鬼の花嫁

炭田おと

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77_踏ん切り_諫音視点

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「くそ! 燿茜の奴め!」

 食膳が引っくり返され、食器や盃が割れ、汁物が畳に染み込んでいく。

 屯所で燿茜に言い負かされた日から、鬼久荊高けいこうはとにかく機嫌が悪かった。日中はまだ大人しいが、夜になって酒が入ると決まって暴れるから、手がつけられない。

 今もそうだ。――――料亭の仲居が、部屋の隅で縮こまっている。

「下がっていいぞ」

「は、はい」

 青い顔の仲居に話しかけると、彼女は助け舟とばかりにそそくさと客間を出ていった。

「飲みすぎですよ、荊高様」

「うるさい! 黙れ、諫音かんおん!」

 注意すると、割れていない食器を投げ付けられた。

 俺が割けると、食器は柱にあたり、破片が飛び散る。

「・・・・そんなに怒っても仕方ありません」

「あれだけ馬鹿にされたのに、黙って我慢しろというのか!」

 唾を飛ばして、荊高は怒鳴り散らす。肌を這う蚯蚓(みみず)のような、こめかみの青筋も、くっきりと見えた。


「・・・・いいえ、違いますよ。――――そんなに腹の虫がおさまらないのなら、そうそうに決着をつけたほうがいいのでは、と言いたかったんです」


 ぴたりと、荊高が銅像のように動かなくなり、表情も消え失せる。


「あなたは燿茜を殺すと、仰ってたじゃありませんか。・・・・あの言葉は、嘘だったんですか?」


「もちろん、殺すつもりだ。・・・・あの男は生かしておけない・・・・俺が頭代になったとしても、あの男が生きている限り、安心することはできないだろう」


「じゃ、なんで動かないんです? ――――あの男にたいして、脅しなど無意味だと、この前の件でわかったでしょう。殺すと決めているのなら、小細工などやめて、一気に仕留めるべきです」


 俺は真っ直ぐ、荊高の両眼を見据える。威勢がよかったのに、いざとなると臆病な面が出てきたのか、荊高の目は泳いでいた。

「・・・・だが、どうやって殺す? 奴は鬼道師の攻撃も、もろともしなかった」

「あれは運が悪かった。まさかあの日に限って、鬼道師が一緒にいるとは」

「あの女は何者なのだ!?」

「さあ・・・・それはまだ調査中で・・・・」

「くそ!」

 また腹立ちまぎれに、食器が投げられる。

 高価そうな皿なのに、皿を作った職人と後片付けをしなければならない仲居に同情した。

「あの鬼道師の女は、いつも鬼久燿茜と一緒に行動してるわけじゃありません。一人の時を狙えば――――あるいは、鬼道の形代が目立ちにくい場所を選べば、十分可能性があるでしょう」

「形代が目立たない場所?」


「無地の布に糸くずがついていたら、目立ちます。でも派手な柄の布ならば、糸くずに気づく者は少ないでしょう。――――たとえば、この場所」


 俺は立ち上がって、襖を開ける。


「襖絵の華美な色合いが、目を惑わせます。他にも、花瓶や屏風が置かれているから、小さな変化を見落としがちになる。・・・・しかもこの狭さだ。襲いかかられても、大立ち回りができない」


「――――料亭で襲え、ということか?」


 怖々と問いかけてきた荊高に、頷きを返す。

「・・・・夜道で鬼久燿茜を狙ったのは、逆効果でしたね。あの場所では街灯の光で、逆に形代が目立ってしまった。それに鬼久燿茜を一人で呼び出せば、あの鬼道師はついてこられないはず」

