1 / 51
黒芙蓉寮の異世界先輩(1)
背中から内臓へと刺すような痛みに耐えかねて、宇津季はそばにあった高く黒いつるつるとした表面の鉄柵へ手をやり、背を丸めながらずるずるとその場にしゃがみ込んだ。
宇津季を襲う正体不明の痛みは、実のところ入学式のあとから兆候があった。
それはじわじわと水染みが広がるかの如く、あるいはクモが巣を広げているかのように、痛みは今や宇津季の背中全体へと波及していた。
入学式から二週間ほど。今日はその痛みに耐えかねて、逃げ込むように医務室へと入って鎮痛剤をもらったものの、あまりましとは言えない状況だ。
そうこうしているうちにその日の授業がすべて終わってしまったので、宇津季は自寮へ帰ることになった。
医務室を出る前にスマートフォンを確認すれば、チャットアプリに同学年の従兄弟からメッセージが送られてきたという通知があったが、それに返事をする気力も余裕も、今の宇津季にはなかった。
のろのろとした足取りで校舎を出て、寮までの道のりを歩いていた宇津季だったが、ひときわ大きな、刺すような痛みに襲われて、道の端でしゃがみ込んでしまった――というわけである。
背を丸めて痛みが過ぎ去るのをじっと待つ。
背中に広がる刺すような痛みは、首をのぼってきて、なんだか顎や歯までじんじんと痛んできた気がする。
宇津季は気が滅入った。
「ツイてる」
突然、左肩から声がかかって、宇津季はおどろきに体を跳ねさせる。
思わず左を振り返れば、そこには宇津季と同じ黒い制服に身を包んだ男がいた。
宇津季はさっと顔色を変えた。
なにせ男は、宇津季と同じように膝を追ってしゃがみ込み、宇津季の肩口に顔を寄せるようにしていたのだ。
おまけになにやら非常に興奮した様子で、「ツイてるな~」と言っている。
――不審者だ。変態だ。
宇津季は即座にそう判断して、痛みも忘れてバネ仕掛けのおもちゃみたいにぴょんと立ち上がると、一目散に男から逃げた。
「あれ? 今帰ってきたんだ?」
寮――赤百合寮に帰れば、ちょうど玄関にいた、まだ制服姿のままの従兄弟が不思議そうに宇津季に問う。
恐らく宇津季が医務室へ行ったきり授業に出ていなかったから、先に寮に帰ったのだろうと思っていたのかもしれない。
宇津季の従兄弟――ニカは「顔色悪いけど大丈夫か?」と心配そうな声を出す。
寮の玄関は広く取られてはいるものの、その場に溜まっていては他の寮生の邪魔になるので、宇津季とニカは談話室の方向へと移動しながら会話を交わす。
「……変態に遭った……」
「え? 学園の敷地内で? それとも外?」
「帰寮の途中で……背中の痛みがひどくなって、しゃがみ込んでたら、そこにぴったりくっつくみたいにして……」
宇津季は先ほどの状況を改めて思い出し、あまりの気味悪さに身震いしそうになった。
他方、従兄弟のニカはと言えば、宇津季を心配している様子はあるものの、若干どこか他人事のように「えー」と笑った。
宇津季がニカの肩を軽く押せば、ニカは「それよりも背中の痛みは?」と話題を露骨に変えてくる。
ニカから問われて、宇津季ははたと気がついた。
「痛みは……どっか行った」
久方ぶりの、まったく痛みを訴えてこない体に、宇津季の顔色はあからさまに明るくなる。
とは言えども、無愛想無表情が標準装備の宇津季の顔色がそのように明るくなったとすぐさま気づけるのは、従兄弟のニカくらいのものであった。
ニカは変わらずどこか面白がった風に
「あれだ。その変態についていったんだよ」
と、テキトーなことを言ってくる。
実際、宇津季の背中の痛みは原因不明で、ストレスだとか心因性のなんだかんだだとか言われて、ハッキリとした病名などはついていなかった。
だからニカなどは面白半分に「呪いじゃね?」などと好き勝手言っていたので、「変態についていった」という発言はその延長線上のものだろう。
宇津季は目を平らにしてニカを見る。幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士でなければ怒っているところであるが、結局なんだかんだ幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士なので本気で怒ったりなどはしない。
