バケモノ王子とその先生

やなぎ怜

文字の大きさ
8 / 19

(8)

しおりを挟む
 それは、先生が突然俺の屋敷へとやってきてから一週間も経たないうちの出来事だった。

「私もついて行く」

 先生の言葉に俺は困惑した。困惑したが、半分うれしかったのもまた事実だ。

 きっかけはセヴリーヌから「たまには王宮へきなさい」という「お誘い」の手紙だった。その手紙には返事をしてある。もちろん答えは「体調不良につきご遠慮いたします」……そんな内容の手紙を送った。

 実際に、俺の精神状態がよろしくないのは王宮内の事情に精通している人間には、知られている話だった。

 セヴリーヌは父が娶った妃のひとりで、俺の母とは違い、身元の確かな元侯爵令嬢である。高飛車な態度を取るでもなかったし、俺に辛く当たるような人間でもなかったが、俺はイマイチ彼女のことを信用できずにいた。

 俺に近づく価値などない、と強く思っているのも原因のひとつだ。戦時下ならいざ知らず、戦後世界では俺は不要の存在だった。正確には、不要の存在に「戻った」と言うべきか。

 そんな俺に接近しようとするセヴリーヌの姿は、俺には不気味に映る。

 俺がもっと、高位の王子であれば話は別だ。セヴリーヌは王宮内での身分は高いが、その子供は王女しかいない。つまり、将来的に国母になれる可能性はほとんどない、ということだ。

 だから我が子の腹違いの兄弟に接近し、上手いこと身内の令嬢を嫁がせるなりできれば――という考えを抱くのは、特におかしなことではなかった。おかしいのは、そうやって近づくのがミソッカス王子の俺だという点だ。

 しかしこれはすべて俺の邪推にすぎない。俺に「お誘い」をかけたのにはまた別の理由があるのかもしれない。けれどもそこに純粋な「好意」みたいなものを見出すのは、至難の業と言ってよかった。

 王宮内が伏魔殿と変わりがないことは、俺も肌で感じていた。実際に、ミソッカスの俺が命の危機に晒されることなどはなかったが、腹違いの兄たちの、王宮内での権力闘争は遠い離宮にいる俺の耳にも入っていた。

 だから正直に言って、王宮にはあまり近づきたくはない。そう思っていたのに、セヴリーヌから追撃をかけるような「お茶会のお誘い」の手紙が届いたのだ。再び、断りの手紙を書くのは気が重い。それに茶会の前に欠席の手紙が届くかどうかはギリギリに見えた。

 仕方なく俺は慌ただしく準備をして出立する旨を、屋敷に逗留する先生へ、イヤイヤ告げたのだった。目的のよくわからない「お茶会」に出るくらいだったら、正直に言って先生と一緒に机を囲む方がいい。けれどもそんなワガママが通せないこともまた、俺はわかっていた。

 なのに――。

「私もついて行く」

 先生はあっさりと、俺が最も欲しかった――そして、決してもらえはしないだろうとあきらめていた――言葉を発した。

 先生の言葉に、俺は困惑の表情を浮かべたと……思う。けれどもそこに喜びがにじみ出てはいやしないだろうかと気になった。

「先生?」

 俺は戸惑いのままに先生を呼ぶ。先生はしばらく考え込むような顔をしていたかと思うと、またゆるりと顔を上げて俺を見た。

「できるだけそばにいたい。駄目ならそれでいいが……」

 紫水晶のような瞳には、相変わらず表情はない。けれども心なしか、先生の柳眉が下がっているような気がした。

 ズルい。先生にそんな言い方をされて、そんな顔をされて、断れる人間が世界のどこにいるだろう?

 先生は単に保護者のつもりで俺について行くつもりなのだと、何度も心に言い聞かせる。俺たちを慈しんでいた先生のことだ。俺の精神状態がよくないことを見て、心配でついて行こうとしているのだ。そうに違いない。

 それでも現金な俺の心は、先ほどまで感じていたイラ立ちなど雲散霧消し、今では喜びに浮き上がっている。相変わらず、「お茶会」は憂鬱だったが、それでも先生が同じ王宮内にいるのであれば、なんだか心強いような気がした。

