鬼の花嫁

炭田おと

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32_久しぶりの再会_耀茜視点

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 夜も更けたのに、集った重鎮達はいまだに腰を上げようとせず、赤ら顔のまま、酒を飲み続けていた。

 広場の隅で、俺はその様子を見つめる。

 上座に座った張乾御主も、この時ばかりは上機嫌だった。勇啓様達も、楽しそうに談笑している。


 ――――そんな親子の後ろに立っている諒影の表情だけは、明るくない。


 同じように、警備に穴がないか、目を光らせている俺の顔も、酔っている者達からすれば、辛気臭く見えているだろう。


「しばらく席を外す。俺がいない間、不審人物を、決して御主に近づけるな」

「了解です」

 その場を隊士に任せ、桜の門から外に出る。


 しばらく桜の廓を囲んだ塀沿いに歩いて、俺は塀の屋根の上に、誰かの気配がすることに気づいた。


「おう、燿茜。どうしたんだ?」

 曲がり角で、俺は明獅あかし翔肇しょうけいと出くわす。

「・・・・気配を感じた」

「気配?」

「侵入者がいるようだ」

「侵入者なんて、いるわけないだろ。ここは天下の御政堂だぞ」

 翔肇の声を無視して、気配を感じた方向に歩いた。

 歩き続けていると、御政堂の裏庭の、人気のない場所に出る。


 ――――かすかに、足音が聞こえた。しかもその足音は、塀の屋根の上から落ちてきたのだ。


「・・・・本当だ。誰かがいる」

 翔肇も気配に気づき、表情が険しくなる。

 一瞬だけ、高い塀の、並べられた海苔巻きのような丸瓦の屋根に、人影がちらついたが、影はすぐに向こう側に消えてしまった。

 だが、気配は去ることなく、その付近に留まっている。

 見えたのは一瞬だけだったが、見覚えのある輪郭だ。


「――――出てこい」

 声をかけても、あいつは屋根の上から降りてこようとはしなかった。


「・・・・それで隠れてるつもりか? 腕が落ちたな」

「・・・・・・・・」

「出てこないなら衛士を呼ぶぞ。騒ぎが大きくなるが、それでもいいのか?」


 脅しをかけるとようやく、その人物は屋根の上に戻ってきた。

 鬼にしては小柄な体格、印象的なのは、顔に刻まれた入れ墨だろう。


「・・・・久しぶりだな、夜堵」


 ――――久芽里くめり夜堵やと。本当に久しぶりに、その顔を目にした。


「あああ、夜堵!」

 侵入者が夜堵だと知り、明獅と翔肇は破願する。

「ひっさしぶり! お前生きてたんだなあ! よかったよ!」

 明獅は夜堵に向かって、勢いよく腕を振った。腕の動きが、喜んでいる時の犬の尻尾に似ている。

「いつ、京月に戻ってきたんだ?」

「・・・・・・・・」

 夜堵は渋い顔で、黙っていた。

「答えるつもりはない、ということか・・・・」

 夜堵とは、石積戦争で一緒に戦った。浅からぬ縁がある。

 張乾御主が京月から久芽里を追い出した後は、夜堵も行方不明になっていた。無事を知って、明獅も安心したのだろう。

 だが夜堵は、久芽里家の鬼だ。久芽里は、先代御主の時代に、北鬼に貢献した一族だが、今の張乾御主には嫌われていて、京月に近づくことを禁じられている。


 その久芽里の鬼が、京月どころか御政堂まで侵入したとなると、少し話がややこしい。


「夜堵。降りてこい」

 とにかく、夜堵を屋根から降ろすのが先決だと思い、俺は夜堵に呼びかけた。だが、夜堵は、首を横に振る。

「――――断る」

「は?」

「あんた達に会いに来たんじゃないからね。面倒ごとはごめんだ」

「んだよー、冷たいなあー。石積いしづみ戦争で生死を共にした仲じゃん!」

「何百年の話だよ。それじゃあな」

 笑顔で手を振って、夜堵は身を翻そうとした。

「おい、どこに行くんだよ! 御政堂に不法侵入してるっていう自覚はないのか?」

「塀から降りてないから、不法侵入じゃない」

「不法侵入だ! ガバガバな基準を振りかざすな! それに、わかってるのか? 久芽里の鬼が京月に入ったことを知れば、御主は激怒するぞ! 昔の縁で俺達がなんとかするから、とにかく降りてこい!」

