鬼の花嫁

炭田おと

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35_またとんでもないことになってしまった_前半

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「な、何が起こったの・・・・?」


 ――――宴会が開かれていた方向から聞こえてきた爆発音に、私も凛帆様も呆然として、動けずにいた。


 桜堂がある方向から、薄まった白煙が流れてくる。

 耳を澄ますと、誰かが争っているような物音まで聞こえた。


 金属が打ち鳴らされるような音には、覚えがある。――――剣戟の音だ。


「な、何かが起こってるみたい・・・・戻らないと!」

 青ざめた顔で、凛帆様は動き出そうとしていた。

「駄目です、凛帆様!」

 私は凛帆様の腕をつかんで、後ろに引き戻す。凛帆様は驚いて、目を丸くした。

「ど、どうして?」

「何かが起こってます。・・・・今、戻るのは危険です」

「何かが起こっているのなら、戻らないと! あの場所に、結衣花がいるの!」

「ご自分の安全を、一番に考えてください!」

 私達の攻防を中断させようとするように、騒乱の物音から分離した足音が、私達がいるこの場所に向かって、騒々しく迫ってきていた。

「な、何!?」

 近づいてくる人々の姿は、まだここからは見えない。

 だけど、斬り合いの音が聞こえた後で、近づいてくる足音なんて、嫌な予感しかしない。

 私はまた、凛帆様の腕を引っ張った。

「何か様子がおかしいです。隠れましょう!」

「え?」

「こっちに来てください!」

 私達は閻魔堂の影の草地に入り、垣根の影に身を屈めた。

 暗がりに蹲って、息を潜めていると、近づいてきた足音の津波が、閻魔堂の前で止まった。


「ここが閻魔堂か!」


 しばらくして、男の声が聞こえる。


「鍵を壊せ! 扉を開けるんだ!」


「・・・・!」


 ――――呼吸が止まる。凛子様の顔も、険しくなっていた。


「閻魔堂に押し入ろうとしてるの・・・・!?」


 そっと身を乗り出して、男達の様子を窺う。

 町人の格好をした男達が、閻魔堂を取り囲んでいる。その中の一人は、かなり背が高くて、顎から頬骨にかけて、傷があった。

 この男達が、侵入者であることは間違いない。


 ――――しかも侵入者の狙いは、閻魔様なのだ。閻魔様はこの国の心臓で、閻魔様を奪われれば、御主は正当な継承権を失ってしまう。


「早く開けろ!」

 錠前を、激しく打っている音が聞こえてくる。

「止めないと・・・・武官や衛士には、この音は聞こえていないのかしら?」

 侵入者が、これだけ大きな音を立てているのだから、鬼峻隊の隊士や刑門部の武官が、騒ぎに気づかないはずがなかった。

 でも、隊士や武官が駆け付けてくる様子はない。

(まさか――――)

