鬼の花嫁

炭田おと

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73_脅しには屈しません

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 ――――日が暮れて、帳簿が見えにくくなったので、私は文机の脇に置かれていた行灯あんどんに火を灯す。

「ふう・・・・」

 それからも書き物を続けて、数刻、ようやく任された仕事を終えて、私は一息ついた。

 帳簿を抱えて庭に出ると、群青色の夜空に、冴え冴えとした月が浮かんでいた。疲れていたせいか、自分がしようとしたことを忘れて、私はじっと、空に開いた穴のような、その月を見つめてしまう。


「あ、逸禾ちゃん」

 部屋から出てきた久宮隊長に、声をかけられた。

 久宮隊長の隣には、鬼久頭代もいる。


「あ、あの、これ、終わりました」

 書き終えた捕物帳を、久宮隊長に差し出した。

「本当? ありがとう!」

 帳簿を受けとった久宮隊長は、その場でさっと目を通してくれる。

「間違いはありませんか?」

「ないよ。逸禾ちゃん、字が綺麗だね」

 よかった、と胸を撫で下ろす。

「こんな遅くまで手伝ってくれて、ありがとう。本当に助かったよ。あ、送るから、ちょっと待ってて」

「いえ、大丈夫ですよ。一人で帰れますから――――」


「頭首!」

 話の途中で、一人の隊士が近づいてきた。


「どうした?」

「鬼久家の関係者を名乗る男が、押しかけてきてます。どうしますか?」

 鬼久頭代の眉が曇る。答えないまま、彼は沓脱石に置かれていた下駄を爪先に引っかけると、門のほうに向かっていった。

 気になったので、私も後を追いかける。久宮隊長も、庭に降りてきた。


「だから私は、燿茜の叔父だと言っているだろう!」


 門に近づくと、いつもは門柱の前に立っている門衛が、道を塞ぐように大きく広がっているのが見えた。彼らの肩越しに、怒鳴る誰かの姿が目に入る。


「だから頭首が来るまで、ここで待っていてくださいって――――あ、頭首!」

 鬼久頭代に気づいた門衛が、さっと脇に飛び退いた。

 鬼久頭代は腕を組んだまま、怒鳴っていた男性を見据える。

「・・・・仕事場に押しかけられたら困ります、叔父上」

(鬼久頭代の叔父様? )

 思わず、彼の顔をまじまじと見てしまった。血縁関係があるようだけれど、顔はあまり似ていない。

「仕方がないだろう。こうでもしないと、お前は話し合いに応じようとしないのだからな」

 鬼久頭代の叔父様の後ろには、もう一人男が立っていた。

「その者は?」

「お前には紹介してなかったか。私の部下の、諫音かんおんだ」

 叔父様の後ろにいた、目付きが鋭い鬼が、軽く頭を下げる。

「こいつのことはどうでもいい! それよりも、この扱いはどうしたことだ! 敷地に入ることすら許さないとは! 隊士の教育はどうなっている!?」

「彼らは悪くありません。不審者は一人も通すなという俺の命令に、従っただけです」

 鬼久頭代は型通りに答えただけだと思うけれど、聞きようによってはとても失礼な内容だ。叔父様は自分が不審者扱いされたと思ったのか、ますます眉尻を吊り上げる。

「・・・・お前はどこまでも、私を侮辱しなければ気が済まないようだな」

「そんなつもりはありませんよ。そう感じさせるような態度をこちらが取っていたのなら、謝ります」

「何を白々しい・・・・!」

「頭代に就任してから多忙だったので、自由な時間を取れませんでした。・・・・それで、お話とは?」

「決まっているだろう! 私はお前が頭代になるなど、認めてないぞ!」

 勢いで追いかけて来てしまったけれど、この話は部外者の私が聞いていいものなのかと、不安になってしまった。久宮隊長に目で問いかけるけれど、隊長は肩を竦めて苦笑するだけだ。