 翔肇が止めても、夜堵は聞く耳を持たない。奴はもう身を翻し、屋根の向こう側に飛び下りようとしていた。

「あいつ・・・・」

 翔肇が困って、俺を見た。

「追いかける?」

「・・・・いや、あいつは素早い。どうせ追いつけないだろう」

 夜堵の足は速い。俺達が屋根に飛び乗った時にはもう、奴は反対側に飛び下りて、闇の中に姿を消しているはずだ。


「明獅、あいつを落とせ」

「おっけー」

 明獅が笑顔で、前に出ていった。


 いつの間に拾ったのか、その手の中にはしっかりと、小石が握られている。


 それを見て、翔肇が青ざめた。

「え? いや、ちょっと、待ってよ。お前、何するつもり――――」

「夜堵! 降りてこないつもりなら、落とすからなー」

 友達に話しかけるような、のんびりとした口調でそう言いながら、明獅は投手のような綺麗な動きで、腕を大きく振り被った。


 そして明獅が投げた石は、凄まじい速さで、夜堵の背中に迫った。


「・・・・!」

 大気の流れから危険を察知したのか、夜堵は素早く振り返る。

 だがその時にはもう、明獅が投げた石は、夜堵の足元に命中していた。

 丸瓦が割れる。足場が不安定になり、夜堵はよろめいていたが、さすがというべきか、すぐに体勢を立て直していた。

「何する!?」

「降りてこいよ」

「嫌だって言ってんだろ」

「じゃ、落とす」

 といっても、もう付近には、石は落ちていない。

 どうするのかと明獅を見ていたら、明獅は軍服の上位の前を開く。


 すると中から、大量の石が吐きだされた。


「お前、いつも石を持ち歩いてんの!?」

「いっくぞー!」


 間延びした声で言って、明獅は今度は、大量の石を同時に投げていた。


「げっ・・・・!」

 夜堵に逃げる暇はなく、姿勢を低くする。

 雹のように、大量の石が夜堵に降り注いだ。

 明獅の目的は、夜堵を下に降ろすこと。だから投擲された石の大半は、夜堵の足元の屋根瓦に、狙いを定めていた。

 ほとんどは狙い通り、屋根瓦に命中したが、いくつかは狙いを外れ、夜堵に向かう。

 夜堵は仕方なく、腕で石を払い落としていた。瓦を割るほどの勢いで投げられた石だから、命中すれば、鬼と言えども多少は痛いだろう。

「夜堵ー、早く降りてこいよー、旧交を温めようぜー」

 石を投げながら、明獅がそう言った。

「投石で殺しにかかってくる奴と、どうやって旧交を温めるんだよ!」


 明獅は、ぴたりと動きを止める。


「石投げるのやめたら、降りてきてくれる?」

「降りるわけないだろ」

「んじゃ、やっぱり石で落とす」

 明獅は振りかぶっていた腕を、勢いよく振り下ろす。手の平から離れた石がまた、勢いよく飛んでいった。

 弾け飛んだ瓦が粉々になって、夜堵に降りかかるのが見えた。

「おい、やめろって! 屋根が壊れるだろ! 長老達になんて言い訳するつもりなんだよ!」

 翔肇が明獅の手首をつかもうとしたが、明獅はその手を振り払った。

「大丈夫、俺、この方法で、町人襲って悪さしてた猿を落として、捕まえたことがあるから。猿がいましたって説明すれば、大丈夫」

「大丈夫なわけないだろ! ・・・・ああ、御政堂が壊れていく・・・・」


「いい加減にしろよ!」

 一方的に攻撃されていた夜堵が、とうとう切れた。


 ――――鎖の音が鳴る。


 音が伸びやかにしなって、風が動いたことを肌で感じとり、俺は後ろに飛び退いた。明獅と翔肇も、それぞれ別の方向に下がっていた。


 次の瞬間、明獅がいた場所に、巨大な分銅が落ちてくる。


 石板が割れて、石礫があたりに飛び散った。

 ――――鎖分銅くさりぶんどう。夜堵の獲物だ。だが鎖の先に結われている重しは、分銅というより、鉄球に近い形状だった。

 夜堵は昔から、刀ではなく、鎖分銅を豪快に振り回して、敵を蹴散らす戦い方を好んだ。

 剣術が苦手だったわけじゃないようだが、ちまちまと一体ずつ斬っていくより、大勢の敵を一度に薙ぎ払うほうが、性に合っていたのだろう。


「おお、ようやく降りてきた!」

