鬼の花嫁

炭田おと

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10_鬼の性質は面倒臭い

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 私が桜の廓で暮らしはじめて、四日が過ぎていた。

 季節は、春。花々が着飾ったご令嬢のように、花弁の色鮮やかさで競い合う時期――――のはずだった。


 ――――なのにその日、奇妙なことに、未明に季節外れの大雪が降り、京月は石畳から屋根まで、雪の傘を被っていた。


 それはそれで風情がある、美しい景色だったけれど、身を切るような寒気は喜べない。掃除のために水に触れれば、指先はすぐにかじかんで、真っ赤になった。

 だけど桜女中と桜下女に、休むことは許されない。私達は朝早くに身支度を整えて、持ち場に向かわなければならなかった。


「はあー、今日は寒いわね・・・・」

「変な気候ですよね。もう春なのに、雪が降るなんて・・・・」

「本当ね。街の様子はどう?」

「もう、真っ白ですよ! それはそれで、綺麗ですけど」

 桜女中達は寒がりながらも、どこか楽しそうに、雪景色を眺めている。

「さ、みんな、持ち場に行って」

 年配の女中の言葉で、桜女中達は動き出した。


 私も自分の持ち場である、桜の廓の隅の馬小屋に向かう。


 数日前まで空だった馬小屋だけれど、今は中に、立派な毛並みの馬が入っていた。閻魔の花嫁の行列で、要人を背中に乗せた馬達だ。

 人懐こい馬のようで、私達が水桶をもって近づくと、撫でてもらおうと顔を寄せてくる。それを見て、寒さで憂鬱になっていた気持ちが、少し和んだ。

 私達は、馬の身体を洗う。

「まったく・・・・どうして私達が、馬の身体を洗わなきゃならないのよ・・・・」

 私と一緒に、この場所に割り当てられた桜女中達は、ぶつぶつと文句を零し続けていた。

 花嫁を桜の廓に迎え入れた後、礼門部省の役人や桜女中取締が、庭を巡回するようになった。桜女中が仕事をサボらないように、見張るためだ。

 そのおかげで、先輩の桜女中が私一人に仕事を押し付けていることも判明し、彼女達はこの場所に連れ戻されたという次第だ。

「ああ、臭いったらない!」

 桜女中の一人が、馬の身体に雑巾を投げ付けた。

「本当よね、こんな汚い仕事、私達の仕事じゃないわ」

 馬はといえば、粗末な小屋にも、女中の文句にも気をとめずに、のんきに尻尾を振っている。

(・・・・馬はかわいいのに)

 私は彼女達の声を聞き流しながら、黙々と馬の身体を拭いていた。

「ぎゃーぎゃー言わないでよ。仕事が終わらないじゃない。・・・・さっさと終わらせて、廊下の掃除に戻るわよ」

「はーい・・・・」

 騒いでいた人達も、年配の女中に叱られて、黙ってしまう。

 ふと、背中に、突き刺さるような視線を感じた。

「まったく・・・・桜下女が、ちゃんと馬小屋をぴかぴかに磨いていれば、こんなことにはならなかったのに」

 振り返れば、冷たい視線を受け止めなければならなくなるから、私は視線に気づかないふりをして、黙々と手を動かした。それでも針のような視線は、しつこく背中に絡みついてくる。

(やっぱり、この流れになるのね・・・・)

 ――――責任という重しは、下のほうへ押し流されていくものですよ。

 以前、千代から聞いた言葉が、頭の中を過ぎっていた。


「咲子!」

 私達の輪の中に、一人の桜女中が飛び込んできた。

「どうしたの?」

「南鬼国の御主様が、今日中に京月に来るそうよ!」

 すると、咲子と呼ばれた女中の表情が、一変する。

「本当? ずいぶん早いのね」

「予定が早まったそうなの! ようやく、見目麗しいご尊顔を見ることができそうね!」

 きゃあきゃあと、彼女達は楽しそうにはしゃいだ。

「それに、さっき御政門の近くで、燿茜様と翔肇様を見かけたわ」

「ええ、いいなあ。私も見たい!」

「燿茜様は、鬼久家の頭代になられたのよ。だから鬼久頭代と呼ばないと」

「ああ、そうだった! お祝いのお言葉を伝えたいわ!」


「そう言えば、最近、諒影様もよくお見掛けするようになったわよね」

「・・・・!」

 知っている名前を聞いて、心臓が跳びはねる。

「当たり前でしょ。刑門部卿なのよ? 閻魔の婚礼の警備は主に、刑門部省がするんだから」

 刑門部省の鬼廻諒影とは、幼い頃、よく会っていた。今でもなぜかたまに、諒影が木蔦の宮を訪ねてくることがある。

(・・・・そうか。よく考えれば、京月の守りは、諒影の担当なんだ)

