バケモノ王子とその先生

やなぎ怜

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「いらっしゃいジル。さあさあどうぞ座って」

 開口一番飛び出しそうになったのは、「騙された」という言葉だった。しかしもちろん、そんなことは口には出せない。セヴリーヌと、楚々とした俺より年下の令嬢が座るティーテーブル――恐らくわざと小さいものを選んだのだろう――へと仕方なく近づく。繊細な細工が施されたイスの背もたれを、今は見ている余裕がなかった。

 席に着くとセヴリーヌが待っていましたとばかりに、小柄な令嬢たちを紹介する。しかし、俺の頭に中々名前は入ってこなかった。考えていたことと言えば、同じ小柄な体格でも、先生の方が存在感があるなということであった。

 しかしそんなことも言っていられないので、頭で何度か令嬢たちの名前を繰り返し、無理矢理覚える。茶髪の方がナデージュ、ブルネットがミリアン。この中庭を出たらすぐに忘れる名前だ。そう思うと、今必死で覚えようとしている自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

 ナデージュもミリアンも、おっとりと微笑んでいるので感情は読めない。おいそれと表に感情を出さないのは貴族の嗜みだということくらいわかっていたが、それに引っかかりを覚えてしまうのは、俺が狭量だからだろう。

 ここが「お見合い」の場ならば――もしかしたら夫婦となるべき相手の前ならば……感情をすべて覆い隠して結婚して、その後上手く行くのだろうか? そんな、聞きわけのない子供みたいなことを考える。

 先生も感情は読みにくい。特に、出会ったときはいっそ不気味にすら思った。けれども短くも濃密に時間を共有しているうちに、単に表情と言う形で感情が表に出てこないだけで、心の内の起伏はかなり豊からしい、ということがわかった。

 ……目の前に先生がいないのに、結局俺は先生のことばかり考えている。

「……様が亡くなられてからもう一年経つでしょう? だから、いい区切りだと思ったのよ」

 意識の半分を先生に持っていかれていた俺は、急に母親の名前を出されて我に返った。手元のティーカップからは湯気が立ち上っている。対面する令嬢たちは、扇で口元を覆って、注意深く俺を観察しているようだった。

 ……安心したまえ。俺は君たちの夫になる気はないから。と、心の中で彼女らに呼びかける。

 貴族たちの見合い攻勢を戦後すぐは「戦争が終わったばかりだから」と避け、母が亡くなってからは「母の喪に服しているうちは」とかわしていた。そういうわけで見合いを断るための、都合のいいカードは全部切ってしまった、というわけだ。

 父からの愛をあきらめたのは、バケモノになってなお俺は道具でしかない現実を戦場で知ったから。

 母からの愛をあきらめたのは――当の本人が先に逝ってしまったから。

 言葉にするとそう長くはない、ひと息で読めてしまう理由だ。

 己との見合いを「いい区切り」扱いをされていることについて、彼女たちはどう思っているのだろう? そもそも、どう言いくるめられて今この場に座っているのだろう? ……俺にはなにもわからなかった。わかっているのは、彼女らは俺の妻になどならないだろうということくらいか。

 母が亡くなってから一年経つが、俺には未だ彼女がしぶとく生きているような気がしてならなかった。息絶える瞬間は見てはいなかったものの、その思っていたよりもずいぶんと小さくなった遺骸は、きちんと見送ったというのに。

 セヴリーヌの言葉に、俺は曖昧な笑みで返す。どう思われようが、どうでもよかった。そう、どうでもよかった。

「ずっと独り身だなんて、天国のお母様もきっとご心配なさっていると思うわ」

 あの母が――俺のことを心配するなどとは、とうてい思えなかった。そもそも、天国にいるのかどうかすらわからない。いや、母は現状に満足していたから、王宮内の揉め事や足の引っ張り合いに加担したことはないはずである。となれば、セヴリーヌの言うように天国にいるのだろうか?

 ……いずれにせよ、母の愛をあきらめた俺には、どうでもいい話だった。

「あら、緊張しているのかしら?」
「ええ、まあ。こちらのご令嬢方があまりに可憐で」
「あらあら、言うじゃないの」

 扇で口元を隠したまま、ひとことも発さない令嬢に、曖昧な笑みを浮かべたままの俺。この「お見合い」が上手く行く要素はひとつも見いだせない。

 しかしセヴリーヌはそのことにじれている様子もなく、赤く小さな唇を動かしてこともなげに言う。

「そうね、戦争のお話でもしてあげたらどうかしら」

 顔に浮かべていた、曖昧な笑みが強張るのがわかった。セヴリーヌはしかし、それに気づいているのかいないのか、話を続ける。令嬢の視線に、好奇の色が宿ったような気がした。……なんだか自分が衆人の前に引き出された、物珍しい畜生にでもなったような気がした。

