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 タチバナさん――どういう漢字をあてるのかは知らない――の失礼な態度に、腹を立てなかったかと問われれば、まあムッとはした。

 けれども、だ。

 けれどもタチバナさんの情熱は――「使える」と思った。

 なんの根拠があるのかは不明だが、タチバナさんは自分であれば私から出雲を略奪できると踏んでいるのだ。

 たしかにタチバナさんは私よりは遥かに、ハッキリとした美人だった。

 私なんて前世の冴えない顔の自分よりも、見苦しくない顔面の今世の自分を見て悦に浸っていたと言うのに、タチバナさんはそんな気分を一度に吹き飛ばせるくらいの美人だった。

 ……まあ、そのぶんと言うか、そのせいなのか、性格はやや難がある様子だが。

 けれども、だ。

 けれども私から出雲を奪ってくれるのならば万々歳である。

 もろ手を挙げて歓迎したい。

「出雲の希望は一八になったら即結婚して大学行かずに家庭に入ってすぐ子供を作ることだけど、いいの?」

 ただ、タチバナさんがあとから「話と違う!」とか言い出したら面倒だなと思い、出雲の希望――というか野望?――については先に話しておいた。

 タチバナさんが騙されていたのであれば可哀想という気持ちは一切なく、ただトラブルを防止するためだけの、事務的な確認だった。

「出雲が愛してくれるならそれ以上のことはないでしょ!」

 タチバナさんは鼻息荒くそう言い、私のことを軽蔑したまなざしで見た。

 私はそれに内心でムッとしつつも、出雲がタチバナさんを愛してくれるのであれば、最初からそれで丸く収まったのに……という思いでいっぱいにならざるを得なかった。

 神様がいるのだとすれば、完全にキャスティングを間違えている。

 はじめから私の位置にタチバナさんを立たせてやればよかったのだ。

 そして私は高校生になって実在の出雲を見て、「やっぱりリアルの私が出雲と恋人になるなんてムリだったんだよね……」と、青春の蹉跌、そして儚くも美しい思い出として恋愛感情を処理できればそれでよかったのに。

「あんたみたいな生半可な人間じゃ、ハナから出雲の恋人なんて務まるわけなかったってこと!」

 私は再びタチバナさんの無礼な物言いに、ムッとしつつも、しかし彼女の言うことはまったくもってその通り過ぎたので反論はしなかった。

 そう、私には覚悟が足りなかったのだ。

 どんな出雲でも愛せると断言できるような覚悟が、私にはなかった。

 それは事実だった。

 ヤンデレな出雲を愛せたり、「ヤンデレサイコー」とか言えちゃったのは、しょせん安全圏からフィクションとして楽しめる位置にいた人間の世迷い言。

 出雲のことはたしかに好きだったけれど、それは漫画――『あやかsickレコード』に描かれた範囲でのこと。

 私には、「どんな出雲でも愛せる」と言い切れるほどの情熱は――なかったのだ。

 そのことは、少しショックだったし、さびしくもある。

 前世でだって、さすがに「出雲が好きだという気持ちはだれにも負けない!」なんて思うほど自惚れていたわけではなかったけれども、出雲のことはたしかに好きで――愛していたから。

 けれども転生した現実の私は、出雲を愛することへの覚悟も、情熱も、なにもかもが足りなくて。

 タチバナさんの言う通りに「生半可」なことしかできなかったわけで――。

 ……でも、たくさんの愛情を注いでも、半分も返すことのできない私みたいな人間よりも、全力で出雲を愛してくれる人間と付き合ったほうが、出雲だって幸せなはずだ。

 そう、思って……私は出雲への気持ちにピリオドを打った。

 つもりだった。

「ねえ、タチバナさんから聞いたんだけれど」

 出雲は、漫画『あやかsickレコード』に登場したころによく見せていた憂いをたたえた表情――言うまでもなく麗しい――で私を見下ろしている。

「タチバナさんが俺の恋人になってもいいって、紬が言ったって……本当?」

 そして私は出雲に押し倒され、出雲の右手はわたしの左頬隣の床に、左膝は私の股のすぐ下に位置している状況だ。

 この状況に至り、私はようやく悟った。

 毎度毎度、察するのが遅いのはもう持病――無論、不治の病――と言ってしまったほうがいいかもしれない。

 しかし、そう、私は遅まきながらに一応悟れはしたのだ。

 タチバナさんの妙な自信の裏には、たぶんなんにもなかったのだということを。

 そしてタチバナさんは出雲に突撃して、玉砕したのだということを。

 ……それらを悟るにはなにもかもが遅すぎたが。

 そして私の心に浮かんだ言葉はひとつ。

 ――タチバナさん?! まったく役に立っていないどころか状況を悪化させるとかどういうこと???!!!

