そんな羽澄が、図書室で出会ったのは——
輝く黒髪に、セーラー服の長いスカートをひらりと揺らす、まるで絵画から抜け出したような美しい同級生、白雪 汀。
その綺麗すぎる存在感から浮いている白雪は、言葉遣いも距離感も考え方も特異で、羽澄の知っている“普通”とは何もかもが違っていた。
名前を呼ばれたこと。
目を見て、話を聞いてもらえたこと。
偽らないままの自分を、受け入れてくれたこと——
小さなきっかけのひとつひとつが、羽澄の胸にじわりと積もっていく。
この気持ちは憧れなのか、恋なのか?
迷う羽澄の心は、静かに、けれど確かに、白雪へと傾いていく——
春の光にゆっくりと芽生えていく、少女たちの恋と、成長の物語。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~
楠富 つかさ
恋愛
中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。
佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。
「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」
放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。
――けれど、佑奈は思う。
「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」
特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。
放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。
4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる