12 / 86
10_鬼の性質は面倒臭い
しおりを挟む
私が桜の廓で暮らしはじめて、四日が過ぎていた。
季節は、春。花々が着飾ったご令嬢のように、花弁の色鮮やかさで競い合う時期――――のはずだった。
――――なのにその日、奇妙なことに、未明に季節外れの大雪が降り、京月は石畳から屋根まで、雪の傘を被っていた。
それはそれで風情がある、美しい景色だったけれど、身を切るような寒気は喜べない。掃除のために水に触れれば、指先はすぐにかじかんで、真っ赤になった。
だけど桜女中と桜下女に、休むことは許されない。私達は朝早くに身支度を整えて、持ち場に向かわなければならなかった。
「はあー、今日は寒いわね・・・・」
「変な気候ですよね。もう春なのに、雪が降るなんて・・・・」
「本当ね。街の様子はどう?」
「もう、真っ白ですよ! それはそれで、綺麗ですけど」
桜女中達は寒がりながらも、どこか楽しそうに、雪景色を眺めている。
「さ、みんな、持ち場に行って」
年配の女中の言葉で、桜女中達は動き出した。
私も自分の持ち場である、桜の廓の隅の馬小屋に向かう。
数日前まで空だった馬小屋だけれど、今は中に、立派な毛並みの馬が入っていた。閻魔の花嫁の行列で、要人を背中に乗せた馬達だ。
人懐こい馬のようで、私達が水桶をもって近づくと、撫でてもらおうと顔を寄せてくる。それを見て、寒さで憂鬱になっていた気持ちが、少し和んだ。
私達は、馬の身体を洗う。
「まったく・・・・どうして私達が、馬の身体を洗わなきゃならないのよ・・・・」
私と一緒に、この場所に割り当てられた桜女中達は、ぶつぶつと文句を零し続けていた。
花嫁を桜の廓に迎え入れた後、礼門部省の役人や桜女中取締が、庭を巡回するようになった。桜女中が仕事をサボらないように、見張るためだ。
そのおかげで、先輩の桜女中が私一人に仕事を押し付けていることも判明し、彼女達はこの場所に連れ戻されたという次第だ。
「ああ、臭いったらない!」
桜女中の一人が、馬の身体に雑巾を投げ付けた。
「本当よね、こんな汚い仕事、私達の仕事じゃないわ」
馬はといえば、粗末な小屋にも、女中の文句にも気をとめずに、のんきに尻尾を振っている。
(・・・・馬はかわいいのに)
私は彼女達の声を聞き流しながら、黙々と馬の身体を拭いていた。
「ぎゃーぎゃー言わないでよ。仕事が終わらないじゃない。・・・・さっさと終わらせて、廊下の掃除に戻るわよ」
「はーい・・・・」
騒いでいた人達も、年配の女中に叱られて、黙ってしまう。
ふと、背中に、突き刺さるような視線を感じた。
「まったく・・・・桜下女が、ちゃんと馬小屋をぴかぴかに磨いていれば、こんなことにはならなかったのに」
振り返れば、冷たい視線を受け止めなければならなくなるから、私は視線に気づかないふりをして、黙々と手を動かした。それでも針のような視線は、しつこく背中に絡みついてくる。
(やっぱり、この流れになるのね・・・・)
――――責任という重しは、下のほうへ押し流されていくものですよ。
以前、千代から聞いた言葉が、頭の中を過ぎっていた。
「咲子!」
私達の輪の中に、一人の桜女中が飛び込んできた。
「どうしたの?」
「南鬼国の御主様が、今日中に京月に来るそうよ!」
すると、咲子と呼ばれた女中の表情が、一変する。
「本当? ずいぶん早いのね」
「予定が早まったそうなの! ようやく、見目麗しいご尊顔を見ることができそうね!」
きゃあきゃあと、彼女達は楽しそうにはしゃいだ。
「それに、さっき御政門の近くで、燿茜様と翔肇様を見かけたわ」
「ええ、いいなあ。私も見たい!」
