バケモノ王子とその先生

やなぎ怜

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 しっかりと化粧をしている先生を見るのは初めてだった。いつもは男の俺には化粧をしているのかしていないのかわからないくらいの、薄化粧しかしていない。それでも先生はじゅうぶんに美しかった。

 セヴリーヌが使わした侍女たちの手で着飾られた先生は、ハッとするほどに美しい。

 ひとついただけないのは胸を強調するドレスだということだろうか。流行りの型がこういうものなのだから、目をつむるしかないのだろうが。先生は相変わらず、そんなことを気にしたりはしない。まったくもっていつも通りだ。気にしてしまう俺は、「ムッツリ」というやつなのかもしれないので、あまり考えないようにする。

 ドレスの色は散々議論して華やかながら落ち着きのある深紅となった。先生の銀色の髪にはよく似合っている。デコルテには金のネックレスが輝き、先生の美しさを強調していた。

 先生があまりに綺麗だったので、俺はしばらく馬鹿みたいに見惚れていた。先生のドレス姿を見るのは当たり前のように初めてで、新鮮なおどろきが俺の中に生まれる。同時に、こんなにも美しい先生の姿をだれにも見せたくないという欲求も生まれた。……もちろん、この装いは他人に見せるための武装のようなものなので、俺の欲求は叶えられるわけがないのだが。

「先生、どうだ。ドレスを着てみて」
「いや、特には。こんなものなのだな、というつまらない感想しか浮かばない。……それよりも化粧が気になる。肌が覆われている感じが……」
「まあ、男爵の家には挨拶にだけ行くようなものだ。すまないが、今しばらく耐えてくれ」
「大げさだな。挨拶だけでいいのか?」
「元々、予定にはなかったことだ。セヴリーヌの顔を立てる挨拶をするだけでも、じゅうぶんだろう」

 女性をエスコートすること自体は、何度だってしたことがある。ミソッカスの王子でも、王子は王子。それなりに夜会などに呼ばれることはあった。けれどもエスコートをする相手に、少しでも心を持ったことはあっただろうか? そう振り返ってみると、自分が冷血なような気がして、遅まきながらに反省する。

 俺の中にはいつだって疑心暗鬼があって、エスコートをする相手がいくら愛想よくしていても、上辺だけの笑顔しか向けられなかった。それは今振り返ってみると、少し酷だったなと思う。他人の心を読むことなんて、だれにだってできはしないのに……。

 俺の腕にそっと手をかける先生を見下ろす。手袋に包まれた先生の指は、不思議といつもより細く、頼りないような気がした。それでも先生は先生で、その細い指が震えているなんてこともなくて、エスコートされる姿は堂々としたものだった。「夜会にそう出たことはない」という先生の言葉に疑問を呈したくなるくらいに。

 やしきに入り、来客の波に混じってアングラード男爵と夫人に挨拶をする。セヴリーヌの言った通り、新興の貴族であるから、当然ながら俺の記憶にはない顔だった。男爵の鷲鼻が印象に残った以外に、取り立てるような部分はなかった。

 俺の見事なまでの白髪を見て、男爵はすぐに正体を知ったようだった。明らかに、視線が変わる。夫人の方がどっしりと構えているという印象を抱くくらいに。

 男爵は俺と深く話したげにやや強く握手をしてきたが、俺は笑顔でそれをかわした。男爵には話したいことがなにかしらあるのかもしれないが、残念ながら俺にはない。男爵に挨拶をしたいという来客がどんどんと押し寄せているのを背で感じていたこともあって、俺は手短な挨拶を済ませると、先生を連れてホールへと向かった。

 礼を失しているという自覚はあったが、先生の紹介はしなかった。先生を見ても、先生はまったく気にしていない様子だ。それよりもホールに用意された軽食の類いに視線を吸い寄せられているのがわかる。「色気よりも食い気」。そんな言葉が脳裏をよぎり、俺はくすりと笑ってしまう。

 ホールではバシバシと視線を感じた。俺の白髪は人混みの中でも目立ったし、横にいる先生もまず見ない銀色の髪を持っている。そうでなくても先生の美しさは人の視線を一手に集めているようだった。……先生はと言えば、そんな視線を意に介する様子もなく、軽食をぱくついている。

 周囲から先生の正体を聞きたそうな気配を感じる。けれども公爵である俺に話しかけられるような人間はいない。そういう仕組みをわかっているからこそ、挨拶のために夜会へ出ようと思えたのだ。

 こちらから声をかけなければ、わずらわしい談笑に時間を割く必要もない。あとは適当に時間を潰して、頃合いになれば先生を連れて帰ってしまえばいい。

 手にしたグラスに口をつけ、果実酒で喉をうるおす。横にいる先生の機嫌はいいようだ。そんな先生を見ていると、微笑ましい気持ちになってくる。先生と言葉を交わさずとも、気まずい気分にはならなかった。むしろ、居心地の良ささえ感じた。

