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「・・・・まったく・・・・なんて奴らなの・・・・」


 しばらくは立ち上がる気力もなくて、へたりこんだまま、髪やドレスについた草や枯葉を払い落とした。


 少し気分が持ち直したので、膝を立てようとして、足首の痛みに気づく。



 ーーーーどうやら落馬した時に、足を挫いてしまったようだ。



「最悪・・・・」


 もう愚痴しか出てこない。


 ヴュートリッヒの騎士達は、アルムガルトの騎士を呼んでくると言っていたけれど、こんなことを仕出かした張本人達が、大人しく人を呼んでくるとは思えなかった。かといってこの足では、自力で入り口まで戻れそうにない。


「・・・・!」


 捨て鉢な気持ちでいると、頭上から蹄の音が降ってきた。


(本当に、あの人達がアルムガルトの騎士を呼んできたの?)


 それともーーーーヴュートリッヒの騎士達が戻ってきたのだろうか。


 評判が悪い悪女が相手とはいえ、一人の女性を多勢で追いかけまわすなんてことを平気で仕出かすほど、倫理観と常識が狂っている人達だ。私が身動きが取れないと知ったら、何をしてくるかわからなかった。


「・・・・・・・・」


 さすがに命に関わるなら、ホワイトレディの力を使わざるを得ない。私は緊張しながら、ホワイトレディの紋章が刻まれた手で、こぶしを握った。


 そして蹄の音が、間近に迫る。



 斜面の上に、馬に乗った誰かの姿が見えた。


 ヴュートリッヒの騎士かもしれないと身構えていたけれど、よく見るとその人物は鎧姿じゃなく、ラフな格好をしていた。狩りのために弓と矢筒を背負い、帯剣しているものの、それ以外は普段着のような簡素な服装だ。


 逆光で顔はよく見えなかったけれど、背が高いことはわかる。


 その人物は馬から飛び降りると、私を見下ろした。


「大丈夫か?」

「え・・・・」

「怪我はないかと聞いてるんだ」


 刺々しくも聞こえる、冷たい声音だったものの、一応、私のことを助けに来てくれたようだった。


「足を挫いて、動けません・・・・」


 そう答えると、その人物は斜面を降りてきた。




 助けの手を差し出してくれたのは、金髪の美青年だった。綺麗な顔立ちで、均整がとれた体格をしている。シュリアと同じで、古代の彫刻のような、どこか作り物めいた美しさがある人だった。



 ただ彼の外見には一点だけ、欠点があった。


(目つきが怖い・・・・)


 彼は、目つきが悪かった。顔立ちが整っている分だけ、目つきの悪さが際立ってしまう。


「手を貸せ」


 青年が差し出してくれた手をつかむと、彼は私を立たせてくれた。


「わっ・・・・!」


 彼は私を軽々と抱き上げると、斜面を上がり、自分の馬に乗せてくれる。


 馬の上で呆然としていると、その人物は私の後ろに乗った。


「狩猟地の入り口まで送ればいいか?」

「あ、はい。そこに家臣が待機していますので・・・・」


 エトヴィンとフロレンツ以外の騎士には、狩猟地の入り口で待機してもらっている。彼らと合流できれば、もうヴュートリッヒの騎士達もちょっかいをかけてはこないだろう。


「行くぞ」


 青年は手綱を握る。


 森の中の小道を進みはじめても、私達の間に会話はなかった。お互い、名前も知らない相手だ。しかも私の気分は地の底に落ちたように最悪で、話をする気分にはなれなかったし、青年も話しかけてこなかった。



(どこの家門の人だろう?)


 それでも少し気分が落ち着くと、青年の身分が気になりはじめた。



 簡素な服装は、近くで見ると上等な生地で作られていることがわかった。間違いなく、貴族の装いだ。貴族の令息なのか、それとも騎士なのか、その服装だけでは判別できなかった。


 盗み見ているうちに、青年のマントの留め具に、紋章が刻まれているのを見つけた。紋章は、狼らしき生き物がデザインされていた。


 だけど、私が知らない紋章だった。


(これだけ綺麗な人なら、噂ぐらい聞いてるはずだけど・・・・)


 貴族の中の有名人は、一通り顔を覚えるようにしているけれど、その人の顔には見覚えがなかった。


「それで、何があったんだ?」

「え?」

「どこかの家門の騎士数人に、追いかけられてただろ。遠目でちらっと見えただけだから、どこの騎士なのかわからなかったが」


 どうやら青年は、私がヴュートリッヒの騎士に追いかけられているのをたまたま目撃して、助けに来てくれたようだ。


「・・・・ヴュートリッヒの騎士に絡まれて、追いかけられました」


「ヴュートリッヒか・・・・連中も調子に乗ってやがるな」


 ヴュートリッヒと聞いて、青年の声が一瞬、低くなったように聞こえた。彼もヴュートリッヒが嫌いなのだろうか。


 こうなった経緯を話し終えると、言葉が尽きたように、私も青年も口を閉じる。知らない相手だから、次の話題が思いつかなくて、黙るしかなかった。



 狩猟地の入り口に戻るまで、気まずい時間が続く。



「そこにいらっしゃったのですね、殿下!」


 入り口に戻るなり、一人の騎士が鎧を鳴らしながら、私達に近づいてきた。


(殿下?)


