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36_またとんでもないことになってしまった_後半
しおりを挟む「私は大丈夫よ。それより――――」
「早く、閻魔の花嫁を、安全な場所にお連れするんだ!」
どっと押し寄せてきた武官の波が、凛帆様を取り囲む。
「閻魔の花嫁、こちらへ!」
「待って、この子も安全な場所へ・・・・!」
武官達はなかば無理やり凛帆様を立たせて、連れて行こうとしている。
凛帆様が私の腕をつかんだままだったので、私も引っ張られる形で、立ち上がることになった。
「逸禾、一緒に行きましょう!」
凛帆様と一緒に門を出ようとして、向こうから近づいてくる武官の中に、知っている顔が混じっていることに気づいた。
――――諒影だ。心臓が跳びはね、呼吸も止まる。
「り、凛帆様は先に行ってください!」
「あっ・・・・!」
凛帆様の手を振り払い、私は身を翻す。
(ど、どこかに隠れないと! )
だけど、閻魔の道には大勢の武官がひしめいていて、身を隠せる場所がなかった。
何も思いつかない。――――焦りながら視線を動かした時に、目に入ったのが、鬼久頭代の背中だった。
私はとっさに、鬼久頭代の背中に、体当たりするような勢いで張り付いていた。
「・・・・!」
一瞬だけ、鬼久頭代の背中が強ばる。
しばらく反応がなかったのは、私の予想外の行動に、さすがの鬼久頭代も、思考力が追いつかなかったからなのだろう。
「・・・・何をしている?」
しばらくして、そう問われた。当然ながら、不審者を見るような眼差しを注がれている。
「すみません。本当に申し訳ありませんが、少しだけ、隠れさせてください」
「・・・・・・・・」
恥ずかしいし、とても失礼なことをしているという自覚はあるけれど、諒影に見つかりそうな今、なりふり構っていられない。
鬼久頭代の肩越しに、そっと諒影のほうを窺う。
鬼久頭代と諒影が仲が悪いという噂は、本当だった。組織間の対立を避けるためなのか、両者とも意図的に目が合わないようにしていたから、私は見つからずにすんだ。
「刑門部卿! 襲撃者の一人が逃走しました!」
「追いかけるぞ。全員、ついてこい」
諒影は武官の報告を聞いて、閻魔の道に入る前に身を翻し、去っていった。私は胸を撫で下ろす。
「燿茜!」
正面から、誰かが走ってきた。
「翔肇」
その名前を聞いて、近づいてきているのが、鬼峻隊一番隊隊長、久宮翔肇隊長だと知る。
「御政堂の中をくまなく探させたけど、不審人物はいなかった。御主と長老は本殿に戻って、今、対応策を――――」
鬼久頭代の肩越しに、久宮隊長と目が合ってしまった。
久宮隊長は目を丸くして、固まる。
空風と一緒に、微妙な空気が、私達の間を流れていく。
「・・・・ねえ、それどうしたの?」
しばらくして、久宮隊長は私にではなく、鬼久頭代に問いかけた。
「・・・・俺の目の錯覚じゃなければ、背中に誰かが張り付いてるみたいだけど。その子、守護霊かなにかかな? 耀茜、気づいてる?」
「ああ、張りつかれて、困ってる。取ってくれ」
「虫がついてるみたいに言わないでください・・・・」
もう隠れる理由はない。私は鬼久頭代から離れた。
「・・・・鬼久頭代、申し訳ありませんでした。久宮隊長も、お見苦しいところを見せて、すみません」
「ううん、俺は面白かったからいいよ」
久宮隊長は、笑っている。
「なんで燿茜の背中に張り付いてたの? 趣味?」
「違います!」
「武官に見つかるのが面倒で、隠れていたらしい。隠れ蓑に使われたのは、はじめてだ」
「・・・・・・・・」
何も言えない。その時の私にできたのは、肩を縮めて、できるだけ小さくなることだけだった。
「でも、珍しいな」
「何がだ?」
「隠れ蓑にされていることを知っていて、大人しく彼女のことを隠してあげてたんでしょ? 燿茜にしては、珍しい」
「・・・・・・・・」
鬼久頭代は憮然とした顔で、黙り込んでしまう。
「また誰かに張り付きたくなったら、今度は俺の背中を使ってくれていいよ。ほら、どうぞ」
「いつも誰かに張り付いてるわけじゃありません!」