 私はもう長く、諒影に顔を見せていない。多分、諒影も、私の顔は覚えていないと思うけれど、万が一ということもありえる。

(会わないように、気を付けないと)

 とはいえ、桜の廓は男子禁制で、警備は衛門部省の担当だ。私がなるべく桜の廓から出ないようにしていれば、出会うこともないはず。

「刑門部や鬼峻隊が警備してくれるなんて、嬉しいわ。運が良ければ、鬼久頭代や諒影様とお話しできるかも」

「どうにかして、話せないかしら・・・・」

「やめておきなさい。鬼久頭代のお仕事を邪魔しちゃ駄目よ」

 古参の女中が、会話に入ってきた。

真伊子まいこさんは、お二人と話したくないんですか?」

「お二人とも、お優しい対応をしてくれるかもしれないけど、お仕事の邪魔をするのはよくないわ。逆に嫌われることになるわよ」

「うっ・・・・」

「真伊子さんの言う通りよ。・・・・冗談抜きに、やめたほうがいいと思う。鬼久頭代がどうこうというよりも、勝手に話しかけることを、女達が許さないと思うから」

「そ、そうね・・・・勝手に話しかけることはやめておくわ」

 ――――なんだか、鬼久頭代達を取りまく女性達の間で、おそろしい駆け引きが行われているようだ。私は関係ないから、その話を面白く聞いていた。

「あなた達も、のんきなものねえ。・・・・私はとてもじゃないけど、はしゃぐ気になれないわ」

 真伊子さんが溜息混じりに、そう言った。

「停戦条約を結んだから、南鬼国の御主も呼ばなきゃならなかったんだろうけど、少し前まで、領土と閻魔様を巡って争っていたのよ? こんな時期に、南鬼の御主を呼んでも、大丈夫なのかしら? 大事な儀式の最中に、面倒事が起こらなきゃいいんだけど・・・・」

「真伊子さんは考えすぎなんですよ!」

「いたっ! ちょっと叩くのはやめて!」

 思いっきり肩を叩かれた真伊子さんは痛がり、咲子さんの腕を振り払った。

「それにあなた達、忘れてるかもしれないけど、あの方達は鬼なのよ? 血を吸われないように、気を付けなさいね!」

「勇啓様になら、むしろ血を求められたいんですけど・・・・」

「馬鹿なこと言わないの!」

 鬼にとっては、血は食料だ。だけど、同じ鬼の血液では、彼らの食欲は満たされない。

 だから、鬼に血を提供するために、北鬼国でも南鬼国でも、国民の女性達から血を集める。

 面倒なのは、性欲と食欲が、鬼の頭の中で、似たような領域にあることだ。基本的に血を求められるのは、鬼の好みの女性だった。

 しかも、好意を持っている鬼に血を吸われると、家桜いえざくらの刻印と呼ばれる、入れ墨のようなものが、女性の肌に刻まれてしまう。

 その刻印は、女性が別の鬼と結ばれることでしか消えない、厄介なもの。

 だから、女達も大人しく、鬼の要求に従うわけじゃない。意中の鬼がいる人は、その人に血を与えることを夢見て、他の鬼に、気まぐれに血を吸われることを嫌がり、避けようとする。他の鬼のものになってしまえば、目当ての鬼も遠ざかってしまうからだ。

 鬼達は基本的に個人主義で、冷酷な気性だ。凶暴な一面も併せ持っていて、鬼同士、些細なことで殺し合うこともある。

 そんな冷酷な鬼達だけれど、女性には優しく、暴力は振るわない。男しか生まれない鬼の社会では、女性はとても大切な存在だと考えられているからだ。

 他にも、冷酷な一方で、鬼達は人間にはない、情の深さも持っている。

 たとえば、鬼達は老いずに、女達は老いるけど、鬼は伴侶の女性が死ぬまで、彼女一人を大切にする。鬼の嗜好は人間とは違うから、老いは気にならないらしい。


 その点だけは、鬼は女性にとって、理想の異性だと言える。――――その点だけは。


「ふざけんじゃねえぞ!」

「ふざけてねえよ。・・・・馬鹿に何を言っても、無駄か」

 御政堂のほうから、怒鳴り声が飛んできた。


「あーあ、また警護の鬼達が喧嘩してるみたい・・・・」

 桜女中達の唇から、溜息が零れ落ちる。

 呆れたような反応を見せながらも、女中達は騒ぎが気になったのか、桜の門を出ていく。私も気になったから、女中達の後を追いかけた。

 御政堂の裏庭で、二人の鬼達が言い争っていた。

 西洋の文化が流入して、百年ぐらい前から、武官の制服は、筒袖つつそでの上衣と軍袴、軍帽と、西洋風になっていた。

 軍服は部署によって、それぞれわずかに色や形が違う。その鬼達の軍服は刑門部省の軍服とは違うから、彼らは鬼峻隊の隊士なのだろう。

 まわりには何人も鬼がいるのに、誰も止めようとしていない。


「・・・・これ、何が起こったんですか?」

 女中の一人が、見物している隊士に問いかけた。

「久宮隊長と百目鬼隊長、どっちが強いか議論しているうちに、熱くなってきて、喧嘩になったんだよ」

(・・・・なんでそこで喧嘩になるんだろ・・・・)

