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不味くなるサロン(3)
「飲食物が不味く感じられるサロン」はその噂のために不人気であり、ゆえに異世界先輩もすぐに予約を取ることができたのだろう。
なので、なんとなくニカは薄暗くて古臭い部屋を自然と想像していたのだが、実物はというと――まったくそんなことはなかった。
異世界先輩が受け取った鍵でサロンの施錠を解いて扉を開ければ、奥の壁が全面ガラス張りという光景が目に飛び込んでくる。ガラス越しに見えるのは、隣接する温室の植物園だ。
不名誉な噂のせいで現状不人気とは言えども、そこは伝統ある学園で受け継がれてきたサロン。アンティークのテーブルとチェア、品のいい調度品、複雑かつ優美な模様を描くシックな壁紙、それからひと目で上等とわかる絨毯。……件の噂さえなければ、恐らくは連日予約でいっぱいだろうと思わせた。
チャコールグレーのテーブルの上には、白いクロスが敷かれており、宇津季がそこに紙の皿を広げた。
なんだか部屋の格調高さと、その使い捨ての紙皿や紙コップのちぐはぐさには妙なおかしみを感じられる。
備え付けの小さなキッチンで湯を沸かした筒井筒が、紅茶のティーバッグを入れた紙コップに湯を注いで回る。
筒井筒はおまけに使い捨てのおしぼりまで準備していた。「世話焼き」という言葉ひとことでは言い表すのはなんだか申し訳なくなるくらい、至れり尽くせりだ。
筒井筒に礼を言い、お高そうなチェアに腰を落ち着けて、おしぼりで手をぬぐう。
「――で、なんか見えるか?」
四人ともがチェアに腰を下ろし、「それじゃあお茶会でも始めますか」というような場面。
流れ的にも、眼前に広がる光景的にも、そうなるのが正道であろうが、お茶会は今回の主目的ではない。
それを思い出させるように、筒井筒は異世界先輩にひとことそう言った。
「なにかいそうな気配がする。たとえば部屋の中に虫がいるなあ~というような感覚が」
「かなり嫌な感覚だな……」
「まあまあ、とりあえずお茶会しようよ! 今日は歓迎会も兼ねてるんだからさ」
普通は新しく入ってきた会員の歓迎会と、奇妙な噂をたしかめるための実験は兼ねないだろう。
ニカはそう思いはしたものの、異世界先輩を相手にそのようなことを口にするのは野暮だと思って、黙っていた。
異世界先輩が音頭を取り、紙コップを軽く当て合う。もちろんガラスの杯のような音なんてしないけれども、「歓迎会っぽい」雰囲気にはなった。
「異世界先輩は……チーズタルト、好きなんですか?」
筒井筒がチーズタルトのホールを切り分ける中、宇津季がややぎこちなくそんな質問をする。
ニカは「おっ、頑張ってんなあ」などと、さながら兄貴分か保護者のような気持ちで宇津季を見守る。
「甘さ控えめから馬鹿みたいに甘いものまで、甘いものはなんでも好きだよ」
「それはいいけど毎食菓子パン食おうとするのはやめろよ」
「いや……最近は結構我慢してる!」
「本当かよ」
「本当だよ」
異世界先輩と筒井筒の気の置けないやり取りを聞きつつ、ニカはチーズタルトを口に運ぶ。家庭料理サークルに入っているだけあるのか、タルト生地はサクサクで、ほどよく上品な甘さだ。
異世界先輩もチーズタルトを呑み込み、「おいしい!」といつもより明るい笑顔を浮かべている。
「異世界先輩は料理するんですか? 黒芙蓉寮って寮母さんとかいないですよね?」
ニカがふとした疑問を口にする。以前、筒井筒は「黒芙蓉寮にはひとりしかいない」というようなことを言っていた。それは寮生を指してのことなのか、それとも寮で仕事をしている職員も含めてのことなのかどうか、ニカは知らなかった。
しかし二度訪れた黒芙蓉寮には、知る限りでは異世界先輩しかいないようだった。
当然、黒芙蓉寮以外の他の寮には、寮の管理をする職員が何人かいる。何十人といる寮生の食事を作る寮母などが、その筆頭と言えるだろう。朝晩の二食は寮で食事を取るから、それらをまかなう寮母の存在は、育ち盛り食べ盛りの男子高校生にとっては大きいものだ。
そんなニカの疑問に対し、異世界先輩は「私ひとりだね」とさらっと言う。
「昼は食堂が開いてるからそこで食べるけど、朝と夜はなんかテキトーに買ってきたものとかを食べてる」
「自炊覚えたらどうだ」
「気軽に言うねえ~」
筒井筒の言葉に、異世界先輩は「まったく自炊なんてする気はないです」という声音で返す。
「……そもそも、なんで異世界先輩だけ黒芙蓉寮に入れられてるんですか?」
「『余分な生徒』っていうこの学園の七不思議のひとつは知ってる?」
ニカがまた疑問をぶつければ、異世界先輩から今度は問いで返される。
やや面食らったものの、「知らないです」と首を振れば、異世界先輩はいつもの微笑みを浮かべたまま言う。
「その名の通り、いつの間にか生徒の数が増えてるって七不思議なんだけど……それってまさしく私のことだと思わない?」
「え? ……いや、でも、異世界先輩は普通に現実に存在する人間ですよね?」
「私はそのつもりだけれど、みんながみんな龍田くんみたいに解釈するわけじゃないって話」
「……えーっと……異世界先輩はその、人間じゃないと思われてるから黒芙蓉寮に入れられてる、という解釈でいいですか?」
ニカが慎重に言葉を選んで問えば、異世界先輩は「どうだろうね?」と曖昧な返事をする。
「……『余分な生徒』はいつの間にか現れて、いつの間にか消える存在。私はいずれ消える存在だから学園に籍を置くことを許されてるってところもある。どこで生まれてどうやって生きていたかの記録がない、宙ぶらりんな存在だからね。――みんな嵐が過ぎ去るのを待ってるんだよ」
ニカは、呆気に取られた。
「……消えなかったら、どうなるんですか?」
「さあ? どうにか仕事を見つけて暮らして行かないといけないね。それが生きている人間というものだから」
――なんだか、それは。
「――なんだか、それって、嫌です」
そう口にしたのはニカではなく、宇津季だった。
宇津季は、じっとなにかをこらえるかのように、食べかけのチーズタルトに目線を落として、そう言った。
「……上手く、言葉にできないですけど」
宇津季は、苦しそうに言った。
なので、なんとなくニカは薄暗くて古臭い部屋を自然と想像していたのだが、実物はというと――まったくそんなことはなかった。
異世界先輩が受け取った鍵でサロンの施錠を解いて扉を開ければ、奥の壁が全面ガラス張りという光景が目に飛び込んでくる。ガラス越しに見えるのは、隣接する温室の植物園だ。
不名誉な噂のせいで現状不人気とは言えども、そこは伝統ある学園で受け継がれてきたサロン。アンティークのテーブルとチェア、品のいい調度品、複雑かつ優美な模様を描くシックな壁紙、それからひと目で上等とわかる絨毯。……件の噂さえなければ、恐らくは連日予約でいっぱいだろうと思わせた。
チャコールグレーのテーブルの上には、白いクロスが敷かれており、宇津季がそこに紙の皿を広げた。
なんだか部屋の格調高さと、その使い捨ての紙皿や紙コップのちぐはぐさには妙なおかしみを感じられる。
備え付けの小さなキッチンで湯を沸かした筒井筒が、紅茶のティーバッグを入れた紙コップに湯を注いで回る。
筒井筒はおまけに使い捨てのおしぼりまで準備していた。「世話焼き」という言葉ひとことでは言い表すのはなんだか申し訳なくなるくらい、至れり尽くせりだ。
筒井筒に礼を言い、お高そうなチェアに腰を落ち着けて、おしぼりで手をぬぐう。
「――で、なんか見えるか?」
四人ともがチェアに腰を下ろし、「それじゃあお茶会でも始めますか」というような場面。
流れ的にも、眼前に広がる光景的にも、そうなるのが正道であろうが、お茶会は今回の主目的ではない。
それを思い出させるように、筒井筒は異世界先輩にひとことそう言った。
「なにかいそうな気配がする。たとえば部屋の中に虫がいるなあ~というような感覚が」
「かなり嫌な感覚だな……」
「まあまあ、とりあえずお茶会しようよ! 今日は歓迎会も兼ねてるんだからさ」
普通は新しく入ってきた会員の歓迎会と、奇妙な噂をたしかめるための実験は兼ねないだろう。
ニカはそう思いはしたものの、異世界先輩を相手にそのようなことを口にするのは野暮だと思って、黙っていた。
異世界先輩が音頭を取り、紙コップを軽く当て合う。もちろんガラスの杯のような音なんてしないけれども、「歓迎会っぽい」雰囲気にはなった。
「異世界先輩は……チーズタルト、好きなんですか?」
筒井筒がチーズタルトのホールを切り分ける中、宇津季がややぎこちなくそんな質問をする。
ニカは「おっ、頑張ってんなあ」などと、さながら兄貴分か保護者のような気持ちで宇津季を見守る。
「甘さ控えめから馬鹿みたいに甘いものまで、甘いものはなんでも好きだよ」
「それはいいけど毎食菓子パン食おうとするのはやめろよ」
「いや……最近は結構我慢してる!」
「本当かよ」
「本当だよ」
異世界先輩と筒井筒の気の置けないやり取りを聞きつつ、ニカはチーズタルトを口に運ぶ。家庭料理サークルに入っているだけあるのか、タルト生地はサクサクで、ほどよく上品な甘さだ。
異世界先輩もチーズタルトを呑み込み、「おいしい!」といつもより明るい笑顔を浮かべている。
「異世界先輩は料理するんですか? 黒芙蓉寮って寮母さんとかいないですよね?」
ニカがふとした疑問を口にする。以前、筒井筒は「黒芙蓉寮にはひとりしかいない」というようなことを言っていた。それは寮生を指してのことなのか、それとも寮で仕事をしている職員も含めてのことなのかどうか、ニカは知らなかった。
しかし二度訪れた黒芙蓉寮には、知る限りでは異世界先輩しかいないようだった。
当然、黒芙蓉寮以外の他の寮には、寮の管理をする職員が何人かいる。何十人といる寮生の食事を作る寮母などが、その筆頭と言えるだろう。朝晩の二食は寮で食事を取るから、それらをまかなう寮母の存在は、育ち盛り食べ盛りの男子高校生にとっては大きいものだ。
そんなニカの疑問に対し、異世界先輩は「私ひとりだね」とさらっと言う。
「昼は食堂が開いてるからそこで食べるけど、朝と夜はなんかテキトーに買ってきたものとかを食べてる」
「自炊覚えたらどうだ」
「気軽に言うねえ~」
筒井筒の言葉に、異世界先輩は「まったく自炊なんてする気はないです」という声音で返す。
「……そもそも、なんで異世界先輩だけ黒芙蓉寮に入れられてるんですか?」
「『余分な生徒』っていうこの学園の七不思議のひとつは知ってる?」
ニカがまた疑問をぶつければ、異世界先輩から今度は問いで返される。
やや面食らったものの、「知らないです」と首を振れば、異世界先輩はいつもの微笑みを浮かべたまま言う。
「その名の通り、いつの間にか生徒の数が増えてるって七不思議なんだけど……それってまさしく私のことだと思わない?」
「え? ……いや、でも、異世界先輩は普通に現実に存在する人間ですよね?」
「私はそのつもりだけれど、みんながみんな龍田くんみたいに解釈するわけじゃないって話」
「……えーっと……異世界先輩はその、人間じゃないと思われてるから黒芙蓉寮に入れられてる、という解釈でいいですか?」
ニカが慎重に言葉を選んで問えば、異世界先輩は「どうだろうね?」と曖昧な返事をする。
「……『余分な生徒』はいつの間にか現れて、いつの間にか消える存在。私はいずれ消える存在だから学園に籍を置くことを許されてるってところもある。どこで生まれてどうやって生きていたかの記録がない、宙ぶらりんな存在だからね。――みんな嵐が過ぎ去るのを待ってるんだよ」
ニカは、呆気に取られた。
「……消えなかったら、どうなるんですか?」
「さあ? どうにか仕事を見つけて暮らして行かないといけないね。それが生きている人間というものだから」
――なんだか、それは。
「――なんだか、それって、嫌です」
そう口にしたのはニカではなく、宇津季だった。
宇津季は、じっとなにかをこらえるかのように、食べかけのチーズタルトに目線を落として、そう言った。
「……上手く、言葉にできないですけど」
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