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階段怪談(1)
*
――もじゃもじゃとした、獣の腕。
明るいオレンジ色の毛並みと、黒い手指。それはなんとなく、オランウータンのものと似ている。
ニカはそれを直接見てはいなかったが、なぜかそのようなイメージが頭にこびりついて離れない。
靴のうしろやズボンの裾を引っ張られて躓きそうになるたびに、もじゃもじゃとした、獣の腕がニカの脚を引っ張るイメージが脳裏をよぎるのだ。
そして脚のバランスを崩してこけそうになる場所は、毎回決まって階段だった。
幸いにもこれまでに大した怪我には見舞われていない。
軽く転ぶていどで済んだり、あるいはよくいっしょにいるニカの従兄弟である宇津季が引っ張ったり支えてくれたりして、大事故は免れている。
けれどもその運の良さが、いつまで続くかはわからない。
「『階段怪談』ってことお?」
黒い瞳を興味津々に輝かせて、ニカも宇津季もあえて言わなかったことを異世界先輩は口にする。
――異世界先輩に相談してみよう。
そう言い出したのは珍しいことに宇津季のほうからだった。
異世界先輩はついこのあいだ、宇津季に取りついていたなにかを偶然にも追い払った実績――と言い切ってよいのかはわからない――がある。
それにニカと宇津季の同寮の先輩である筒井筒曰く、異世界先輩は「オカルトなものを感じ取れる」性質らしい。
なにやらいずれも曖昧でハッキリとはしないものの、異世界先輩がこの手の話が好きなことだけはたしかなようだ。
ただ、だからと言って相談相手として適切なのかどうかは微妙なところだろう。
それこそ同寮の先輩である筒井筒のほうが真剣に取り合ってくれそうではある。
ニカはそう思ったものの、口に出しはしなかった。
ニカの母方の従兄弟である宇津季は、全人類のことがうっすら怖いんじゃないかと思うていどに、厭世的な態度が目立つ。
切れ長の大きな瞳が美しい宇津季の、その白皙の美貌に惹かれる人間はあとを絶たないが、いずれもすぐに幻滅するか、塩対応に心折れる。
そんな宇津季が異世界先輩に自らかかわりに行こうとする姿勢は、ニカからすれば驚天動地の出来事であった。
単なるお人好しであれば、宇津季がそれほどまでに従兄弟のニカの状況を心配しているのだ、と解釈するだろう。
ニカはそうではなかったので、宇津季が異世界先輩への興味ゆえに、半ばニカをだしにしようとしているのだと解釈した。
いや、宇津季が心の底からニカを心配していることはきちんとニカにも伝わっている。
けれどもそこで、宇津季が相談相手として筒井筒ではなく異世界先輩を選んだのは、いくらか下心があってのことだろう。
ニカはそんな宇津季の心情を察して、面白い気持ちになった。
なにせ追われることはあっても、追うことはなかった宇津季が、いじらしく異世界先輩に近づこうとしているのだ。これが面白くないわけがない。
なのでニカはそ知らぬふりをして「じゃあ黒芙蓉寮に行ってみようぜ」と言った。
「貸しひとつな」
「は?」
宇津季の腕を肘でつついてニカが笑えば、当の宇津季はわかっているのかすっとぼけているのか、そんな声を出した。
黒芙蓉寮のブザーを鳴らせば、前回とは違い異世界先輩がすぐにやってきて玄関を開けてくれた。
そして話は冒頭に戻る。
ニカから一連の出来事を聞かされた先輩が、「階段怪談」などとのたまったあと。
ニカと宇津季の対面のソファに腰かけていた先輩が、やにわに立ち上がる。
「じゃあ階段怪談を探しに行こう!」
「探す……?」
「龍田くんといっしょに校内を回ればなにかわかるかもしれないと思って」
「えーっと、異世界先輩って見えるひと、なんですよね?」
ニカが確認のために、このあいだ筒井筒が言っていたことを問うた。
異世界先輩の回答は、
「さあ」
という、ある種、現在進行形で怪奇現象に襲われている人間には酷なものであった。
「前にも言ったけど私は霊能力者とかじゃないし。でもなんかこの世界のひとには見えないものがたまに見えるんだよね。異世界人だからかな?」
「えー……」
「あはは、がっかりした? でもまあ龍田くんがこけそうになったら、先輩としてクッションくらいにはなるよ」
「支えてくれるとかじゃないんですね?」
「え? 私にそんな腕力があるように見える?」
ニカは黙り込み、宇津季もなにも言わなかった。
異世界先輩は身長こそ二メートル近くあるが、それだけを指して「巨人」だの「大男」だのと表現するには、あまりに細すぎる。いいとこ「細長いモヤシ」といったところだろう。
だからニカも宇津季も口をつぐんだのであった。
「……クッションには、ならなくていいです」
ニカはどうにかそれだけ言った。
――もじゃもじゃとした、獣の腕。
明るいオレンジ色の毛並みと、黒い手指。それはなんとなく、オランウータンのものと似ている。
ニカはそれを直接見てはいなかったが、なぜかそのようなイメージが頭にこびりついて離れない。
靴のうしろやズボンの裾を引っ張られて躓きそうになるたびに、もじゃもじゃとした、獣の腕がニカの脚を引っ張るイメージが脳裏をよぎるのだ。
そして脚のバランスを崩してこけそうになる場所は、毎回決まって階段だった。
幸いにもこれまでに大した怪我には見舞われていない。
軽く転ぶていどで済んだり、あるいはよくいっしょにいるニカの従兄弟である宇津季が引っ張ったり支えてくれたりして、大事故は免れている。
けれどもその運の良さが、いつまで続くかはわからない。
「『階段怪談』ってことお?」
黒い瞳を興味津々に輝かせて、ニカも宇津季もあえて言わなかったことを異世界先輩は口にする。
――異世界先輩に相談してみよう。
そう言い出したのは珍しいことに宇津季のほうからだった。
異世界先輩はついこのあいだ、宇津季に取りついていたなにかを偶然にも追い払った実績――と言い切ってよいのかはわからない――がある。
それにニカと宇津季の同寮の先輩である筒井筒曰く、異世界先輩は「オカルトなものを感じ取れる」性質らしい。
なにやらいずれも曖昧でハッキリとはしないものの、異世界先輩がこの手の話が好きなことだけはたしかなようだ。
ただ、だからと言って相談相手として適切なのかどうかは微妙なところだろう。
それこそ同寮の先輩である筒井筒のほうが真剣に取り合ってくれそうではある。
ニカはそう思ったものの、口に出しはしなかった。
ニカの母方の従兄弟である宇津季は、全人類のことがうっすら怖いんじゃないかと思うていどに、厭世的な態度が目立つ。
切れ長の大きな瞳が美しい宇津季の、その白皙の美貌に惹かれる人間はあとを絶たないが、いずれもすぐに幻滅するか、塩対応に心折れる。
そんな宇津季が異世界先輩に自らかかわりに行こうとする姿勢は、ニカからすれば驚天動地の出来事であった。
単なるお人好しであれば、宇津季がそれほどまでに従兄弟のニカの状況を心配しているのだ、と解釈するだろう。
ニカはそうではなかったので、宇津季が異世界先輩への興味ゆえに、半ばニカをだしにしようとしているのだと解釈した。
いや、宇津季が心の底からニカを心配していることはきちんとニカにも伝わっている。
けれどもそこで、宇津季が相談相手として筒井筒ではなく異世界先輩を選んだのは、いくらか下心があってのことだろう。
ニカはそんな宇津季の心情を察して、面白い気持ちになった。
なにせ追われることはあっても、追うことはなかった宇津季が、いじらしく異世界先輩に近づこうとしているのだ。これが面白くないわけがない。
なのでニカはそ知らぬふりをして「じゃあ黒芙蓉寮に行ってみようぜ」と言った。
「貸しひとつな」
「は?」
宇津季の腕を肘でつついてニカが笑えば、当の宇津季はわかっているのかすっとぼけているのか、そんな声を出した。
黒芙蓉寮のブザーを鳴らせば、前回とは違い異世界先輩がすぐにやってきて玄関を開けてくれた。
そして話は冒頭に戻る。
ニカから一連の出来事を聞かされた先輩が、「階段怪談」などとのたまったあと。
ニカと宇津季の対面のソファに腰かけていた先輩が、やにわに立ち上がる。
「じゃあ階段怪談を探しに行こう!」
「探す……?」
「龍田くんといっしょに校内を回ればなにかわかるかもしれないと思って」
「えーっと、異世界先輩って見えるひと、なんですよね?」
ニカが確認のために、このあいだ筒井筒が言っていたことを問うた。
異世界先輩の回答は、
「さあ」
という、ある種、現在進行形で怪奇現象に襲われている人間には酷なものであった。
「前にも言ったけど私は霊能力者とかじゃないし。でもなんかこの世界のひとには見えないものがたまに見えるんだよね。異世界人だからかな?」
「えー……」
「あはは、がっかりした? でもまあ龍田くんがこけそうになったら、先輩としてクッションくらいにはなるよ」
「支えてくれるとかじゃないんですね?」
「え? 私にそんな腕力があるように見える?」
ニカは黙り込み、宇津季もなにも言わなかった。
異世界先輩は身長こそ二メートル近くあるが、それだけを指して「巨人」だの「大男」だのと表現するには、あまりに細すぎる。いいとこ「細長いモヤシ」といったところだろう。
だからニカも宇津季も口をつぐんだのであった。
「……クッションには、ならなくていいです」
ニカはどうにかそれだけ言った。
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