豊穣の君と聟(むこ)のマウヤ

やなぎ怜

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 このところ日照りが続いて畑の様子が良くない――。

 そんな手紙が村から届いたのは、マウヤが花を買うようになってから半月ほど経った、ある日のことであった。

 単なる一農民の息子であったマウヤに、文字の読み書きは出来ない。だからそれを読み聞かせてくれたのはクナッハだった。

「どうした?」

 顔色の悪いマウヤを見てクナッハは不思議そうな表情を作る。それが、マウヤには別の意図を持って作られたものに映った。

 マウヤはどこまでも愚直だった。それゆえに手紙の内容を聞いた彼の脳裏をよぎったのは、「主たるクナッハが怒っている」という答であった。

 神に仕え、神を愛することで見返りを貰う。それが侍者というものだ。

 ゆえにマウヤはクナッハへの愛の証明のために花を贈った。そこには村のため、という打算があったのだが、マウヤはそのことに後ろめたさを感じていたのである。

 よって村からの手紙の内容を聞いて、マウヤはその打算的な思惑を見通したクナッハが怒っているせいで、村では日照りが続いている、と結論づけたのであった。

「クナッハ様」

 震える声で主の名を呼べば、当のクナッハはいつもの調子で「どうした」と問うた。無愛想で、どこか突き放した色のある声だ。しかしそれはいつものことだった。

 だがそれも悪い考えに支配されている今のマウヤには、別の意思を持って刺さる。

 ――ああ、クナッハ様は怒っているんだ。

 そう思った瞬間、マウヤは地にひれ伏して謝罪の言葉を口にしていた。

「すいません! クナッハ様!」

 それにおどろいたクナッハは、同時になぜこの侍者が突然謝罪の言葉を口にしたのかわからず、当惑の表情を浮かべる。けれども石床に額をこすりつけているマウヤには、そんなクナッハの顔色が、伝わろうはずもなかった。

「クナッハ様を騙したこと、お許しください!」
「は、はあ? 騙す……?」
「すべてはわたしの独断なんです! ですからどうか、村だけは!」
「おい、落ちつけ。お前がなにを言っているのか、私にはさっぱりわからん」

 クナッハはその場で膝を折り、マウヤの肩に手を置いた。けれどもマウヤはどこまでも愚直で、頭の血の巡りが悪かった。

 純粋な疑問から出たクナッハの言葉も、マウヤにはしらばっくれているように聞こえたのである。知らないふりをして、そうまでして怒っているのだと、マウヤは考えたのだ。

「すいません、すいませんクナッハ様、どうか村のみんなのことだけは――」

 マウヤはもう一度石床に額をつける。ごつり、と音がして額に痛みが走ったが、そのことを気にしている場合ではなかった。

 そしてもう一度謝罪の言葉を口にしようとしたとき、後頭部に軽い衝撃が走る。

「この、馬鹿!」

 衝撃の正体は、クナッハの張り手であった。ぱしり、と音がしたものの、それは至極軽いもので、実際にマウヤは痛みを感じなかった。

 けれどもそれは、悪いほうへ、悪いほうへと走るばかりだったマウヤの意識を一瞬だけ止めることが出来た。

「なにを言っているのかわからん、と私が言っているだろう! 御託はいいからさっさと説明しろ!」
「は、はい!」
「それといつまでも地に這いつくばっているな! 見苦しい!」
「はい!」

 それから立ち上がったマウヤは、膝と額についた砂を落とす間もなく、たどたどしい言葉で説明を始める。

「――つまり、打算で花を贈ったゆえに私が怒ったと? お前はそう思ってあのように珍妙な行動に出たと?」
「は、はい……」

 先ほどよりは平静を取り戻していたマウヤだったが、目の前にいるクナッハの機嫌はどう見たって良くない。

 ――ああ、やはりお怒りなんだ。

 マウヤは性懲りもなくそう考えて、身を縮こまらせた。

「つまりお前は、私がさほどに狭量な輩だと――そう言いたいわけだな?」

 クナッハのつり目がちの瞳が、ひと息にマウヤの体を射抜く。その眼光の鋭さに、マウヤは震え上がった。

「す」
「馬鹿か、お前は!」

 再度謝罪を口にしようとしたマウヤの頭を、またクナッハがはたいた。けれどもそれはやはり本気ではなく、ひどく軽い音が響いただけに終わる。

「私が――私が、お前から貰った花を喜ばなかったと、お前はそう言うのか!」
「え? え?」
「お前の打算など、打算とも呼べんわ! この程度のこと、私が知らずと思ったか?!」
「す」
「謝るな!」
「は、はい!」

 そう言われた先から頭を下げたマウヤの頭上から、びりびりと紙を引き裂く景気の良い音が響いた。

 おどろいたマウヤが顔を上げると、まさしく鬼の形相のクナッハが、村からの手紙を引き裂いている最中であった。

「あ、あの」
「なんだ」

 息を荒げて軽く肩を上下に揺らすクナッハが、不機嫌さを絵に描いたような顔してマウヤを見た。マウヤはそれに思わずひるんでしまう。

 無惨に引き裂かれた手紙の断片が、クナッハとマウヤの足元に散らばる。

 宙を漂っていた最後の一片が石床にようやく落ちたところで、クナッハもいささか冷静さを取り戻した。

「……すぐに良いことも悪いことも起こらん」
「え?」
「村のことだ。お前の前任が亡くなってから半年、お前が私の侍者となってからはふた月。以前の――ラーエウトの加護が切れてから四月よつきの開きがある。なら日照りなりなんなり、多少のことは起こっても仕方があるまい」
「そう、なのですか……?」
神都ここからお前の村まで距離もあるのだから、そういうものだ。――私の言うことは、信用あたわぬか?」

 クナッハの言に、マウヤはあわてて首を横に振る。

「いいえ! クナッハ様が嘘を言うなど――」
「ならもう、わけのわからん謝罪はするな! ……不愉快だ」

 そう言ってクナッハはふいと顔をそむけた。

 マウヤはというと、どうすればいいのやらわからなくて、しかしまた謝罪の言葉を口にすれば怒られることだけはわかっていた。

 しばし、ひとりと一柱ひとはしらのあいだに奇妙な沈黙が落ちる。

「……お前が」
「は、はい!」

 急にクナッハが口を開いたので、マウヤは背筋を伸ばして主を見た。

 クナッハはもう不機嫌な顔をしてはいなかった。けれどもその柳眉は気難しげに歪んでいる。しかしそれが照れ隠しゆえだということは、恐らくマウヤを除けばだれもが理解できるものだった。

「お前が、不安に思うのなら……その、考えてやらんでもない」
「な、なにをでしょうか……?」
「その、ね、閨に……閨に――閨に呼んでやろうと言っている!」

 最後はやけっぱちとばかりに、いつものぞんざいな態度でクナッハは言い放ったが、その耳は赤く染まっていた。
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