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しおりを挟む皇宮の前は、混雑していた。
大勢の貴族に招待状が送られ、そして招待状を受け取った貴族の大半が出席することを選んだはずだ。ヨルグ陛下に好意的だろうが、敵対的だろうが、新しい統治者の雰囲気を確かめるには、直接会うしかないからだ。
でも大半の貴族が出席するとなると、皇宮の広い外苑でも、馬車を停めるスペースが足りなくなる。そのため、皇宮前には馬車が列をなし、馬車の大渋滞が起こっていた。
私達が乗った馬車も、その渋滞に巻き込まれ、足止めされてしまう。
「これは時間がかかりそうだな・・・・」
クリストフは落ち着かないのか、貧乏ゆすりが止められずにいる。
「ゆっくり待ちましょう」
「そうですね」
シュリアのほうが、落ち着いていた。
馬車が進むのを待つ間、私はぼんやりと、皇宮を見つめていた。広い庭に囲まれた城は、暗がりに立てられた蝋燭のようだ。その灯りを目指して集まってきた私は、光に群がる一匹の羽虫なのかもしれない。
「早くに皇宮に到着していた貴族達は、すでに会場入りしたようだな」
「そうかもしれませんね」
「・・・・我々も、もっと早く出発しておくべきだった。先に会場入りした者達が、すでに陛下に取り入っているかもしれない。あるいは、我々を妨害するために根回ししているかも・・・・」
「考えすぎですよ!」
今の陛下が皇太子だった時代から、大勢の貴族が彼を懐柔しようと、あらゆる手を使ってきたけれど、すべて徒労に終わった。そんな頑固な人が、一朝一夕で心変わりするはずがない。
待ち時間が長いせいで、クリストフの不安を抑えられなくなり、思考があらぬ方向へ突き進んでいるようだ。
長い待ち時間を耐え、皇宮に入ると、私とシュリアはクリストフとは別行動をして、まずは化粧室に向かった。会場に入る前に、一つの隙もないよう、自分達の身なりを整えておくためだった。
化粧や髪飾りを直してから、私達は会場に向かう。
「・・・・緊張してるの?」
シュリアの横顔に強張りを感じて、そう聞いた。
「・・・・ええ、少し」
シュリアは、気分が高揚しているというよりは、怖がっているように見えた。デビュタントの時の嫌な記憶が、忘れられないからだろうと思う。
「大丈夫よ、シュリア。今のあなたは、あの時のあなたとは違う。それに何かあったら私が何とかするから、どんと構えていて」
「・・・・はい!」
私がそう言うと、シュリアは笑顔を取り戻してくれた。
シュリアが笑ってくれると、気持ちが落ち着く。今後も、シュリアが暗い顔をしているところなんて見たくないから、アリアドナの妨害工作は絶対に防がなければならない。
でも廊下の角を曲がろうとした時、誰かが前に飛び出してきた。
「シュリア、危ない!」
とっさに、シュリアの前に出る。
ぶつかった衝撃は軽かったけれど、水のような何かが飛んできて、髪やドレスにかかる感触がった。
怖々と目を開けると、ドレスに赤黒いシミができていた。後れ毛から滴るしずくから、ワインの香りが漂ってくる。
「あら!」
私達の前で、空になったワイングラスを掲げるように持っていたのは、ニーナだった。ニーナの左右には、彼女の取り巻きが並んでいた。
「ニーナ・・・・」
「お喋りに夢中で、前に人がいることに気づかなかったわ。ごめんなさいね」
そう言いながらも、彼女は高らかに笑っていた。ワインをかけた相手にたいする謝罪の気持ちなんて、微塵も感じられない態度だった。
(よく言うわ)
待ち構えていたとしか思えないタイミングでぶつかってきた上に、ワインまでかけておきながら、気づかなかったなんてよく言えると思った。
「・・・・あなたも変わらないわね」
ニーナは数年前に、十歳年上のファーラー男爵と結婚し、今は男爵夫人と呼ばれる身分になった。だけど幼いころと性格はあまり変わってなくて、今でもアリアドナの取り巻きを続けているらしい。
アリアドナの妨害工作があるかもしれないと警戒していたけれど、案の定だった。私が庇わなければ、シュリアが被害に遭っていただろう。
(子供じみたやりかただわ。しかも、同じ手口だなんて)
シュリアもデビュタントの時に、誰かにワインをかけられ、デビューを台無しにされたとクリストフが言っていた。彼は実行犯のことを、〝アリアドナの取り巻き〟としか言わなかったけれど、もしかしたらそれは、ニーナのことだったのかもしれない。
(このために暗い色合いのドレスを選んでおいて、よかったわ)
何はともあれ、アリアドナが同じ手口でシュリアの再デビューを防ごうとしたことは、私にとっては幸運だった。もっとひどい手口で妨害されてしまったら、シュリアを守れなかった可能性もあるのだから。
「アルテ様、ドレスにシミが・・・・!」
「大丈夫よ。もともと暗い色のドレスだから」
「でも・・・・」
「あなたは、無事だったみたいね」
幸いシュリアには、一滴もかからなかったようだった。彼女のドレスは明るい色味なので、真っ赤なワインのシミは目立ってしまっただろう。
「あら・・・・」
シュリアが前に出てきたことで、ニーナは作戦が失敗したことに気づいたようだった。
「それでは、これで」
それを知るなり、ニーナ達は早々に立ち去ろうとしていた。
