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4章
19 信じる心、信じる力
しおりを挟む小走りでダグアウトに戻ってきた坂戸は、火鉢に手をくべながら盛んに擦り合わせた。
「球場中に響く檄だったね」
由加里が言った。坂戸が甘酒をすすりながらゆっくりうなずいた。
「ほんの一瞬だけあの黄金期のチームのユニフォームを着たネリネが見えた。やっぱりアイツはタダ者じゃないわ」
医務室から戻ってきた愛敬が軽く咳払いをした。
「葵さんからことづてがあります『あの人、結構いい人だと思います』だそうです」
「どういうことかしら?」
「監督が来る前にマスクを取って申し訳なさそうな顔で『ソーリー』と、葵さんに聞こえるぐらいの声で先に謝っていたんです」
「チームメイトたちには雰囲気で誤解されてるけど、案外アイツは日本に来て人の心の機微(きび)を学んだのかもね……」
――クソッタレの外人どもが。葵を潰しやがって、絶対に許さんぞこのヤロウ……!
桐子の腸(はらわた)が煮えくり返る。しかし、すぐに頭が雪のせいもあり冷静になった。ここ一番なんせノーアウト満塁なのだ。カッカとしていては力んでポップフライを打ち上げたてしまっては目も当てられない。
――なんかねェんか? こいつらをあっと言わせて点を取る方法は。
改めて雪の降り方を確認するように見た。ちょうど横っ風が吹き、顔面にいくつもの雪の結晶が張り付いた。
――そうだ、これだ。これこれ!
何かを思いついた桐子。その思いつきを実行したのは3球粘ってからだった。
狙い球に絞ったスライダーが内角を攻めてきた。桐子はしめたとばかりに体を開き、バットを一本背負いの要領で繰り出す。打球は三塁ベース直前で一度地面を叩き、跳ね上がる際にベースに当たって大きく雪の空に舞い上がった。そこへ折よく強風が吹き、打球は風に大きく流される。雪と同化したボールを拝藤組の守備陣は完全に見失った。その間に塁上ランナーが全員還(かえ)り、最終回の土壇場で3-3の同点に追いついた。レフトがボールをようやく拾い上げたころには三塁上には桐子の姿があった。
新後アイリス側のスタンドがどんちゃん騒ぎになる一方で、拝藤組側のスタンドはまるで通夜のように静まり返った。ただひとりを除いては――。
「おい、お前らのお粗末な守備はなんだ!! 園木に仲は何をしておるんだ!! サードとショートとレフトの者共を代えんか!! それにガウラも代えてしまえ!! クラブチームに二度も敗北するなど、万死に値するものぞッ!!」
新後アイリス側が沸きに沸く中、バックネットに陣取る拝藤がネットを揺らして怒り狂っていた。
だが、叫んでいる間は猛烈な風に声が流されて届いてなかったと見え、ダグアウト内の誰も反応しなかった。
「なあ、選手を交代しなくてもいいのか。今ならまだ間に合うぞ」
と、横から仲が助言してみても、
「アタクシは悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない――」
とうの園木はテンパって独り言を繰り返しているだけだ。
寒さと視界不良によるお粗末なプレーをやらかし、一気に同点に追いつかれてしまい、拝藤組の士気はダダ下がりである。立っているだけでもつらく、やらかした守備陣は恐怖と寒さで震えが止まらない。
一方、勝利の可能性が消えてしまったがガウラは冷静だった。
「私は私の投球をした。でも、打たれて運悪く同点に追いつかれてしまった。それだけだもん」
不快な表情を隠そうともせず、マウンドにやって来たネリネはガウラに英語で愚痴った。
「バックはもうあてにならん。リーダー格の一女ですら、こんなときでも視界が悪いことをいいことに何も言いやきにしない。やらかしたやつらだって謝りに来やしない」
「いいよ、気にしないよー。わざとじゃないんだからっ。だって雪が降ってるんだしね。私だって同じポジションだったら、同じふうになってかもしれないし」
「いいや、私は納得がいかないね」
ガウラは日本語で強風にも負けないよく通る声で言った。
「日本人はごめんなさいの心を子どものころから教えられてきたんじゃないのか? 他人事のように静観(せいかん)を決め込みやがって。私とガウラだけで押さえてみせるから、カカシのように突っ立って見てやがれ!」
マスクをつけ、こぶしでガウラの胸を軽くたたく
「さあ、あともうひと踏ん張りだ。エース様」
「うん! 『困難は、ベストを尽くせるチャンス』だからね!」
「ああ、その通りだ」