「そんなことはない。ない、が……いいのか?」

 この国にバケモノを授けた先生。そのことを恐れ、よく思わない人間がいることを俺は知っている。その結果として暗殺未遂疑惑などが噴き上がったりもしたのだ。

 けれども先生はなんてことない顔をしてただひとこと「大丈夫だ」とだけ言った。

 先生の身支度は早く、その日の昼過ぎには俺たちは公爵領を出て王都へと向かった。

 王宮内に設けられた豪奢な客室に立ち入るのは久しぶりで、郷愁よりも「またここに戻ってきたのか」という嫌気の方が先立った。

 俺たちをバケモノとして戦えるように教導していた先生は、そのあいだはずっと客室で暮らしていたらしい。らしい、と言うのは先生が逗留していた客室を訪れたことはなかったからだ。

 隣の客室に入った先生は、懐かしさとかを今まさに感じているのだろうか? そんなことを考えていれば、扉がノックされて、当の本人がやってきた。

「身支度を手伝う必要はあるか?」

 来意を簡潔に伝える先生に、俺は「大丈夫だ」と言うのをやめて、「髪を整えて欲しい」と言った。「お茶会」へと向かうギリギリまで、先生と一緒にいたかった。先生はそれをわかっているのかいないのか、わからない顔をして「わかった」とだけ言って部屋に入ってくる。

「侍女は借り受けなかったのか」
「……先生が見てくれ」
「わかった」

 立たせた俺の周囲を何度もぐるぐると回って服を確認したあと、先生は俺を鏡台の前に座らせる。先生は俺が必要としていることを聞くばかりで、なぜ侍女を呼びつけなかったのかとか、そんなことは微塵も聞きはしなかった。

 俺は、そのことにホッとする。だれか他人の手がテリトリーへ触れることに、戦後すぐ頃から強いストレスを抱くようになっていた。だから、メイドのひとりだって連れてきてはいない。

 けれども、先生なら大丈夫だった。むしろ安心感すらあって、多くの人間が母親に感じる安らぎのようなものは、こんなものなのかと夢想すらした。

「髪がパサついている。栄養が足りてないんじゃないか」
「あんまり食べられていないからな……」
「そうか。まあ、まったく食べられていないわけじゃないんだろう」
「ああ」
「なら、いい」

 先生に髪を触られていると、自然と断髪式のことを思い出す。あのときは無垢な気持ちで胸を高鳴らせていた。今となっては少々滑稽に映るほどに。

 けれどもどうだろう。今こうして先生に髪を触られていると、あのときのような切ない気持ちに襲われる。鏡越しに先生を見れば、先生は熱心な目つきで俺の髪を櫛でいている。肩より長い俺の髪をどうにかまとめようとしている姿が、なんだか健気に思えてまた胸が締めつけられた。

「先生……」
「どうした」
「断髪式の……出征前の――あのとき切った髪がどこへ行ったか、知っているか?」
「ああ、あの……」

 先生は、しっかりと断髪式のことを覚えているようだった。

 しかし――。

「たしかに私が一時的に預かっていたが……王宮を離れるときにそちらへ渡した。だから、今どこにあるかはわからない」
「そう、か……」

 口から漏れ出た声は、思ったよりも落胆の色が強くて、俺自身びっくりした。

 先生はそれを耳ざとく聞き取ったのか、俺の髪をまとめながら、こんなことを言い出す。

「そうだな……お前が茶会をしているあいだは手持無沙汰だし、捜してこようか」
「そんな……安請け合いしていいのか」
「私も気になっているし、まだ王宮には知人もいくらか残っている。そちらを当たってみれば、わかるかもしれない。お前を待っているあいだ、やることもないしな」
「それなら……」

 先生が暇でやることがないと言うのなら、任せてしまってもいいのだろうか? 俺は先生の手をわざわざ煩わせるほど、ずっと気になっていたことではないだろうと思いつつも、仲間たちの髪を取り戻せるのならば取り戻したいという思いも強くあった。

「それなら、頼む」

 神妙な面持ちの俺が、鏡に映っている。不意に、鏡越しに先生と目が合った。先生はただいつものように「わかった」とだけ言って、俺の髪を黒いリボンでまとめ上げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生した女性騎士は隣国の王太子に愛される!?

恋愛
仕事帰りの夜道で交通事故で死亡。転生先で家族に愛されながらも武術を極めながら育って行った。ある日突然の出会いから隣国の王太子に見染められ、溺愛されることに……

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……

そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。

雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。 その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。 *相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...