 案の定、喧嘩の原因は、とてもくだらないものだった。

 鬼達は基本的に、長寿であるにも関わらず、落ち着きがなくて、子供っぽい。すべての鬼がというわけじゃないけれど、普通は歳を重ねるごとに、達観して、性格も落ちついていくはずなのに、鬼達には、そういった成長がまったくない。

「偉そうにしてるんじゃねえぞ、弱い鬼のくせに!」

「なんだと!」

 幼稚なやりとりに、女中達がまた溜息を零す。

「鬼は本当に、喧嘩っ早いわねえ」

「鬼久頭代や諒影様のように、落ち着いている方は、鬼の中では変わり者扱いなんですよ」

「お前のことは、前々から気に入らなかったんだ。・・・・今、ここで決着をつけておくか?」

「そうだな。そうしたほうが、時間を無駄にせずにすむ」


「やめろ、馬鹿」

 誰も止めないのかと思っていると、ようやく一人の鬼が、二人に近づいていった。


「久宮隊長!」

 その人の姿を見るなり、二人は直立不動の姿勢になる。

「ああ、久宮翔肇様だわ!」

 同時に、女中達が黄色い声を上げた。

 ――――鬼峻隊の一番隊隊長、久宮翔肇くみやしょうけい

 名前を聞いたことは何度かあるけれど、顔を見たのははじめてだ。確か、鬼久燿茜の幼馴染で、仲が良かったはず。

「馬鹿なことで喧嘩とか止めてくれよ。俺が燿茜に怒られるんだってば。ほら、さっさと持ち場に戻る」

「は、はい・・・・」

 鬼達はすごすごと、持ち場に戻っていった。

「ごめんねえ、煩くして」

 その人は、私達に気づき、近づいてくる。

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「君達、どこの担当なの?」

「私達、桜の廓の桜女中なんです!」

「そうなんだ。どおりで可愛い子達ばかりだと思った」

「またまたぁ!」

「お上手ですね!」

 女中達がきゃっきゃと、笑い声に花を咲かせた。

(・・・・なんだか、想像していた人と、全然違う・・・・)

 鬼峻隊の鬼久燿茜は、硬派な人間だと聞いていた。だけどその鬼は、硬派という言葉の対極にいそうだ。

「あの人が久宮一番隊隊長なの? ・・・・なんだか思っていた人と違う」

 私と同じことを思ったのか、一人の女中がそう言った。

「鬼久頭代とは、まったく違う性格だからね。でも、あんなに性格が違うのに、鬼久頭代とはとても仲がいいらしいわよ」

「翔肇様は、話しやすい人だわ。鬼久頭代は取っつきにくいし、明獅様は可愛らしいけれど、突拍子もないことをするから対応に困るのよね。女性の扱いがうまいのは、翔肇様だけよ」

「・・・・なるほど、軽い人なのね」

 その女中の言葉には、皮肉が混じっていた。

「騒ぎを起こして、ごめん。だけどここはもう大丈夫だから、君達は仕事に戻って」

「はい」

 私達は持ち場に戻る。



「ああ、大変だ、大変だ!」

 馬小屋に戻ったところで、慌ただしい声が聞こえてきた。

 何事かと振り返ると、小太りの長老が、重そうに身体を揺らしながら、庭を横切っていった。

 どうやら、礼門部省の長老のようだ。

 その慌ただしさに、私達は思わず、長老の姿を目で追いかけてしまう。長老は一度は私達の前を通りすぎたものの、すぐに戻ってきて、睨むように私達を見た。

「お前達、御政堂の前に集まれ」

「え? 私達は掃除をするように仰せつかったのですが・・・・」

「それどころじゃない!」

「どうかなさったんですか?」


「南鬼国の詠誓えいせい御主様がもう到着されたんだ!」


「えっ!?」

 私達は目を丸くした。ざわざわと、喧噪が広がっていく。

「よ、予定では、明日の昼にご到着では・・・・」

「まったく気が早いお方だ! こっちは準備が整っていないというのに!」

「ど、どうしましょう?」

「出迎えの女中の人数を揃えねばならぬ! もうお前達でいいから、早く来い!」

「は、はい!」

 その長老に急かされて、私達は御政堂前広場へ急いだ。

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