口元に笑みをわずかに浮かべ、ネリネがマウンドを降りていく。それと同時に、ネリネの言葉を聞いて園木はようやく我に返り、一女とバッテリー以外を交代させたのだった。
雪まみれの無様な姿の野手陣を見て、園木のこの日最大のヒステリーが極まった。
「無様ね……無様無様無様無様ッ! ひたすら無様ッ! アンタたち戻ったら覚えておきなさいよッ! 仲さん、あのふたりに最後まで投げてもらいますからねッ! もしも負けたら、もしも負けたら……キィイイイィィイイイ―――――ッ!」
坊主頭だが頭を掻きむしる仕草をする。園木の頭皮にいくつもの赤々しい引っかき傷が残った。
仲はベンチに体を預け、しばし目をつむった。
――負け慣れてないな、どいつもこいつも。園木もすぐにヒステリックを起こす。そして後手後手の采配に回ってしまう。圧倒的な戦力で勝ち続けた勝利を約束されたチーム。ゆえに、劣勢からの逆転に対しての知識が乏(とぼ)しい。不幸だな不幸。そして、このチームに尽くそうとした俺も不幸で、バッテリーだけ補強しておけばいいという考えが甘かった――。
自分で選んだ道とは言え、仲は自分の運命と選択を今このときほど強く呪った。
「頼んだわよ! 茜――っ!」
「茜ちゃん、がんばって――っ!」
「生名(いきな)ー、かっ飛ばせ――ッ!」
ネクストバッターズサークルからバッターボックスへ移動する間、新後アイリスの選手たちやスタンドの客たちがあらん限りの声を張り上げ、茜の激励(げきれい)の言葉を送り続ける。
「絶対に打ちますよ……!」
治療を終えてベンチに座っている葵が熱を帯びた口調で言う。
「今日一番当たってるからね。期待が持てるよ」
由加里が期待の茜に期待の眼差しを向けている。すると、坂戸が横槍(よこやり)を入れてきた。
「由加里、アンタの言ってることは半分そうなんだけど、半分そうじゃないのよ。理由があるのよね、葵ちゃん」
「はい、茜ちゃんはわたしの信じた人だからですっ」
「……?」
イマイチ理解ができていない由加里は腕を組み、小首をかしげた。
「あら、ちゃんと理由になってるのよ。人は意気に感じて力を発揮できる。人を信じてやらねば、人は動かない。愛の力は無限大よ。アンタもわかるでしょ」
いい終えて坂戸はウインクしてみせる。
「愛の力ねぇ……」
由加里はその言葉を聞き、桐子を説得して連れ戻した時期を思い出した。
「……ああ、愛の力イコール信じる心ってわけね。だから、どんなことがあっても相手を信じる気持ちが大事ってことか」
由加里なりに解釈ができたようだ。坂戸が満足気にうなずいていると、愛敬は両肩をすくめ、呆れ果てた仕草をした。
「今の園木監督のヒステリー……拝藤組の良くないところが集約されてましたね。ガウラを信じているのはあの中でネリネだけ。一女もまた、体だけ女になっただけの人間でした」
「主導権はあのカマハゲが握ってるみたいだからね。仲は所詮(しょせん)、良くてただのコーチ、悪くて部外者。あのガウラとネリネも良くてひとりの選手。悪くて部外者だったというわけよ」
坂戸は憐憫(れんびん)の目を名前を挙げた3人に順繰りに向けた。
打席に入るなり茜はネリネを睨(にら)みつけた。
「私たちが勝つ」
「……なぜ、そう思う?」
「私を信じてくれる人がいるから」
口を閉ざすネリネ。理由が単純過ぎて閉口(へいこう)したのではなく、茜には信じてくれる人が多くいることの嫉妬心が胸に充満し、これ以上口を利く気にならなかったのかもしれない。
2-2の平行カウントととし、ネリネはボールでもいいから胸もとに直球を要求する。ガウラの腕全体が限界に近づきつつある。普段なら完投だろうが延長だろうが、何回まで投げれる無尽蔵(むじんぞう)のスタミナがある。しかし、おそらく0℃近い気温でなおかつ雪の降りしきる中で投げた経験などなく、ガウラ自身が思っている以上に体力が消耗(しょうもう)していた。それでも、なんとしてもワンアウトを取るために、ガウラは渾身のストレートを投げたつもりだった。が、無情にもその球が甘く入り、真芯で打ち返されてしまう。雪の中に快音が響き渡った。
「だから私は応える。アンタたちは信じてくれる人がいなくてかわいそうだ」
白球は高々と降り続く雪の逆を行くように上昇し、空気を切り裂き、進行方向で舞い落ちていく雪の結晶を破壊していく。レフトスタンドに入るか入らないかのギリギリのところで坂戸は叫んだ。
「入れ――っ!」
その瞬間坂戸の視界が暗転した。
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