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32_久しぶりの再会_耀茜視点
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夜も更けたのに、集った重鎮達はいまだに腰を上げようとせず、赤ら顔のまま、酒を飲み続けていた。
広場の隅で、俺はその様子を見つめる。
上座に座った張乾御主も、この時ばかりは上機嫌だった。勇啓様達も、楽しそうに談笑している。
――――そんな親子の後ろに立っている諒影の表情だけは、明るくない。
同じように、警備に穴がないか、目を光らせている俺の顔も、酔っている者達からすれば、辛気臭く見えているだろう。
「しばらく席を外す。俺がいない間、不審人物を、決して御主に近づけるな」
「了解です」
その場を隊士に任せ、桜の門から外に出る。
しばらく桜の廓を囲んだ塀沿いに歩いて、俺は塀の屋根の上に、誰かの気配がすることに気づいた。
「おう、燿茜。どうしたんだ?」
曲がり角で、俺は明獅と翔肇と出くわす。
「・・・・気配を感じた」
「気配?」
「侵入者がいるようだ」
「侵入者なんて、いるわけないだろ。ここは天下の御政堂だぞ」
翔肇の声を無視して、気配を感じた方向に歩いた。
歩き続けていると、御政堂の裏庭の、人気のない場所に出る。
――――かすかに、足音が聞こえた。しかもその足音は、塀の屋根の上から落ちてきたのだ。
「・・・・本当だ。誰かがいる」
翔肇も気配に気づき、表情が険しくなる。
一瞬だけ、高い塀の、並べられた海苔巻きのような丸瓦の屋根に、人影がちらついたが、影はすぐに向こう側に消えてしまった。
だが、気配は去ることなく、その付近に留まっている。
見えたのは一瞬だけだったが、見覚えのある輪郭だ。
「――――出てこい」
声をかけても、あいつは屋根の上から降りてこようとはしなかった。
「・・・・それで隠れてるつもりか? 腕が落ちたな」
「・・・・・・・・」
「出てこないなら衛士を呼ぶぞ。騒ぎが大きくなるが、それでもいいのか?」
脅しをかけるとようやく、その人物は屋根の上に戻ってきた。
鬼にしては小柄な体格、印象的なのは、顔に刻まれた入れ墨だろう。
「・・・・久しぶりだな、夜堵」
――――久芽里夜堵。本当に久しぶりに、その顔を目にした。
「あああ、夜堵!」
侵入者が夜堵だと知り、明獅と翔肇は破願する。
「ひっさしぶり! お前生きてたんだなあ! よかったよ!」
明獅は夜堵に向かって、勢いよく腕を振った。腕の動きが、喜んでいる時の犬の尻尾に似ている。
「いつ、京月に戻ってきたんだ?」
「・・・・・・・・」
夜堵は渋い顔で、黙っていた。
「答えるつもりはない、ということか・・・・」
夜堵とは、石積戦争で一緒に戦った。浅からぬ縁がある。
張乾御主が京月から久芽里を追い出した後は、夜堵も行方不明になっていた。無事を知って、明獅も安心したのだろう。
だが夜堵は、久芽里家の鬼だ。久芽里は、先代御主の時代に、北鬼に貢献した一族だが、今の張乾御主には嫌われていて、京月に近づくことを禁じられている。
その久芽里の鬼が、京月どころか御政堂まで侵入したとなると、少し話がややこしい。
「夜堵。降りてこい」
とにかく、夜堵を屋根から降ろすのが先決だと思い、俺は夜堵に呼びかけた。だが、夜堵は、首を横に振る。
「――――断る」
「は?」
「あんた達に会いに来たんじゃないからね。面倒ごとはごめんだ」
「んだよー、冷たいなあー。石積戦争で生死を共にした仲じゃん!」
「何百年の話だよ。それじゃあな」
笑顔で手を振って、夜堵は身を翻そうとした。
「おい、どこに行くんだよ! 御政堂に不法侵入してるっていう自覚はないのか?」
「塀から降りてないから、不法侵入じゃない」
「不法侵入だ! ガバガバな基準を振りかざすな! それに、わかってるのか? 久芽里の鬼が京月に入ったことを知れば、御主は激怒するぞ! 昔の縁で俺達がなんとかするから、とにかく降りてこい!」
