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 その日、モルゲンレーテの空に、鐘の音が鳴り響いた。



 ーーーーモルゲンレーテ皇国の十四代目の皇帝、ディートマル四世の崩御を国民に伝える音だった。


 国教に従い、七日間、全国民が喪に服したあと、新しい君主の戴冠式が盛大に執り行われた。


「皇帝陛下、万歳!」


「皇国に栄光を!」


 その日、皇都の通りを埋め尽くした民衆は、新しい君主の誕生を喜び、声高に讃えた。そして色とりどりの紙吹雪が舞う中、人々は新しい君主を一目見ようと、新皇帝の行列のまわりに殺到した。


 行列は、豪華だった。白馬にひかれた何十台もの黄金の馬車が、数珠のように連なって、ゆっくりと道を進んでいく。


 足並みをそろえ、行進する兵士達もこの日だけは豪華に着飾っていて、町全体が彩られたその景色は、壮観という言葉以外では言い表せなかった。


 私は遠くから、馬車を眺めるだけだった。


(・・・・そういえばクリストフが、ヨルグ殿下が馬車に乗るのを嫌がるって言ってたっけ)


 ヨルグ殿下は馬車の乗り心地を、荒波の上の小舟に例えて、普段から乗るのを嫌がっていたそうだ。一方で乗馬は得意なので、どこに行くにしても馬で移動したがるそうだけれど、警備の問題から移動は馬車になることが多く、いつも文句が絶えないそうだ。


(・・・・ヨルグ殿下は今頃、馬車の中で文句を言ってそう)


 その様子を想像すると、おかしさがこみあげてきた。


(ーーーーもう殿下じゃなく、陛下とお呼びしなければならないのね)


 今後は殿下ではなく、陛下とお呼びしなければならない。ーーーー喜ばしいことのはずなのに、なぜか私は感傷的な気分になっていた。


 人々は、喚起に打ち震えている。


 ディートマル四世の治世は、表向きは平和だった。でもその裏で人々は、じわじわと忍び寄ってくる衰退に苦しめられていたのだ。


 この盛大な喜びようは人々が、ディートマル四世とはまったく性質が違う新皇帝の即位に、期待を寄せている証拠だった。


 そして皇都の中心にある大神殿で、多くの来賓らいひんが見守る中、ヨルグ殿下の頭に王冠がかぶせられた。


 この瞬間、彼はモルゲンレーテ皇国の十五代目の皇帝ヨルグ一世となった。


 観覧席にいた来賓はいっせいに拍手を捧げ、新皇帝誕生を知らせるため、神殿の鐘が鳴らされる。


 大儀礼服とローブをまとい、王杖おうじょうを持って祭壇の前に立つヨルグ陛下の姿は、絵画の中の一場面のように幻想的で、現実味がなかった。


「・・・・!」


 ヨルグ陛下がその姿のまま動き出して、神殿の外に出ていく。台本にはなかった動きに、警備の担当者はおたおたするばかりで、誰も止めることができていなかった。


 ヨルグ陛下が神殿前の広場に姿を現すと、集まっていた人々は歓喜して、大歓声を空に放った。陛下が王杖を高く掲げると、歓声はさらに高くなる。


「新しい太陽に拍手を!」


「モルゲンレーテに栄光あれ!」


 ヨルグ陛下が神殿前に出ていくことは予定になかったことだけれど、人々はこのパフォーマンスを大いに喜んだ。何もかも型通りだった先代皇帝とは違う、型破りな新しい皇帝の即位を印象付けるには、十分だったと思う。


 ーーーーそうして戴冠式は終わり、モルゲンレーテは新たな時代を迎えることになった。







 しかし新皇帝の治世は、最初から波乱尽くしだった。


 ヨルグ一世が即位後、ディートマル四世の時代に蔓延っていた汚職や不正を一掃しようと動いたことで、いくつかの大貴族の反発を招いた。


 とりわけ、南部の大貴族で、癌と評されることもあるフックス家の反発は、すさまじいものだった。


 けれど部下にとっては頼もしいことに、まわりから何を言われようとも、ヨルグ陛下が方針を変えることはなかった。彼は、庶子に落とされている間に、中傷や罵倒に怯まない強い精神力を養っていたので、そのていどで揺らぐ人ではなかったのだ。


 それに私やクリストフにとっては幸運なことに、ヨルグ陛下は最大の派閥を持つヴュートリッヒのことを遠ざけていた。暗殺の主犯の一家という点を除いたとしても、以前からベルント殿下を支持していたヴュートリッヒを冷遇することは、当然の流れだったのかもしれない。



 そんな中、新皇帝の即位を祝う夜会が、皇宮で開かれることになり、私やクリストフのもとにも招待状が届いた。かなり大規模な夜会のようで、おそらくほとんどの貴族が招待されたのだろう。



 即位したばかりのヨルグ陛下が、自分の力を示すために開催した夜会で、足場を固める意図もあるのだろうと思う。なので、とても盛大なパーティになることが予想されていた。


(・・・・シュリアをあらためて社交界デビューさせるには、もってこいの場かもしれない)


 皇帝が変わったことで、政治の雰囲気は一変した。以前と違い、ヴュートリッヒを贔屓しない、今のヨルグ陛下が作る場なら、シュリアが参加しやすい雰囲気になっているはずだ。


 とはいえ、凋落してなお、アリアドナとヴュートリッヒは絶大な力を持っている。アリアドナの影響力がいまだに健在なのだから、彼女の取り巻きによる妨害工作はあるだろう。


(でも隠れたままでは、シュリアの道は開けないままだわ)


 不安要素がまったくないわけじゃないけれど、機会を逃せば、シュリアが皇后になる道は途絶えてしまうだろう。勇気を出すなら、今しかなかった。



「今回は君も私達と一緒に、夜会に参加してもらえないだろうか?」


 クリストフにそう頼まれ、行こうかどうか迷っていた夜会に、参加することを決めた。





 夜会が開催される当日、シュリアの邪魔にならないよう、ひかえめなドレスを選んで、バウムガルトナー邸まで、二人を迎えに行った。



 そしてドレスルームで支度をしているシュリアを、待合室で待った。


「素敵です、アルテ様!」


 待合室に入ってきたシュリアは、私を見るなりそう言ってくれた。


 だけど私のほうはというと、着飾ったシュリアの輝くような美しさに圧倒されて、とっさに褒め言葉すら出てこないほどだった。


 シュリアの美しさは、慈善活動の時の平民と同じ素朴な格好でも隠れることはないけれど、やはり着飾るとその美しさに一段と磨きがかかって、光り輝いて見える。


 彼女の髪色と同じ、淡いピンクを基調としたドレスにはふんだんに宝石とレースがあしらわれていて、クリストフと、バウムガルトナーが贔屓しているブティックの気合が感じられた。


「あなたも素敵よ、シュリア」


「ありがとうございます!」


 シュリアは照れ笑いを浮かべる。


「・・・・苦労したんじゃないですか?」

「もちろん、苦労したさ! あのドレス一着を作り上げるまでに、ブティックのマダムと何度話し合い、どれだけの大金を払ったことか・・・・」


 小声でクリストフに問いかけると、彼は涙を流しそうな勢いでまくし立てた。今回はシュリアの晴れ舞台になるので、クリストフは彼女が他の令嬢達に見劣りすることがないよう、入念に準備したようだ。


 シュリアは私の前に立つと、もう一度、私のドレスをめつすがめつ見る。


「・・・・美しいドレスですけれど、装飾や色が少し質素じゃないでしょうか? アルテ様は美人なのに、いつもドレスの色味が暗くて、なんだかもったいない気がするんです・・・・」


 曖昧に笑い返すことしかできなかった。


 身なりが質素だということは、以前からシュリアに何度も言われてきたことだった。シュリアは私のことをいつも美人だといってくれるけれど、私は自分の容姿には自信が持てない。だから絢爛けんらんなドレスや装飾品は、自分には不相応なものに思えてならなかった。


「今日は陛下がはじめてパーティを開かれた喜ばしい日ですし、装飾品だけでも豪華にしませんか? お父様が今日のために用意してくれたネックレスがあるんですけど、ドレスに合わなくて、今日は着けないことにしたんです。でも、アルテ様の今日のドレスなら、あのネックレスが映えるかもしれません」


 そう言ってシュリアは、使用人が持っていた宝石箱から、ネックレスを取り出した。ふんだんなダイヤがあしらわれたネックレスは、眩しすぎて直視できないほどだった。


「いいのよ、シュリア。私は目立ちたくないから、ひかえめにしてきたの」

「そうですか・・・・」


 シュリアは残念そうにしながらも、引き下がってくれた。


 今日の一番の主役はヨルグ陛下だけれど、準主役はシュリアだ。ヒロインの邪魔にならないよう、脇役らしくひかえめな色味のドレスを選んだのだから、今日の自分の役割にはこのドレスが合っていた。


「そろそろ行きましょう。陛下が主催したパーティに、遅れるわけにはいきませんから」

「ええ、そうですね!」


 私達は笑いながら、邸宅を出て、馬車に乗りこんだ。



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