 私が状況を理解できずにいる間に、その騎士は私達の横に来て、私の後ろにいる青年に厳しい目を向ける。


「護衛をともなわずに、お一人で行動するのはおやめくださいと、あれほどお願いしたじゃありませんか、ヨルグ殿下!」



「!?」



 思わず、首をよじって、後ろにいる人物の顔を見上げていた。



(この人がヨルグ殿下?)



 どこかの貴族の令息か、騎士だろうと思っていたのに、まさか皇子の一人だったなんて。



(というか皇子様ーーーー目つき悪っ!)



 そして最初に浮かんだ感想が、それだった。



 実物は、女性が皇子様という言葉に抱く爽やかなイメージとはまったく違っていた。ベルント殿下も皇子というよりは、偉ぶった貴族の代表格といった感じの顔立ちだけれど、ヨルグ殿下はベルント殿下とはまた違った系統の人相の悪さだった。


(それにしても、大きくなったわ・・・・)


 私が知っているのは、私よりも背が低い少年だった時のヨルグ殿下だけだ。



 あれから数年ーーーーたった数年で、ヨルグ殿下は見違えるほど背が伸びていた。まだ十代のはずなのに、屈強の騎士達にも劣らない体格をしている。



 ーーーーヨルグ殿下と言えば、粗暴な性格で有名だ。皇宮の中でさえ、気に入らなければ剣を抜き、庶子だと馬鹿にしてきた令息を、陛下の前で堂々と殴り飛ばしたという話まである。陛下も手に負えない息子に、頭を抱えていると噂されていた。



 そんな人が、助けてくれるとは思わなかった。ぶっきらぼうな口調はともかく、行動には善意が感じられる。私がヴュートリッヒの騎士に追いかけられているのを見た人は、他にもいたはずなのに、助けに来てくれたのは彼だけだったのだから。



「あ、アルムガルト侯爵もご一緒でしたか。失礼しました」


 ヨルグ殿下の騎士は、私の顔を知っていたらしく、慌てた様子で数歩下がると、恭しく頭を下げてくれた。


「アルムガルト侯爵?」


 今度はヨルグ殿下のほうが、私の顔を覗きこんでくる。


「あんた、侯爵なのか?」

「はい、一応・・・・」


 女性の爵位継承順位は低いから、女性の当主を見るのは珍しいのだろう。


「・・・・そういえば、そんな噂を聞いたことがあるな」


 ヨルグ殿下の呟きを聞いて、思わず苦笑してしまった。



「元夫を牢獄送りにした悪女の噂なら、ちまたに溢れているので、殿下も一度は耳にしたことがあるでしょう」



 ヨルグ殿下は、私の顔をじっと見つめる。


 少し緊張した。私が悪名高いアルムガルト侯爵だと知ったら、ヨルグ殿下の態度が一変するかもしれないと思ったからだ。他の皇子達の、私にたいする冷淡な態度を思い出し、手の平に汗が滲む。


「ーーーーということは、あの騎士ぶったならず者どもは恐れ多くも、自分達よりも身分が上の侯爵を追い回して、落馬させやがったのか。奴らの罪状が増えたわけだ」


 ところが、彼が態度を変えることはなかった。私は思わず、その横顔をじっと見つめてしまう。


「侯爵」

「はい」

「あんたを追い回したならず者どもは、どこにいる?」

「えっと・・・・」


 何をするのだろうと思いつつ、群衆の中から、私を追い回したヴュートリッヒの騎士達を探し出して、指差した。


「あの人達です」

「全員、そろってるか?」

「追いかけてきたヴュートリッヒの騎士は、六人でした。全員の顔をはっきり見たわけじゃありませんが、髪形や髪色からして、あそこにいる六人で間違いありません」


 私を追いかけまわしたヴュートリッヒの騎士達は、馬に乗ったまま一か所に集まり、楽しそうに談笑していた。


 予想通り、彼らはアルムガルトの騎士を呼んでくるつもりなど、さらさらなかったようだ。彼らが本当に私が落馬してたことを家臣に伝えていたなら、家臣達がまだ待機場所でのんびりと構えているはずがないのだから。



 あのまま放置された私が、万が一獣に襲われたとしたらーーーー私が死んだとしても、彼らは今のように笑っているのだろうか。



「あんたの家臣はどこにいる?」

「あそこに・・・・」


 ヨルグ殿下はまず、私を、家臣がいる場所に連れて行ってくれた。


「ほら」


 馬に乗せてくれた時と同じように、ヨルグ殿下は私を抱き上げ、馬から降ろしてくれた。


 私に気づいた家臣達が、慌てた様子で近づいてくる。


「閣下、なぜヨルグ殿下とご一緒なのですか? エトヴィンとフロレンツは今、どこにいるんです?」

「それがーーーー」


 私が家臣に事情を話す前に、ヨルグ殿下は私から離れていった。今度は何をするのだろうと、彼の動きが気になって、私は彼の後姿を目で追う。



 ヨルグ殿下は、ヴュートリッヒの騎士達に向かって、馬を歩かせる。



(何をするつもりだろう?)


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