翔肇が止めても、夜堵は聞く耳を持たない。奴はもう身を翻し、屋根の向こう側に飛び下りようとしていた。
「あいつ・・・・」
翔肇が困って、俺を見た。
「追いかける?」
「・・・・いや、あいつは素早い。どうせ追いつけないだろう」
夜堵の足は速い。俺達が屋根に飛び乗った時にはもう、奴は反対側に飛び下りて、闇の中に姿を消しているはずだ。
「明獅、あいつを落とせ」
「おっけー」
明獅が笑顔で、前に出ていった。
いつの間に拾ったのか、その手の中にはしっかりと、小石が握られている。
それを見て、翔肇が青ざめた。
「え? いや、ちょっと、待ってよ。お前、何するつもり――――」
「夜堵! 降りてこないつもりなら、落とすからなー」
友達に話しかけるような、のんびりとした口調でそう言いながら、明獅は投手のような綺麗な動きで、腕を大きく振り被った。
そして明獅が投げた石は、凄まじい速さで、夜堵の背中に迫った。
「・・・・!」
大気の流れから危険を察知したのか、夜堵は素早く振り返る。
だがその時にはもう、明獅が投げた石は、夜堵の足元に命中していた。
丸瓦が割れる。足場が不安定になり、夜堵はよろめいていたが、さすがというべきか、すぐに体勢を立て直していた。
「何する!?」
「降りてこいよ」
「嫌だって言ってんだろ」
「じゃ、落とす」
といっても、もう付近には、石は落ちていない。
どうするのかと明獅を見ていたら、明獅は軍服の上位の前を開く。
すると中から、大量の石が吐きだされた。
「お前、いつも石を持ち歩いてんの!?」
「いっくぞー!」
間延びした声で言って、明獅は今度は、大量の石を同時に投げていた。
「げっ・・・・!」
夜堵に逃げる暇はなく、姿勢を低くする。
雹のように、大量の石が夜堵に降り注いだ。
明獅の目的は、夜堵を下に降ろすこと。だから投擲された石の大半は、夜堵の足元の屋根瓦に、狙いを定めていた。
ほとんどは狙い通り、屋根瓦に命中したが、いくつかは狙いを外れ、夜堵に向かう。
夜堵は仕方なく、腕で石を払い落としていた。瓦を割るほどの勢いで投げられた石だから、命中すれば、鬼と言えども多少は痛いだろう。
「夜堵ー、早く降りてこいよー、旧交を温めようぜー」
石を投げながら、明獅がそう言った。
「投石で殺しにかかってくる奴と、どうやって旧交を温めるんだよ!」
明獅は、ぴたりと動きを止める。
「石投げるのやめたら、降りてきてくれる?」
「降りるわけないだろ」
「んじゃ、やっぱり石で落とす」
明獅は振りかぶっていた腕を、勢いよく振り下ろす。手の平から離れた石がまた、勢いよく飛んでいった。
弾け飛んだ瓦が粉々になって、夜堵に降りかかるのが見えた。
「おい、やめろって! 屋根が壊れるだろ! 長老達になんて言い訳するつもりなんだよ!」
翔肇が明獅の手首をつかもうとしたが、明獅はその手を振り払った。
「大丈夫、俺、この方法で、町人襲って悪さしてた猿を落として、捕まえたことがあるから。猿がいましたって説明すれば、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ! ・・・・ああ、御政堂が壊れていく・・・・」
「いい加減にしろよ!」
一方的に攻撃されていた夜堵が、とうとう切れた。
――――鎖の音が鳴る。
音が伸びやかにしなって、風が動いたことを肌で感じとり、俺は後ろに飛び退いた。明獅と翔肇も、それぞれ別の方向に下がっていた。
次の瞬間、明獅がいた場所に、巨大な分銅が落ちてくる。
石板が割れて、石礫があたりに飛び散った。
――――鎖分銅。夜堵の獲物だ。だが鎖の先に結われている重しは、分銅というより、鉄球に近い形状だった。
夜堵は昔から、刀ではなく、鎖分銅を豪快に振り回して、敵を蹴散らす戦い方を好んだ。
剣術が苦手だったわけじゃないようだが、ちまちまと一体ずつ斬っていくより、大勢の敵を一度に薙ぎ払うほうが、性に合っていたのだろう。
「おお、ようやく降りてきた!」
