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4章
13 2回表裏
しおりを挟む2回表の拝藤組の攻撃は4番に座る萩野(はぎの)一女(いちめ)からである。
拝藤組内の並み居る強打者・巧打者たちを押しのけ、大事な試合で4番を命じられたのだからさぞかし実力があるのだろう。そしてその実力は一切の未知数であり、どんなバッティングをしてるのかもわからない。短絡的思考ではあるが、4番だから長打があると見て警戒するしかない。
坂戸からサインを受けた桐子が、身振り手振りで内野と外野を定位置からやや後ろに下げる。
右のバッターボックスに立った一女は、無表情を貫いている。指で眼鏡を上げつつ、バットを構えた。
新後アイリスの誰もが目を疑った。籠(かご)を担(かつ)ぐかのようにバットが極端に寝かされ、ステップ幅の開きも少ない。無気力溢れるバッティングフォームである。まるで敬遠を流すバッターのようだ。舐めてかかっているのか? 一女の無表情は崩れる気配がない。こんな棒立ちに近いフォームで打てるのだろうか。
一女の真意が図れないアイリスバッテリーは、ギリギリまでサイン交換に時間を費やした。ようやく決まって投げた初球は、この試合初めて投げるチェンジアップだった。低めに決まってワンストライク。しかし、一女は無反応。次にキレ味抜群(ばつぐん)のスライダーをストライクゾーンからボールゾーンへ。これも一女は目だけで見送った。
「タイム」
一女が一度打席をから出て軽く2、3度振る。なんとも力感のりの字もないような腕だけのスイングである。何かおかしい。何を待っている? 何を企んでいる?
打席に戻った一女に投じたのはスライダーだった。桐子の構えた所とは違い、真ん中付近に入ってきた。甘い球だ。由加里と桐子が「まずい!」と思ったときには、一女はバッティングに移行していた。
凄まじい風切り音がバッテリーの耳朶(じだ)を打った。かっ飛ばされたはずのボールが、キャッチャーミットに収まっている。新後アイリスの面々は安堵の息をついた。狙い球じゃないが、真ん中付近に来たから振ってみたのだろう。しかし、わずかに踏み込んで腕だけ伸ばす打ち方は、どう考えたって打ちづらいはずだ。よほど自分の腕力に自信があると見える。
それはともかく追い込んだ。桐子はボールを由加里に投げ返しながら、次投げるべき球種を脳内から抽出(ちゅうしゅつ)する。弾き出された答えは、ボールになってもいい外角高めの速球だった。振ってくれれば儲けもんだし、見逃しても2-2の並行カウントになるだけでまだまだ投手が有利だ。一球遊んでもなんら問題もないはずである。
由加里が納得した様子で投球モーションに入る。が、リリースの瞬間、由加里は冷や汗が背中を伝った。目の前の光景がスローモーションになる。さっきまでの一女とは一変して、揃えられた足のうち左足がホームベースよりに踏み込まれていたのである。上半身も捩(ね)じ切らんばかりに捻(ねじ)られていて、クローズドスタンスで来たボールを仕留める気でいるのがわかった。一女の左足がわずかに上がり、地面を踏みしめ、ほぼ平らな胸がゆっくりマウンドに向けられてくる。体の開きが早くて打ち損じるバッターが多い中で、一女は確実に力を溜める壁を作り、実に理想的なタイミングで寝かされたバットを振ってきた。直球が真芯で捉えられる。その途端にスローモーションが解け、ボールは快音を残して弾丸のごとく外野スタンドへ突き刺さった。
「データのねぇ相手だっけ、しゃーねぇって」
マウンドに集まった選手たち中で最初に口を開いたのは桐子だった。
「外が好きみたいね。しかも高めの」
由加里は動揺も何もなかった。淡々とした口調で相手の得意と思われるコースを指摘した。
「なしてそう思う?」
「微妙に右の口角が上がったのが見えた」
