鬼の花嫁

炭田おと

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(・・・・眠れない・・・・)

 明かりを消して布団に入ったものの、いつまでも目が冴えていた。

 旅館以外の場所に外泊するなんて、生まれて初めての経験だ。御政堂の中で育ち、外泊どころか外出さえ許可してもらえない環境で、普通の人間が幼い頃に体験できることを、私は体験できなかった。

 何度も寝返りをうち、眠れないとようやく諦めて、私は窓を開けて縁側に出た。


 青い薄絹のような月明かりが、庭を満たしている。目の前にあるのは、いつも見てきた景色とは違う。ただそれだけで、新鮮な気持ちになれた。


 広い屋敷だけあって、縁側に面した部屋がいくつもあり、障子越しに行灯の光が見えた。誰かがいるようだ。

 縁側に腰かけて、お茶を飲みながら、私はぼんやりと庭を眺め続ける。

 隣の部屋の襖が開く。


「眠れないのか?」


 縁側に出てきたのは、鬼久頭代だった。


「薄着で長く外にいると、風邪をひくぞ」

「大丈夫ですよ。もう夏ですから。頭代はこんな夜遅くまで、仕事ですか?」

 鬼久頭代が頷く。終わらなかった仕事を、家に持ち帰ったのだろうか。

「鑑賞に値するような庭じゃないぞ」

「そんなことないですよ。綺麗な庭です。それに、誰かの家に泊まるのははじめてですから、楽しいです」

 鬼久頭代はなぜか、私の隣に腰かける。

「お前は――――」

 話題を捜していると、鬼久頭代のほうが先に口を開いた。


「――――閻魔を見たことがあるか?」


「え・・・・」


 面食らって、鬼久頭代の顔をじっと見つめてしまう。


「どうだ?」

「あ、ありません。・・・・閻魔堂には、御主様と閻魔の花嫁しか入れないので、桜女中でもお姿を見ることなんて、できませんよ」

 鬼久頭代は目を伏せる。

「・・・・愚問だったな。聞くまでもなかった」

「・・・・・・・・」

 閻魔様がお眠りになられている閻魔堂に入れるのは、御主様と閻魔の花嫁だけ。この国では、子供でも知っている事実だ。――――なのにどうして、鬼久頭代は、今さらそんな質問をしたのだろうか。

「閻魔について、どれぐらい知っている?」

「閻魔様ですか? 実在する人ですけど、私達にとっては御伽話のような存在なので・・・・国を滅亡から救ったことと、鬼の始祖であることぐらいしか・・・・あ、後は、不老不死という伝承も残ってますね。山を砕いた、なんて逸話もありますけど、これは多分、作り話でしょうし」

 閻魔は不老不死で、山すら砕いたという伝承が残っている。

 もちろん、山を砕いたという点については、力の強さを誇張しているという見方が多いけれど、不老不死だという伝承は、子孫である鬼達が長寿であることもあって、受け入れられていた。

 そこで、ある疑問が浮かび上がる。


「・・・・そういえば、どうして閻魔様はお目覚めにならないんでしょうか」


「何?」

「いえ・・・・閻魔様はお眠りになられた、と教わりましたが、どうして眠ったのか、その理由については、どの文献にも書かれていないので、いつも不思議に思っていたんです」

 どの文献にも、閻魔様は統一鬼国建国後、永い眠りにつかれた、としか書かれていない。なぜ眠ったのか、いつ目覚めるのか、それに関する考察はおろか、問題に触れている文章すら、ただの一行もなかった。

「よく考えれば、不思議ですよね。鬼がいて、閻魔様が眠っているということが、生まれた頃からの常識だったから」

「・・・・そうだな。幼い頃からそれが常識だと刷り込まれれば、疑問すら抱かないのかもしれない」

 鬼久頭代は目を上げて、私を見る。

「――――閻魔堂の中に、本当に閻魔がいると思うか?」

「え?」

 また、虚を突かれた。

「・・・・閻魔様がいないなんて、あり得ません。閻魔様が御政堂にいらっしゃるからこそ、張乾御主様が、正当な御主だと認められているんですから」

「だが実際に、俺は長く御政堂で働いているが、眠っている閻魔の姿を見た者を一人も知らない。礼門部省の役人に聞いたことがあるが、閻魔堂の中に入れば閻魔の姿を見られるかと言えば、そうでもないらしい」

「どういうことです?」

「閻魔は、石櫃の中で眠っているんだそうだ。儀式の最中でも、その石櫃の蓋が開かれることはないと聞いている」

 閻魔の花嫁なら、閻魔様のお姿を見ることができるのだと思い込んでいた。――――でも違うというのなら、もしかして。


「・・・・もしかして実際は、何百年もの間ずっと、誰も閻魔様のお姿を見ていないんでしょうか?」


 思わず問いかけると、鬼久頭代の表情はもっと険しくなる。

「・・・・御主なら閻魔堂に入ることができるが、歴代の御主が実際に閻魔堂に入っているところを見た者はほとんどいない。聖域であるがゆえに、理由もなしに近づいてはならないという空気ができあがっている。・・・・閻魔の伝承には、不可解な点も多いしな」