「燿茜様は、鬼久家の頭代になられたのよ。だから鬼久頭代と呼ばないと」
「ああ、そうだった! お祝いのお言葉を伝えたいわ!」
「そう言えば、最近、諒影様もよくお見掛けするようになったわよね」
「・・・・!」
知っている名前を聞いて、心臓が跳びはねる。
「当たり前でしょ。刑門部卿なのよ? 閻魔の婚礼の警備は主に、刑門部省がするんだから」
刑門部省の鬼廻諒影とは、幼い頃、よく会っていた。今でもなぜかたまに、諒影が木蔦の宮を訪ねてくることがある。
(・・・・そうか。よく考えれば、京月の守りは、諒影の担当なんだ)
私はもう長く、諒影に顔を見せていない。多分、諒影も、私の顔は覚えていないと思うけれど、万が一ということもありえる。
(会わないように、気を付けないと)
とはいえ、桜の廓は男子禁制で、警備は衛門部省の担当だ。私がなるべく桜の廓から出ないようにしていれば、出会うこともないはず。
「刑門部や鬼峻隊が警備してくれるなんて、嬉しいわ。運が良ければ、鬼久頭代や諒影様とお話しできるかも」
「どうにかして、話せないかしら・・・・」
「やめておきなさい。鬼久頭代のお仕事を邪魔しちゃ駄目よ」
古参の女中が、会話に入ってきた。
「真伊子さんは、お二人と話したくないんですか?」
「お二人とも、お優しい対応をしてくれるかもしれないけど、お仕事の邪魔をするのはよくないわ。逆に嫌われることになるわよ」
「うっ・・・・」
「真伊子さんの言う通りよ。・・・・冗談抜きに、やめたほうがいいと思う。鬼久頭代がどうこうというよりも、勝手に話しかけることを、女達が許さないと思うから」
「そ、そうね・・・・勝手に話しかけることはやめておくわ」
――――なんだか、鬼久頭代達を取りまく女性達の間で、おそろしい駆け引きが行われているようだ。私は関係ないから、その話を面白く聞いていた。
「あなた達も、のんきなものねえ。・・・・私はとてもじゃないけど、はしゃぐ気になれないわ」
真伊子さんが溜息混じりに、そう言った。
「停戦条約を結んだから、南鬼国の御主も呼ばなきゃならなかったんだろうけど、少し前まで、領土と閻魔様を巡って争っていたのよ? こんな時期に、南鬼の御主を呼んでも、大丈夫なのかしら? 大事な儀式の最中に、面倒事が起こらなきゃいいんだけど・・・・」
「真伊子さんは考えすぎなんですよ!」
「いたっ! ちょっと叩くのはやめて!」
思いっきり肩を叩かれた真伊子さんは痛がり、咲子さんの腕を振り払った。
「それにあなた達、忘れてるかもしれないけど、あの方達は鬼なのよ? 血を吸われないように、気を付けなさいね!」
「勇啓様になら、むしろ血を求められたいんですけど・・・・」
「馬鹿なこと言わないの!」
鬼にとっては、血は食料だ。だけど、同じ鬼の血液では、彼らの食欲は満たされない。
だから、鬼に血を提供するために、北鬼国でも南鬼国でも、国民の女性達から血を集める。
面倒なのは、性欲と食欲が、鬼の頭の中で、似たような領域にあることだ。基本的に血を求められるのは、鬼の好みの女性だった。
しかも、好意を持っている鬼に血を吸われると、家桜の刻印と呼ばれる、入れ墨のようなものが、女性の肌に刻まれてしまう。
その刻印は、女性が別の鬼と結ばれることでしか消えない、厄介なもの。
だから、女達も大人しく、鬼の要求に従うわけじゃない。意中の鬼がいる人は、その人に血を与えることを夢見て、他の鬼に、気まぐれに血を吸われることを嫌がり、避けようとする。他の鬼のものになってしまえば、目当ての鬼も遠ざかってしまうからだ。
鬼達は基本的に個人主義で、冷酷な気性だ。凶暴な一面も併せ持っていて、鬼同士、些細なことで殺し合うこともある。