「ほー、よー見てんなー」
「キャッチャーの桐子が見れない所は、ピッチャーである私が見ないとね。コントロールミスには特別気をつけないと。もうあそこには投げないようにするから」
先制点を取られた由加里ではあったが、その後は気落ちすることもなく切り替え、1本もヒットを与えずに打ち取っていった。
茜がバッターの格好で新後アイリスのダグアウトから出てきた。
バックネットをつかみ怨嗟(えんさ)の声を上げているのは拝藤である。
茜は一瞥をくれただけであとは無視を決め込んだ。相手にするだけ時間と体力のムダである。それに、いくら罵詈雑言が飛んでこようとも、葵がいてくれるのなら茜は平気なのである。
反応がなく頭に血が上った拝藤は、今度はバックネットを揺らしまくった。かたわらにいる秘書や重役連中は慌てふためく。だが、それだけで止められる人間がいない。止めに入ろうものなら、勢いに任せて殴られるか、その場で左遷(させん)を言い渡されてもおかしくないのだ。
ワンマン社長を諫言(かんげん)する人間がいないのは不幸だなと思う。己の醜い部分を羞恥心(しゅうちしん)のかけらもなく、メディアがいるのにも関わらず、平気で曝(さら)け出しているのだから。拝藤も拝藤でこの場はわきまえるのが賢い大人というもの。しかし、人一倍登板させることで面倒を見てやったと思い込んでいるから、裏切られた感情のほうが勝(まさ)っているのかもしれない。
「茜ちゃーん!」
茜が振り返る。ダグアウトの最前列から身を乗り出して手を振っている葵がいた。
「がんばって!」
両手で拳を作り、胸の前でグッと押し出してみせる。茜は親指を立てて返した。もちろん、バックネットで暴れすぎて注意を受けている猛獣から見えないようにである。
「拝藤社長もったいないよねぇー。黙ってればダンディなナイスミドルなのに」
「佳澄アンタ、そんな目で見てたの!?」
佳澄の突拍子もない発言に、由加里は飲んでいた甘酒を吹き出した。
「敵意を取り除けば、あたしは普通にかっこいいおっさんだと思うんだけどなー。ねっ、ももみん」
さすがの桃未も微妙な顔をしている。敵の親玉でもあり、半分以上ジジイのような人間を、素直にかっこいいとは言えない。いくら佳澄に日ごろからお世話になっているとしても、だ。代わって坂戸が答えた。
「アンタの守備範囲――いや、博愛(はくあい)主義には驚かされるわ。まあ、百歩譲ってナイスミドルだったとしても、はっきり言って思慮深さはないわね。語源的な意味で。ただ、執念(しゅうねん)深さは常人とは比較できないほどだけど」
と、激しいインパクト音が球場の空気を切り裂いた。打球が無数の雲が居座り始めた空に舞い上がり、レフトスタンドへ直進していく。このままホームランかと誰しもが思ったが、わずかに高さが足りずにフェンスに直撃した。拝藤組のレフトが珍しく飛んできたボールの処理にもたつく。クッションボールがあらぬ方向へ飛んでしまったのだ。それを二塁へ到達寸前だった茜が目ざとく捉え、スライディングをやめてベースを蹴った。レフトがボールを拾い、中継を介さずに三塁へ矢のような送球をする。茜が頭から滑り込み、タッチの差で三塁を陥(おとしい)れる。立ち上がった茜が小さくガッツポーズをした。
「よーし、茜はよくやったわ!」
坂戸もガッツポーズをしていた。アイリス側の観客たちも大いに沸き、応援歌が合唱されている。攻撃の流れは自分たちに来ていると、みなが信じて疑わない。
「この回、同点とは言わずに逆転よ!」
坂戸が発破をかけた。アイリスの選手たちは気合のこもった声で返ってくる。
とにかく1点を返しておきたかった。
が、後続の打者たちがビックチャンスを生かせず、ことごとく凡退に倒れてしまうのだった。
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