鬼の花嫁

炭田おと

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83_ありふれた言葉で説得に成功しました

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 ――――真っ直ぐ歩こうとしても、足がふらついてしまう。


 鬼久家を飛びだした私は、ふらつきながらも御政堂を目指して、人混みの中を歩いていた。よほど不審な歩き方に見えたのか、ちらちらとこちらを見ている人もいる。

 一人になると傷の痛みを強く感じて、冷静に考えることができなかった。

(早く戻って、千代に傷の手当てをしてもらわないと・・・・)

 深い傷じゃない。けれど痛みがじわじわと、腕全体を痺れさせている。

(だけどなんとか、奥様を守ることはできた)

 私の力でも、誰かを守ることができた。その実感を、噛み締める。


 後ろから来た誰かが、私の前に回り込み、進路を塞いだ。


「鬼久頭代!」

 私の前に立っていたのは、鬼久頭代だった。

「手当てもせずに、どこに行くつもりだ? ・・・・しかも下駄も履かずに」

「あ・・・・」

 足元に視線を落として、汚れた足袋が目に入る。

 怪我をして、下駄も履かずに、ふらふらと歩いている女。――――注目されるはずだと、今さら恥ずかしくなった。

「あ、えっと・・・・深い傷じゃないので、治療は結構です」

「血の匂いに鬼が寄ってくるかもしれない。屋敷に戻るぞ」

「・・・・血の匂い、わかりますか?」

「鬼にとっては食料だ。話は俺の屋敷で聞く。大人しく戻らないつもりなら、無理やりでも運んでいくぞ」

 岩蝉を捕まえた後、抱えられて屯所まで連れて行かれた時のことを思い出す。

 あの時鬼久頭代は、傷に負担をかけないように、気を使ってくれたのだろう。だけどまわりの目も合って、とても恥ずかしかったことを覚えている。

「じ、自分の足で歩けます!」

「それならば、行くぞ」

 鬼久頭代は歩き出した。

(・・・・怒ってるかな?)