「でも、伝承というものは、そういう曖昧なものではないでしょうか」

 歴史上の人物が、後世神格化されることがあるという話を、諒影から聞いたことがある。特に支配階級の人間ほどその傾向が強いのは、子孫が権力を持っていることを正当化するための側面もあるのだそうだ。

「確かに。だが、閻魔の子孫の鬼が、今こうしてこの国にいるんだ。閻魔の伝承の大半が、後世の人間の作り話だったのだとしても、鬼の始祖の閻魔は、存在していたはず」


「――――問題は、その閻魔様が本当に、閻魔堂の中にいるのかどうか、って部分ですよね」


 話をしている間に、今までは自然に受け入れていた様々なことが、本当は違うのではないかと思えてきた。


「閻魔堂の中に入ることができれば、閻魔様が本当にいらっしゃるのか、確かめることができます。なにか方法が――――」


 横顔に視線を感じ、ハッとする。鬼久頭代の目が、険しくなっていた。

「・・・・お前に話すべきではなかったな」

「どうしてですか?」

「好奇心は猫を殺すという。お前の好奇心は強すぎる」

「・・・・それは、鬼久頭代も同じなのでは・・・・」

 鬼久頭代はにやりと笑う。

「では、俺とお前は類友ということだな」

「・・・・・・・・」

 類友と呼ばれると、なんとなく不満だ。私は鬼久頭代ほど、無茶ではない――――と思う。


「この話は終わりだ。忘れてくれ」

 そう言われても、忘れられそうにない。この国の思想の、根幹に関わる問題だ。どうして今まで疑問に思わなかったのだろうと、不思議になるほどだった。

「・・・・謎と言えば」

「なんでしょう?」


「結局、お前の正体については、解明できないままだったな」


「・・・・・・・・」

 私も、鬼久頭代が私の正体を突きとめようとしていた件を、すっかり忘れてしまっていた。

「この際だから、白状しておけ」

「・・・・・・・・」

 私はすっと、頭代から目を逸らす。

 苦手な話題を振られたときは、相手が苦手とする話題を出すのが一番だと、愛弥に聞いたことがある。鬼久頭代が苦手な話題と言えば。


「そういえば、さっき、奥様とお話しました」


 鬼久頭代の肩が、わずかに揺れる。


「鬼久頭代がお見合いに乗り気ではないことを、嘆いていらっしゃいましたよ。それで、奥様からお見合いの写真を預かったのですが、どうでしょう、一緒に見ませんか?」

「・・・・そろそろ、寝る準備をすることにしよう」

 鬼久頭代は私から目を逸らし、立ち上がってしまった。

 堪えきれずに、吹き出してしまう。すると鬼久頭代に睨まれた。

「・・・・なんだ」

「いえ、鬼久頭代にも、可愛らしいところがあるんだなって」

「・・・・・・・・」

「・・・・でも、嫌ですよね。望んでいないのに、次々と縁談を持ってこられるなんて」


 生きているだけで、私達は、この国の色々な゛価値観゛に縛られている。

 いつまでに結婚しなければならないとか、家柄によって相手の家格が決まるというのも、その価値観から発生する縛りの一つだ。

 でも、抗っても仕方がない。生きていくためには、その価値観を受け入れなければ。――――私につけられた、゛傷物゛という評価すらも。

 無意識のうちに、首の傷跡を押さえていた。そのことに気づいて、手を膝の上に戻す。


「・・・・そういえば、聞いたことがなかった。お前は結婚しているのか?」

「・・・・いいえ、してません。世話役の人が次々と縁談を持ってきてくれるんですが、うまくいかないし、私自身もどうも乗り気になれなくて・・・・私なんかが相手じゃ、向こうに申し訳ないですし」

「・・・・理解できないな」

 鬼久頭代は溜息交じりに、呟く。

「え?」

「お前の自尊心の低さが、理解できない。鬼道にあれほど精通し、勇気もある。なのに、お前は自分に自信を持てていないように見える」

 思いがけないことを言われて、言葉が喉に詰まる。

 鬼久頭代が私について、そんな見方をしていたことが意外だった。

「・・・・・・・・」

 なんて言えばいいのかわからず、私は黙っていることしかできなかった。膝に置いた湯呑を、ぎゅっと抱き締める。

 鬼久頭代は部屋に入っていったけれど、なぜかすぐに戻ってきた。


「・・・・!」


 肩に、羽織がかかる。


 見上げると、鬼久頭代と目が合った。鬼久頭代が、持ってきた羽織を肩にかけてくれたのだ。


「身体を冷やさないようにしろ。夏とはいえ、早く部屋に戻ったほうがいい」

「は、はい。・・・・もう少ししてから、戻ります」

 鬼久頭代は頷いて、部屋に戻っていく。

「あの、鬼久頭代」

「なんだ」

「・・・・おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 鬼久頭代は、少し笑ったように見えた。

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