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しおりを挟むそしてクリストフの部下が、ベティーナという名前の賄い婦の居場所を探し出してくれたところ、このパッリウム地方のサルビア村に行き着いたという次第だった。
御者には数日後には出発すると言ったけれど、実際はそうはならないだろう。おそらく近いうちに、この小さな村は、皇国中から注目されるような大事件の舞台になるのだから。
ーーーーそれはもしかしたら、今夜のことかもしれない。
モルゲンレーテの国民を震え上がらせる、感染症のはじまりの舞台になるには、この村は小さすぎると感じる人もいるかもしれない。
でも実は、のどかに見えるこの村は、モルゲンレーテ全土に感染を拡大させかねない、大きな要因を持っていた。
(アリアドナはよく考えてるわ)
このサルビア村は、パッリウム地方の交易の要所にある。なので村の中央には、貿易商がよく通る広い街道があり、旅人を受け入れるために、小さな村には似つかわしくない豪華な宿屋が建っていたりする。
もしこの村で、感染が拡大したらーーーー潜伏期間中で、自分が感染しているという自覚がないまま、旅人が別の町や村に移動してしまったら、間違いなく病は広範囲に拡大するだろう。
(クリストフとシュリアは、宿屋にいるのかしら?)
クリストフはシュリアを連れて、先にサルビア村に入っているらしい。
ーーーーバウムガルトナー侯爵が娘をともない、花畑で有名な西部の観光地を訪れる途中で、この村に立ち寄ったというのが、彼らがここにいる表向きの理由だった。
村の門をくぐるとすぐに、先に現地に来ていたヴォルケのメンバーが近づいてきた。バルドゥールさんの右腕として働いている、エゴンさんだ。ヨルグ殿下を見張るため、隠家から離れられないバルドゥールさんの代わりに、今回の任務を補佐するのが、彼の役目だった。
今日の彼は行商に変装していて、粗末な外套をまとい、背中には行李(こうり)を背負っている。
「エトヴィン、鞄を持って、先に宿屋に入ってて」
エゴンさんと二人きりで話をするため、エトヴィンに先に宿屋に入ってもらうことにした。
「お一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
護衛という立場にいるエトヴィンには、ホワイトレディの力のことを伝えてある。だから彼も不安には思わず、素直に指示に従ってくれた。
「・・・・例の賄い婦は、すでに拘束しました」
エトヴィンと入れ替わりに近づいてきたエゴンさんが、報告してくれた。
「しかし、手遅れだったようです」
「手遅れ?」
「ベティーナは自分が特殊な体質であることを理解した上で、金のためにヴュートリッヒに協力していたようです。正直に話すようにと脅すと、二日前にこの村に入り、ヴュートリッヒの指示通りに、井戸に自分の体液を流したと告白しました」
「住民が、飲料水に使っている井戸なんですか?」
「住民だけではありません。宿泊客の飲料水や、料理のための水としてもつかわれています」
「・・・・それじゃ、急病人が出るのは時間の問題ってことですね」
恐れていた事態になってしまったようだ。
私は溜息をついて、遠くの家々を見上げる。水面下で進む計画のことなど知らない村人達は、広場で楽しそうに談笑していた。
交易の要所ということは、村外から人が入ってくるのが日常茶飯事で、村人達はよそ者を見かけることに慣れているということだ。だからベティーナのような人物が入ってきても、村人が気に留めることはなかったのだろう。
辺鄙な場所にある村なら、よそ者を見かけること自体が珍しいから、よそ者が井戸に近づくことを不審に思い、警戒する人がいただろう。
「二日前に菌を流したということは、もう発症した人もいるんじゃないでしょうか?」
「おっしゃるとおり、すでに発症して、倒れた人達もいるようです。でも住民はまだ、風邪ていどの軽い病気だと考えているようですね。病気の発症までは個人差があるようで、大勢の人に症状が表れるまで、まだ時間がかかるということでしょう」
「クリストフとシュリアは、今どこにいるんですか?」
「今は、宿で待機しています。本当は感染拡大に備えて、今から病人を運びこむ天幕を設置したいところですが、村人が病気に気づく前に動き出したら、怪しまれます。今は、大人しくしているしかありません」
