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仮初夫婦の日常

日々徒然

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 奏子と朔が夫婦となり、朔の後押しで奏子が執筆に思う存分打ち込めるようになり、暫しの時が流れた。
 その日、奏子の兄の一周忌の法要が営まれた。
 兄は事故であり、その死はあまりに唐突すぎてまだ実感がない。
 文武両道の好青年であり、父の自慢の跡取り息子であった。同時に、奏子にとっては頼もしく優しい兄だった。
 跡継ぎを失くした父は酷く力を落していたが、名家の主として弱いところを見せては居られないと気丈にふるまう。
 それを見ているのは胸が痛かったが、最近は奏子の結婚という目出度い事があった為か真実明るい様子でいる事が多いように感じる。
 これが何も気負うところのない本物の結婚であれば良かったのにとは思う。
 朔はどれほど優れた婿であろうとこの結婚は真実のものではないし、そう遠くない内に終わるものなのだ。
 何時か来るその日には、今確かに抱いているだろう想いも記憶も失われてしまう気がする。
 忘れてしまうならば哀しいとは父は思わぬだろうが、その父を思うと奏子は切ないと思わずに居られなかった。
 厳かに営まれた法要が終わると、集まった人々はそれぞれに帰っていく。帰り際に父は奏子に言葉をかけながら。
 今日衆目を集めたのは朔だった。
 夢幻的な美貌を持つだけではなく、厳格な父が手放しに褒める才を持つ新しい跡取りである。
 朔の立ち居振る舞いは実に隙がなく、采配もまた見事。
 素敵な婿殿で幸せねと言われたのは両手の指の数では足りない程、最早数えるのも諦めた。 
 少し離れた先では、朔が最後の参列者を見送ったところだった。
 労わりの言葉を書けると僅かに微笑んで奏子を向き、一服いれないかという提案をしてくる朔。
 断る理由などなければ、茶の支度をシノに頼んで二人で離れへと戻る。
 居間にて寛いで暫し過ごして、一息ついたところで奏子は朔の如才ない立ち回りを称賛する。
 僅かに照れた様子の朔だったが、姉と兄の補佐をするので慣れている、とぽつりと口にしたのだ。
 奏子は思わず首をかしげる。
 朔は、建前として作った設定としては次男坊という事だった。だが、それはあくまで作り上げた仮の設定の筈だ。
 望という姉が確かに存在するのは奏子も知っている、だが兄も本当に居たのだろうか。
 そんな疑問を奏子の表情から読み取ったらしい朔は、ひとつ息をつくと口を開いた。

「兄が居るのは本当だ。……義理だが」
「え……?」

 彼らは三人兄弟だったのだろうか、と目を瞬く。
 しかも義理とは。つまりは血が繋がらない兄という事なのだろうか……。
 そういえば朔の家族について詳しく聞いた事は無かった。
 何れ終わる間柄である故か、詳しく問う事は出来ずに居たのだ。
 けれども、こうして話として聞いてしまえば疑問は湧く。一体どういう事なのだろうかと。
 奏子が次々と疑問に思うのを見つめながら、朔は爆弾とも事実を告げた。

「望の夫だ」
「の、望様は結婚していらしたの……?」

 あの天真爛漫で奔放なところもある望が人の妻であったという事実に、奏子はたっぷりと沈黙した後に驚愕を全身で表しながら言った。
 叫びかけたが、それは流石に耐えた。身に着いた習性やら教えやらの賜物である。
 奥方としてはかなり大らかで自由にある気がするが、とは思ってもそのまま口には出来ない。
 けれども、朔にはお見通しのようである。
 若干視線が遠くなりながらも、肯定するように頷いては続ける。

「あれでも既婚者だ。……完全に旦那を尻に敷いているが」

 普段は、望を助けて控えめにその傍らに在るらしい。彼女が里を不在にする時は留守居を任され手堅く采配を振るうと言う。
 驚いた事に、天狐の一族の長はあくまで望であり、夫はその補佐であるという事だった。
 人の世であれば女性が多くを統率する主となるなど考えられぬ事である。
 女には考える力も決める力もないという男達が、女性の下に甘んじる訳がない。
 現に女相続人の家では、爵位を与えられてしかるべき名門であっても男性当主となるまで叙爵を延期される事すらある。
 爵位を受けるものが女であっては周りに示しがつかぬという、それだけで。
 人の世の狭量さを苦く思う奏子の眼差しの先で、人の理の外でいきる天狐は更に言葉を紡いでいる。

