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4章
05 飯酒盃の男気 前編
しおりを挟む「練習に精が出るな」
ナイター照明が練習グラウンドに灯ったころ、飯酒盃(いさはい)が顔を出した。坂戸が練習を一旦止めて、選手たちにあいさつを促した。
「さすが天下の新後アイリスだわ。頼もしいのう」
あいさつを受け満足げにうなずく飯酒盃。
「寒くなってきましたね」
練習の監督を本保に頼み、坂戸が体をさする動作をしながら近づいてくる。
「ちと、話があるんだが。中で茶でも飲まんか」
「わかりました」
坂戸と飯酒盃はグラウンドを離れ、食堂で靖子が淹れてくれた熱い茶をすすった。体の芯から温まるのを感じながら、向かいでせんべいを豪快な音を立てて食べている飯酒盃の言葉を待つ。
「明日から3日連続で夕方から練習試合なんてできねえか?」
願ってもない申し出だった。新たに加わった選手たちの動きを、実戦の中で一度は見てみたいと思っていたのだ。
「こちらとしては大歓迎ですが、何かあったんですか?」
「クラブチームの有名どころがよ、わしんところに電話をかけてくんだわや。ぜひとも新後アイリスと対戦してえって。だすけに、わしの独断と相手方の日程で合致するチームを選んだんだわ」
1チーム目は埼玉大宮球友(きゅうゆう)会。埼玉県の創部が1960年と古豪(こごう)のチームである。かつてはクラブ選手権を2連覇するほどだったが、近年では全国大会への出場は叶わず、鳴りを潜めている形となっていた。今年は持ち味の堅実な野球で勝ち進むものの、予選会決勝で敗れ、あと一歩のところで涙を飲んだ。
2チーム目は河州(かしゅう)グローリーズ。大阪府の新進気鋭(きえい)で20代前半の男たちのチームだ。元甲子園球児を中心に今年結成し、創部初年度から若さと余りあるパワーが大爆発。強豪ひしめく近畿界隈で大物喰い(ジャイアント・キリング)をやってのけている。クラブ選手権でも前年度優勝チームを脅かしつつもベスト4に終わった。
3チーム目は渡良瀬川(わたらせがわ)硬式野球クラブ。栃木県にあるクラブチームの中では実力、戦歴ともに全国有数の力を持つチーム。今年は新後アイリスに決勝で負けたものの、クラブ選手権――1976年から――が始まって以来6回も優勝しているチームは手強く、最後の最後まで新後アイリスを苦しめた。投打ともにバランスが取れ、何よりもセンターラインが鉄壁の名手揃いであり、今年も何人かプロ入りが決まっている。
飯酒盃が挙げていくチームの名に、坂戸は驚きで目が見開きっぱなしだった。
「やっぱりや、企業チームである拝藤の野郎をブッ倒してほしいんだわな。わしらは設備や寮を整えてるが、クラブチームの大半は資金も設備もねぇ。都市対抗や日本選手権に出れたとしても初戦で負けるのが常になっとる。ま、弱者と言っても仕方ないわな。企業チームにも様々あるんが、基本的に設備も資金も時間もある。所謂(いわゆる)強者ってなわけだ。弱者は強者に立ち向かう資格がある。強者は弱者に胸を貸すのが当たり前だとわしは思う。強者が弱者に勝つのはほぼ当然としてだ。弱者が強者に勝ったんなら、大いに称えるのがあるべきもの。しかし、あの拝藤って奴はプライドが青天井でのう。下(くだ)したチームを称えるどころか、あらゆる手を使って潰しにかかる腐れ外道じゃ。みな、わしらに拝藤を今一度倒してほしいと望んでんだ」
坂戸の胸が熱くなる。打倒拝藤を心の中で誓ったところではたと気づいた。
「そういえばライブリーはどうでした? 練習試合はあったんですか」
ライブリー――正式名称はライブリーパワーという企業チームが新後県にはある。医薬品卸(おろし)の会社であり、県内で唯一といってもいいほど新後アイリスと対等に張り合える野球部があるのだ。
飯酒盃は紫煙(しえん)とともに苦り切った口調を吐き出した。
「からっきし駄目だわや。ま、企業チームっつーのは、ボスである拝藤組に目をつけられっといろいろまずいから仕方ないわな」
「仕方ないですね」
「しゃーねえしゃーねえ。ヘタに動いて、潰さった日にゃ新後の社会人野球はおしめェよ」
この世界の1993年でも新後県内の企業チームはライブリーパワーのみだった。
過去に都市対抗に出場し、企業チームで新後県勢唯一の勝利をもたらした新後鉄道局は、国鉄分割民営化に際し1986年限りで廃部となり、民営化後は軟式野球部のみが活動を続けていた。元の世界では2007年にJRグループ発足20周年を機に復活を果たすのだが、この世界ではどうなるかわからない。
坂戸も飯酒盃も企業チームの灯火をできれば絶やしたくなかった。企業チームがない県もいくつかある。理由は様々あるだろうが、一番は金がかかるのが原因だろう。しかし、バブルが弾け切った不況の時期だからこそ、なんとか企業にはチームを持っていて欲しかった。企業体力がなく廃部することは、チームが残してきた歴史が途絶えることになる。かつての強豪や古豪が消えるのは悲しいが、その一方で野球部のせいで会社が倒産でもしようものなら、それこそ本末転倒だ。
幸いライブリーパワーが野球部を廃部にする情報はない。今はそこまで強くなくても、いつか必ず実力と運と時流に乗って全国に出れることがあるだろう。そのとき、新後アイリスのように新後県内のメディア各社が大々的に取り上げ、クラブはアイリス、企業はライブリーの構図ができることを飯酒盃は望んでいた。
「本当はよ、関東の都会みたいに企業チームが強いのが理想的なんだわ。だがわしはな、バブル崩壊した今だからこそ、クラブチームが活気を見せ、切磋(せっさ)琢磨(たくま)し、クラブチームの時代の到来を信じたいんじゃ」
飯酒盃は一旦言葉を区切り、眼光を鋭くした。その鋭さは老境(ろうきょう)に入っても衰えない。
「現代の下剋上(げこくじょう)はここから始まると思っとる」
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