そんな冷酷な鬼達だけれど、女性には優しく、暴力は振るわない。男しか生まれない鬼の社会では、女性はとても大切な存在だと考えられているからだ。
他にも、冷酷な一方で、鬼達は人間にはない、情の深さも持っている。
たとえば、鬼達は老いずに、女達は老いるけど、鬼は伴侶の女性が死ぬまで、彼女一人を大切にする。鬼の嗜好は人間とは違うから、老いは気にならないらしい。
その点だけは、鬼は女性にとって、理想の異性だと言える。――――その点だけは。
「ふざけんじゃねえぞ!」
「ふざけてねえよ。・・・・馬鹿に何を言っても、無駄か」
御政堂のほうから、怒鳴り声が飛んできた。
「あーあ、また警護の鬼達が喧嘩してるみたい・・・・」
桜女中達の唇から、溜息が零れ落ちる。
呆れたような反応を見せながらも、女中達は騒ぎが気になったのか、桜の門を出ていく。私も気になったから、女中達の後を追いかけた。
御政堂の裏庭で、二人の鬼達が言い争っていた。
西洋の文化が流入して、百年ぐらい前から、武官の制服は、筒袖の上衣と軍袴、軍帽と、西洋風になっていた。
軍服は部署によって、それぞれわずかに色や形が違う。その鬼達の軍服は刑門部省の軍服とは違うから、彼らは鬼峻隊の隊士なのだろう。
まわりには何人も鬼がいるのに、誰も止めようとしていない。
「・・・・これ、何が起こったんですか?」
女中の一人が、見物している隊士に問いかけた。
「久宮隊長と百目鬼隊長、どっちが強いか議論しているうちに、熱くなってきて、喧嘩になったんだよ」
(・・・・なんでそこで喧嘩になるんだろ・・・・)
案の定、喧嘩の原因は、とてもくだらないものだった。
鬼達は基本的に、長寿であるにも関わらず、落ち着きがなくて、子供っぽい。すべての鬼がというわけじゃないけれど、普通は歳を重ねるごとに、達観して、性格も落ちついていくはずなのに、鬼達には、そういった成長がまったくない。
「偉そうにしてるんじゃねえぞ、弱い鬼のくせに!」
「なんだと!」
幼稚なやりとりに、女中達がまた溜息を零す。
「鬼は本当に、喧嘩っ早いわねえ」
「鬼久頭代や諒影様のように、落ち着いている方は、鬼の中では変わり者扱いなんですよ」
「お前のことは、前々から気に入らなかったんだ。・・・・今、ここで決着をつけておくか?」
「そうだな。そうしたほうが、時間を無駄にせずにすむ」
「やめろ、馬鹿」
誰も止めないのかと思っていると、ようやく一人の鬼が、二人に近づいていった。
「久宮隊長!」
その人の姿を見るなり、二人は直立不動の姿勢になる。
「ああ、久宮翔肇様だわ!」
同時に、女中達が黄色い声を上げた。
――――鬼峻隊の一番隊隊長、久宮翔肇。
名前を聞いたことは何度かあるけれど、顔を見たのははじめてだ。確か、鬼久燿茜の幼馴染で、仲が良かったはず。
「馬鹿なことで喧嘩とか止めてくれよ。俺が燿茜に怒られるんだってば。ほら、さっさと持ち場に戻る」
「は、はい・・・・」
鬼達はすごすごと、持ち場に戻っていった。
「ごめんねえ、煩くして」
その人は、私達に気づき、近づいてくる。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「君達、どこの担当なの?」
「私達、桜の廓の桜女中なんです!」
「そうなんだ。どおりで可愛い子達ばかりだと思った」
「またまたぁ!」
「お上手ですね!」
女中達がきゃっきゃと、笑い声に花を咲かせた。
(・・・・なんだか、想像していた人と、全然違う・・・・)
鬼峻隊の鬼久燿茜は、硬派な人間だと聞いていた。だけどその鬼は、硬派という言葉の対極にいそうだ。
