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75_はじめての外泊で、緊張します
しおりを挟むその屋敷は、全体像が見渡せないほどの巨大な敷地の中に、建っていた。
正面の門から中に入る。
鬼久家の庭は、御政堂の庭とは一味違っていた。塀沿いに植えられた松の木や、庭の棚に並べられた盆栽など、色彩は鮮やかではないけれど、樹齢が長いのだろうと思われる独創的な形の木々が多くあった。
鬼久頭代が、簡単に家に誘ってくれたことを、不思議に思っていた。
だけど屋敷の大きさを見て、納得する。
この広さなら、客間は余るほどあるだろう。家というよりは、旅館のような広さだ。鬼久の財力なら、きっと使用人も多くいるはずだから、一緒の家に泊まるという感覚自体が、薄いはずだ。
もう深夜なのに、玄関の引き戸から明かりが零れている。
私達が玄関に近づくと、玄関の戸が勝手に開いた。
「お帰りなさいませ、燿茜様」
外に出てきたのは、四十代ぐらいの女性だった。上質な着物を、皺ひとつなく着こなしている。
「遅くなった」
「いいえ、お勤めご苦労様でした」
女性は顔を上げ、怪訝そうに私を見る。
「事情があって、今、一緒に行動している。帰りが遅くなったから、連れてきた。客室を使わせてくれ」
「わかりました」
「御嶌、彼女は使用人頭の、笠伎だ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
私が頭を下げると、笠伎さんも頭を下げてくれる。落ち着いた声や、上品な仕草、すべてが洗練された人だった。
「燿茜様、コートを」
鬼久頭代がコートを脱ぎ、笠伎さんがそれを受けとる。コートの汚れを見た笠伎さんは、眉を顰めた。
「・・・・どうして、お召し物が汚れているんですか?」
私は気づかなかったけれど、コートの一部に、返り血がこびりついていたらしい。
私は焦ったけれど、鬼久頭代は眉一つ動かさなかった。
「帰り道に、鬼に襲撃された」
「まあ!」
笠伎さんは青ざめ、口元を押さえた。
「心配するな。よくあることだ」
「いえいえ、よくはないですよ!」
日常茶飯事だと思っているような言葉に、思わず口を挟んでしまった。
「多分、叔父が仕掛けてきたんだろう。近頃の荒れた様子から、近いうちに仕掛けてくるだろうとは思ったが、意外に早かった。今後も、なにか動きがあるはず」
「では・・・・」
「俺は大丈夫だ。それよりも――――」
「連子様のことですね?」
「外出の際は、必ず護衛をつけてくれ」
「かしこまりました」
笠伎さんはコートを持って、廊下に消えた。
(落ち着いてる)
笠伎さんは、最初は驚きを見せたものの、その後の対応は冷静そのものだった。鬼久頭代が襲撃に慣れているのは、職業柄わかるとして、笠伎さんまで落ち着いていることに、不思議に思う。
(鬼久家の人達って、不思議・・・・)
怖くないのだろうか。山高組の鬼が、この屋敷に押しかけてくることもあり得るのに。
「お待たせしました」
しばらくして、笠伎さんは戻ってきた。
「それでは御嶌様、お部屋に案内しますので、こちらにどうぞ」
笠伎さんに案内されて、私は廊下を歩く。
見た目通り、中はとても広く、広すぎるために空気は冷えている。古い建物なのか、床板に体重をかけると、わずかに音が鳴った。
外観は和風の建物だったけれど、内装は洋風だった。廊下を照らすのは釣り電球だし、角には壁時計が飾られている。ある部屋には、外国から仕入れたと思われる絨毯、洋卓などが置かれていた。
(・・・・事情を聞かれたら、どうしよう?)
鬼久頭代は私のことを、詳しく話さなかった。笠伎さんから見れば、不思議な状況だろうし、身分などを聞かれたときに、どう説明すればいいのだろうかと、迷ってしまう。
「襲撃に巻き込まれて、さぞや驚いたことでしょう?」
「い、いえ・・・・」
「狙われていることがわかっているのなら、、燿茜様も、もっと早く帰るように心がけてくれれば私も安心なんですけど、あの通り、仕事熱心な方ですからね」
心配は無用だった。笠伎さんは詳しいことは何一つ、聞こうとしない。おそらく、客人に深入りしないという教育を受けているのだろう。
「あら、笠伎さん。そのお方は誰かしら?」
客間に向かっている途中で、四十代ぐらいの綺麗な女性とすれ違った。
「燿茜様のお客様です」
「燿茜さんの?」
なぜかその女性の目が輝く。
「あらあら、まあまあ」
「あ、あの・・・・」
「あら、ごめんなさい。じろじろ見て、失礼だったわね。燿茜さんが女性を家に連れてくるなんて、本当に珍しいことだから、つい・・・・」
その女性は、にこにこしながら私を見ている。
「はじめまして、私は燿茜さんの義母の、連子というの。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「義母と言っても、燿茜さんのほうが年上なんだけど。まあ、鬼の家系ではよくあることよね」
「連子様、お客様はお疲れのようですから・・・・」
笠伎さんが間に入ってくれた。
「あ、ごめんなさい! 私ったら、また失礼なことをしてしまったわね」
奥様は一歩後ろに下がる。
「それじゃ、ゆっくり休んでくださいね。笠伎、しっかりもてなすのよ」
「もちろんです」
「・・・・・・・・」
私が今日、ここに来たのは、襲撃に巻き込まれるという偶発的な出来事があったからだ。だから゛大切な客人゛扱いされることに、委縮してしまう。