まるで私が、男の背中に張り付くのが好きな痴女だと思っているような言葉に、思わず抗議してしまった。
久宮隊長はくつくつと笑う。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったね。俺は久宮翔肇。これでも一応、鬼峻隊の、一番隊隊長なんだ。君の名前、教えてくれる?」
「御嶌逸禾です」
「ああ、君が、勇啓様の恩人を見つけ出した子だったんだね」
「御嶌。お前は何が起きたのか、一部始終を見ていたんだな?」
「はい」
「なら、俺達と一緒に来てよ。事情が聞きたいんだ」
「わかりました」
私は鬼久頭代と久宮隊長と一緒に、閻魔の門をくぐる。
「頭首!」
鬼峻隊の隊士達が、慌ただしく近づいてきた。
「息があった侵入者の手当てはすんだか?」
「いえ、それが・・・・」
隊士は言いにくそうに、口ごもってしまう。
「座敷に運ぶ前に、全員死んでいました。どうやら奥歯に毒を仕込んでいたようで、それで自害したようです」
「・・・・・・・・」
鬼久頭代は険しい顔で、黙り込んでしまった。
部外者の私が、この場にいることが場違いに思えて、私はいったん、二人から離れることにした。そのまま進み続けて、角を曲がる。
だけどそこでまた、こちらに近づいてくる諒影に気づいた。しかも今度は、諒影は真っ直ぐ、こちらを見ている。
――――目が合ってしまう。
諒影の目が見開かれていく。
まずい、と思った瞬間には、反射的に身体が動いていた。私は身を翻して、角を曲がる。
「どうした、御嶌」
血相を変えて戻ってきた私を見て、鬼久頭代と久宮隊長は不思議そうな顔をする。
その場所にも、身を隠せそうな遮蔽物がない。
隠れられそうなのは――――二人の背中だけだ。
そしてまた私は、鬼久頭代の背中に張り付く。私の謎の行動に、隊士達は呆気にとられたのか、大口を開けたまま黙り込んでしまった。
「・・・・またか」
鬼久頭代の口から、溜息が零れる。
「す、すみません!」
「どうして人の背中に張り付きたがる?」
「張りつきたがっているわけじゃありません! お願いです、少しの間だけ、隠してください!」
「それじゃ、隠れたことにならない」
鬼久頭代は私の腕をつかんで、壁際に連れて行くと、隊士達に目配せする。隊士達が私を取り囲んで、お喋りをするふりをしてくれた。
「鬼久頭代!」
隊士達の姿で視界を塞がれた瞬間に、諒影の声が聞こえた。
「今、ここを桜女中が通らなかったか?」
「いや、俺は見てない」
「俺は見てたよ。あっちに走っていった」
久宮隊長はきっと、御政堂のほうを指差したのだろう。諒影の足音は、御政堂のほうへ消えていった。
「・・・・もういいぞ」
諒影の姿が消えたことを確認してから、鬼久頭代はそう言った。隊士達がさっと散らばって、私の視界は開かれる。
「・・・・か、感謝します、鬼久頭代」
鬼久頭代は頷いた。真顔の鬼久頭代の横で、久宮隊長は面白そうに笑っている。
二度も醜態を晒してしまった。この人にはもう、頭が上がらない。
「頭首、この変な女は何なんですか? 不審者なら、俺達が屯所に連れて行きますよ」
「え!?」
「大丈夫だ。時々おかしな挙動をするだけの、害のない不審者だ」
「・・・・・・・・」
「ぷくく・・・・くく・・・・」
久宮隊長は、私の手前、笑ってはいけないと思っているのか、手で顔を隠して、必死に笑いをこらえている。
だけど、まるで笑いを隠せていない。
「お前達は持ち場に戻れ」
「はい」
隊士達は去っていった。
その足音が消えても、久宮隊長はまだ笑い続けている。
「翔肇、笑いすぎだぞ」
「ごめん、でも、燿茜とこの子の掛け合いが、面白くてさ」
「・・・・鬼久頭代。不審者扱いはひどすぎます」
「だが実際、さっきから、職務質問したくなるような動きばかりしている」
「と、時々不審な行動をするからと言って、不審者だとは限りません!」
「くく・・・・駄目だ、腹がよじれる・・・・」
「また翔肇のツボにはまったみたいだぞ」
「・・・・・・・・」
動揺したまま口走っているから、言い訳が言い訳になっていない。久宮隊長に笑われるだけだと悟り、私はいったん黙ることにした。