「あの人が久宮一番隊隊長なの? ・・・・なんだか思っていた人と違う」
私と同じことを思ったのか、一人の女中がそう言った。
「鬼久頭代とは、まったく違う性格だからね。でも、あんなに性格が違うのに、鬼久頭代とはとても仲がいいらしいわよ」
「翔肇様は、話しやすい人だわ。鬼久頭代は取っつきにくいし、明獅様は可愛らしいけれど、突拍子もないことをするから対応に困るのよね。女性の扱いがうまいのは、翔肇様だけよ」
「・・・・なるほど、軽い人なのね」
その女中の言葉には、皮肉が混じっていた。
「騒ぎを起こして、ごめん。だけどここはもう大丈夫だから、君達は仕事に戻って」
「はい」
私達は持ち場に戻る。
「ああ、大変だ、大変だ!」
馬小屋に戻ったところで、慌ただしい声が聞こえてきた。
何事かと振り返ると、小太りの長老が、重そうに身体を揺らしながら、庭を横切っていった。
どうやら、礼門部省の長老のようだ。
その慌ただしさに、私達は思わず、長老の姿を目で追いかけてしまう。長老は一度は私達の前を通りすぎたものの、すぐに戻ってきて、睨むように私達を見た。
「お前達、御政堂の前に集まれ」
「え? 私達は掃除をするように仰せつかったのですが・・・・」
「それどころじゃない!」
「どうかなさったんですか?」
「南鬼国の詠誓御主様がもう到着されたんだ!」
「えっ!?」
私達は目を丸くした。ざわざわと、喧噪が広がっていく。
「よ、予定では、明日の昼にご到着では・・・・」
「まったく気が早いお方だ! こっちは準備が整っていないというのに!」
「ど、どうしましょう?」
「出迎えの女中の人数を揃えねばならぬ! もうお前達でいいから、早く来い!」
「は、はい!」
その長老に急かされて、私達は御政堂前広場へ急いだ。
季節は、春。花々が着飾ったご令嬢のように、花弁の色鮮やかさで競い合う時期――――のはずだった。
――――なのにその日、奇妙なことに、未明に季節外れの大雪が降り、京月は石畳から屋根まで、雪の傘を被っていた。
それはそれで風情がある、美しい景色だったけれど、身を切るような寒気は喜べない。掃除のために水に触れれば、指先はすぐにかじかんで、真っ赤になった。
だけど桜女中と桜下女に、休むことは許されない。私達は朝早くに身支度を整えて、持ち場に向かわなければならなかった。
「はあー、今日は寒いわね・・・・」
「変な気候ですよね。もう春なのに、雪が降るなんて・・・・」
「本当ね。街の様子はどう?」
「もう、真っ白ですよ! それはそれで、綺麗ですけど」
桜女中達は寒がりながらも、どこか楽しそうに、雪景色を眺めている。
「さ、みんな、持ち場に行って」
年配の女中の言葉で、桜女中達は動き出した。
私も自分の持ち場である、桜の廓の隅の馬小屋に向かう。
数日前まで空だった馬小屋だけれど、今は中に、立派な毛並みの馬が入っていた。閻魔の花嫁の行列で、要人を背中に乗せた馬達だ。
人懐こい馬のようで、私達が水桶をもって近づくと、撫でてもらおうと顔を寄せてくる。それを見て、寒さで憂鬱になっていた気持ちが、少し和んだ。
私達は、馬の身体を洗う。
「まったく・・・・どうして私達が、馬の身体を洗わなきゃならないのよ・・・・」
私と一緒に、この場所に割り当てられた桜女中達は、ぶつぶつと文句を零し続けていた。
花嫁を桜の廓に迎え入れた後、礼門部省の役人や桜女中取締が、庭を巡回するようになった。桜女中が仕事をサボらないように、見張るためだ。
そのおかげで、先輩の桜女中が私一人に仕事を押し付けていることも判明し、彼女達はこの場所に連れ戻されたという次第だ。
