鬼の花嫁

炭田おと

文字の大きさ
5 / 86

3_この国は、鬼が支配しています_後半

しおりを挟む
「数年前までは、鬼廻貴円きえん貴円様というお方が御主様だったけど、ご息女と一緒に視察中に、何者かに暗殺されて、今は貴円様の弟君の、鬼廻張乾ちょうけん様が跡を継がれ、大将軍となられたのよ」


 ――――鬼廻貴円きかいきえん


 久しぶりに父上の名前を聞いて、私は胸に、針が刺さったような痛みを覚えていた。

 鬼の家系には、女の子が生まれない。でも家同志の繋がりには、女が必要だという考えが、この地域には古くから根付いている。

 だから鬼の家系は、別の家から女の子をもらい受けたり、身寄りがいない女の子を引き取って、自分の娘として育てる。

 私も赤ん坊の頃に、鬼廻貴円様の元に、養女として迎え入れられ、穏葉やすはと名付けられた。

 私は、自分が生まれた家のことを何も知らない。鬼廻家に入った後は、生まれた家とは縁を切り、知ろうとしないのが仕来りだ。だから私も、それに従ってきた。

 父上は、優しい人だった。歌や花を好む温和な人で、家来にも優しく、養女に迎えた私を、実の娘のように育ててくれた。

 ――――優しすぎて、時に冷酷な決断をしなければならない御主という立場は、父上には苦しかったのかもしれない。決断できずに、苦しんでいる姿を、何度か見たことがある。

 それでも父上は精一杯、御主としての役割を務め、北鬼は平和だった。

 だけどいつ頃からか、父上は暗殺の気配を感じるようになっていたらしい。どんな時でも、信頼できる護衛の鬼を連れて歩くようになった。

 そこまで用心していても、父上は視察の途中で、刺客の鬼に殺されてしまい、私も巻き込まれて、傷を負ってしまった。

 父上を殺した鬼達は、私を人質にして、身代金を奪うつもりだったようだ。攫われて、閉じこめられた上、血を飲むために、噛み痕まで残されてしまった。

 ――――いずれ私は、売られるか、殺されるのだろう。私は生きることを諦めていた。

 そんな私を助けにきてくれたのが、父に仕えていた、久芽里くめりの鬼達だった。

 私は御政堂に戻ることができたけれど、御政堂はもう、新しい御主の、張乾様のものになっていて、前の御主の娘である私には、居場所がなかった。

 そのうえ、顔に切り傷、首に噛み痕を残された私は、傷物とみなされている。

 前の御主の娘という微妙な立場であることも重なって、縁談は一つもまとまらないまま、時間だけが過ぎていった。

 張乾ちょうけん御主も、私のことを腫物のように感じているようだった。

 私は大奥の隅にある、木蔦きづたの宮に閉じ込められ、行事や集まりに呼ばれることはなくなり、外出もあまり許可してもらえなくなった。

 集まりに参加するのは苦手だから、呼ばれないことは構わないけれど、外出を禁じられるようになったことには、息苦しさを感じている。

 幸い、抜け道を知っているから、気が滅入らないようにたまに御政堂を抜けだして、町を散策するようにしていた。

「張乾御主には、ご子息が五人おられるそうだわ」

 私が過去のことを思い出している間に、母娘の話題は、張乾様のご子息のほうに移っていた。

「ご子息の中で有名なのは、四番目の若君の、勇啓ゆうけい様かしら。勇啓様はとても強い武官だそうよ。鬼は本当に長生きで、老齢の長老達の中には、五百年近く生きている人までいるそうよ」

「本当に? すごいね!」

 母娘は楽しそうに笑った。

「長老の中でも決定権を持つ、最も強い七人の鬼は、嶺長老れいちょうろうと呼ばれて、国民から慕われているのよ。鬼達は一族の繋がりを大事にしていて、一族の代表者、つまり、当主ね。その当主は、頭代とうだいと呼ばれているの」

「へえー」

 自分が知らない世界のことを知り、女の子の目は、きらきらと輝いた。

「それにしても、今日は本当に人が多いね」

「数十年に一度の祭事が、三日後にあるからね。きっと各地から集まってきてるんだわ」

「花嫁行列を見るために、みんなここにきてるんだね」

「そうよ」

(・・・・ああ、そうか。――――もうすぐ、閻魔えんま婚礼こんれいがあるんだ)

 母娘の会話を聞いて、私はようやく、この国で一番大事な行事、閻魔の婚礼が近いことを思い出した。

「そういえば、花嫁って、誰のお嫁さんになるの?」

「閻魔様のお嫁になるのよ」

 女の子はまた、不思議そうに目を瞬かせる。

「閻魔様は眠っているんでしょ? どうやって結婚するの?」

「うーん・・・・」

 難しい説明を求められて、母親はしばらく考えこんでいた。

「・・・・これは婚礼じゃなくて、実際には、儀式みたいなもの、といえば伝わるかしら」

「儀式?」

「閻魔様が目覚めなくなったあと、閻魔様の従者は、閻魔様が夢の世界で寂しい思いをしていらっしゃるかもしれないからと、花嫁を贈ることにしたの。それ以来、数十年に一度、名家のご息女が、閻魔様の花嫁になるために、都に集められるようになった」