「・・・・・・・・」

 荊高の両眼が、すっと細められた。


「・・・・準備をしろ」


 ――――与えられた命令は、それだけだった。



 ――――――――――※――――――――――――――――――――※―――――――――



 ――――その日、鬼峻隊の屯所の敷地に生えている一本の木に、矢が射られた。矢尻は深く突き刺さり、矢幹やがらが幹に垂直に立つ。

「お?」

 物音に気づいた明獅が、庭に出ていく。

 そして戻ってきた時には、その手には一本の矢が握られていた。

「燿茜! 燿茜!」

 そして明獅は土足のまま、沓脱石を足場にして跳躍し、勢いよく座敷の中に飛び込んでくる。見とがめて、翔肇が眉を顰めた。

「明獅! 土足のまま中に入るなって、何度も言って・・・・!」

「あいつから連絡がきたぞ!」

 明獅は勢いよく、俺の前に矢を――――矢に括りつけられていた文を突き付けた。

 結び目を解いて、中身を読む。

「どうだ? どうだ?」

「・・・・どうやら、標的に動きがあったようだ」

「マジで?」

 翔肇が俺の手から文をひったくって、内容に目を通す。

「・・・・お前の叔父さん、今日、決着をつけるつもりなのか」

「そのようだ。――――今夜、叔父に、料亭に呼び出されているから、間違いないだろう。俺を頭代だと認めるから、仲直りがしたいということだった」

「・・・・わかりやすい嘘だなあ。それが通じるって、本気で思ってるのかね?」

「俺が誘いを断れば、別の手段に出るだけだろう。適当な理由をつけて断ろうと思っていたが――――こういうことなら、招待に応じることにしよう」

 うまく事が運べば、煩わしかった問題を一つ解決することができる。

「うっしゃ、やり合うんだな! 気合入れるぞ!」

 明獅が文机の上に飛び乗って、拳を高く突き上げた。

「思いっきり暴れてやるぞ!」

「翔肇と明獅には、別の仕事を頼む」

「はあ!?」

 俺の言葉を聞いて、明獅は目をむき、眉をつり上げた。

「俺も行くって!」

「駄目だ。隊士を引き連れていけば、叔父を警戒させる。叔父が警戒して、動かなくなったら厄介だ。・・・・この問題に片をつけるために、叔父にはぜひ、動いてもらわなくては」

 これからも、叔父の動きに煩わされるのは避けたい。ここで片をつけたいという思いがあった。

「それに、叔父と一緒に山高組も片付ける必要がある。翔肇達は、山高組のねぐらに行き、一人残らず連行しろ」

「それはもちろんだけど――――まさか、罠だとわかってるのに、一人で乗り込むつもりなのか?」

「ああ」

「いや、それは危険すぎるって! どんな罠が張られているのか、わからないんだぞ!」

 翔肇は勢いよく、文机に手を置く。

「こちらが危険を冒さなければ、向こうも動いてくれない。明獅、半数を連れて、山高組のねぐらへ行け。翔肇は、料亭から数軒離れた建物の中で待機だ。合図があるまで、絶対に動くな。わかったな、明獅」

「へーい・・・・」

 念を押すと、明獅は不満そうにしながらも返事をしたが、翔肇は不安を拭えないのか、答えはなかった。

「心配ない。――――たとえ俺が失敗したとしても、あいつが万事抜かりなく、事を進めてくれているだろう」

「・・・・そうだな」

 ようやく、翔肇も納得してくれた。

「それでは、行ってくる。明獅、山高組のほうは頼んだぞ」

「一人残らず捕まえればいいんだろ? 任せてよ!」

 俺は立ち上がり、襖を開けた。


 だが、扉を開いた瞬間、そこに思いもかけない人物の顔を見つけて、出鼻を挫かれてしまう。


「お出かけですか、鬼久頭代」


 ――――御嶌の顔を見て、俺は今まで、御嶌の存在を忘れていたことに気づく。


「・・・・存在を忘れないでください」

「なぜ考えてることがわかった?」

 御嶌は、恨めしそうな目付きになる。

「私は、あなたの護衛です。だから同行させてください」

「お前は、屯所に待機だ」

「それでは、護衛の役目を果たせません」

「ともに行動するからには、俺の指示に従うという約束だ」

 一瞬御嶌は怯んだものの、すぐに唇を引き結ぶ。

「・・・・今回は、護衛の役目を果たすほうを、優先します」

 御嶌は、引き下がりそうにない。

(・・・・仕方がない)

 俺は御嶌の横を擦り抜けて、廊下に出た。

 御嶌は宣言どおりに、俺の後をついてくる。


「・・・・どうするの、燿茜」

 翔肇が追いかけてきて、小声で話しかけてきた。

「途中で引き離す。お前は隊士を集めて、先に料亭に向かってくれ」

「わかった」


 俺と御嶌は屯所を出て、繁華街の方向へ進んだ。


 角を曲がるまでは、俺はいつもの歩調で歩いた。御嶌は命令に従わなかったことに気まずさを感じているのか、かなり距離を開けて、ついてくる。

 角を曲がってすぐ、横手に、高い塀に囲まれた広い敷地の屋敷が見えたので、塀を駆け上がり、庭に飛び下りた。

「・・・・あれ?」

 御嶌は俺の姿を見失い、立ち止まったのだろう、戸惑った声が聞こえる。

「鬼久頭代、どこですか!」

 背中に御嶌の声を聞きながら、俺は反対側の塀に向かって歩き出した。

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