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しおりを挟むそれからも日々は淡々と、平和に過ぎていった。
相変らずアリアドナは、不気味なほど大人しかった。今までは時間さえあれば、暗がりに糸を張る蜘蛛のごとく、計略を巡らせていたのに、今はそんな素振りは毛ほども見せずに、ほとんどの時間を邸宅の中で費やしているようだった。
(動きがあったらあったで不安だし、なかったらなかったで不安なんて、アリアドナは敵を不安にさせる天才だわ)
私はアリアドに動きがないことに頭を悩ませていたけれど、そちらに気を取られている間に、同時進行で、もう一つの問題が発生していた。
ーーーーいつの間にか釈放されていたジャコブが、クロエとともに、ファンクハウザー家を取り戻すために動き出していたのだ。
ジャコブとクロエは、親交があった役人や貴族達に働きかけ、陛下への取り次ぎを頼んでいるようだった。不正発覚後は、ジャコブは皇室主催の行事への参加を禁じられ、謁見も認められないそうだから、役人や貴族を通して、陛下の許しを請いたいのだろう。
しかも二人はそれだけには飽き足らず、私とクリストフが親しいことに目をつけ、私達が離婚前から浮気をしていたという、根も葉もない噂を吹聴していた。
私の悪名を利用して、自分達を被害者に仕立てあげる魂胆なのだろう。私とクリストフが手を組み、ジャコブ達を陥れたという構図にすれば、彼らは世間の同情票を集められるのだから。
(こんなことに気を取られている場合じゃないのに・・・・)
最近、臥せるようになった陛下が、いよいよ危ない状況になっているという情報を耳にしている。
こんな時に、ジャコブ達の動きに気を散らされたくなかった。
とはいえ、放置もできない。ジャコブ達がファンクハウザーを取り戻したら、私達と敵対することは目に見えているのだから。
(クリストフと会って、対策を考えよう)
社交界への影響力がない私では、ジャコブ達の動きを押さえられないので、クリストフを頼るしかない。
またクリストフに迷惑をかけることを申し訳なく思いながら、私は手紙を書くため、羽ペンを手に取った。
※ ※ ※
ある日、休憩を終えて執務室に戻ると、扉の前に誰かが立っていた。
黒髪に長身、かっちりとした服を着た男だった。落ち着かない様子で、一時もじっとせず、ずっと目や首を動かしている。
「誰だ?」
「ジャコブ・フォン・ファンクハウザーですよ」
隣にいたバスラーが、そっと耳打ちしてくる。
「ああ・・・・」
その名前を聞いた瞬間、目の前の男に不快感を感じた。
「殿下に、会いに来たようです」
「なぜ俺に?」
「不正発覚後は、彼は陛下からは毛嫌いされていますから、謁見もままならないそうです。だから殿下に、取り次ぎを頼みたいのでしょう。・・・・今は愛人のクロエとともに、極貧にあえいでいるそうですから」
「・・・・ファンクハウザーの当主の座に返り咲きたいからか?」
「おそらくは。最初は、親交のあった貴族達に働きかけていたようですが、あまり手応えがなくて、ここに来たんでしょう」
無意識のうちに、舌打ちをしていた。
「・・・・大人しくしておけばいいものを・・・・」
不正を働き、投獄までされたのに、ジャコブはまだ当主の座を諦めていなかったようだ。
ーーーーでも奴の姿を見た瞬間に、どうして最近になって突然、アルムガルト侯爵が離婚前に浮気をしていたという噂を耳にするようになったのか、その理由を理解した。
アルムガルト侯爵とジャコブの離婚に関する話題は、とっくの昔に鎮火していた。なのになぜ今さら、その話題が蒸し返されたのか。ーーーーその男が、ここにいることがその理由だった。
「どうして皇宮の中に入れたんだ?」
「わ、わかりません」
「二度と通すなと、衛士に伝えておけ」
小声で伝えると、バスラーはうなずく。
「あ、殿下」
ジャコブが俺達に気づいて、いそいそと近づいてきた。
「はじめまして、殿下。私はジャコブ・フォン・ファンクハウザーという者です」
「何の用だ?」
冷たい声を返すと、ジャコブは虚を突かれたという反応をする。
「ただ、挨拶をと思いまして・・・・」
「じゃ、用事は終わったな。悪いが忙しいんで、話をしている時間はない」
そう言って、俺はジャコブの横をすり抜けた。
「お、お待ちください!」
ジャコブは転がりこむような勢いで、執務室の中まで追いかけてきた。そのしつこさに、また舌打ちしてしまう。
「勝手に入ってくるな」
「どうか、お話をさせてください」
「何を話すと言うんだ?」