「ああ、臭いったらない!」
桜女中の一人が、馬の身体に雑巾を投げ付けた。
「本当よね、こんな汚い仕事、私達の仕事じゃないわ」
馬はといえば、粗末な小屋にも、女中の文句にも気をとめずに、のんきに尻尾を振っている。
(・・・・馬はかわいいのに)
私は彼女達の声を聞き流しながら、黙々と馬の身体を拭いていた。
「ぎゃーぎゃー言わないでよ。仕事が終わらないじゃない。・・・・さっさと終わらせて、廊下の掃除に戻るわよ」
「はーい・・・・」
騒いでいた人達も、年配の女中に叱られて、黙ってしまう。
ふと、背中に、突き刺さるような視線を感じた。
「まったく・・・・桜下女が、ちゃんと馬小屋をぴかぴかに磨いていれば、こんなことにはならなかったのに」
振り返れば、冷たい視線を受け止めなければならなくなるから、私は視線に気づかないふりをして、黙々と手を動かした。それでも針のような視線は、しつこく背中に絡みついてくる。
(やっぱり、この流れになるのね・・・・)
――――責任という重しは、下のほうへ押し流されていくものですよ。
以前、千代から聞いた言葉が、頭の中を過ぎっていた。
「咲子!」
私達の輪の中に、一人の桜女中が飛び込んできた。
「どうしたの?」
「南鬼国の御主様が、今日中に京月に来るそうよ!」
すると、咲子と呼ばれた女中の表情が、一変する。
「本当? ずいぶん早いのね」
「予定が早まったそうなの! ようやく、見目麗しいご尊顔を見ることができそうね!」
きゃあきゃあと、彼女達は楽しそうにはしゃいだ。
「それに、さっき御政門の近くで、燿茜様と翔肇様を見かけたわ」
「ええ、いいなあ。私も見たい!」
「燿茜様は、鬼久家の頭代になられたのよ。だから鬼久頭代と呼ばないと」
「ああ、そうだった! お祝いのお言葉を伝えたいわ!」
「そう言えば、最近、諒影様もよくお見掛けするようになったわよね」
「・・・・!」
知っている名前を聞いて、心臓が跳びはねる。
「当たり前でしょ。刑門部卿なのよ? 閻魔の婚礼の警備は主に、刑門部省がするんだから」
刑門部省の鬼廻諒影とは、幼い頃、よく会っていた。今でもなぜかたまに、諒影が木蔦の宮を訪ねてくることがある。
(・・・・そうか。よく考えれば、京月の守りは、諒影の担当なんだ)
私はもう長く、諒影に顔を見せていない。多分、諒影も、私の顔は覚えていないと思うけれど、万が一ということもありえる。
(会わないように、気を付けないと)
とはいえ、桜の廓は男子禁制で、警備は衛門部省の担当だ。私がなるべく桜の廓から出ないようにしていれば、出会うこともないはず。
「刑門部や鬼峻隊が警備してくれるなんて、嬉しいわ。運が良ければ、鬼久頭代や諒影様とお話しできるかも」
「どうにかして、話せないかしら・・・・」
「やめておきなさい。鬼久頭代のお仕事を邪魔しちゃ駄目よ」
古参の女中が、会話に入ってきた。
「真伊子さんは、お二人と話したくないんですか?」
「お二人とも、お優しい対応をしてくれるかもしれないけど、お仕事の邪魔をするのはよくないわ。逆に嫌われることになるわよ」
「うっ・・・・」
「真伊子さんの言う通りよ。・・・・冗談抜きに、やめたほうがいいと思う。鬼久頭代がどうこうというよりも、勝手に話しかけることを、女達が許さないと思うから」
「そ、そうね・・・・勝手に話しかけることはやめておくわ」
――――なんだか、鬼久頭代達を取りまく女性達の間で、おそろしい駆け引きが行われているようだ。私は関係ないから、その話を面白く聞いていた。
「あなた達も、のんきなものねえ。・・・・私はとてもじゃないけど、はしゃぐ気になれないわ」
