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しおりを挟むその日私は、ヨルグ殿下を連れて隠家の庭に出ていた。
ずっと臥せっていて、庭に出ることもままならなかったから、いつも以上に空気がおいしいと感じられた。何の変哲もない庭木の緑も、青々としているように見えたし、木の葉の隙間からこぼれ落ちる陽光も、宝石のように輝いて見えるほどだった。
「今日は俺を庭に連れ出して、何をするつもりだ?」
私の後ろを歩きながら、殿下が問いかけてきた。
ヨルグ殿下一人を連れ出すつもりが、アルホフ卿までついてきてしまった。
今もアルホフ卿は殿下の後ろから、視線で射殺す勢いで、私を睨んでいる。
「殿下を、お散歩に連れていこうと思っただけですよ」
「・・・・・・・・」
「・・・・殿下? なぜ睨むんですか?」
「・・・・犬の散歩だと思ってないだろうな?」
「思ってません!」
「あんたなら、散歩だと言って、俺に首輪までつけてきそうだ」
ヨルグ殿下の中の私のイメージが、最悪なものに成り下がっているようだ。
「首輪、つけさせてくれるんですか?」
「噛まれてもいいなら、やってみろ」
「・・・・首輪の前に、口輪を用意する必要がありそうですね」
「口輪なら、俺の前に、一向に減らないあんたの口につけるべきだな」
文句を垂れながらも、殿下は三歩ていどの距離を開けて、大人しくついてきてくれた。
庭の開けた場所に立つと、私はヨルグ殿下のほうに向きなおる。
「私の前に立ってください」
そう頼んだのに、なぜか殿下は警戒心を見せて、逆に後ずさっていった。
「・・・・殿下? なぜ、警戒してるんです?」
「いきなり近くに来いなんて言われたら、そりゃ警戒するに決まってんだろ。何を企んでる?」
「何も企んでません! ・・・・まったく、野良犬並みの警戒心ですね」
「やっぱり俺のことを犬扱いするのか」
「していません。仮にそうだとしても、クロイツェルの紋章にもワンちゃんが描かれているんだから、誇り高いワンちゃんでよくありません?」
「あれは犬じゃなくて狼だ!」
「殿下、あの女の言うことを素直に信じてはいけません」
ただでさえヨルグ殿下が警戒しているのに、隣にいるアルホフ卿が不信感を植え付けていくから、余計に話がこじれていく。
私は苛立ちを必死に抑え、ヨルグ殿下ににっこりと笑いかけた。
「私は怖くないですよ~、シャンプーしたり、爪切りしたりしないから、ワンちゃんはこっちに来てね~」
「・・・・ったく、煽り能力だけは、本当に超一流だな」
私の煽りにイラっとしたのか、ヨルグ殿下は顔をしかめる。
「・・・・殿下、あの無礼極まりない女を、今すぐ斬り捨てる許可をください」
冗談のつもりだったのに、アルホフ卿は肩をぷるぷると震わせるほど激怒していた。さすがにやりすぎたと、私は笑顔を引っ込める。
「ただの冗談だろ、そんなに怒るなよ」
「冗談だとしても、皇太子殿下にたいして許される言葉ではありません!」
「こんなことでいちいち怒るから、犬扱いされるんだ。いいか、アルホフ」
殿下はアルホフ卿に向きなおり、睨みつけるように彼を見た。
「あいつは野良猫みたいなもんだ。塀の上で尻尾を垂らして、犬を煽って吠えさせて、面白がってるだけなんだよ。だから、ニャンカスの挑発に乗るな」
「・・・・ワンカス君が、なにかほざいてますね・・・・」
くだらない煽り合いをしたあと、私達は同時に溜息をつく。
「どうせ動物に例えるなら、猫じゃなく、虎にしてくれませんか?」
「虎だって? あんたが?」
「ベネットには、ベンガルトラみたいに大物だって評価してもらったんですよ」
「・・・・評価じゃなくて、ただの悪口だろ、それ」
「・・・・・・・・」
「でも、虎か。確かに、何もしてなくてもあいつらはふてぶてしい雰囲気だから、そういうところはあんたに似ているかもしれない」
ヨルグ殿下のにやけ顔を見て、私の笑顔の仮面は崩落寸前だった。口角がぴくぴくと痙攣するのを、止められない。
「殿下、その調子です! あんな女に、口で負けないでください!」
でもアルホフ卿の余計な応援で、逆に私達は冷静になった。我に返ると、朝からくだらない煽り合いをしている馬鹿馬鹿しさに、自分が情けなくなる。殿下も同じ気持ちだったのか、目が死んでいた。
「ったく、こんなくだらないことを言い合ってる場合じゃないな」
そうぼやいて、ヨルグ殿下は私の近くに来てくれた。
私はヨルグ殿下の袖をめくり、紋章を確かめる。それから後ずさって、ヨルグ殿下から距離を取った。
「・・・・近づいて来いと言ったくせに、自分から離れるってどういうことだ?」
「近くにいると、巻き込まれますからね。ーーーーそこで、聖なる七剣の力を使ってみてください」
ヨルグ殿下の目が、見開かれる。
「そろそろ、神封じの矢の効力が薄れる頃合いでしょう。召喚術の力が、戻っている可能性があります。確かめるために、一度召喚してみてください」
「・・・・・・・・」
ヨルグ殿下は、いつになく緊張した面持ちで、紋章が刻まれた腕を前に出した。
紋章が光り、七剣の片鱗がヨルグ殿下の前に出現したけれど、それがはっきりとした形を持つことはなかった。形を持つ前に、それは分解されるように空気に溶けて、消えてしまう。
「やはりまだ、効果は完全には消えていないようですね」
「・・・・以前と比べれば、まだマシになった。前は呼び出そうとしても、紋章が光ることもなかったからな」
少しずつではあるものの、力を取り戻せていることが実感できたのか、ヨルグ殿下はぐっとこぶしを握る。
「・・・・そういえば殿下。殿下は、召喚術や魔法の気配がわかるんですか?」
前々から疑問に思っていたことを、このさい聞いてみることにした。
「昔から、なんとなくわかる」
「なんとなく・・・・」
「剣の師匠が、生まれつき気配を感じる人間もいると言っていた」
それも、才能の一つなのだろう。ヨルグ殿下は幼少期の環境は不遇だったけれど、多くの才能には恵まれていたようだ。
「だったら魅惑の瞳の影響を受けないのも、その力のおかげかも・・・・」
「魅惑の瞳? なんだ、そりゃ」
考えることに夢中になるあまり、心の声が口から出てしまっていたようだ。
「・・・・なんのことでしょう?」
「あんたが口走ったんだろ」
「言った覚えがありませんね」
するとヨルグ殿下は、ジト目になる。
「・・・・とぼけることすら、下手くそなのか。あんたには、自分で木に登ったくせに降りられなくなって、鼻水を垂らしながら助けを求めてくる猫みたいなところがあるな」
「・・・・よくわからない例えはやめてもらえますか?」
ともあれ、ヨルグ殿下の謎の一つが解けた。
皇宮にいる人間の中で、アリアドナの魅惑の瞳の影響を受けていないのはヨルグ殿下だけのようだから、彼は魔法にたいする耐性を持っていると考えるべきだろう。
魅惑の瞳に耐性があるなら、やはり私達が推すべきなのはヨルグ殿下だろう。あらためてそのことを実感し、私はヨルグ殿下に笑いかける。
「早く力を取り戻してください。期待してますからね!」
「お、おう・・・・」
ヨルグ殿下は照れたのか、目をそらした。
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