執務机に腰を預けて、挑むようにジャコブを見る。ジャコブは深呼吸をしてから、口を開く。
「陛下に、許しを請いたいのです」
「だったら俺じゃなく、直接陛下に許しを請いに行け」
「陛下には謁見すら拒絶されていて、お目通りがかないません!」
「それが答えだ。陛下は言葉の代わりに、絶対に許さないことを態度で示してるんだ」
冷たく突き放すと、ジャコブは青ざめた。
「だから、ファンクハウザー家の当主の座は諦めろ。お前の弟のブルクハルトは、問題なく当主を務めていて、陛下もその働きに満足している。今さら、不正を働いた元当主に戻す理由がない」
このくだらない話にうんざりして、俺はジャコブに背を向けた。
「ブルクハルトは、あの毒婦に操られてます!」
ーーーー毒婦。耳から入りこんできたその言葉に、全身の血が凍りついた。
「・・・・なんだと?」
思わず睨みつけると、ジャコブは肩を震わせる。
「わ、私の元妻に関する噂は、すでに聞き及んでいると思います。あの女はバウムガルトナー侯爵と浮気をして、私を陥れ・・・・」
「ーーーーお前の祖父が殺したメイドの家族に、賠償はしたのか?」
「・・・・え?」
すぐには俺の言葉が理解できなかったのか、ジャコブは一瞬、間の抜けた顔をした。しばらくして質問の意味を理解したらしく、唇をわななかせる。
「な、何の話なのか、私にはかいもく見当も・・・・」
「今さら、しらばくれるな。女の悲鳴が大好きな、お前の祖父の話だ。そいつの部屋に呼ばれたまま、行方不明になっているメイドが何人かいるそうじゃないか。当主の座に返り咲くことを画策するより、まずは真相を明らかにしろ。そして必要なら、家族に賠償すべきだ」
ジャコブは瞠目したまま、固まっていた。動かなくなった顔の上を、冷汗がだらだらと流れている。
「な、なにか誤解があるようですが・・・・メイド達は自分達の意志で、仕事を辞め、失踪したのです」
しばらくして我に返ったのか、ジャコブはごにょごにょと、聞き取りにくい声で釈明をはじめた。
「し、仕事についていけず、こらえ性もなかったのでしょう。おそらく、男と駆け落ちしたんだと思います」
「メイドが立て続けに失踪した言い訳にしては、雑だな。行く当てもないメイドが金も荷物も持たずに、実家にも帰らないなんて、そんなことがあるか?」
「・・・・・・・・」
言い訳すら出てこなくなったのか、ジャコブは黙りこんだ。
「祖父に関する真相を明らかにして、すべての賠償を終えてから出直してこい。・・・・いや、やっぱり二度とここには来るな」
俺がもう一度睨むと、ジャコブは顔を強張らせる。
「ーーーー俺は、自分の妻も守れないような奴が大嫌いだ。だから二度と、俺に顔を見せるな」
「あ、あの女は、私達を陥れ・・・・!」
聞くに堪えず、ジャコブの胸ぐらを締め上げて、黙らせた。
「・・・・アルムガルト侯爵は、俺の友人だ。今回の侮辱は聞かなかったことにしてやるが、次はない」
ジャコブは、子犬のように震えていた。
言葉だけですむように、俺なりに我慢した。だがその忍耐を、ジャコブのほうが無駄にしたのだ。
「話は終わりだ。出ていけ」
バスラーが扉を開けるのが見えたので、俺はジャコブを突き飛ばした。ジャコブはよろめきながら、廊下に出る。
「殿下ーーーー」
それでもジャコブは、こちらに手を伸ばしてくる。
俺はその手を振り払った。
「ーーーー許しを請いたいなら、俺や陛下じゃなく、まずアルムガルト侯爵の前にひざまずいてこい」
俺はジャコブの目の前で、扉をぴしゃりと閉める。
「・・・・・・・・」
扉から執務机に向かう間、バスラーの視線がまとわりつくのを感じていた。
「・・・・なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「・・・・いえ。殿下とアルムガルト侯爵が友達だったとは、知りませんでした」
「何度か会って話したんだから、友達だろ」
「その言い分は無茶すぎません? そんなこと言いだしたら、集まりで顔を合わせるたびに、おべっかを使ってくる貴族達も、殿下の友達ってことになりますよ。あ、ボッチだった殿下がいまや、友達100人を達成したことになりますね! おめでとうございます!」
「俺が友達だと思った奴だけが、友達なんだ」
「侯爵のほうは、お友達説を否定すると思いますが」
「・・・・本当によく喋る。その口を縫いつけてやろうか?」
睨みつけると、ようやくバスラーは黙った。
※ ※ ※
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