「よくも人を猿呼ばわりしてくれたな。むしろ猿は、手につかんだものを手当たり投げてくる、お前のほうだろうが」
明獅は喜んでいたが、夜堵の怒りは静まらない。鎖を握った腕にはいまだに力がこもっていて、いつ、分銅がこちらに飛んできてもおかしくない。
「どうして京月に戻ってきたんだ?」
まだ鼻息が荒い夜堵に、問いかけた。夜堵は睨みを返してくる。
「・・・・なんで俺が、その質問に答えなきゃならない?」
「久芽里の鬼は、京月に立ち入ることを禁じられている。張乾御主が、そう決めた。・・・・ここに戻ってくることでどうなるか、わからなかったとは言わせないぞ」
「・・・・・・・・」
「これは職務質問だ。素直に答えてもらおう」
すると夜堵の顔に、荒んだ笑顔が浮かんだ。
「・・・・へえー、職務質問って、怪しげな人間に、いきなり石を投げつける遊びのことを言うんだ。へえー」
「治安維持のためならば、やむなしだ」
「治安維持っていえば、何でも許されると思うなよ!」
「ま、まあ、まあ、どっちも落ち付いて」
夜堵は目を怒りで滾らせていたが、そのうちに馬鹿らしくなったのか、肩の力を抜いた。
「・・・・あほらし」
「あ!」
夜堵は跳躍し、塀の屋根に着地する。
「報告したいなら、すればいいよ。――――どのみち、今の御主様のおかげで、弾圧された久芽里は、山奥に隠れ住むことを強いられている。・・・・これ以上、状況は悪化しようがない」
「・・・・・・・・」
「それじゃあね。・・・・会えてよかったよ」
夜堵はまた、身を翻す。
今度は、引き留めようとは思わなかった。夜堵の身体は、塀の向こう側に消え、今度こそ気配も消える。去っていく足音が、まったく聞こえなかったところが、元隠密組織にいた鬼らしい。
「あーあ、まったく・・・・」
しばらくして我に返った翔肇が、惨状を見て溜息を零した。
塀の屋根の瓦は砕け、一部は崩れ落ち、石畳には巨大な穴が開いている。
「・・・・どうする?」
「放っておく」
「報告はしないの?」
「してどうなる?」
「だよなあ。久芽里の一族が、被害を被るだけだし・・・・」
久芽里の鬼は、先代御主の時代に、京月の安定に貢献した。なのに今はひどい扱いを受けている。張乾御主の、今の久芽里に対する強硬姿勢に、疑問を持つ鬼は多い。
「何事だ!」
一息ついたところで、慌ただしい足音が近づいてきた。
「・・・・ようやくお出ましか」
「鬼久頭代! これは何事ですか!?」
息を切らして駆け付けた武官が、俺達を睨み付ける。
「猿が出たんだ」
「・・・・猿?」
武官は面食らい、固まってしまった。
「そうだろう、翔肇、明獅」
翔肇と明獅に目配せすると、二人はすぐに俺の意図を理解したようだ。
「あ、ああ、そうだよ。猿がいたんだ。この前、京月の町にも現われただろ?」
「猿が桜の廓に入り込んで、花嫁に怪我させたらヤバいと思ったからさー、俺が投石で追い払ったんだ」
いつもは馬鹿が付くほど正直なのに、なぜかこういう時だけ、明獅は翔肇よりも嘘がうまい。
明獅の無邪気な笑顔を見て、武官もその嘘を信じたようだった。
「だからといって、塀を壊されたら困ります!」
「修繕費は、こちらが払う」
「そういう問題じゃありません! このことは、刑門部卿に報告させてもらいますよ!」
「そうしたいなら、そうしてくれ。こちらは構わない」
武官達は肩を怒らせて、走り去っていった。
「・・・・耀茜」
「諒影は、こんな些細なことは気にしない。・・・・それよりも、この時期に、夜堵が戻ってきたことが気になる」
夜堵が消えた方向に、目を向ける。
「確かに、慎重な久芽里の鬼が、閻魔の婚礼中に戻ってきたことは気になるけど・・・・特に深い意味はないだろ。戻ってきた理由は、夜堵に聞かないとわからない」
「そうだな。・・・・桜の廓に戻ろう」
「ああ」
身を翻して、桜の廓に戻った。
広場の隅で、俺はその様子を見つめる。
上座に座った張乾御主も、この時ばかりは上機嫌だった。勇啓様達も、楽しそうに談笑している。