「名家のご息女・・・・」

「御政堂の奥には、大奥があって、閻魔堂はその中にある。大奥は大きく、三つに分かれているの。一つが政治の中心である御政堂、もう一つが御主様の奥様が住まわれる梅の廓うめのくるわ、そして最後の一つが、儀式の中心となる桜の廓さくらのくるわよ。閻魔堂は桜の廓の中にあって、花嫁は桜の廓に入って、勤めを果たすそうよ」

「でも、閻魔様は眠っていらっしゃるんでしょう?」

「そう、だから儀式なの。花嫁達は閻魔の婚礼の間、閻魔様に祈りを捧げて、期間が過ぎたら実家に帰り、別の人と結婚するわ。花嫁は、神様に仕える巫女のようなものなのよ。閻魔の婚礼は、この国にとってはとても大事な行事なの。儀式なのに、いつの間にか周辺諸国でも人気が出てね。この日になると毎年、花嫁行列を一目見ようと、観光客が大勢押しかけてくるのよ。婚礼の儀式には、御三家も関わるかもしれないわね」

「御三家?」

「この国には、御三家と呼ばれる、古くから閻魔様の守りと、政に関わってきた家が三つあるの。鬼久ききゅう家、久宮くみや家、鬼伏おにぶし家よ。その御三家の代表者は御家頭代ごけとうだいと呼ばれていて、一目置かれているそうよ。長老に選ばれるのは、この御三家の鬼達が多いの」

「へえ」

「鬼久家は、最近新しい頭代に代わったばかりだと聞いたわ。新しい鬼久頭代の燿茜様は、たいへん見目麗しい方で、北鬼一美しいと言われているの。今は武官として国に尽くしていらっしゃるそうよ。あ、でも若いと言っても、百歳はすぎてるんじゃないかしら」

「そんなに長生きだと、奥さんは先に亡くなっちゃうね」

「・・・・そうね。鬼は情が深くて、鬼の家に迎えられた女性は、家桜いえざくらと呼ばれ、とても大切にされるそうよ」

「いいなあ! 私も、鬼のところに嫁ぎたいなー」

 すると、母親の顔が曇った。

「・・・・それはやめたほうがいい」

「どうして?」

「彼らがどうして、鬼と呼ばれていると思う? 寿命が長い、特殊な力を持つ存在なだけなら、鬼なんていう、禍々しい呼び名は定着しないわ。・・・・彼らは冷酷で、残忍な一面も持っているのよ。だから、関わっちゃ駄目よ。遠目から、一目見るだけにしましょ」

 母親の深刻そうな表情を見て、少女の笑顔も萎んでしまった。

「・・・・お母さん、鬼が怖いの?」

「それは・・・・ね。だって、彼らは人間じゃないんだもの。怖いと思っている人は多いはずだわ」

「みんな怖いと思ってるなら、どうして鬼に従ってるの?」

「それは・・・・」

 母親は声を詰まらせて、目を逸らしてしまう。それでも少女は真っ直ぐな視線を、母親の横顔に向けていた。

「それは、鬼の方々が、私達を守ってくれるからよ」

「守ってくれる? 何から?」

「この世界には、危険な鬼がたくさんいるのよ。ううん、鬼だけじゃない、人間の中にも、悪い人達はたくさんいる。この国の鬼達は、そんな悪い人達から、国民を守ってくれるのよ」

「じゃあ、やっぱりいい鬼なんじゃない?」

「・・・・そうね。いい鬼、なのかもしれないわ」

 声に隠しきれない迷いを滲ませながらも、母親はそう答えた。

「でもさっきも言ったとおり、鬼に近づいちゃ駄目よ。鬼は吸血衝動を持っているの。血に飢えているときに近づくと、ひどい目に遭ってしまうわ」

「でも、悪い鬼じゃないんでしょ?」

「悪い人じゃなくても、距離を保つべき時はあるのよ。わかったわね?」

「・・・・わかった」

「いい子ね」

 母親は安心したのか、笑顔を取りもどして、少女の髪を撫でる。母親の安心が伝わったのか、少女の顔からも曇りがなくなった。

 ――――鬼に守られながら、鬼を恐れている人々。この国で暮らす人間達を一言で表すなら、その言葉が相応しいと思った。

「それじゃ、宿に行きましょうか」

「うん!」

 母娘は歩き出して、声が遠ざかっていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

愛想笑いの課長は甘い俺様

吉生伊織
恋愛
社畜と罵られる 坂井 菜緒 × 愛想笑いが得意の俺様課長 堤 将暉 ********** 「社畜の坂井さんはこんな仕事もできないのかなぁ~?」 「へぇ、社畜でも反抗心あるんだ」 あることがきっかけで社畜と罵られる日々。 私以外には愛想笑いをするのに、私には厳しい。 そんな課長を避けたいのに甘やかしてくるのはどうして?

処理中です...