「でも、俺も背中を貸すって言ったのに、迷いなく燿茜のほうを選ぶんだね。ちょっと傷ついたなあ」
「そ、それは・・・・!」
私もどうして、とっさに鬼久頭代のほうに行ってしまったのか、自分でもよくわからない。
「・・・・鬼久頭代は、敵を前にすると凄まじい動きを見せますが、基本的に動きが少ない方なので、隠れやすいと思ったんです」
考えた末に出てきたのが、そんな頓珍漢な言い訳だった。自分で言って、後悔する。
「・・・・今まで、傲岸不遜、鉄面皮、謙虚という言葉を知らないという評価なら何度もされてきたが、背中に張り付きやすいといった評価をもらったのは、これがはじめてだ」
「・・・・鬼久頭代。私の聞き間違いでなければ、頭代はろくな評価をされていないように聞こえたんですが・・・・」
「燿茜がまわりのことはお構いなしに、我が道を突き進む鬼なんだってことは、五分話せば、なんとなくわかるよね? その印象、間違ってないから。この性格のせいで、役人達に嫌われまくってる」
自分が正しいと思えば、その道を突き進む。確かに、鬼久頭代はそういった鬼のようだった。
「でもなんだかんだいって、燿茜はこの子に優しいなあ。二度もちゃんと匿ってあげるんだから」
久宮隊長はにやにやと笑い、鬼久頭代は憮然とする。
だけどすぐに、鬼久頭代は久宮隊長から視線を外して、私を見た。
「・・・・それにしても、奇妙だな」
「な、何がですか?」
「お前は刑門部を恐れているのかと思っていたが、武官から逃げようとはしなかった。・・・・諒影だけから、隠れようとしている」
指摘されて、私は肩が強ばってしまった。
「あれ、よく考えたら、そうだな。それに、諒影のほうも、君のことを知ってたみたいだし」
「・・・・・・・・」
言い訳、言い訳を――――私は、必死に頭を回転させる。
「その・・・・昔、ひと悶着ありまして・・・・」
回転させたものの――――ろくな言い訳が思いつかなかった。
「で、でも、私が、罪を犯したとか、そう言ったことではなく・・・・その・・・・」
「・・・・説得力がまったくないな」
「ほ、本当です!」
「おいおい、桜女中として働いてる子が、不審者なわけないだろ」
この流れだと、前科者なのでは、と疑われても仕方がないけれど、桜下女として働けているという点が、最後の守りになってくれたようだ。
そもそも女中として働くには、身元審査か、御政堂で働いている人間の口利きが必要になる。その点が、不審者扱いに歯止めをかけてくれたようだ。
「とにかく、来い」
「は、はい」
この騒ぎで、桜の廓の中を、刑門部の武官達が走りまわっている。
当然、諒影に出くわす可能性も高くなるから、今は御政堂を出たほうがいいはずだ。
だけど御政堂を出るまでは、諒影と出くわす可能性は残っている。
それに怯えて、落ち着きなくあたりを見回しながら歩いていたせいで、足元が疎かになり、何度も転びそうになってしまった。
見かねたのか、鬼久頭代が上着を脱いで、私の頭に被せてくれる。
「・・・・!」
肩を引き寄せられて、私は鬼久頭代に寄りかかるような格好になってしまった。
「な、何を・・・・」
「具合が悪いふりをして、俺に寄りかかれ。そうすれば、上着で顔を隠していても、不審がられない」
「・・・・はい、ありがとうございます」
「鬼久頭代、その女中はどうしたんですか?」
ちょうど通りかかった武官が、私のことを不審に思い、質問してきた。私は慌てて、上着で顔を隠す。
「さっきの襲撃で負傷し、一人では立てないようだ。奥医師や医官は手一杯のようだから、町医者に見せに行く」
「そうですか。しかしそのようなことは、我々に言っていただければ・・・・」
「いや、ちょうど俺達も御政堂を出るところでさ。これぐらい、何でもないよ」
「そうですか。では、お願いします」
武官が道を譲ってくれたから、私達はまた、歩き出した。
身体が密着していることに、手足が固まるほど緊張して、真っ直ぐ歩けない。でもその動きが怪我人のように見えたようで、御政堂を出るまで、誰かに呼び止められることはなかった。
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