黒芙蓉寮の異世界先輩

やなぎ怜

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黒芙蓉寮の異世界先輩(1)

 背中から内臓へと刺すような痛みに耐えかねて、宇津季うづきはそばにあった高く黒いつるつるとした表面の鉄柵へ手をやり、背を丸めながらずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

 宇津季を襲う正体不明の痛みは、実のところ入学式のあとから兆候があった。

 それはじわじわと水染みが広がるかの如く、あるいはクモが巣を広げているかのように、痛みは今や宇津季の背中全体へと波及していた。

 入学式から二週間ほど。今日はその痛みに耐えかねて、逃げ込むように医務室へと入って鎮痛剤をもらったものの、あまりましとは言えない状況だ。

 そうこうしているうちにその日の授業がすべて終わってしまったので、宇津季は自寮へ帰ることになった。

 医務室を出る前にスマートフォンを確認すれば、チャットアプリに同学年の従兄弟いとこからメッセージが送られてきたという通知があったが、それに返事をする気力も余裕も、今の宇津季にはなかった。

 のろのろとした足取りで校舎を出て、寮までの道のりを歩いていた宇津季だったが、ひときわ大きな、刺すような痛みに襲われて、道の端でしゃがみ込んでしまった――というわけである。

 背を丸めて痛みが過ぎ去るのをじっと待つ。

 背中に広がる刺すような痛みは、首をのぼってきて、なんだか顎や歯までじんじんと痛んできた気がする。

 宇津季は気が滅入った。

「ツイてる」

 突然、左肩から声がかかって、宇津季はおどろきに体を跳ねさせる。

 思わず左を振り返れば、そこには宇津季と同じ黒い制服に身を包んだ男がいた。

 宇津季はさっと顔色を変えた。

 なにせ男は、宇津季と同じように膝を追ってしゃがみ込み、宇津季の肩口に顔を寄せるようにしていたのだ。

 おまけになにやら非常に興奮した様子で、「ツイてるな~」と言っている。

 ――不審者だ。変態だ。

 宇津季は即座にそう判断して、痛みも忘れてバネ仕掛けのおもちゃみたいにぴょんと立ち上がると、一目散に男から逃げた。


「あれ? 今帰ってきたんだ?」

 寮――赤百合あかゆり寮に帰れば、ちょうど玄関にいた、まだ制服姿のままの従兄弟が不思議そうに宇津季に問う。

 恐らく宇津季が医務室へ行ったきり授業に出ていなかったから、先に寮に帰ったのだろうと思っていたのかもしれない。

 宇津季の従兄弟――ニカは「顔色悪いけど大丈夫か?」と心配そうな声を出す。

 寮の玄関は広く取られてはいるものの、その場に溜まっていては他の寮生の邪魔になるので、宇津季とニカは談話室の方向へと移動しながら会話を交わす。

「……変態に遭った……」
「え? 学園の敷地内で? それとも外?」
「帰寮の途中で……背中の痛みがひどくなって、しゃがみ込んでたら、そこにぴったりくっつくみたいにして……」

 宇津季は先ほどの状況を改めて思い出し、あまりの気味悪さに身震いしそうになった。

 他方、従兄弟のニカはと言えば、宇津季を心配している様子はあるものの、若干どこか他人事のように「えー」と笑った。

 宇津季がニカの肩を軽く押せば、ニカは「それよりも背中の痛みは?」と話題を露骨に変えてくる。

 ニカから問われて、宇津季ははたと気がついた。

「痛みは……どっか行った」

 久方ぶりの、まったく痛みを訴えてこない体に、宇津季の顔色はあからさまに明るくなる。

 とは言えども、無愛想無表情が標準装備の宇津季の顔色がそのように明るくなったとすぐさま気づけるのは、従兄弟のニカくらいのものであった。

 ニカは変わらずどこか面白がった風に

「あれだ。その変態についていったんだよ」

 と、テキトーなことを言ってくる。

 実際、宇津季の背中の痛みは原因不明で、ストレスだとか心因性のなんだかんだだとか言われて、ハッキリとした病名などはついていなかった。

 だからニカなどは面白半分に「呪いじゃね?」などと好き勝手言っていたので、「変態についていった」という発言はその延長線上のものだろう。

 宇津季は目を平らにしてニカを見る。幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士でなければ怒っているところであるが、結局なんだかんだ幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士なので本気で怒ったりなどはしない。

 それでもせめてもの抗議として、宇津季はジトっとした視線をニカに送った。

 だがもちろんニカはそんな宇津季の視線を受けてもどこ吹く風。

「で、その変態ってウチの生徒だった?」
「……たぶん。同じ制服を着てた、と思う」
「じゃータイの色は?」

 ニカに問われて、宇津季は自分のリボンタイへと視線を落とした。

 宇津季とニカは「赤」百合寮に所属しているので、「赤い」リボンタイをつけている。

 この学園では制服のリボンタイの色で所属寮を表し、ブレザーの襟につけたバッジで学年などを表している。

 そして宇津季に声をかけてきた不審者の胸元にあったリボンタイは――

「黒、だったと……思う」

 一生懸命に記憶を手繰り寄せて宇津季がそう言えば、ニカは「マジ?」とおどろきをあらわにする。

 宇津季も言ってから、己の発言のおかしさに気づいた。

 宇津季が知るこの学園の寮は六つ。「赤百合」「青薔薇あおばら」「黄桜きざくら」「緑蘭りょくらん」「紫水仙しすいせん」「白薊しろあざみ」……「黒」を冠する寮名は覚えがなかった。

 一方、ニカは「マジか~」ともう一度似たような言葉を繰り返す。

「その変態ってさ、たぶん――『異世界先輩』だよ」

 宇津季は、ニカの言葉を瞬時に理解することは難しく、目を瞬かせた。

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