「温和で懐の広い男で、あの趣味に関しても完全に受け入れている」

 その男性も、結婚前はそれなりに気性が荒く、強い力を有している故に統領姫の夫とするのに懸念する声もあったとか。
 しかし結婚した後は、それまでが嘘のように温和で思慮深い性質を見せるようになり、望を影に日向に支えているのだという。
 結婚すると人は変わるものというが、あやかしもまた同様なのかもしれない。
 更には、無類の恋愛物語愛好家である望の性癖すらも笑顔で見守っているらしい。
 確かにそれはかなりの懐の深さであろう、と奏子は感心したように息をつく。
 そこまでは少しばかり苦笑いしながらも尊敬の念を滲ませて語っていた朔だが、ふと何かを思い出したという風に表情が陰る。
 暗い影には、負の感情が。憎悪と感じるようなものすら潜んでいる気がしたのは気のせいか。

「……弟は禄でもないがな……」

 深い嘆息交じりに、朔は低い声で呟いた。
 弟とは、望の夫の兄弟の事であろうか。
 義兄の弟であれば親族と言えるはずだが、朔の声音はおおよそ身内を語る者では無かった。
 むしろ触れてはならない何かを感じさせるものだったために、奏子は無言を貫く。
 そう、自分がそれについて聞いてはならないと、何故か思ったから。
 その後、朔が当たり障りのない話題を切り出した事で、その場に満ちた微妙な空気は無くなった。
 けれどもその時以来、不思議な棘のようなものが奏子の心に残る事となったのである……。




 ある日の事、朔が書斎に入ると、そこにはある種の緊迫した沈黙が満ちていた。
 何故か、執筆が上手くいっていないのかと眉を寄せた朔が見つめた先で、奏子は難しい顔をして何かを見ている。
 本に見えるのだが、参考の為の資料であろうか。

「何を見ている」
「あっ……!」

 物語に集中しすぎる余り、朔が現れた事にも、覗き込まれていた事にも気付けなかった。
 怪訝そうな表情の朔は、奏子の手から容易く本を取り上げてしまう。
 返してと手を伸ばしても、背丈のせいで朔のもつ本には手が届かない。
 前にもこんなことあった気がすると思いながら、それでも必死に手を伸ばしていると、朔の低い呟きが耳に降ってきた。

「……此れは」
「……物語です」

 朔の呟きがあまりに低く重々しい事に、思わず彷徨う奏子の眼差し。
 若干の気まずさを覚えつつも、かえして、と手で訴えるのだが、返ってきたのは怒りとも何とも言えぬ響きだった。

「何だ、この無駄に耽美な男色物語は!」
「禁断の愛の物語と言って頂戴!」

 内容を確認して叫ぶ朔に、抗議の叫びで応じる奏子。
 殿方だけの閉じられた禁欲の世界で繰り広げられる、切なくも激しい愛の物語。
 禁じられた関係に対する葛藤、それでも抑えきれない燃え上がる想い……。
 心燃やさずに居られない。目に星を宿しながら、ときめきを抑えられずに必死に頁を捲っていた。
 その為、朔の接近に気付くのが遅れてしまったのである。
 怒りとも呆れとも引きとも形容できぬ表情で見つめてくる朔に、奏子は少し顔を背けながら呟く。

「望様の古い知人の方がお書きになったらしいの。私にもどうぞって」
「望……」

 微妙な色を宿した眼差しに押されて、物語を手にするに至った経緯を白状する。
 姉の名を呻くように呟く朔の表情は、日頃の姉の所業に対する弟の、複雑すぎる心情が滲んだものだった。
 暫し、重く形容しがたい沈黙が流れる。
 何とか持ち直したらしい朔が、一つ咳払いをした後に奏子へと向き直った。

「読むなとは言わないが。……原稿の進捗はどうなんだ?」
「こ、これから取り掛かるところです!」

 物語が持ち込まれたのは、調度奏子が原稿の進みに難儀していた時だった。
 シノがお届け物ですと齎したそれは、眩い光を放って見えた程。
 思わず捧げるように手に持って、部屋をくるくると踊ってしまったものである。
 内容を見てみて、心から義姉に感謝して天を仰いだ。
 嗚呼、何て素晴らしいの、と感激すらしてそれからわき目もふらずに読み続けた。
 当然ながら、その間は執筆の手は止まっている。机の上の原稿用紙は、今だ文字で埋まり切ってはいない。
 罰悪そうに、しかし何とか誤魔化そうと笑みで取り繕う奏子を見て、朔は深い溜息を吐いた。

「書き上がるまで、これは没収だ」
「うう……」

 禁断の輝きは朔の手にあるまま、奏子は執筆を再会する運びとなる。
 あれはご褒美だ。原稿を仕上げたら心行くまで存分に読もう。
 口に出してそう己を励ました後に、奏子は筆を執る事を再開する。
 その様子を見た朔は、もう一つ複雑な息を吐いた後に自分の仕事にとりかかるのだった。
 筆を勧めながら、奏子は思っていた。
 男性同士でそのまま関係をなぞるのは書き手として気が引けるので、女性同士に置き換えて案を練ってみよう、と。
 朔は、知らぬが幸せだったかもしれない。
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