「私達が病気を発生させたと、まわりに誤解されたら大変ですものね」
一度疑いの目を向けられたら、釈明するのも難しくなる。最悪の場合、魔女狩りに巻き込まれる恐れもあった。だから今は村人達に誤解されないよう、慎重に動くしかない。
とはいえ、これから多くの人が倒れることがわかっているのに、罹患者を運びこむための施設すら用意できないのはもどかしかった。
「大勢の病人を運びこめるような施設は、ありますか?」
「この村に大きな建物は、集会場か宿屋しかありません」
エゴンさんは街道沿いにある大きな建物と、街道から外れた場所にある建物を、交互に指差した。
街道沿いにある建物が宿屋で、その奥にあるのが集会場だろう。宿屋が赤と白の塗料で、目立つ外観を美しく保っているのにたいし、集会場は屋根が赤いだけのシンプルな見た目で、屋根も壁も汚れている。
外観はともかく、広い建物であることは間違いないから、罹患者を多く収容できるはずだ。
話をしている間に、私とエゴンさんは宿屋の前に到着していた。
「まずはクリストフとシュリアに会ってきます。なにか進展があったら、教えてください」
「了解です。動きがあれば報告しますので、それまで休んでいてください」
エゴンさんと別れて、私は一人で宿屋に入った。
「アルテ様!」
クリストフ達が借りている部屋をノックすると、扉を開けてくれたシュリアは、私と顔を合わせるなり、弾けるような笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです!」
「久しぶりね、シュリア」
「心配してたんですよ! 最近、全然会えなかったから・・・・お父様は大丈夫だと言うけれど、もしかしたらお加減が悪いのかもしれないと、ずっと気を揉んでいたんです」
「ご、ごめんね・・・・」
脱走未遂を繰り返す皇太子を止めるために、隠家に張り付いていた、なんて言えるはずもない。曖昧に誤魔化すしかなかった。
「色々と話したいことがあるけど、さっき着いたばかりで少し疲れてるの。とりあえず、座って話さない?」
「あ、すみません、気が付かなくて・・・・どうぞ、お入りください」
シュリアに許可をもらって、私は部屋に入り、ソファに腰かけた。
のどかで原始的な村の様子とは対照的に、宿屋のその部屋は豪華だった。おそらく最上級の部屋なのだろうけれど、田舎の宿屋が貴族の邸宅のような部屋を完備しているのは珍しい。
「お父様は今は外出しています。すぐに戻ってくるということだったので、ここでしばらくお待ちください」
シュリアは私のために、紅茶を用意してくれた。
「ありがとう」
それから私達は向かいあって、近況を報告しあう。
「クリストフから、どれぐらい話を聞いてる?」
しばらく世間話をしたあと、本題を切り出すと、シュリアは顔を引きしめる。
「大まかなことは聞いています。この村で、感染症が発生するかもしれないんですよね?」
「そうよ。村人達の様子はどう?」
すると、シュリアの表情が曇った。
「もしかして、もう・・・・」
「体調を崩した人が、診療所に殺到しているそうです。すぐに、もっと大きな騒ぎになるでしょう」
ベティーナが、住民の飲み水に菌をばらまいた以上、こうなることはわかっていた。
「あなたのお父様が言ったとおり、これから事態が急変すると思う、だから、あなたの力を借りたいの」
「・・・・私に、できるでしょうか?」
シュリアは不安そうに、視線をさまよわせている。
「もちろんよ。あなたになら、できる」
私はシュリアが自信を持てるよう、彼女の目を見て、強く宣言した。
「あなたはしっかり者だし、賢いもの。それに今までしっかりと、経験を積んできた。だから、自信を持って」
「はい!」
シュリアの顔から不安の影が消え、代わりに自信がみなぎる。
アリアドナはシュリアが活躍できる場を奪った上に、取り巻きを使ってシュリアの自信をへし折ろうとしたけれど、彼女はそれで折れるようなやわな子じゃない。
ーーーーアリアドナが自分のために用意したこの舞台で、シュリアは本来の力を発揮できるはずだ。
「私とクリストフが補佐するから、自信をもって行動するのよ」
「ありがとうございます、アルテ様! 必ず、役に立って見せます」
力強く宣言するシュリアを見て、私は思わず笑顔になった。
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