地の果てまでも何処までも

薄荷ニキ

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地の果てまで追ってくる男 1

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 その昔、俺のために死んだ男がいた。

 馬鹿なやつだ。あのまま父の元に居たら、それなりに出世できただろうに。俺なんかのために命を落として、何を考えているんだか。

 俺が感謝なんてすると思ったら、大間違いだからな。精々、無駄死にしたと悔しがるがいいさ。



 ※ ※ ※ ※ ※



「ひぃぃぃぃぃいいいいい」

 俺は必死に夜の街中を全速力で逃げていた。借金取りとかそんな生優しいものじゃない。あの男に捕まったら俺はお終いだ。




「どーもー……ぉお……???」

 そいつを見た瞬間、俺の額からドバッと冷や汗が滴り落ちた。手のひらの汗は乾く暇もない。

 上得意のおっさんに呼ばれて行ったテーブル、その男は貫禄ありまくりの態度でどっかりと黒い革張りのソファに腰を下ろしていた。

「鈴ちゃん。この人、善次郎さん。この方には最近、凄くお世話になってさ。今日はよろしくしてやって」

「はははは初めましてぇ。あ、そうだ、私──」

 俺は震える声で頭を下げながら、咄嗟に顔を隠した。そのまま何とか後ずさって踵を返そうとしたが、善次郎と呼ばれた男がそれを許さなかった。すかさずゆらりと立ち上がったそいつに、俺の手首ががっしりと掴まれたのだ。

 身長2メートル近くはありそうな巨体が、俺を見下ろしながらにこやかに笑っていた。

「鈴ちゃん? 可愛い名前だね」

「ああありがとうございますぅ」

 俺の営業スマイルは、極限に引き攣っていたことだろう。

「あの、善次郎さん? 手ぇ離してもらえますか? わ、私ぃ、ちょっと用事を思い出してぇ……」

「え? 何だって?」

 ああ、この威圧感よ。善次郎の感情のこもっていない笑顔が恐ろしい。

 座った体勢のままでも分かっていたが、善次郎はガタイがいい。なんせ身長2メートル近くある大男だ。どうやって鍛えているのかは知らないが、全体の作りは大きいものの、発達した筋肉のバランスがまるで名工が魂を込めたギリシャの彫刻のようで、スタイルが抜群に良い。しかも艶やかな黒髪、長髪。顔も濃いアジア人顔のハンサムとくれば、目立たないはずがなかった。いや、まじモデル。海外のファッション雑誌の表紙を飾っていてもおかしくはない。

 当然の結果として、この男が入店してからというもの、店の女の子達の視線を独占していた。長いつけまつ毛でばっちり化粧された目が、きらきらとピンクのハート型になっていたからすぐ分かる。

「そっ、そうだ。お兄さんほどの色男なら、ウチでトップのアケミちゃんに付いてもらった方が──」

「俺は鈴ちゃんがいいなぁ。どうも俺の好みの顔なんだよねぇ。ああ、少し、俺の前の彼女に似ているのかな……?」

「へ、へえぇぇ……」

「て、ことで今夜はよろしくね」

 言うなり、俺は善次郎の横に抱え込まれるように座らされた。うう、すげー馬鹿力(泣)

「とにかくさ、乾杯しようか」

 俺は仕方なく、お得意さんに促されるまま善次郎のグラスに酒を注いだ。お得意さんのグラスには、彼の横についたマナちゃんが。

「かんぱーい」

 お得意さんの音頭で、マナちゃん、善次郎、俺の4人でグラスを持ち上げる。その隙にモゾっと動いて男と距離を取ろうとしたが、すぐさま腰に回ってきた大きな手に逆に抱き寄せられて、更にピッタリと男にくっ付いて座ることになってしまった。

 ちょっとぉ! この店、おさわり禁止なんですけど!(怒)

「いやー善次郎さん。すっかり鈴ちゃんがお気に入りですなぁ」

 善次郎に『借り』があると言っていただけあって、お得意さんは善次郎が俺を横に侍らせて上機嫌なのが嬉しいらしい。ひとを人身御供にして自分の株を上げんなよな。

「善次郎さんの元カノに似ているだなんて、良かったですね、鈴さん。マナ、妬けちゃう」

「……はは」

 俺は笑うしかない。おい、マナちゃん。余計なこと言うなよ?