 しかしタチバナさんはこの場にはいないし、なんだったら今この町、この国にいるのかどうかすら怪しい。

 さすがに生きてはいると思うが……怒りをフルバーストさせた出雲が相手であれば、それもちょっと怪しいかなと、思わなくも、ない……。

 しかしまず気にすべきは己の身である。

「だって……出雲が」
「俺が?」
「出雲が『大学に行って欲しくない』みたいなこと言うから」
「え?」

 出雲は私の言葉に、憂いをたたえた表情を引っ込めて、「ものすごく意外です」とばかりに目を瞠った。

 私は出雲の虚を衝かんとばかりに、一気呵成に畳みかける。

「だって……私だって大学行きたいよ。できれば出雲と同じところ。それで……それでさ、一緒にキャンパスライフ~みたいなこと考えてたのに。出雲は私に大学行って欲しくなさそうなこと、言うから」

 私の脳裏に、「ザ・責任転嫁」の文字が躍った。

 いやでも、いくらか出雲のせいにしてもバチは当たらないよね?! ――そう思ってしまうくらいには、私は先日の出雲の発言には腹を立てていたのだと、今さらながらに気づいた。

 私はたぶん、感情を呑み込んだりするのが遅いのだ。

 なにか言われて、あとからメチャクチャに腹を立てて根に持つタイプなのだと思う。

「早く家庭に入って欲しいとか、子供も早く欲しいとか、出雲にだって夢があるのはわかるよ? でも私にだって出雲と違う夢はあるんだよ……」
「紬……」
「それに私、出雲ともっといろんな場所に行きたい。家族が増える前に、ふたりっきりの思い出がもっと欲しい」
「そっか……」

 私は内心ドキドキだった。

 心臓が早鐘を打っているが、そこに甘い雰囲気は一切なく、イヤな感じに耳元で拍動の音が聞こえるようだった。

 出雲はどう出るかは未知数。

 しかし――

「ごめん、紬。俺……紬が俺と別れたがってるんじゃないかって思って」

 私は賭けに勝った。

 ――でも出雲! その考えはまったく間違ってないよ!!! 大当たりだよ!!!

 けれどももちろん、私はその心の声を実際に舌に乗せはしなかった。

 そんなことをすれば今度こそ監禁コースまっしぐらだからだ。

「ごめんな。ちょっとあせって、嫌なこと言っちゃったな……」
「ううん。出雲を不安にさせちゃったのは、私も悪いところがあったかもだし……」

 ――実際には一ミリも自分が悪いなんて思っていませんけどね!!!

 しかしここは舌先三寸!

 私は漂う穏やかな和解ムードを利用し、自らの希望を押し通す方向へと密かに舵を切って行く。

「出雲、そんなに急がなくてもいいんじゃないかな?」
「でも……紬ってすごく魅力的だから、心配で」
「……え? 疑ってるの?」
「そうじゃない! でも、不安になるんだ。紬のことが好きすぎて……」
「……わかった。でもこの前みたいに強引に押し進めるやり方は好きじゃないから、やめて欲しいな?」
「うん。わかった。ごめんな、紬」
「いいよ」

 ――いや~~~完全勝利S! って感じじゃない?! 恋愛経験値なくてもなんとかなるもんだな~~~。

 そう思って私は早くも胸を撫で下ろした。

 しかしこのあとすぐに出雲が婚姻届けを持ち出し、「一八になったら出そう!」と言って記入することに圧をかけてくることを私はまだ予測できないのであった。

 ――さっき「強引に押し進めるやり方は好きじゃない」って私言ったよね?! 出雲、「わかった」って言ったよね?! 舌の根の乾かぬ内によくできるな?!

 そう心の中で泣きわめきながらも、結局テコでも意思を曲げないつもりの出雲を前に、絶望するまであと数分――。

 そこから屈するまで三時間――。

 そしてその三時間で私はイヤというほど悟るのだ。

 どうあがこうが、この、愛が重いのは当たり前の世界で生きて行くしかないことを――。
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