――――そんな親子の後ろに立っている諒影の表情だけは、明るくない。
同じように、警備に穴がないか、目を光らせている俺の顔も、酔っている者達からすれば、辛気臭く見えているだろう。
「しばらく席を外す。俺がいない間、不審人物を、決して御主に近づけるな」
「了解です」
その場を隊士に任せ、桜の門から外に出る。
しばらく桜の廓を囲んだ塀沿いに歩いて、俺は塀の屋根の上に、誰かの気配がすることに気づいた。
「おう、燿茜。どうしたんだ?」
曲がり角で、俺は明獅と翔肇と出くわす。
「・・・・気配を感じた」
「気配?」
「侵入者がいるようだ」
「侵入者なんて、いるわけないだろ。ここは天下の御政堂だぞ」
翔肇の声を無視して、気配を感じた方向に歩いた。
歩き続けていると、御政堂の裏庭の、人気のない場所に出る。
――――かすかに、足音が聞こえた。しかもその足音は、塀の屋根の上から落ちてきたのだ。
「・・・・本当だ。誰かがいる」
翔肇も気配に気づき、表情が険しくなる。
一瞬だけ、高い塀の、並べられた海苔巻きのような丸瓦の屋根に、人影がちらついたが、影はすぐに向こう側に消えてしまった。
だが、気配は去ることなく、その付近に留まっている。
見えたのは一瞬だけだったが、見覚えのある輪郭だ。
「――――出てこい」
声をかけても、あいつは屋根の上から降りてこようとはしなかった。
「・・・・それで隠れてるつもりか? 腕が落ちたな」
「・・・・・・・・」
「出てこないなら衛士を呼ぶぞ。騒ぎが大きくなるが、それでもいいのか?」
脅しをかけるとようやく、その人物は屋根の上に戻ってきた。
鬼にしては小柄な体格、印象的なのは、顔に刻まれた入れ墨だろう。
「・・・・久しぶりだな、夜堵」
――――久芽里夜堵。本当に久しぶりに、その顔を目にした。
「あああ、夜堵!」
侵入者が夜堵だと知り、明獅と翔肇は破願する。
「ひっさしぶり! お前生きてたんだなあ! よかったよ!」
明獅は夜堵に向かって、勢いよく腕を振った。腕の動きが、喜んでいる時の犬の尻尾に似ている。
「いつ、京月に戻ってきたんだ?」
「・・・・・・・・」
夜堵は渋い顔で、黙っていた。
「答えるつもりはない、ということか・・・・」
夜堵とは、石積戦争で一緒に戦った。浅からぬ縁がある。
張乾御主が京月から久芽里を追い出した後は、夜堵も行方不明になっていた。無事を知って、明獅も安心したのだろう。
だが夜堵は、久芽里家の鬼だ。久芽里は、先代御主の時代に、北鬼に貢献した一族だが、今の張乾御主には嫌われていて、京月に近づくことを禁じられている。
その久芽里の鬼が、京月どころか御政堂まで侵入したとなると、少し話がややこしい。
「夜堵。降りてこい」
とにかく、夜堵を屋根から降ろすのが先決だと思い、俺は夜堵に呼びかけた。だが、夜堵は、首を横に振る。
「――――断る」
「は?」
「あんた達に会いに来たんじゃないからね。面倒ごとはごめんだ」
「んだよー、冷たいなあー。石積戦争で生死を共にした仲じゃん!」
「何百年の話だよ。それじゃあな」
笑顔で手を振って、夜堵は身を翻そうとした。
「おい、どこに行くんだよ! 御政堂に不法侵入してるっていう自覚はないのか?」
「塀から降りてないから、不法侵入じゃない」
「不法侵入だ! ガバガバな基準を振りかざすな! それに、わかってるのか? 久芽里の鬼が京月に入ったことを知れば、御主は激怒するぞ! 昔の縁で俺達がなんとかするから、とにかく降りてこい!」
翔肇が止めても、夜堵は聞く耳を持たない。奴はもう身を翻し、屋根の向こう側に飛び下りようとしていた。
「あいつ・・・・」
翔肇が困って、俺を見た。
「追いかける?」
「・・・・いや、あいつは素早い。どうせ追いつけないだろう」
夜堵の足は速い。俺達が屋根に飛び乗った時にはもう、奴は反対側に飛び下りて、闇の中に姿を消しているはずだ。
「明獅、あいつを落とせ」
「おっけー」
明獅が笑顔で、前に出ていった。