それでもせめてもの抗議として、宇津季はジトっとした視線をニカに送った。
だがもちろんニカはそんな宇津季の視線を受けてもどこ吹く風。
「で、その変態ってウチの生徒だった?」
「……たぶん。同じ制服を着てた、と思う」
「じゃータイの色は?」
ニカに問われて、宇津季は自分のリボンタイへと視線を落とした。
宇津季とニカは「赤」百合寮に所属しているので、「赤い」リボンタイをつけている。
この学園では制服のリボンタイの色で所属寮を表し、ブレザーの襟につけたバッジで学年などを表している。
そして宇津季に声をかけてきた不審者の胸元にあったリボンタイは――
「黒、だったと……思う」
一生懸命に記憶を手繰り寄せて宇津季がそう言えば、ニカは「マジ?」とおどろきをあらわにする。
宇津季も言ってから、己の発言のおかしさに気づいた。
宇津季が知るこの学園の寮は六つ。「赤百合」「青薔薇」「黄桜」「緑蘭」「紫水仙」「白薊」……「黒」を冠する寮名は覚えがなかった。
一方、ニカは「マジか~」ともう一度似たような言葉を繰り返す。
「その変態ってさ、たぶん――『異世界先輩』だよ」
宇津季は、ニカの言葉を瞬時に理解することは難しく、目を瞬かせた。
宇津季を襲う正体不明の痛みは、実のところ入学式のあとから兆候があった。
それはじわじわと水染みが広がるかの如く、あるいはクモが巣を広げているかのように、痛みは今や宇津季の背中全体へと波及していた。
入学式から二週間ほど。今日はその痛みに耐えかねて、逃げ込むように医務室へと入って鎮痛剤をもらったものの、あまりましとは言えない状況だ。
そうこうしているうちにその日の授業がすべて終わってしまったので、宇津季は自寮へ帰ることになった。
医務室を出る前にスマートフォンを確認すれば、チャットアプリに同学年の従兄弟からメッセージが送られてきたという通知があったが、それに返事をする気力も余裕も、今の宇津季にはなかった。
のろのろとした足取りで校舎を出て、寮までの道のりを歩いていた宇津季だったが、ひときわ大きな、刺すような痛みに襲われて、道の端でしゃがみ込んでしまった――というわけである。
背を丸めて痛みが過ぎ去るのをじっと待つ。
背中に広がる刺すような痛みは、首をのぼってきて、なんだか顎や歯までじんじんと痛んできた気がする。
宇津季は気が滅入った。
「ツイてる」
突然、左肩から声がかかって、宇津季はおどろきに体を跳ねさせる。
思わず左を振り返れば、そこには宇津季と同じ黒い制服に身を包んだ男がいた。
宇津季はさっと顔色を変えた。
なにせ男は、宇津季と同じように膝を追ってしゃがみ込み、宇津季の肩口に顔を寄せるようにしていたのだ。
おまけになにやら非常に興奮した様子で、「ツイてるな~」と言っている。
――不審者だ。変態だ。
宇津季は即座にそう判断して、痛みも忘れてバネ仕掛けのおもちゃみたいにぴょんと立ち上がると、一目散に男から逃げた。
「あれ? 今帰ってきたんだ?」
寮――赤百合寮に帰れば、ちょうど玄関にいた、まだ制服姿のままの従兄弟が不思議そうに宇津季に問う。
恐らく宇津季が医務室へ行ったきり授業に出ていなかったから、先に寮に帰ったのだろうと思っていたのかもしれない。
宇津季の従兄弟――ニカは「顔色悪いけど大丈夫か?」と心配そうな声を出す。
寮の玄関は広く取られてはいるものの、その場に溜まっていては他の寮生の邪魔になるので、宇津季とニカは談話室の方向へと移動しながら会話を交わす。
「……変態に遭った……」
「え? 学園の敷地内で? それとも外?」
「帰寮の途中で……背中の痛みがひどくなって、しゃがみ込んでたら、そこにぴったりくっつくみたいにして……」
宇津季は先ほどの状況を改めて思い出し、あまりの気味悪さに身震いしそうになった。
他方、従兄弟のニカはと言えば、宇津季を心配している様子はあるものの、若干どこか他人事のように「えー」と笑った。
宇津季がニカの肩を軽く押せば、ニカは「それよりも背中の痛みは?」と話題を露骨に変えてくる。
ニカから問われて、宇津季ははたと気がついた。
「痛みは……どっか行った」
久方ぶりの、まったく痛みを訴えてこない体に、宇津季の顔色はあからさまに明るくなる。
とは言えども、無愛想無表情が標準装備の宇津季の顔色がそのように明るくなったとすぐさま気づけるのは、従兄弟のニカくらいのものであった。
ニカは変わらずどこか面白がった風に
「あれだ。その変態についていったんだよ」
と、テキトーなことを言ってくる。
実際、宇津季の背中の痛みは原因不明で、ストレスだとか心因性のなんだかんだだとか言われて、ハッキリとした病名などはついていなかった。
だからニカなどは面白半分に「呪いじゃね?」などと好き勝手言っていたので、「変態についていった」という発言はその延長線上のものだろう。
宇津季は目を平らにしてニカを見る。幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士でなければ怒っているところであるが、結局なんだかんだ幼馴染で、腐れ縁の従兄弟同士なので本気で怒ったりなどはしない。
それでもせめてもの抗議として、宇津季はジトっとした視線をニカに送った。
だがもちろんニカはそんな宇津季の視線を受けてもどこ吹く風。
「で、その変態ってウチの生徒だった?」
「……たぶん。同じ制服を着てた、と思う」
「じゃータイの色は?」
ニカに問われて、宇津季は自分のリボンタイへと視線を落とした。
宇津季とニカは「赤」百合寮に所属しているので、「赤い」リボンタイをつけている。
この学園では制服のリボンタイの色で所属寮を表し、ブレザーの襟につけたバッジで学年などを表している。
そして宇津季に声をかけてきた不審者の胸元にあったリボンタイは――
「黒、だったと……思う」
一生懸命に記憶を手繰り寄せて宇津季がそう言えば、ニカは「マジ?」とおどろきをあらわにする。
宇津季も言ってから、己の発言のおかしさに気づいた。
宇津季が知るこの学園の寮は六つ。「赤百合」「青薔薇」「黄桜」「緑蘭」「紫水仙」「白薊」……「黒」を冠する寮名は覚えがなかった。
一方、ニカは「マジか~」ともう一度似たような言葉を繰り返す。
「その変態ってさ、たぶん――『異世界先輩』だよ」
宇津季は、ニカの言葉を瞬時に理解することは難しく、目を瞬かせた。
あなたにおすすめの小説
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
悪の策士のうまくいかなかった計画
迷路を跳ぶ狐
BL
いつか必ず返り咲く。それだけを目標に、俺はこの学園に戻ってきた。過去に、破壊と使役の魔法を研究したとして、退学になったこの学園に。
今こそ、復活の時だ。俺を切り捨てた者たちに目に物見せ、研究所を再興する。
そのために、王子と伯爵の息子を利用することを考えた俺は、長く温めた策を決行し、学園に潜り込んだ。
これから俺を陥れた連中を、騙して嵌めて蹂躙するっ! ……はず、だった……のに??
王子は跪き、俺に向かって言った。
「あなたの破壊の魔法をどうか教えてください。教えるまでこの部屋から出しません」と。
そして、伯爵の息子は俺の手をとって言った。
「ずっと好きだった」と。
…………どうなってるんだ?
【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
【完結】もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《根暗の根本君》である地味男である<根本 源(ねもと げん)>には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染<空野 翔(そらの かける)>がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。