 垣根の影から、閻魔堂のまわりに張り巡らされた、鬼力の流れを盗み見る。その赤い流れは細い川のように、道に沿って、門のほうへ流れている。

「・・・・この場所に結界を張ったのは、あの男達なのかも・・・・」

「そんな・・・・!」

 侵入者がいつ、御政堂に入り込んだのか、それはわからない。

 だけど爆発が起こる前に、すでに結界が張られていたことを考えると、侵入者はおそらく宴会がはじまる前に、御政堂の中にいたのだろう。

「・・・・!」

 衝撃に耐えられなかったのか、錠前が落ちる音が聞こえた。

「時間がない! 早く入るぞ!」

 男達は、閻魔堂に踏み込もうとしていた。

「どうしよう・・・・止めないと!」

「駄目です!」

 立ち上がろうとした凛帆様を、制する。


 ――――焦りから、声が大きくなってしまった。


「誰だ!」


 扉をこじ開ける物音が止まり、代わりに鋭い声が飛んでくる。


 次に押し寄せてきた静けさに、私の心臓は縮み上がった。男達が動きを止め、私達が立てる物音を聞き取ろうとしていることが、気配で伝わってくる。

「そこにいることはわかってるぞ! 出てこい!」

「ど、どうすれば・・・・」

 凛帆様は焦り、着物の裾を握った指先は、白くなっていた。私も必死に、頭を回転させる。

「・・・・私達二人だけでは、どんなに抵抗しても勝てません。結界を壊して、誰かに助けてもらわないと」

 小声で、凛帆様に話しかけた。

「でも、あの結界は強力よ。きっと、破るのに時間がかかる」

「内側からなら、倒すのは簡単です。灯籠を倒せば、結界は崩れるはず」

 結界を構成している、血の線。その線は、灯籠の土台に描かれている。土台ごと倒してしまえば、結界は機能しなくなるはず。

「灯籠は、結構しっかり作ってある。簡単には倒れないはずよ」

「さっき、崩れかかっている灯籠を見ました。あれなら、きっと・・・・」

「でも、灯籠を壊すには、ここを出るしかない」

「私に考えがあります。・・・・合図をしたら、閻魔の門に向かって全力で走ってください」

 袖の中から、形代を入れた紙入れを取り出し、必要なものだけ抜き取って、袖に戻した。

「・・・・わかったわ。あなたを信じる」

 でも危険だ、と凛帆様は言わなかった。作戦を説明している余裕がないと知っていて、詳しく聞くこともしなかった。凛帆様には、度胸もあるようだ。

「何をしている!? さっさと出てこい!」

「時間の無駄だ! 引きずり出せ!」

 男達が、草地に踏み込もうとしていた。

 垣根を掻き分ける音を聞いた瞬間に、私は形代を投げていた。

 形代は閻魔堂の裏側を迂回して、男達の背後を通り抜け、道の反対側に向かう。


 そして垣根の中に飛び込み、枝を折って、物音を立てた。


「なんだ!?」

 男達はいっせいに振り返る。


「今です、走って!」


 私と凛帆様は垣根の影から飛び出して、閻魔の門に向かって全力で走った。


「待て!」

 男達の声が追いかけてくる。

「これからどうするの!?」

「灯籠を倒します!」

 走りながら、私はまた一つ、形代を飛ばした。

 形代は、大気を切り裂いて、崩れかかっている灯籠の裏側に張りつく。

「爆!」

 形代が爆発して、空気が弾ける。

 でも、十分な準備をせずに生み出せる爆発の威力は、小さなものだ。

 灯籠は少しぐらついたけれど、倒すことはできなかった。

「駄目だ・・・・」

「直接倒すしかないみたいね!」

「そのようです!」

「あの女ども、灯籠を倒すつもりだ! 絶対止めろ!」

 男達の声が、とても近くから聞こえて、背筋が凍えた。


「体当たりするしかないわ!」

 閻魔の道は短い。閻魔の門は、もうすぐそこに迫っていた。

 だけど、門の柱を、鬼道の赤い線が、蔦が這うように流れている。結界を壊さない限り、出られないと一目でわかった。


「あ、おい、誰か近づいてくるぞ!」

 閻魔の門から、誰かの声が聞こえた。

 ハッとして、門のほうを見る。

 門の向こう側に、軍服姿の男が数人、立っているのが見えた。――――その中の一人は。

「鬼久頭代!」

「あっ・・・・!」

 隣を走っていた凛帆様がつんのめり、後ろに引き戻される。

 振り返ると、侵入者の一人が、凛帆様の髪をつかんでいた。

「もう一人も捕まえろ!」

 いくつもの腕が伸びてくる。

 ――――だけどその時にはもう、崩れかかった灯籠は、目の前にあった。

「・・・・っ!」

 私は意を決して、灯籠に飛びつく。

 私の身体がぶつかると、灯籠の帽子のような頭は下に落ち、台座も倒れていく。


 破裂するように、閉じ込められていた空気が外に流れ出す気配があった。


(結界が壊れた・・・・! )


 だけど、私に喜ぶ余裕はない。


「あっ・・・・!」

 髪をつかまれ、後ろに引っ張られる。


「この野郎! てめえのせいで、何もかも滅茶苦茶だ!」


 後ろに引き摺り倒されそうになったけれど、次の瞬間、強い風が私達の間に割り込んできた。


「ぐあああぁ!」

 背後で悲鳴が弾けた瞬間、髪を引っぱる力が消えて、背中を軽く、誰かに押される。


 よろめきながら振り返ると、そこにはすでに、鬼久頭代の背中があった。


「鬼久燿茜!」


 間に入ってきたのが、鬼久頭代だと知り、男達は顔を歪める。

「この・・・・!」

 次に男達は刀の柄を握り、抜刀する動作を見せたが、その瞬間にはもう、閃光がしなやかに伸びていた。


 男が数秒かかる動作を、鬼久頭代は、半分の時間で実行していた。


 抜刀された刀が、男の腕を切り裂く。

「ぎゃあ・・・・!」

 血が飛び散ったけれど、鬼久頭代の身体が盾となり、私は一滴も、血を浴びずにすんだ。

 瞬きをすると、目の前から鬼久頭代の背中が消えていて、光の筋だけが暗闇に線を描く。

「ぐあっ・・・・!」


 大気が断ち切られる音に、男達の呻き声が重なり、人がばたばたと倒れていく音が散っていった。


「くそっ・・・・!」

 だけど仲間達が斬られていく中、顔に傷がある男だけが状況を悟って、身を翻していた。

 塀に刀を投げ付けると、それを足場にして、屋根の部分に登ろうとする。


「逃げようとしているぞ!」

 武官の一人が叫んだ時にはもう、鬼久頭代が動いていた。

 あっという間に追いついた鬼久頭代が、刀を振るう。

「ぎゃあっ!」

 男の足首に赤い線が走り、血が吹き出した。


 だが足に負傷しながらも、男は前に身体を回転させて、向こう側に転がり落ちる。


「逃げた!」

「追いかけろ!」

 武官達の何人かは、男を追いかけるために走っていった。

 やがて、敵はすべて斬られたのか、あたりは静かになる。


(・・・・すごい・・・・)

 鬼久頭代と、侵入者の力の差は、圧倒的だった。

 鬼の動きを、人間の目でとらえることは難しい。私には、鬼久頭代の剣の動きはすべて、花火のような、数秒の光の乱舞にしか見えなかった。


「大丈夫? 逸禾」

「凛帆様!」

 凛帆様が駆け寄ってきてくれた。

「凛帆様こそ、怪我はないですか?」


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