「よくも人を猿呼ばわりしてくれたな。むしろ猿は、手につかんだものを手当たり投げてくる、お前のほうだろうが」

 明獅は喜んでいたが、夜堵の怒りは静まらない。鎖を握った腕にはいまだに力がこもっていて、いつ、分銅がこちらに飛んできてもおかしくない。

「どうして京月に戻ってきたんだ?」

 まだ鼻息が荒い夜堵に、問いかけた。夜堵は睨みを返してくる。

「・・・・なんで俺が、その質問に答えなきゃならない?」

「久芽里の鬼は、京月に立ち入ることを禁じられている。張乾御主が、そう決めた。・・・・ここに戻ってくることでどうなるか、わからなかったとは言わせないぞ」

「・・・・・・・・」

「これは職務質問だ。素直に答えてもらおう」

 すると夜堵の顔に、荒んだ笑顔が浮かんだ。

「・・・・へえー、職務質問って、怪しげな人間に、いきなり石を投げつける遊びのことを言うんだ。へえー」

「治安維持のためならば、やむなしだ」

「治安維持っていえば、何でも許されると思うなよ!」

「ま、まあ、まあ、どっちも落ち付いて」

 夜堵は目を怒りで滾らせていたが、そのうちに馬鹿らしくなったのか、肩の力を抜いた。

「・・・・あほらし」

「あ!」

 夜堵は跳躍し、塀の屋根に着地する。

「報告したいなら、すればいいよ。――――どのみち、今の御主様のおかげで、弾圧された久芽里は、山奥に隠れ住むことを強いられている。・・・・これ以上、状況は悪化しようがない」

「・・・・・・・・」

「それじゃあね。・・・・会えてよかったよ」


 夜堵はまた、身を翻す。


 今度は、引き留めようとは思わなかった。夜堵の身体は、塀の向こう側に消え、今度こそ気配も消える。去っていく足音が、まったく聞こえなかったところが、元隠密組織にいた鬼らしい。


「あーあ、まったく・・・・」

 しばらくして我に返った翔肇が、惨状を見て溜息を零した。

 塀の屋根の瓦は砕け、一部は崩れ落ち、石畳には巨大な穴が開いている。

「・・・・どうする?」

「放っておく」

「報告はしないの?」

「してどうなる?」

「だよなあ。久芽里の一族が、被害を被るだけだし・・・・」

 久芽里の鬼は、先代御主の時代に、京月の安定に貢献した。なのに今はひどい扱いを受けている。張乾御主の、今の久芽里に対する強硬姿勢に、疑問を持つ鬼は多い。


「何事だ!」

 一息ついたところで、慌ただしい足音が近づいてきた。


「・・・・ようやくお出ましか」

「鬼久頭代! これは何事ですか!?」

 息を切らして駆け付けた武官が、俺達を睨み付ける。

「猿が出たんだ」

「・・・・猿?」

 武官は面食らい、固まってしまった。

「そうだろう、翔肇、明獅」

 翔肇と明獅に目配せすると、二人はすぐに俺の意図を理解したようだ。

「あ、ああ、そうだよ。猿がいたんだ。この前、京月の町にも現われただろ?」

「猿が桜の廓に入り込んで、花嫁に怪我させたらヤバいと思ったからさー、俺が投石で追い払ったんだ」

 いつもは馬鹿が付くほど正直なのに、なぜかこういう時だけ、明獅は翔肇よりも嘘がうまい。

 明獅の無邪気な笑顔を見て、武官もその嘘を信じたようだった。

「だからといって、塀を壊されたら困ります!」

「修繕費は、こちらが払う」

「そういう問題じゃありません! このことは、刑門部卿に報告させてもらいますよ!」

「そうしたいなら、そうしてくれ。こちらは構わない」

 武官達は肩を怒らせて、走り去っていった。


「・・・・耀茜」

「諒影は、こんな些細なことは気にしない。・・・・それよりも、この時期に、夜堵が戻ってきたことが気になる」

 夜堵が消えた方向に、目を向ける。

「確かに、慎重な久芽里の鬼が、閻魔の婚礼中に戻ってきたことは気になるけど・・・・特に深い意味はないだろ。戻ってきた理由は、夜堵に聞かないとわからない」

「そうだな。・・・・桜の廓に戻ろう」

「ああ」

 身を翻して、桜の廓に戻った。

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