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第十六章 地下格闘技場

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「当たり前だろ!」
「待って! 危ないから」
 大手をふって立ち去ろうとした呂布の襟を、陳嬋が後ろからつかむ。
「何を恐れることがある。俺がいれば平気だ」
「俺がいれば? さっきもあなたがいたのにつかまったよね?」
「そ……それは、不意打ちだからだ」
「また不意打ちされたら?」
「それは…」
「静かに!」
 せっかく反論しようとしたのに制止される。
「私が前を歩くから、ついてきて」
 呂布は、言われたとおり陳嬋のあとについて歩く。
 てっきり地下1階だと思い階段を探したが見つからない。通路が複雑に入り組んでおり、まるでダンジョンのような造りになっていた。
「聞こえたか?」
 呂布は耳をピクリと動かす。
 陳嬋はうなずき、音のするほうへ足を進めると重厚な扉が見えた。押してみると、意外とすんなり動いた。
 急に視界が開け、豪華な体育館のような巨大な空間が現れた。無数のスポットライトによって隅々まで明るく照らされ、ここが地下であることを忘れさせる。
 陳嬋らが開けたのは、客席に近い扉だったようだ。満員の観客席が興奮の渦に包まれ、コールが巻きあがっている。
「レッド、レッド!!!」
 全員が顔を上気させ、レッドと叫んでいる。
 場内にさっと目を走らせた陳嬋は、トランシーバーを持つスタッフを見つけ、彼らに気づかれないよう呂布を引っ張って席に着く。
 ほどなくして会場が静まりかえり、観客たちが席に座る。視界を遮っていた前列の観客の背中が消え、陳嬋はここが体育館ではないと確信した。
「リング……?」
 多角形の舞台がフェンスで囲まれている。ここは地下格闘技場だったのだ。
 驚くべきことに、マットの上では赤い髪の青年がライオンと対峙していた。
 「レッド」のコールを浴びる赤い髪をした青年の鍛えあげられた筋肉が、黄金(こがね)色に輝いている。ただ、呂布たちに向けられた背中には、大小の傷痕が無数にある。古そうな傷から新しいものまで入り交じっているが、どれも急所は外れている。ただし首の傷口だけは恐ろしいほどの深手で、これだけの致命傷を負い生きていられることが不思議なくらいだった。
 今まさに始まろうとしているレッドとライオンの死闘への期待で、観客のボルテージは最高潮に達した。それとは対照的に、青年は落ち着きはらっている。ライオンを見つめる目には、粟粒ほどの恐れもなく、底知れぬ覚悟と勇気が透けて見える。その視線の先で、筋骨隆々の体躯に黄金の毛皮をまとった獣が、うなり声をあげて狩りの本能を爆発させる。
 突然、ライオンがレッドに向かって突進し、観客が一斉に雄叫(おたけ)びをあげた。次の瞬間、俊敏に身体を反転させライオンの攻撃をかわしたレッドは、その胴体を下から持ちあげ、ドスンとマットにたたきつけた。
 ライオンは口から鮮血を吐きながらも、野生の習性で立ちあがり牙をむいた。しかし、レッドはすでに動き始めていた。軽く助走しながらパンチを繰り出すと、ボフッという鈍い音とともにライオンが倒れた。それをすかさずマットに押さえつけ、拳を振りあげた瞬間だった。
 カーンと高らかに試合終了のゴングが鳴る。
 すぐにレッドはライオンから飛びのく。すると、どこからか登場したレフリーが、興奮気味にレッドの右手をつかんで高々とあげた。
「本日の勝者はーーーーー、レッドーーーーー!!!」
 興奮のあまりマイクをにぎる手が震え、声も震えていた。
 ───レッド! レッド! レッド!!!
 場内に割れんばかりのレッドコールが巻き起こる。
 レッドが汗をぬぐおうと、左腕を持ちあげた瞬間、その動きがとまった。レッドは汗をぬぐうことさえ忘れて、観客席のある人物に目を奪われていた。
(あれは……)
 腕をつかむレフリーの手を振り払い、その人物から目を離さないようにしてリングを駆けおりた。レッドのただならぬ気迫に押された群衆が左右に移動し道ができる。彼がどこに向かっているかは分からないが、ライオンを倒した男の前にたちはだかる勇気のある者など、いるはずもない。
 この時、陳嬋はレッドの異変にまったく気づいていなかった。さっき自分たちを拘束したふたりの男に気を取られていたのだ。後方には、同じような服装をした仲間とおぼしき男たちも数人いる。彼らもリングではなく客席に目を走らせている。
「いたぞ! あそこだ!」
 太った男が陳嬋のほうを指さす。
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