「お待ちください、ファーラー男爵夫人!」
私がニーナを呼び止める前に、シュリアが怒りの表情で、ニーナに食ってかかっていた。
「事故とはいえ、ワインをかけた相手に、正式な謝罪もないのですか!?」
普段は温厚すぎるほどなのに、シュリアらしくない怒り方だった。
ニーナは少し怯んだのか、扇で口元を隠す。
「そんなに目くじら立てなくても・・・・」
「アルムガルト侯爵に、もっときちんと謝罪してください」
「何様なの、侯爵令嬢」
すかさず、ニーナの取り巻きが前に出てきた。
「男爵夫人にたいして、なんて口の聞き方なの? マナーがなってないわ」
「令嬢は社交場にあまり出てきていないから、当然のマナーを知らないのね」
ニーナの取り巻き達はここぞとばかりに、シュリアを攻撃しはじめた。
「ワインをかけたのに、上辺だけの謝罪ですませ、逃げるように立ち去ることが、あなた方が言うマナーなのですか?」
だけど、シュリアのほうも怯まなかった。長い付き合いなのに、シュリアが強固な態度で相手に食ってかかったところを、私ははじめて見た。その勢いのまま、シュリアはニーナ達に詰めよっていく。
「ただの不幸な事故じゃない。そんなに騒ぎ立てないでよ!」
「お言葉ですが、男爵夫人。私の記憶が正しければ、あなたがこういった場で粗相したのは、一度や二度のことじゃありません。デビューしたばかりの令嬢達が、夫人に頭からワインをかけられ、真っ赤になっている現場を何度か見たことがありますよ。私自身も一度、あなたにワインをかけられました」
過去の悪事を持ち出され、動揺したのか、ニーナはわずかに怯む。
「過去のことをいつまでもぐちぐちと・・・・意外と根に持つタイプなのね」
「過去のことではありません。アルムガルト侯爵がワインをかけられたのは、たった今、起こったことなんですから」
「・・・・・・・・」
シュリアが言い返すと、ニーナは黙りこんだ。
(・・・・ニーナは本当に、昔と変わらないわね)
怒りを通りこして、呆れていた。
ニーナはアリアドナのことが心から好きで、彼女の友達を続けてきたわけじゃない。アリアドナのコバンザメでいるほうが、利益を得られるから、そうしているだけだった。
ヴュートリッヒの傘下に入れば、男爵家が得をするという面もあるけれど、ニーナの場合、アリアドナの下で、彼女が主導するいじめに加担できるという点のほうに、惹かれている気がする。
ニーナは特別美人なわけじゃないし、貴族社会では身分が低いほうだから、嫁ぎ先も小さな領地しかない、男爵家しか選べなかった。彼女個人の力では、美人の令嬢達に家格でも才能でも勝てないけれど、アリアドナの翼下でなら、彼女は自分よりも格上の令嬢達を攻撃し、やり込めることができる。
ーーーー今、私やシュリアを攻撃したように、ニーナはアリアドナという後ろ盾をちらつかせ、社交界で他の令嬢達をいじめてきたのだろう。
だから今後も、アリアドナには〝絶対正義〟であってもらわなければ、彼女自身が困るのだ。すでにニーナは、アリアドナと一蓮托生なのだから。
「どうか、社交界の先輩として、淑女にふさわしい行動を見せてください」
「言わせておけば! 聖女と呼ばれるようになって、調子に乗ってーーーー」
「そのへんにして」
このままでは事態は収拾しないと思ったので、私は両者の間に割って入る。
「みなさん、私がアルムガルト家の当主だということをお忘れじゃないかしら」
シュリアの前に立ち、私はまっすぐニーナを睨みつける。
「私は今、恥をかかされました。アルムガルド家は正式に、ファーラー男爵家に抗議します。後日、正式に男爵家に謝罪を求めますので、あしからず」
「なっーーーー」
ニーナは青ざめる。
(子供のころの感覚が抜けないニーナに、男爵夫人としての自覚を持たせるにはこれしかないわ)
彼女は幼いころ、私をいじめていた。子供だから家格も関係なく、他の令嬢にたいする意地悪も大目に見てもらえていたけれど、大人になった今は違う。
今の私は、多くの事業を手がけるアルムガルド家の当主だ。
それに比べてニーナは、夫に事業をすべて任せている男爵夫人にすぎない。
さらに注釈を加えるなら、ファーラー男爵は、もめ事を極端に嫌う人だった。何度か会ったことがあるけれど、男爵は私に丁寧に接してくれた。彼が私のことをどう思っているのか、本心はわからないにしても、こんな醜聞は嫌うはずだ。
なによりも私は、ファーラー男爵の事業の取引相手でもある。
ニーナに何を言っても、彼女が私達の抗議を真剣に考えることはない。
だから、ファーラー男爵に出てきてもらおう。夫の言葉なら、ニーナも聞かないわけにはいかないはずだ。
「では後日、正式な場で会いましょう」
「待ちなさいよ!」
案の定、夫に報告されるのは困るらしく、ニーナは追いかけてきた。
「夫まで巻き込むなんて、卑怯でしょ!」
「卑怯なのは、ワインをかけたのにまともな謝罪すらせず、シュリアを攻撃したあなた達のほうじゃないかしら?」
「謝ったでしょ!」
「さっきの、まったく心がこもってない謝罪じゃなくて、正式な謝罪のことよ」
「ちゃんと心をこめてたわよ!」
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