いつの間に拾ったのか、その手の中にはしっかりと、小石が握られている。
それを見て、翔肇が青ざめた。
「え? いや、ちょっと、待ってよ。お前、何するつもり――――」
「夜堵! 降りてこないつもりなら、落とすからなー」
友達に話しかけるような、のんびりとした口調でそう言いながら、明獅は投手のような綺麗な動きで、腕を大きく振り被った。
そして明獅が投げた石は、凄まじい速さで、夜堵の背中に迫った。
「・・・・!」
大気の流れから危険を察知したのか、夜堵は素早く振り返る。
だがその時にはもう、明獅が投げた石は、夜堵の足元に命中していた。
丸瓦が割れる。足場が不安定になり、夜堵はよろめいていたが、さすがというべきか、すぐに体勢を立て直していた。
「何する!?」
「降りてこいよ」
「嫌だって言ってんだろ」
「じゃ、落とす」
といっても、もう付近には、石は落ちていない。
どうするのかと明獅を見ていたら、明獅は軍服の上位の前を開く。
すると中から、大量の石が吐きだされた。
「お前、いつも石を持ち歩いてんの!?」
「いっくぞー!」
間延びした声で言って、明獅は今度は、大量の石を同時に投げていた。
「げっ・・・・!」
夜堵に逃げる暇はなく、姿勢を低くする。
雹のように、大量の石が夜堵に降り注いだ。
明獅の目的は、夜堵を下に降ろすこと。だから投擲された石の大半は、夜堵の足元の屋根瓦に、狙いを定めていた。
ほとんどは狙い通り、屋根瓦に命中したが、いくつかは狙いを外れ、夜堵に向かう。
夜堵は仕方なく、腕で石を払い落としていた。瓦を割るほどの勢いで投げられた石だから、命中すれば、鬼と言えども多少は痛いだろう。
「夜堵ー、早く降りてこいよー、旧交を温めようぜー」
石を投げながら、明獅がそう言った。
「投石で殺しにかかってくる奴と、どうやって旧交を温めるんだよ!」
明獅は、ぴたりと動きを止める。
「石投げるのやめたら、降りてきてくれる?」
「降りるわけないだろ」
「んじゃ、やっぱり石で落とす」
明獅は振りかぶっていた腕を、勢いよく振り下ろす。手の平から離れた石がまた、勢いよく飛んでいった。
弾け飛んだ瓦が粉々になって、夜堵に降りかかるのが見えた。
「おい、やめろって! 屋根が壊れるだろ! 長老達になんて言い訳するつもりなんだよ!」
翔肇が明獅の手首をつかもうとしたが、明獅はその手を振り払った。
「大丈夫、俺、この方法で、町人襲って悪さしてた猿を落として、捕まえたことがあるから。猿がいましたって説明すれば、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ! ・・・・ああ、御政堂が壊れていく・・・・」
「いい加減にしろよ!」
一方的に攻撃されていた夜堵が、とうとう切れた。
――――鎖の音が鳴る。
音が伸びやかにしなって、風が動いたことを肌で感じとり、俺は後ろに飛び退いた。明獅と翔肇も、それぞれ別の方向に下がっていた。
次の瞬間、明獅がいた場所に、巨大な分銅が落ちてくる。
石板が割れて、石礫があたりに飛び散った。
――――鎖分銅。夜堵の獲物だ。だが鎖の先に結われている重しは、分銅というより、鉄球に近い形状だった。
夜堵は昔から、刀ではなく、鎖分銅を豪快に振り回して、敵を蹴散らす戦い方を好んだ。
剣術が苦手だったわけじゃないようだが、ちまちまと一体ずつ斬っていくより、大勢の敵を一度に薙ぎ払うほうが、性に合っていたのだろう。
「おお、ようやく降りてきた!」
「よくも人を猿呼ばわりしてくれたな。むしろ猿は、手につかんだものを手当たり投げてくる、お前のほうだろうが」
明獅は喜んでいたが、夜堵の怒りは静まらない。鎖を握った腕にはいまだに力がこもっていて、いつ、分銅がこちらに飛んできてもおかしくない。
「どうして京月に戻ってきたんだ?」
まだ鼻息が荒い夜堵に、問いかけた。夜堵は睨みを返してくる。
「・・・・なんで俺が、その質問に答えなきゃならない?」