真伊子さんが溜息混じりに、そう言った。
「停戦条約を結んだから、南鬼国の御主も呼ばなきゃならなかったんだろうけど、少し前まで、領土と閻魔様を巡って争っていたのよ? こんな時期に、南鬼の御主を呼んでも、大丈夫なのかしら? 大事な儀式の最中に、面倒事が起こらなきゃいいんだけど・・・・」
「真伊子さんは考えすぎなんですよ!」
「いたっ! ちょっと叩くのはやめて!」
思いっきり肩を叩かれた真伊子さんは痛がり、咲子さんの腕を振り払った。
「それにあなた達、忘れてるかもしれないけど、あの方達は鬼なのよ? 血を吸われないように、気を付けなさいね!」
「勇啓様になら、むしろ血を求められたいんですけど・・・・」
「馬鹿なこと言わないの!」
鬼にとっては、血は食料だ。だけど、同じ鬼の血液では、彼らの食欲は満たされない。
だから、鬼に血を提供するために、北鬼国でも南鬼国でも、国民の女性達から血を集める。
面倒なのは、性欲と食欲が、鬼の頭の中で、似たような領域にあることだ。基本的に血を求められるのは、鬼の好みの女性だった。
しかも、好意を持っている鬼に血を吸われると、家桜の刻印と呼ばれる、入れ墨のようなものが、女性の肌に刻まれてしまう。
その刻印は、女性が別の鬼と結ばれることでしか消えない、厄介なもの。
だから、女達も大人しく、鬼の要求に従うわけじゃない。意中の鬼がいる人は、その人に血を与えることを夢見て、他の鬼に、気まぐれに血を吸われることを嫌がり、避けようとする。他の鬼のものになってしまえば、目当ての鬼も遠ざかってしまうからだ。
鬼達は基本的に個人主義で、冷酷な気性だ。凶暴な一面も併せ持っていて、鬼同士、些細なことで殺し合うこともある。
そんな冷酷な鬼達だけれど、女性には優しく、暴力は振るわない。男しか生まれない鬼の社会では、女性はとても大切な存在だと考えられているからだ。
他にも、冷酷な一方で、鬼達は人間にはない、情の深さも持っている。
たとえば、鬼達は老いずに、女達は老いるけど、鬼は伴侶の女性が死ぬまで、彼女一人を大切にする。鬼の嗜好は人間とは違うから、老いは気にならないらしい。
その点だけは、鬼は女性にとって、理想の異性だと言える。――――その点だけは。
「ふざけんじゃねえぞ!」
「ふざけてねえよ。・・・・馬鹿に何を言っても、無駄か」
御政堂のほうから、怒鳴り声が飛んできた。
「あーあ、また警護の鬼達が喧嘩してるみたい・・・・」
桜女中達の唇から、溜息が零れ落ちる。
呆れたような反応を見せながらも、女中達は騒ぎが気になったのか、桜の門を出ていく。私も気になったから、女中達の後を追いかけた。
御政堂の裏庭で、二人の鬼達が言い争っていた。
西洋の文化が流入して、百年ぐらい前から、武官の制服は、筒袖の上衣と軍袴、軍帽と、西洋風になっていた。
軍服は部署によって、それぞれわずかに色や形が違う。その鬼達の軍服は刑門部省の軍服とは違うから、彼らは鬼峻隊の隊士なのだろう。
まわりには何人も鬼がいるのに、誰も止めようとしていない。
「・・・・これ、何が起こったんですか?」
女中の一人が、見物している隊士に問いかけた。
「久宮隊長と百目鬼隊長、どっちが強いか議論しているうちに、熱くなってきて、喧嘩になったんだよ」
(・・・・なんでそこで喧嘩になるんだろ・・・・)
案の定、喧嘩の原因は、とてもくだらないものだった。
鬼達は基本的に、長寿であるにも関わらず、落ち着きがなくて、子供っぽい。すべての鬼がというわけじゃないけれど、普通は歳を重ねるごとに、達観して、性格も落ちついていくはずなのに、鬼達には、そういった成長がまったくない。
