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4章
18 最後の攻撃
しおりを挟む新後アイリスのダグアウトの前では最後の攻撃ということもあり、監督の坂戸を中心に輪になっていた。みなが緊張の面持ちを隠せない様子だ。
「圧倒的な劣勢よね。絶体絶命、正面に100万の大軍、後ろは崖とはよくいったものだわ」
アイリスの面々はピンとこないのか、鳩が豆鉄砲を喰らった顔をしている。代わりに佳澄がツッコんだ。
「監督ー、こんな大事なときにちょっと想像がつきにくい例えはやめようよー」
輪の中に笑いが起こり、多少は緊張は取れた様子である。
「あー、ごめんなさいね。……さて、みんなはこの劣勢の中でどんな気持ちでいるかしら? 寒いし逆転なんてムリだという負の感情。こんな寒さなんか大したことない、絶対逆転してやるという正の感情。どっちだろうね。でも、野球は言うまでもなくチームスポーツ。みんなの心をひとつにしなければ勝てない。ここで優先されるべき感情は、正のほうよね。お客さんたちは地元で顔見知りが多い。中には家族や親戚が見に来ている人もいるでしょう。負けて無様な姿を見せたくないのが、勝負事に臨んでいる人間の本音。だからここで私の恩師の言葉を借りて言うわね。『勝負の段となったら腹をくくれ。油断するな、隙を見せるな、振り返ずに敵を見据えろ』。これを胸に打席で勝負してほしい」
「はい!」
「円陣を組むわよ」
坂戸の言葉で選手たちが隣の選手の肩に手を置いていく。
「絶対勝つわよ! せーの!」
「オー!」
「桃未からだったわよね。今のことを踏まえて頼むわよ」
円陣が解かれてから坂戸は桃未の肩を叩く。
「はい! 任せてくださいっす!」
桃未が勇んでバッターボックスへ向かっていった。
マウンド上のガウラは寒さでかじかむ手に息を吐き、ボールを握った。断続的に降りしきる雪には、各選手にダメージを与え続けている。中でも一番ダメージを受けているのはガウラだろう。手にいくら息を吐きかけても冷たいままだし、細かいコントロールを左右する指先は、冷え過ぎてだんだん感覚がなくなってきた。ポケットに入れたホッカイロに当ててみるが、付け焼き刃以外の何ものでもなかった。
一方の桃未は体の芯から活火山(かっかざん)のごとく熱くやる気が燃え滾(たぎ)っている。坂戸の檄(げき)に応えるべく、マウンドのガウラに対して雪をものともせず集中力を高めていた。
――独りだったわたしを坂戸監督は拾ってくれた。佳澄さんもわたしを家族のように受け入れてくれた。寒さがなんだ! ここで打たなきゃ、わたしは新後に来た意味なんてないんだ!
3球目だった。キレの鈍ったスライダーが懐(ふところ)に入ってくる。桃未にとっては打ちごろの絶好球、逃すわけにはいかなかった。
150センチ弱の小柄な体から想像しえないほど豪快なスイング。打球が右中間の真ん中を破っていく。ようやく出番が訪れたセンターとライトは、寒さで体が鉛(なまり)のように重くなっているのだろう。一歩目が遅く、守備が緩慢(かんまん)になってしまったため、桃未は余裕で三塁まで駆け抜けられた。
――監督の指示は待て、かー。スクイズとかしかけても面白そうだけど、監督命令ならしゃーなしだねー。
ストレートが内寄りに入ってきた。しかし佳澄は微動だにせず、ただ速度も球威も落ちたことが確認できると、自分の世界に浸った。
――なんだか色々ありすぎた1ヶ月だったなー。倉本監督が亡くなって坂戸監督になって、そんでもって中身が未来の由加里だって言うんだもんなー。マンガみたいな現実だよ。今のこの雪が降りまくってる状況で野球をしてるのも含めてね。
スライダーがかろうじて外いっぱいに決まる。ボタ雪の向こうのガウラは、苦悶(くもん)の表情を浮かべている。
――さて、次は少し打ちにいってみますかー。あたしもしつこい女だからね、粘りに粘っちゃおうかなーなんて。
「ボールフォア!」
「はぇ?」
「早く一塁に行って!」
――つっ立っているだけなのにラッキー♡
球審に急かされ、佳澄はようやく自分の世界から戻ってきたのだった。
――わたしは今、ものすごく感謝している。拝藤組を退部して新後アイリスに入ってよかった。個性的なみんなと何より茜ちゃんといっしょに野球ができて。こんなに幸せなことはないよ。
ストレートが大きくすっぽ抜け、ネリネが身を投げだしてなんとか捕球した。葵は一瞬ヒヤリとしたが、大きく息を吐いてグリップに力を込めた。
――坂戸監督は器量の大きな人。だからわたしはどんな形であれ力になりたい。桐子ちゃんと競い合って正捕手を奪還したい。わたしだって、拝藤組で熾烈な生存競争生き残ってレギュラーを死守したんだから、ここでも絶対に正捕手になれる。だから……。
拝藤組バッテリーの長いサイン交換が終わり、ロジンをたっぷりつけたガウラが思い切り腕を振り切った。
「あ!」
複数人の驚きの声が重なった。こんなときに限ってスライダーが曲がり過ぎ、避けようとした葵の背中に当たってしまったのだ。
「このヤロウ……!」
ベンチに座り、バッティンググローブを身につけていた茜が、傍(かたわ)らのバットを引き寄せ、飛び出そうとした。
「馬鹿ッ。みんな、茜を止めて」
坂戸がダグアウトから飛び出し、葵のもとへ急行する。それと同時に選手たちが茜に飛びかかり、バットをもぎ取って体を押さえつけた。
「葵、大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……。ちょっと背中が痛いだけですから。多分、骨まで達してないのでまだやれます……」
「素人判断で何を言うの。寒さで正確な痛みの度合いがわからないでしょう。葵はここまでよくやったわ。裏で先に休んでなさい」
坂戸が球審に臨時代走を告げようとしたとき、目の前をネリネが通り過ぎた。マウンドで帽子も取らずに激しく動揺しているガウラに向かって、英語で一喝した。
「帽子を取れ! ここはアメリカじゃない。日本だ!」
ガウラはハッとして帽子を取り、担架で運ばれていく葵に深々と頭を下げる。ネリネは返す刀でナインに檄を飛ばした。
「この回で終わりだということに慢心するなッ! 勝利は試合が終わってから噛みしめるものだ。センターとライト、とくにおまえたちに言っているんだぞ。守備でエースを救ってやるって気概(きがい)を見せろ! ほかの守備陣もそうだぞ。今が踏ん張りどきだ!」
一拍遅れて「おう」と答えるナインたち。
ガウラには何も言わず、無表情でマウンドを降りていくネリネを見送るガウラは、決意に満ちた目をしているように見えた。
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