「この部屋をお使いください」
通された客間には、すでに布団が用意されていた。
「料理とお風呂、どちらを先にすませますか?」
「え、えっと・・・・それではお風呂を・・・・」
「では、ついてきてください。お風呂場まで、案内します。もう準備はできていますから」
お風呂場も、まるで公衆浴場のように広かった。
身体を洗って、脱衣所に出ると、浴衣が用意されていた。それを着て、部屋に戻る。
しばらくして、笠伎さんが料理を運んできてくれた。
魚の煮つけに、味噌汁とご飯。作りたてなのか、まだ温かく、湯気が立ち上っている。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
笠伎さんは、部屋を出ていった。
(・・・・至れり尽くせりで、なんだか申し訳ない・・・・)
なんだか、肩身が狭い。こんなに至れり尽くせりでいいのだろうかと、申し訳ない気持ちになってしまう。
一応私も、立場を考えれば、お姫様と言えるのだろう。だけど今は、姫という実感がない。
千代はとてもよくしてくれるけれど、千代一人の力では、どうにもならないことが多くある。木蔦の宮に届く日用品は、基本的に質が悪いものばかりだから、私はいつまでも古着を着ているし、冷めた料理しか口にできない。
(お姫様になったような気分・・・・)
本当はお姫様なのに、御政堂という城の中にいるよりも、客人として扱われたときのほうが、お姫様気分を味わえるという現実に、なんだか哀しい気持ちになった。
温かいご飯を口に入れると、ほんのりと身体の中が温かくなる。
「失礼します」
食事が終わったところで、笠伎さんが入ってきた。食膳を提げに来てくれたようだ。
「食後の甘味はどうでしょうか?」
「は、はい」
お腹はもう満杯だったけれど、せっかく甘いお菓子まで用意してもらっているのに、断るのは申し訳なかった。それに、料理がとても美味しかったから、甘いものも食べてみたい気持ちがある。
「すぐにお持ちします」
笠伎さんは出ていって、しばらくしてみたらし団子を持ってきてくれたのは、なぜか奥様だった。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
みたらし団子は、期待を裏切らない美味しさだった。幸せな気持ちになりながら、お団子を頬張っていると、横顔に視線を感じる。
奥様がにこにこしながら、私を見ていた。
「・・・・あなたはもう、ご結婚はされているのかしら?」
「えっ!? ごほ、ごほっ!」
「あら、大丈夫!?」
突然の質問に驚いて、団子の欠片が喉に詰まってしまった。慌てて胸を叩く私の前で、奥様は慌てふためいている。
「し、失礼しました・・・・」
なんとか団子の欠片を飲み下した。
「いえ、ごめんなさいね。質問が突然すぎたわ。ちょっと急ぎ過ぎたわね」
「ど、どうしてそんな質問を?」
「いえ、燿茜さんが女性を連れてくるなんて、本当に珍しいことだから」
(・・・・もしかして、誤解されてる?)
こんな夜中に女性を連れてくれば、そんな誤解もされてしまうのかもしれない。
「鬼久家の跡取りとして、早く身を固めてもらいたいと前々から言っているんだけど、燿茜さん、まるで聞く耳を持ってくれないのよね」
――――一瞬で、これは私が触れてはいけない問題なのだと認識する。
(・・・・鬼久頭代ほどの人が、結婚していないことを不思議に思ってたけど、やっぱり問題視されているのね)
当然の話なのかもしれない。彼は御三家の一角である鬼久家の跡取りで、将来を嘱望されているのだから、早く結婚して、跡取りを生むことを何よりも望まれているはず。
「あ、あの・・・・私は鬼久頭代と一緒に仕事をしているだけで、それ以上の関係はありません」
「・・・・ああ、そうなのよね。わかっていたわ」
奥様は見るからに落胆していて、なぜか私のほうが申し訳ない気持ちになってしまった。
「・・・・あ、それに私はもう、婚約が決まっているんです」
もちろん、嘘だ。でも誤解が広まったら申し訳ないので、嘘をついたほうがいいと判断した。
「そうなの・・・・残念だわ・・・・」
奥様はさらに、両肩を萎ませてしまった。
「心配せずとも、鬼久頭代なら、いつでも好きな時に結婚できると思います」
「もちろん、そうよ。だけど、本人に結婚の意志がないのよね。燿茜さんに縁談を進めても、今は仕事を最優先するの一点張りで、会ってすらくれないのよね・・・・」
「は、はあ・・・・」
これは、私にも耳が痛い問題だ。穏葉様ももっと積極的になってくださいと、何度千代に言われたことか。
(鬼久頭代にも、私と共通点があったんだな・・・・)
私とは状況が違うけれど、結婚、結婚とまわりから口うるさく迫られていたのは、鬼久頭代も同じだったようだ。別世界の人だと思っていたから、親近感が湧く。
「お見合い写真すら見てくれないのよ。でも、写真を見せても無駄かもしれないわね。燿茜さん、あまり他人の容姿に関心がないみたいだもの。相手の顔のこととか、後から聞いてもほとんど覚えてないのよね」
「は、はあ・・・・」
「困ったわー、なにか決定打がないかしら・・・・」
それからしばらくの間、私は奥様の愚痴に付き合っていた。
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