 ……しかし、穏当に過ごせたのはそこまでだった。

「ジル。ちゃんと出てくれたのね? ああよかった」

 俺に声をかけてきたのは、俺が夜会へ出ざるを得ないよう仕組んだ張本人であるセヴリーヌだった。王妃であるセヴリーヌに声をかけられて無視などできようはずもなく、俺は外向きの笑みを浮かべて「ええ」とだけ答える。先生もセヴリーヌに気づいたらしく、軽食を眺めるのをやめて、俺のそばに身を寄せる。

「こちらが、その『先生』?」

 値踏みするような目。どこの馬の骨とも知れない輩を見る目は、しかし「見た目だけはいいわね」と言いたげだった。俺はそんなセヴリーヌの視線に不愉快な気持ちになるが、先生は相変わらず動じる様子はない。

「初めまして、妃殿下」

 先生は恭しくお辞儀をしたあと、異国風の響きがある名前を口にする。先生の頭の動きに合わせて、シャンデリアの光を受けて銀色の髪にできた白い輪がきらきらと輝く。

「あら、いいのよそんなにかしこまらなくったって」

 心の底ではそんなことは毛の先ほども思っていないんだろうなと、俺はひねた目で見てしまう。

「それで、なんの用です?」
「本当に愛想がないわね、ジル。そんなんじゃあ娘たちが寄ってこれないでしょう」
「……今日は彼女をエスコートしていますから」

 横目で先生を見る。そんな視線に気づいた先生も俺を見上げる。しばし見つめ合う姿は、もしかしたら恋人同士に見えるかもしれない……と邪念を抱くが、すぐに恥ずかしくなってかき消した。

 セヴリーヌに視線を戻せば、ご令嬢方に関心を向けない俺に彼女は不満げである。どうしても俺を結婚させたいようだが、その情熱はどこからくるのだろうか? 不思議で仕方がない。

「まあいいわ。男爵のお話はお聞きになった?」
「いえ……。あちらは忙しいようですから」

 これまた見覚えのない男と談笑しているアングラード男爵を見やる。来客すべてと挨拶を終えただろうあとも、彼の前から人は途切れていない。そのまま次に言葉を交わすのは、邸を辞するときだろうと思っていたのだが、あろうことかセヴリーヌが直接男爵を呼び寄せた。

「これはこれは殿下」

 最賓客であるセヴリーヌに仲介されたとあっては、男爵も無視はできないだろうし、それは俺も同じだった。

「こうして語り合えること、光栄の極みにございます」

 俺は曖昧な笑みを浮かべて、これまた曖昧に言葉を返す。男爵はちらりと俺の横に立つ先生を見た。一瞬だけ、そこに好色の色が浮かんだことを、俺は見逃さなかった。夫人の前で、よくそんな目ができると、別の意味で感嘆する。

 そして男爵のそばには夫人以外に挨拶のときには見えなかった、年の頃一〇代の後半ほどに見える少女がいた。男爵と同じ髪の色をしているが、鼻の形は夫人に似ていた。

 挨拶の場にはいなかったとして、男爵が改めて少女――想像した通り男爵の娘だった――を紹介する。シビーユと名乗った少女は、鼻のあたりに散ったそばかすがあどけない印象を与える、ごくごく普通の娘に見えた。

「シビーユは今年で一六になるのよ」

 暗に「結婚相手にどう?」と言いたげなセヴリーヌには、ほとほと嫌気が差す。昼間の茶会を見ていれば、俺に結婚の意思がないことなどすぐにわかりそうなものだろうに。あるいは、無理にでも結婚させればあとで俺がセヴリーヌに感謝するとでも思っているのだろうか?

 生まれたときから貴族教育を受けたわけではないシビーユの目はわかりやすかった。ちらちらと俺の白髪を怯えたような目で見て、次いで横にいる先生へ視線を移し、びっくりしたような目になった。なににおどろいたのかはわからないが、あまりにわかりやすい視線だったので、逆に見ているこちらが不安になってくる。

 俺がシビーユに興味を示さないことで一度は見切りをつけたのか、セヴリーヌが今度は男爵の話を振ってくる。

「男爵は先の戦争では武器の買い付けに走り回っていたの」
「そうですか」

「そうですか」以外の感想はなかったし、それ以外どんな感想を述べればいいのやら、皆目見当がつかない。

 そして同時に俺が夜会の誘いを断るようになった理由を遅まきながらに思い出した。

 戦争、戦争、戦争――。どこへ行ってもその話ばかりだからだ。

 戦勝に沸く、浮ついた空気にどうしてもひたれない俺には、仲間をすべて喪った戦争の記憶はあまりに辛すぎた。それとは別に戦争の話を振られると、ときおりフラッシュバックを起こし、幻聴や幻臭といった幻覚症状に見舞われるのもあって、俺は夜会を避けて領地に引きこもるようになったのだった。

 そんな事情をセヴリーヌや男爵は知らない。知らないからこそ、ニコニコと笑みを浮かべて勝った戦争の話を俺の前でする。

 現実問題として、バケモノになって戦場で活躍した以外にはミソッカスでしかない俺を褒めそやそうとすれば、戦争の話をするしかないのだろう。そんなことは、俺にもわかっている。わかっているが――。

「ジル」

 ぐにゃぐにゃとした意識の中で、先生の声だけが明瞭に聞こえた。
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