「こんなかっこいいお客さん、連れてきてくれてありがとうね、田中さん。田中さんはダンディなおじ様だし、私、今日はラッキーだな。お二人とこうやって一緒に飲めて」

 おおう、次のトップはこの子だなと思わせるほどの煽て上手。思わず感心する俺に、マナちゃんは綺麗にピンク色の口紅が塗られた唇の端をにっこりと持ち上げて言った。

「うふふ。鈴さんって、ちょっと変わっているでしょう? こんなお仕事しているのにベリーショートなの。しかも薄い翡翠色に染めちゃって。まるでパンクの人みたい。でもハーフ顔の鈴さんには凄く似合っているからいいよね。私には真似できないから羨ましい」

 うーん。褒められているのか、下げられているのか……

「左目の涙袋のところにホクロがあってセクシーだよね。いや、セクシーっていうか、目がちょっと垂れ目だからねぇ。口デカいし。アンニュイな美人さんって感じかな」

 お得意さんも、そんな無理して褒めなくていいよ。俺と話すのは気が楽だってよく指名してくれたけど、あんた、俺の顔好みじゃないだろう。背だって同じぐらいだから可愛げがないって、前に拗ねて言っていたじゃないか。

「左目にホクロ?」

 善次郎はそう言うなり、ぐいっと俺の顎を持ち上げて自分の方へと俺の左頬を向けた。

「……ふーん。俺の元カノにはこんなホクロはなかったな。それに胸も……こんなにデカくなかった」

「そりゃ、私はお兄さんの元カノさんじゃありませんからねー。あの、そろそろ離してもらえます?」

 俺が抵抗するように首を仰け反らせると、善次郎は肩を竦めてようやく手を離してくれた。……離し際、人差し指と親指で人の顎をいやらしく撫でやがったけれども。

 それからも地獄のような時間が続いた。俺は何度もテーブルからの離脱を試みたが、善次郎は物理的に、そしてお得意さんは「俺、客。今までお前を贔屓にしてやっていただろ?」と言わんばかりの精神的攻撃で俺を決して離してはくれなかった。

「ありがとうございましたー」

「またいらしてくださいね♡」

 やっと、やっと帰ってくれた……

 日付が変わりかけてようやく二人が退店した時、俺はぐったりと店の奥で脱力した。

「つ、疲れた……が! こうはしていられないっ」

 俺は慌てて夜の戦闘服を脱ぎ捨て、いつもの楽な服に着替えた。もちろん胸のは早々に取り払い、カバンの中に無動作にぶち込む。ブラさえ必要のないぐらいささやかなバストをTシャツで覆い隠し、下は暑いのでブラックジーンズの短パン。楽だぁ。

 俺の様子を見にきた黒服に今日はもう帰ることを伝えると、あからさまに顔を歪めて「困るよ」と文句を言われた。けど、そんなこと知ったことか。もう日付変わったし。

「よしっ!」

 こっそり裏口から出て左右を確認し、いざゆかん。眠らない町、東京のネオン街を足早にすり抜け、俺はいつもは通らない道を進んだ。念には念を。俺だってまっすぐ家に帰るほど馬鹿じゃない。住所を特定されたら厄介だからだ。

 歩くこと数分。何度もしつこいぐらい前後左右確認し、追手を確かめた。もう一度後ろを振り返って見ても、よし、誰もいない。やつが追ってきていないことに安心して、俺はようやくホッと一息ついた。

 あー……また引っ越しかぁ、面倒くせぇ……なんて思いながら、一歩を踏み出す。

 次の瞬間──

「鈴ちゃぁん?」

「@#$☆!!!???」

 文字通り俺は飛び上がるほど驚いて硬直した。え、だって、誰もいなかったよ?

 ぎぎぎ……とゼンマイ仕掛けの人形のように振り向くと、そこには、覆い被さるように人の顔を覗き込んでくる大男が笑顔で立っていた。
 その色男振りに、俺は雄叫びをあげて走り出した。

「ひぃぃぃぃぃいいいいい」

 必死に夜の街中を逃げて、逃げて、逃げまくって。
 だが考えてみて欲しい。推定2メートルの大男と、身長167センチメートルしかない俺の歩幅の差を!

「うおお」

 痛い、痛い。俺をがっちり抱え込んで離さない筋肉質な腕。
 あっさり追いつかれた俺は、まるで大蛇に締め上げられる哀れな獲物のようだった。俺だってひ弱な方じゃないのに、とぐろに巻かれたように身動きが取れない。

 俺をその弾力のある胸筋で包み込み、善次郎は俺の耳元に口を寄せて尊大に囁いた。

「久しぶりだなぁ、鈴ちゃん? 会いたかったぜ」

 ああ、まただ。笑えばいいのか、泣けばいいのか。

「アゼル……」

 俺はあっさりと捕獲され、そのまま男の巣穴へと拉致された……。
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