「久芽里の鬼は、京月に立ち入ることを禁じられている。張乾御主が、そう決めた。・・・・ここに戻ってくることでどうなるか、わからなかったとは言わせないぞ」
「・・・・・・・・」
「これは職務質問だ。素直に答えてもらおう」
すると夜堵の顔に、荒んだ笑顔が浮かんだ。
「・・・・へえー、職務質問って、怪しげな人間に、いきなり石を投げつける遊びのことを言うんだ。へえー」
「治安維持のためならば、やむなしだ」
「治安維持っていえば、何でも許されると思うなよ!」
「ま、まあ、まあ、どっちも落ち付いて」
夜堵は目を怒りで滾らせていたが、そのうちに馬鹿らしくなったのか、肩の力を抜いた。
「・・・・あほらし」
「あ!」
夜堵は跳躍し、塀の屋根に着地する。
「報告したいなら、すればいいよ。――――どのみち、今の御主様のおかげで、弾圧された久芽里は、山奥に隠れ住むことを強いられている。・・・・これ以上、状況は悪化しようがない」
「・・・・・・・・」
「それじゃあね。・・・・会えてよかったよ」
夜堵はまた、身を翻す。
今度は、引き留めようとは思わなかった。夜堵の身体は、塀の向こう側に消え、今度こそ気配も消える。去っていく足音が、まったく聞こえなかったところが、元隠密組織にいた鬼らしい。
「あーあ、まったく・・・・」
しばらくして我に返った翔肇が、惨状を見て溜息を零した。
塀の屋根の瓦は砕け、一部は崩れ落ち、石畳には巨大な穴が開いている。
「・・・・どうする?」
「放っておく」
「報告はしないの?」
「してどうなる?」
「だよなあ。久芽里の一族が、被害を被るだけだし・・・・」
久芽里の鬼は、先代御主の時代に、京月の安定に貢献した。なのに今はひどい扱いを受けている。張乾御主の、今の久芽里に対する強硬姿勢に、疑問を持つ鬼は多い。
「何事だ!」
一息ついたところで、慌ただしい足音が近づいてきた。
「・・・・ようやくお出ましか」
「鬼久頭代! これは何事ですか!?」
息を切らして駆け付けた武官が、俺達を睨み付ける。
「猿が出たんだ」
「・・・・猿?」
武官は面食らい、固まってしまった。
「そうだろう、翔肇、明獅」
翔肇と明獅に目配せすると、二人はすぐに俺の意図を理解したようだ。
「あ、ああ、そうだよ。猿がいたんだ。この前、京月の町にも現われただろ?」
「猿が桜の廓に入り込んで、花嫁に怪我させたらヤバいと思ったからさー、俺が投石で追い払ったんだ」
いつもは馬鹿が付くほど正直なのに、なぜかこういう時だけ、明獅は翔肇よりも嘘がうまい。
明獅の無邪気な笑顔を見て、武官もその嘘を信じたようだった。
「だからといって、塀を壊されたら困ります!」
「修繕費は、こちらが払う」
「そういう問題じゃありません! このことは、刑門部卿に報告させてもらいますよ!」
「そうしたいなら、そうしてくれ。こちらは構わない」
武官達は肩を怒らせて、走り去っていった。
「・・・・耀茜」
「諒影は、こんな些細なことは気にしない。・・・・それよりも、この時期に、夜堵が戻ってきたことが気になる」
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「確かに、慎重な久芽里の鬼が、閻魔の婚礼中に戻ってきたことは気になるけど・・・・特に深い意味はないだろ。戻ってきた理由は、夜堵に聞かないとわからない」
「そうだな。・・・・桜の廓に戻ろう」
「ああ」
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だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
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そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
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