 隣を歩きながら、そっと、鬼久頭代の横顔を盗み見た。

 鬼久頭代は最初から一貫して、私の無謀な行動を危惧していた。私がまた無茶をしたことを知って、怒っている可能性が高い。

 目を合わせることが怖くて、私はずっと俯いていた。


「・・・・痛むのか?」

 声をかけられて、顔を上げる。

「いえ、本当に深い傷ではないんです」

「鬼相手に立ちまわり、一人の人間を守ったことは素直に感心するが、無茶が過ぎる。一歩間違えば、死んでいた」

 声から気遣いが感じられ、私は戸惑う。

「怪我したまま、走るのはよせ。・・・・そもそも、どうして逃げた?」

「・・・・怒られそうな気がしたので」

 私の答えに、鬼久頭代は面食らったような顔を見せた。

 それからふっと、口元を緩める。

「・・・・怒られそうだから、逃げたのか。子供のようだ」

「・・・・・・・・」

 ぐうの音も出ない。鬼久頭代から、笑いを堪えているような気配を感じて、穴があったら飛び込みたい気分だった。

 でも、鬼久頭代の声からは、怒りは伝わってこなかった。その点だけは安心する。


「ああ、よかった! 戻ってきた!」


 鬼久家の玄関をくぐると、奥のすだれをかき分けて、奥様が顔を出した。


「お騒がせして、申し訳ありません」

「突然飛び出していくから、びっくりしたわよ。一体、どうしたの?」

「そ、それは・・・・」

「すみませんが、まずは御嶌の手当てを優先したい。町医者を呼んでもらえますか?」

 説明できずに困っていると、鬼久頭代が間に入ってくれる。

「ああ、そうよね。町医者は、もう来てるわよ。すぐに呼んでくるから、ここで待ってて」

 奥様はすぐさま、居間から出ていった。

「邪魔するよ」

 しばらくして、町医者らしき初老の男性が入ってくる。

 私が手当てをしている間、鬼久頭代は待ってくれていた。

「深い傷じゃないから、数日で治るだろう。なるべく腕を動かさず、薬を塗るのを忘れないように」

「ありがとうございます」

「それでは、私はこれで」

 手当てが終わると、町医者は立ち上がり、居間を出ていった。

 入れ替わりに、鬼久頭代が入ってきて、私の前に胡坐をかく。目線が合い、私は緊張した。

「山高組と戦うことになった経緯を、話せ」

 私は、鬼久頭代を尾行した後に起こった出来事を、そのまま伝えた。

「・・・・連子さんを助けてくれたことには、感謝している」

 話を聞き終えて、鬼久頭代は吐息とともに、そう言った。

「だがなぜ、応援を待たなかった?」

「・・・・間に合わないと思いました」

「一人で助けようとすれば、命を賭ける必要があった。・・・・どうしてそこまでした?」

「それは・・・・」

「建前はいらない」

 ――――この人には、嘘は通用しない。そう覚悟して、私は深呼吸した。


「奥様を守りきれば、鬼久頭代に認めてもらえると――――そういった打算もあったことは、確かです」


「・・・・連子さんを助けてもらった以上、鬼久はお前に借りを作ったことになる。今後、頼みは断れないだろう。確かにお前は、目的を果たせる。・・・・だが、そのために命を賭けるとは・・・・」


 鬼久頭代の表情は険しい。


 私は、捜査に加わることを強制したいわけじゃない。あくまでも、力を示して、信頼を勝ち取りたかっただけだ。


 ――――だけど信頼を得ようとするのなら、私のこの行動は、逆効果だったのかもしれない。


 あの時、誘拐を防ぐには、そうするしかなかった。後悔はしていないけれど、今回のことで、捜査に加えてほしいという私の願いは、遠ざかってしまうかもしれない。


「・・・・だが、俺も間違っていたのかもしれない」

 ふと、そんな呟きが落ちてきた。


 驚いて、顔を上げる。鬼久頭代は腕を組み、考え込んでいた。

「今回のことは、こちらの落ち度だ。連子さんが断っても、護衛をつけるべきだったし、俺が一緒に行動していれば、お前が無茶をする必要はなかっただろう。・・・・すまなかった」

「あ、その・・・・私が勝手に行動をしただけなので、謝らないでください。・・・・だけど、あの」

「なんだ?」

「・・・・前々から、言おうと思っていたのですが」

 鬼久頭代の、顔色を窺う。目で先を促され、私は深呼吸した。


「こうは思っていただけないでしょうか? ――――人間が鬼に比べて弱いのではなく、役割が違うのだ、と」


「役割?」


「確かに鬼久頭代が言う通り、人間は鬼よりもずいぶん脆い存在です。ですが、鬼には鬼道が使えません。それに、鬼がいくら強くとも、一人でできることは限られています」


「・・・・・・・・」


「同じことをできる人達が集まるよりも、強さも、できることも、何もかも違う者同士が集まって協力したほうが、できることも広がると思うんです。私は弱く、鬼久頭代と一緒に行動すれば、頭代の手を煩わせるようなこともあるかもしれません。でも、鬼道を頭代の役に立てることもできると思うんです」


 鬼久頭代は、じっと耳を傾けてくれている。


「みんなで力を合わせよう、なんて、ありふれた言い回しに聞こえるかもしれませんが・・・・」

「・・・・確かに、ありふれた言い回しだな」

 鬼久頭代は、しばらく考えた後、そう言った。

 その答えに、私は気落ちする。


「ありふれていて、見落としがちになるが――――もっとも基本的なことだった」


「え?」

「・・・・視野が狭くなっていたのは、俺のほうだったらしい」

 鬼久頭代は立ち上がり、私に笑いかけてくれる。

「お前を、鐘達の捜索に加える」

「・・・・え?」

 しばらくの間、思考力が落ちていて、私はその言葉の意味を理解できずにいた。



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