「ねえ? たくさん勲章をもらったじゃない……勇ましく戦ったって……」

 急に耳鳴りが聞こえ出して、それは徐々に大きくなって行った。視界が明滅しているような気がする。ぐにゃぐにゃと脳みそをつかまれたような不快感に襲われる。

 ……ああ、こんなときに。やめてくれ、こいつらに弱みは見せたくない。

 そう心中で願うようにつぶやくが、俺の目頭はじわじわと熱くなって行く。いつもの、お決まりの涙だ。制御不能の涙だ。こらえることのできない、涙がじわじわと目頭に出てこようとしている。

 目の前の景色と、戦場の景色がなぜかオーバーラップした。すると急に辺りに腐臭が漂い始める。……いや、これは錯覚だ。わかっている。屋敷でもたまに起こることだ。

 ぺちゃくちゃとしゃべり続けるセヴリーヌ。好奇の視線を向けてくる令嬢たち。俺は……それに耐えられなくなって、「失礼」とだけ言って立ち上がり――その場から逃げ出した。

 中庭に面した王宮の廊下にある、白亜の大きな柱にどっと背を預ける。そのままずるずると下へ下へと向かって行って、廊下の床に座り込んだ。ぼろぼろと熱い涙が落ちてきて、頬を濡らす。化粧をしていなくてよかった、と思った。

 ひと通り泣いて、冷静になって湧いてくるのは自己嫌悪だ。見合いの席から中座して逃げ出したなんて、あとでなんと言われるかわかったものではない。けれども……耐えられなかった。こらえきれなかった。

 どうにかこうにか、「泣き顔を見られるよりもマシだ」と自分に言い聞かせる。それでもあの見合いの場に戻る気になれなくて、もういっそ逃げてしまおうかとまで考える。当たり前だが、礼を失した行いだ。けれども……そうだ、無理矢理参加させたセヴリーヌが悪いのだ――。

「ジル?」

 先生の声が聞こえる。俺ははじめ、それを幻聴だと思った。けれども顔を上げると思っていたよりもすぐ近くに先生がいて、思わず肩を揺らしてしまう。

「先生? どうしてここに?」
「それはこちらのセリフだ。茶会は終わったのか?」
「……それよりも、先生。その手にあるのは――」

 先生の質問に答えず、先生が大事そうに持っているその手元へと視線を落とした。先生は「ああ」と言って、その白い紙で包まれたそれを、丁寧な手つきで広げる。

「――あ」

 俺は小さく息を吐いた。嘆息に近いため息だった。

 先生の手元の、白い紙には、リボンでまとめられた様々な髪が収められていた。直毛、癖っ毛、猫毛。髪質に差はあったが、いずれも綺麗な白髪……。

 そこにあったのは、俺たちの――仲間たちの髪。

 あの日、出征を控えたあの日、先生が手ずから丁寧に切ってくれた髪たちが、白い紙の上に横たわっていた。

「あったんだ。意外と、すぐに見つかった」
「捨てられて……なかったんだな」
「ああ。それで『このままだと捨てられる可能性もある』と言われて引き取ってきたんだが……よかったか?」
「……先生が持っていてくれ。いや、持っていて欲しい。……みなそれが本望だろう」
「お前がそう言うのなら……」

 俺の声は震えていた。じわじわとまた涙が浮かんでくる。けれども先生の顔を見ているうちに、なんだか落ち着いてきた。仲間はみな喪ったが、先生はここにいる。そう考えると、あの見合いの場から逃げ出してしまった自分が、急に恥ずかしく思えてきた。

 そうだ、もう王宮からすら逃げ出そうと思っていたが、ここでそんなことをしては、俺に戦い方を教えてくれた先生が、もしかしたら悪く言われるかもしれない。――セヴリーヌたちが先生の存在をそもそも知っているかどうかすら、わからないが。

「先生は……もう客室に戻るのか?」
「そうだな。お前の用事が終わるまではぶらついていようかと思っていたんだが」
「……すまない。席を外している最中なんだ。……戻らないといけない」
「そうだったのか。それじゃあ、呼び止めて悪かったな」
「いや、先生に会えてよかった」

 先生は、俺の言葉を捉えて、根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。ただ「待っている」とだけ言って、踵を返して廊下の向こうへと消えた。俺はそれを見送ったあと深呼吸をする。何度かそうしてから、憂鬱な気持ちを引きずりながらも見合いの席へと舞い戻ることにした。
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