(もしかしてこの人が、鬼久頭代の命を狙っている人なの? )

 ――――燿茜が鬼久家の頭代を務めていることは、もうあなたも知っていると思うが、それに異を唱えている鬼がいる。だからあなたに、彼の護衛を頼みたい。

 浪健長老から聞いた内容から推察するに、鬼久頭代の命を狙っているのは、この方なのだろうか。

「その話はもう終わったことです。話し合いをする必要性を感じません」

「ふざけたことを! 一方的に決めてしまうとは!」


「・・・・一方的?」


 感情がまったく浮かんでいなかった鬼久頭代の顔が、冷笑に歪む。自然に微笑むことがほとんどない人なのに、なぜ煽りや威圧の笑顔はこんなにも上手なのかと、私は不思議に思った。


「何がおかしい!」

「いえ・・・・ここまで鈍いのも、ある意味、才能だと思っただけです」

「鈍いだと?」

「なぜ誰も、あなたを頭代に推薦しなかったのだとお考えですか? そしてなぜ誰も、俺の頭代就任に反対しなかったのだと思います?」

「・・・・・・・・」

「あなたには相応しくないからだと、はっきり言わなければわからないようですね」

 鬼久頭代の叔父様の顔は、暗闇でもはっきりとわかるほど、怒りで紅潮していた。

「一族はあなたを、頭代になるのに相応しい人物、とは考えなかったということです。・・・・あなたと山高組の繋がりを考えれば、当然でしょう」

「・・・・っ!」

「――――お引き取りを。あなたと話すことは、これ以上ありません」

 はっきりと引導を渡され、叔父様の顔は赤から青へと色を変えていた。拳が震えるほどの怒りに打たれて、立ち尽くしている彼を見ても、鬼久頭代は顔色を変えず、見ているだけの私のほうがはらはらしてしまっていた。

 殺傷沙汰が起こってもおかしくないような緊迫感だ。心なしか、その場に居合わせた隊士達の顔も、強張っているように見える。

「・・・・っ!」

 だから鬼久頭代の叔父様が、何かを振り払うように身を翻した時は、心底安堵した。


「――――帰り道には気を付けることだな、燿茜」


 だけど鬼久頭代の叔父様は、無言で立ち去ることはしなかった。


「自分は強いと奢っているようだが、お前と言えども、隙を突かれればひとたまりもないだろう」


 殺意を隠そうともしない脅迫に、血の気が引く。鬼久頭代の叔父様の顔には、正気とは思えない笑顔が浮かんでいた。

 だけど、鬼久頭代は動じない。


「ご忠告、痛み入ります。――――ですが、気になさらないでください。脅しに屈するようでは、鬼峻隊の頭首など務まりませんから」


 脅しなど、屈しない。そのことを思い知り、叔父様は歯噛みしながら歩きだし、その背中は通りの向こうの闇に溶けていく。


 諫音さんが、その背中を追いかけていった。


「すげえですよ、頭首!」

 二人の姿が見えなくなってから、隊士が嬉しそうに声を発する。

「前々から思ってましたけど、頭首って、無駄に口喧嘩強くないですか?」

「無駄って言うなよ。一応ここの代表なんだから、必要な力だぞ。・・・・でも、よかったのか? あんなに挑発しまくって」

「はっきり言わなければ通じない人だから、仕方ない」

 不安そうな久宮隊長にも、鬼久頭代は素っ気なく返した。

(・・・・本当に大丈夫なのかな? )

 山高組と言えば、血気盛んな鬼達がいることで有名な組織だ。そんな組織を敵に回して、鬼久頭代は大丈夫なのだろうか。

「そんなことよりも、夜も更けた。御嶌、帰るぞ。送っていく」

「いえ、私は一人で・・・・」

「行くぞ」

 鬼久頭代は私の答えを聞かずに、門の外に出てしまった。

 仕方なく、私は頭代を追いかけた。

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