47 / 152
46
しおりを挟むビュットナー伯爵のタウンハウスは、貴族の邸宅が並ぶ一角にあった。
ヴュートリッヒやバウムガルトナーのタウンハウスのように広くはないけれど、整然と整えられた庭の奥に見える白い建物には、気品が感じられた。
「いらっしゃいませ、閣下」
玄関で私達を出迎えてくれたビュットナー伯爵夫人は、少しやつれているように見えた。
「主人は侍医に処方された薬の影響で、眠ってしまったんです。せっかくお二人がお見舞いに来てくださったのに、本当に申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず。そもそもこちらが勝手に押しかけてきたのに、病人に出迎えろなんて、口が裂けても言えませんよ。臥せっている相手にたいして、そんなことを言える人間がいたとしたら、血も涙もない冷血漢ですね」
クリストフが明るく返したからか、夫人は安堵している様子だった。
「ただ無事を確認したいので、一目だけ、ビュットナー伯爵の顔を見せてもらえないでしょうか?」
「では、こちらへどうぞ」
夫人は、ビュットナー伯爵の寝室に案内してくれた。
カーテンを閉じた暗い寝室の、天蓋付きのベッドの中で、ビュットナー伯爵はマットレスに沈み込むように、深く眠っていた。
蝋人形のように顔色が悪く、ほとんど身じろぎしないので、生きているのか不安になってしまう。だけどよく見ると、呼吸の振動で、胸がほんのわずかに上下していた。
「客人が来る前に少しだけ仮眠をとると言うので、カーテンを閉めたら、深く眠ってしまったんです。・・・・起こしましょうか?」
「お気づかいなく。病人なのですから、眠らせておきましょう」
私達は小声でやり取りして、すぐに寝室を後にした。
「これをどうぞ」
応接間に移動して、クリストフが見舞いの品をわたすと、夫人は困ったように眉尻を下げた。
「こんなものまでいただいて、恐縮です」
「いえ、たいしたものじゃないので、お気になさらず」
「でもせっかく来ていただいたのに、本当に申し訳なくて・・・・」
「それでは、少しお話を聞かせてもらっていいですか?」
「もちろんです」
夫人はうなずいてから、長話に備えて姿勢を正した。
「それでは、ご主人の症状を聞いてもいいでしょうか?」
「ええ、皮膚の炎症からはじまり、喉の痛みに腹痛、下痢や嘔吐をするまでに至りました。最初は、軽度なものだったんです。主人もいずれ治るだろうと軽く考えていたのに、悪化するばかりで、治る見込みがありません・・・・」
「神殿に治療を依頼したそうですが、効果は?」
「神官が治癒魔法で治療してくれましたが、効果は一時的でした。治癒魔法が通じない病だった場合、これ以上効果はないと言われてしまいました」
「・・・・・・・・」
悲壮感漂う夫人の様子に、私はかける言葉が見つからなかった。ビュットナー伯爵が回復しないとなると、一家の大黒柱を失うことになるので、夫人の心労は私達が想像したよりもずっと大きいのだろうと思う。
「夫人や、お子さん達は大丈夫ですか?」
「私達は健康です」
ビュットナー伯爵夫人は即答した。色々な人に繰り返し、同じ質問をされてきて、答えを用意する癖がついてしまったのかもしれない。
「そうですか。それはよかった」
「なぜ主人だけ病に倒れたのか・・・・侍医にもわからないそうです」
「・・・・・・・・」
同じ邸宅に住んでいて、なおかつ同じ食事を口にしたのに、その中の一人だけ倒れてしまった。その奇妙な点が、ヴュートリッヒと繋がった神官達の〝天罰〟なんて言葉に、真実味を持たせてしまっているのだろう。
「ご主人が倒れる前に、遠出をしましたか?」
「いいえ、職場に行く以外は、ずっと執務室で仕事をしていました。時々仕立て屋や画商が訪ねてきましたが、それだけです。遠出したり、そこで食事したということは、一切ありません」
「そうですか・・・・」
その話を聞いて、遠方から風土病を持ってきたという説も消えた。
「主人は、趣味の芸術品収集にお金を使う以外は、贅沢を好みませんでしたから、暴飲暴食をしたことはありません。むしろ摂生に努めるほうだったと思います」
民衆の、貴族は贅沢をしているという印象とは裏腹に、ビュットナー伯爵は芸術品の収集以外は、質素な生活を送っていたようだ。
「主人が倒れた直後は、毒を盛られた可能性も考えて、侍医がみずから、毒見のために主人が口にしたものを食べてみてくれたんです。しかしながら侍医には、症状は現れませんでした」
やはり、食事に毒を盛られたということはないようだ。侍医がみずから食事を食べて確かめてくれたのだから、間違いないだろう。
「侍医があらゆる薬を試してくれましたが、今のところ症状は改善していません。・・・・もう、どうしたらいいのか・・・・」
私達に説明することで、絶望的な状況を再確認することになってしまったらしい。夫人の顔や声はどんどん暗く翳り、目の焦点も合わなくなってきた。
「あ、あれ? この絵画、前と変わってますね!」
夫人を落ち込ませてしまったことで、クリストフは焦ったらしい。慌てて雑な話題誘導で夫人の意識を、病気の話題からそらそうとしていた。
夫人の視線は、壁に飾られた絵画へ向かう。
「ああ、その絵のことですか?」
応接間には、風景画が飾られていた。森の中に差し込む光を、幻想的に描いた絵画で、まるでエメラルドを溶かして流しこんだような、美しい緑色の発色が印象的な絵だった。
「もともとは、執務室に飾られていた絵なんですが、最近、主人が新しい絵を購入したので、古い絵をこちらに持ってきたんです。主人は絵画の愛好家で、特に緑色が好きでして、この絵画の緑色の美しさを一目で気に入ったんだとか。それで、即購入を決めたそうです」
話題が絵画のことに変わったことで、夫人の声が少しだけ明るくなった。
「緑が好きなんですか?」
「ええ、執務室の壁紙も緑、最近仕立てたコートも暗い緑色なんですよ。・・・・病気のせいで皮膚が荒れて、着られなくなりましたが・・・・」
明るくなった空気も、話題がまた、病気のことに戻ったことでよどんでしまった。今の夫人は、夫の病気のことで頭がいっぱいで、他のことは何も考えられなくなっているのだろう。
「すみません、暗くなってしまって・・・・ああ、そういえば、お茶もお菓子も出していませんでしたね」
夫人はテーブルの上に何も置かれていないことに、今気づいたようだ。
「人を呼んで、なにか持ってこさせます」
「我々も長居するつもりはないので、お気づかいは不要です」
「いえ、お見舞いに来てくださった客人を手ぶらで返すなんて、私が主人に叱られてしまいます。少しの間、ここでお待ちください」
そう言って夫人は、応接間から出て行った。
「・・・・事態は予想以上に、深刻なようですね」
「・・・・そのようだな」
クリストフは溜息をつく。
0
あなたにおすすめの小説
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜+おまけSS
himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。
えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。
ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ!
アルファポリス恋愛ランキング入りしました!
読んでくれた皆様ありがとうございます。
*他サイトでも公開中
なろう日間総合ランキング2位に入りました!
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。
パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。
将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。
平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。
根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。
その突然の失踪に、大騒ぎ。
【完結】婚約発表前日、貧乏国王女の私はお飾りの妃を求められていたと知りまして
Rohdea
恋愛
────とうとうこの時が来たのね
決められた運命を受け入れて生きていくつもりだったのに────
貧乏国の王女のウェンディ。
貧乏だろうと王女として生まれたからには、国のために生きるのが当たり前。
そう思って生きて来た。
そんなある日、婚約が決まったことを父親から告げられる。
その相手は女癖が悪いという噂の他国の王子。
複雑な思いを抱くもこれは国のためにも受け入れるべき結婚。断るなんて選択肢はない。
そう腹を括ったウェンディに対して、なぜか様子がおかしくなったのは、
護衛騎士のエリオット。
そんな彼の様子を不思議に思いながらも、婚約者となった王子、ヨナスとの対面を果たすウェンディ。
愛はなくてもせめてお互いを尊重しやっていけたなら……
そう考えていたウェンディに対してヨナスは、
はっきりと“お飾りの妃”を求めているのだと口にした。
それを聞いたウェンディは────……
⋆˳˙ ୨୧…………………………………………………………………………………………………………………୨୧˙˳⋆
関連作
『結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが』
『誕生日当日、親友に裏切られて婚約破棄された勢いでヤケ酒をしましたら』
『記念日当日、婚約者に可愛くて病弱な義妹の方が大切だと告げられましたので』
※こちらのシリーズ作品のスピンオフとなります。
リクエストのありました、
全ての作品に出ていて記念日~ではヒーローにまで昇進した、
陽気な公爵令息エドゥアルトの両親の話。
時系列的に『誕生日当日~』より前の話。
なのでベビーは出ませんが、若かりし頃のガーネットは登場します。
(追記 その後を書いたのでベビーたちも登場しました)
[完結]私を巻き込まないで下さい
シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。
魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。
でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。
その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。
ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。
え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。
平凡で普通の生活がしたいの。
私を巻き込まないで下さい!
恋愛要素は、中盤以降から出てきます
9月28日 本編完結
10月4日 番外編完結
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜
日々埋没。
ファンタジー
「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」
かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。
その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。
レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。
地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。
「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」
新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。
一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。
やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。
レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。
虐げられていた次期公爵の四歳児の契約母になります!~幼子を幸せにしたいのに、未来の旦那様である王太子が私を溺愛してきます~
八重
恋愛
伯爵令嬢フローラは、公爵令息ディーターの婚約者。
しかし、そんな日々の裏で心を痛めていることが一つあった。
それはディーターの異母弟、四歳のルイトが兄に虐げられていること。
幼い彼を救いたいと思った彼女は、「ある計画」の準備を進めることにする。
それは、ルイトを救い出すための唯一の方法──。
そんな時、フローラはディーターから突然婚約破棄される。
婚約破棄宣言を受けた彼女は「今しかない」と計画を実行した。
彼女の計画、それは自らが代理母となること。
だが、この代理母には国との間で結ばれた「ある契約」が存在して……。
こうして始まったフローラの代理母としての生活。
しかし、ルイトの無邪気な笑顔と可愛さが、フローラの苦労を温かい喜びに変えていく。
さらに、見目麗しいながら策士として有名な第一王子ヴィルが、フローラに興味を持ち始めて……。
ほのぼの心温まる、子育て溺愛ストーリーです。
※ヒロインが序盤くじけがちな部分ありますが、それをバネに強くなります
※「小説家になろう」が先行公開です(第二章開始しました)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる