黒芙蓉寮の異世界先輩

やなぎ怜

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神隠し癖(2)

 路面電車の駅を出て、山裾にあるケーブルカーの駅を目指す。

 相変わらず景色はどこからどこまでも灰色がかっていて、空は明確に灰色だ。

 けれども色合いと、煙のようなものが闊歩していることを除けば、見慣れた建造物、道路、空には冬の雲が浮かんでいる。

 ニカは元の世界へ戻れないかもしれないという可能性にはもちろん気づいていたが、それはあまりにも恐ろしすぎるので考えないようにしていた。

 隣を行く宇津季もきっとその可能性に気づいているのだろう。彩度の低い景色を見るその顔、眉間にはかすかにしわが寄っていた。

 ひとりで迷い込んだわけではないのだ、とニカは自身に言い聞かせる。

 宇津季もいるし、異世界先輩や筒井筒もいる。

 この奇妙な世界でひとりきりではないという事実は、少しだけ心強かった。

「それにしても動じなさすぎだろ」

 ケーブルカーの駅を目指して、急勾配の坂を上る。

 街を抜ければ周囲には木々や雑草が生い茂り、人家の類いはまばらに点在している。

 ニカと宇津季よりも先を行く筒井筒は、隣を歩く異世界先輩にそんなことを言う。

 ニカの位置からは先輩ふたりの後ろ姿しか見えず、その表情を窺うことはできない。

 しかし異世界先輩はけろっとした声で、

「そりゃ、こういうことは初めてじゃないからね」

 と言った。

「つっくん、私のこと『異世界』って呼んでるのに、私が異世界人なこと忘れちゃった?」
「あ? ああ……。そういやそうだったな」

 ニカもすっかり異世界先輩が、「異世界先輩」と呼ばれている謂れを忘れてしまっていたので、筒井筒同様に一瞬呆気に取られたあと、納得した。

 そうこうしているうちに、ケーブルカーの簡素な駅舎の屋根が見えてきた。

 駅舎に入ると、「生徒専用」の札がかかった改札口はいつも通り開きっぱなしだったが、肝心の駅員の姿がどこにもない。

 常であれば学生証を提示して通過する場所である。四人は当然学生証を所持しているので、通っても問題にはならないだろうが、気分としてはキセル乗車でもしようとしている感じではあった。

 改札口を抜けて、ケーブルカーを待つことにする。

 不意に、ニカは改札口を通り抜けたすぐそばに壁に、見たことない貼り紙があることに気づいた。

『さがしています』

 貼り紙の一番上には太く大きな黒い文字でそんな文章が印刷されていた。

 そしてその文言の下には、証明写真を引き伸ばしたかのような顔写真が大きく掲載されている。

 顔写真には見覚えがあった。

 見間違えようはずもない。

 異世界先輩の顔だ。

「なんだこれ……」

 宇津季も貼り紙に気づき、不気味なものを見たとばかりの声を出す。

 それで筒井筒と、当の異世界先輩もようやく気づいたらしい。

 ニカがちらりと振り返れば、筒井筒は明らかに動揺した顔をしていたが、異世界先輩はいつも通りの微笑を浮かべていた。

「さっきの話の続きだけれど」
「は? さっきの話?」
「『私は異世界人だよ』って話の続きだよ」
「あ、ああ。そんな話だったか」
「それで、今ここもつっくんたちからしたら異世界でしょう? いや、私にとっても異世界なんだけれども。それで、こういうところに来ちゃってもふらっと戻れるときもあるし、もう戻れないかもしれない。私の経験上、こういうタイプの異世界はそんなに長いこといることにはならないと思うんだけどね」

 異世界先輩は淡々と話しを続ける。

 三人は異世界先輩の話に聞き入っているというよりは、呆気に取られてただ聞き役に徹するしかない状況だった。

「それに、元の世界に戻れても忘れ去れていたり、よく知る世界にとても似た世界というだけで、自分はその世界にそもそも存在していなかったりするかもしれない」

 ――「そりゃ、こういうことは初めてじゃないからね」。異世界先輩の先ほどの言葉が、ニカの頭の中でリフレインするようだった。

「私はそういうことを繰り返してきた……なんだろう、『神隠し癖』? 『神隠され癖』? って言うのかな。まあ、そういうわけだから、もしかしたら三人は帰れても私だけ帰れなかったり、あるいはまた別の世界へ行っちゃう可能性はあると思う」

「そしたら、捜しますよ」

 ニカは異世界先輩が滔々と語った内容にどう返せばいいのかわからなかった。

 しかし宇津季は、間髪入れずにそう言い切った。

 宇津季の眉間にはしわが寄っていたが、その形のよい瞳は、今にも泣きそうに見えた。

「……そうだな。お前が迷子になったら捜しに行くわ」

 宇津季の言葉に筒井筒が続く。

 異世界先輩はふたりの言葉に曖昧に微笑んだ。

 ニカは、異世界先輩のその微笑みにあきらめとも取れる感情を読み取って、なんだか面白くない気持ちになった。

 ケーブルカーの大げさにも聞こえる音が、四人がいる駅に近づいてくる。

 頭上から響き渡るアナウンスの声は、路面電車のときと同様に、唸るように低く、上手く聞き取れなかった。

 ケーブルカーの扉が開く。

「さあ、乗ろうか」

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