「偉そうにしてるんじゃねえぞ、弱い鬼のくせに!」
「なんだと!」
幼稚なやりとりに、女中達がまた溜息を零す。
「鬼は本当に、喧嘩っ早いわねえ」
「鬼久頭代や諒影様のように、落ち着いている方は、鬼の中では変わり者扱いなんですよ」
「お前のことは、前々から気に入らなかったんだ。・・・・今、ここで決着をつけておくか?」
「そうだな。そうしたほうが、時間を無駄にせずにすむ」
「やめろ、馬鹿」
誰も止めないのかと思っていると、ようやく一人の鬼が、二人に近づいていった。
「久宮隊長!」
その人の姿を見るなり、二人は直立不動の姿勢になる。
「ああ、久宮翔肇様だわ!」
同時に、女中達が黄色い声を上げた。
――――鬼峻隊の一番隊隊長、久宮翔肇。
名前を聞いたことは何度かあるけれど、顔を見たのははじめてだ。確か、鬼久燿茜の幼馴染で、仲が良かったはず。
「馬鹿なことで喧嘩とか止めてくれよ。俺が燿茜に怒られるんだってば。ほら、さっさと持ち場に戻る」
「は、はい・・・・」
鬼達はすごすごと、持ち場に戻っていった。
「ごめんねえ、煩くして」
その人は、私達に気づき、近づいてくる。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「君達、どこの担当なの?」
「私達、桜の廓の桜女中なんです!」
「そうなんだ。どおりで可愛い子達ばかりだと思った」
「またまたぁ!」
「お上手ですね!」
女中達がきゃっきゃと、笑い声に花を咲かせた。
(・・・・なんだか、想像していた人と、全然違う・・・・)
鬼峻隊の鬼久燿茜は、硬派な人間だと聞いていた。だけどその鬼は、硬派という言葉の対極にいそうだ。
「あの人が久宮一番隊隊長なの? ・・・・なんだか思っていた人と違う」
私と同じことを思ったのか、一人の女中がそう言った。
「鬼久頭代とは、まったく違う性格だからね。でも、あんなに性格が違うのに、鬼久頭代とはとても仲がいいらしいわよ」
「翔肇様は、話しやすい人だわ。鬼久頭代は取っつきにくいし、明獅様は可愛らしいけれど、突拍子もないことをするから対応に困るのよね。女性の扱いがうまいのは、翔肇様だけよ」
「・・・・なるほど、軽い人なのね」
その女中の言葉には、皮肉が混じっていた。
「騒ぎを起こして、ごめん。だけどここはもう大丈夫だから、君達は仕事に戻って」
「はい」
私達は持ち場に戻る。
「ああ、大変だ、大変だ!」
馬小屋に戻ったところで、慌ただしい声が聞こえてきた。
何事かと振り返ると、小太りの長老が、重そうに身体を揺らしながら、庭を横切っていった。
どうやら、礼門部省の長老のようだ。
その慌ただしさに、私達は思わず、長老の姿を目で追いかけてしまう。長老は一度は私達の前を通りすぎたものの、すぐに戻ってきて、睨むように私達を見た。
「お前達、御政堂の前に集まれ」
「え? 私達は掃除をするように仰せつかったのですが・・・・」
「それどころじゃない!」
「どうかなさったんですか?」
「南鬼国の詠誓御主様がもう到着されたんだ!」
「えっ!?」
私達は目を丸くした。ざわざわと、喧噪が広がっていく。
「よ、予定では、明日の昼にご到着では・・・・」
「まったく気が早いお方だ! こっちは準備が整っていないというのに!」
「ど、どうしましょう?」
「出迎えの女中の人数を揃えねばならぬ! もうお前達でいいから、早く来い!」
「は、はい!」
その長老に急かされて、私達は御政堂前広場へ急いだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる