八月は僕のつがい

やなぎ怜

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「八月……そんなこと、しなくていいよ」
「俺がしたいんだ」
「……恥ずかしいし」

 口ではそう言いながらも僕はまんざらではなく、口元がにやけそうになっているのが、本心だった。

 例の「僕がアルファの生徒を振った」という噂が駆け巡ってからしばらく。生徒たちでにぎわう中庭で、僕と八月は隣り合って昼食をとっていた。

 そしてそんな僕に八月は手ずからものを食べさせたがるようになっていた。

 原因は、僕の邪推でなければ、例の噂が関連しているに違いない。

 アルファはオメガに対する好意の表しとして「給餌」と呼ばれる行動を取ることがある。

 読んで字のごとく、小鳥にエサを与えるように手ずからものを食べさせたがる行動のことだ。

 そうすることで周囲に対象のオメガへ自身が好意を抱いていることを牽制する意味もある――とものの本で読んだことがある。

 僕はオメガじゃない。けれどもなぜか八月はオメガにするべき行動を僕に対して取っている。

 それは僕があのアルファの彼に告白されたからなんだろう。

 その事実が八月の中でいったいどんな化学反応を見せたのかは知らないが、僕のうぬぼれでなければ、彼は僕が他人になびくとでも思ったんだろう。

 そんなこと、天地がひっくり返ってもありえないのに。

 けれども僕が八月の本心がわからないと感じているように、八月も僕の心は覗けない。

 いくら八月が超人的であっても、彼は超能力などというオカルティックな力は持ち得ないのだから。

 でも、僕からすれば「棚からぼた餅」といったところだ。

 あのアルファの彼にはあまりいい感情を抱かなかったが、もし八月の嫉妬を煽ってくれたのなら、ちょっとは感謝してもいいかもしれない。

 僕はそんな、ほの暗い優越感を覚えた。


 八月は相変わらず宇野ヒナタの面倒は見ている。

 けれども宇野ヒナタの元へ行くときはなぜか僕に飴玉を渡すようになった。

 その意味するところは僕にはわからなかった。が、他人とは違う感性を持っている八月にとっては、大いに意味のあることかもしれない。

 あるいは、宇野ヒナタにばかり構っていることへの謝罪のつもりか。

 どちらにせよ僕はその飴玉を舌で転がしているあいだは、八月のことばかり考えてしまう。

 それは八月の思うツボってやつなんだろう。けれども不快ではなかった。


 八月がそういう態度を取って、僕のさもしい自尊心を満たしてくれたので、宇野ヒナタを見ていられる余裕が生まれた。

 彼はやはり、オメガらしさと、オメガらしくなさが奇妙に同居した、魅力的な人間だった。

 オメガらしいか弱さを持つと同時に、オメガらしくない底抜けの明るさや、逆境を跳ね返せそうな強さが垣間見えるのだ。

 偏見にまみれたステレオタイプなオメガってやつは、たいてい可憐だが見た目どおりに心身ともにか弱い。

 ドアマットのように踏みつけられてこそ、フィクションの中のオメガは輝き、最後に幸せをつかむことで見る者にカタルシスを与えるんだろう。

 でも当たり前だが、現実にはそんな悲劇ヅラをしたオメガばかりじゃない。宇野ヒナタがまさしくそうだ。

 転校前の「事件」とやらも、彼はあまり気にしていないように見える。

 だからそんなに八月が面倒を見なくてもいいのではないだろうか――。

 浅ましい僕は、宇野ヒナタに嫉妬せずにはいられない。

 瞬く間にクラスに溶け込み、僕よりずっと友達も多くて、八月に世話を焼かれて、八月の幼馴染で、八月と「つがい」になれる可能性のあるオメガな宇野ヒナタに、嫉妬する。

 もちろん嫉妬の根底にあるのは、羨望だ。

 僕は宇野ヒナタの容姿も、性格も、境遇も、なにもかもがうらやましくて仕方がないのだ。

 それでも最終的に八月はきっと、僕の元に戻ってきてくれる。でなければ毎回飴玉を渡していくなんて、面倒なことをしない――。

 僕はそうやってどうにか自分のちっぽけなプライドを守ろうとした。

 宇野ヒナタを妬ましく思っていたが、間違ってもその不幸を願ってはいなかった。

 いなかったのだが――。


 終業式後の緩み切った空気を感じながら、僕はひとのけた教室でひとり、日直当番の八月を待っていた。

 夏休みに入れば、八月は宇野ヒナタの面倒を見なくて済む。一応、夏期講習が待っているからそのあいだはまた、騎士よろしく面倒を見なければならないらしいが。

 僕は久々に八月との肉体的接触があるのではないかという期待を胸に、夏休みを待ちわびる。

 学校中の人間が、たいていは夏休みを楽しみに待っていた。だから、もう学校に残っている生徒は少ない。

 ……だから、気づいてしまったのは僕だけだった。

 教室にだれもいないのをいいことに、八月の机にそっと触れたあと、僕はなんの気なしに廊下へと出た。

 そのときにふっと裏庭を見たら、宇野ヒナタがいたのだ。

 正確には、彼は大きく粗野な手に口を塞がれて、どこかへ引きずられて行くところだった。

 一拍置いて、僕の心臓はおどろきに大きく跳ねた。

 一瞬にして、大変なものを目撃したという思いに支配される。

 今まさに、目の前で犯罪がなされようとしている場面に遭遇した僕の体は、震えた。

 宇野ヒナタをどこかへ連れて行こうとする生徒に気づかれるのが怖くて、僕はその場にしゃがみこんだ。

 けれどもそのうちにいてもたってもいられなくなって、僕は駆け出していた。

 逃げるためではない。宇野ヒナタを助けるために。

 けれども一階まで階段を降りきったところで、僕には宇野ヒナタを助け出せる腕力なんてないことに気づく。もちろん、機転を利かせて助ける、などという頭脳もない。

 僕は焦る気持ちをどうにか押さえ込みながら、スマートフォンで八月に助けを求めた。

 どうやら僕が教室にいないことに気づいて、ちょうどスマートフォンを手に取ったところだったようだ。

 そうでなければこんなに早く返事がくるわけがない。ということにすら、僕は気づかないほどに混乱していた。

『どうしたらいい?』

 僕の手のひらはみっともなく汗をかいていた。

 宇野ヒナタが引きずられていたあとを見つけた僕は、その先に古びた体育倉庫があることに気づいた。

 グラウンドとの行き来が面倒くさいと不評の体育倉庫は、不良の溜まり場になっているなどともっぱらの噂があるくらいだ。

 ひと気がなく、扉を閉められて、なにかをするには丁度いい場所。

 そこに宇野ヒナタがいる――。

 僕の手の中にあるスマートフォンが震えた。

『体育倉庫にいるのかも』
『間違っても入るな』
『でも証拠の動画くらいは撮れるよ』

 僕には腕力もなければ頭脳もないが、手の中にあるスマートフォンの録画機能を使えば、宇野ヒナタを連れ去った人物たちへの牽制になるかもしれない。

 そう思った僕は八月の返事も待たずに、体育倉庫の上部に設けられた窓へとスマートフォンをかざす。

 そして案の定、体育倉庫の中からは、宇野ヒナタと彼を連れ去った生徒の声が聞こえてきた。

 下卑た笑いが響き渡ると、僕は気持ち悪くなった。

 こんなところにオメガとの噂がある宇野ヒナタを連れ込んですることなんて、ひとつだ。

 それがわかっているからこそ、僕はその卑劣さに吐き気を覚えた。

 宇野ヒナタが発情期にあるかどうかはわからないけれど、きっと彼らは宇野ヒナタが誘惑したとか、ありもしない言葉を並べ立てるに違いない。

 普段の宇野ヒナタを見ていれば、彼がそんなことをする人間じゃないと、わかるのに。

 そしていよいよ宇野ヒナタに危機が迫ったのを、僕は壁越しの声で感じ取った。

 脚はがくがくと震えていた。スマートフォンを掲げる腕も、かすかに震えている。

 それでも僕は――僕はただ、卑怯者になりたくないという浅ましい心から、体育倉庫の扉を開けた。

「だれだあ?」

 邪魔をされて不機嫌そうな男子生徒の声が、体育倉庫の中に響いた。

 僕はスマートフォンの録画画面越しに彼らを見た。ズーム機能を使うまでもなく、ハッキリと見える彼らの顔を、しっかりと映す。

「犯罪ですよ」

 僕は毅然と言い放ちたかったが、その声は情けなく震えていた。

 それを聞いて、男子生徒たちは鼻で笑った。目の前にいるのが恐ろしげな生徒指導の教師ではなく、貧相な体つきのただのベータだとわかったからだろう。

「で?」

 余裕綽々、といった態度が癇に障る。けれども僕は彼らを殴り飛ばして、床に転がる宇野ヒナタを華麗に助ける――なんてことは、できない。

 数的優位に立っている彼らに殴り飛ばされて、ボコボコにされる未来が易々と想像できた。

「東くん……」

 床に転がっていた宇野ヒナタがわずかに上半身を起こす。その顔には痛ましいことに殴られたあとがあった。

「東くん、ダメだよ……逃げて」

 宇野ヒナタがそう言い終らないうちに、僕は腕を引っ張られて前のめりになる。それでもスマートフォンだけは離さず、ぎゅっと抱き込むようにして奪われるのをどうにか防ごうとした。

「東? こいつ、長峰のオメガじゃねえの?」
「僕はオメガじゃ――」
「え? マジで? じゃあこいつもヤッちまおうぜ」

「オメガのアソコってすげえ気持ちいいらしいぜ」――そんなことでゲラゲラと笑う彼らが、まるで異星の生物のように感じられて、僕は気分が悪くなった。

「でもこいつ、ホントにオメガか? ブサすぎんだろ」
「いや、でも長峰のオメガらしいよ?」
「ヤッてみたらわかるっしょ。オメガのケツマンコって勝手に濡れるらしいし」

 伸びてきた手に触れられるのがイヤで、僕は思わず近づいてきた男子生徒の股間を蹴り上げた。

 僕も思わず顔をしかめるような感触が、脚に伝わる。

 金的を食らった男子生徒は、うめき声を上げてのたうちまわる。そりゃそうだ。当たり前だ。

 ざまあ見ろと思うと同時に、やってしまったという恐怖が込み上げてくる。

 にわかに色めき立つ他の男子生徒たちの空気を感じて、僕はこれまでか、と思った。

 が――

「コラーーーッ! なにをしてるーーー!」

 いつも厳しい生徒指導の体育教師の大音声だいおんじょうが響き渡って、僕は一瞬呆気に取られた。

「うわっ」
「ヤベエ!」
「コラアッ! 逃げるんじゃないッ!」

 バタバタとあわただしく体育倉庫から逃げて行く彼らの姿を、僕はただポカンと間抜け面で見送るしかできなかった。

「雪宗! ヒナタ!」
「あ……」
「ヒナタ! その顔……大丈夫か?!」

 次に体育倉庫に入ってきたのは、他でもない八月だった。

 八月は床に転がったままのヒナタを抱き起こすと、その顔を見て柳眉をひそめた。

「顔はだいじょうぶ……」
「……他は?」
「……うん。なんともないよ。東くんが来てくれたし……それに八月も」
「それならいいが……」

 不覚にも絵になるな、と僕は思った。

 美男子同士、お似合いだなと思ってしまった。

 そうやって現実逃避とも取れる考えに支配された僕の前で、宇野ヒナタは唐突に泣き出した。

 不意を突かれた僕は、宇野ヒナタが前の学校で巻き込まれたらしい「事件」とやらの存在を、遅まきながら思い出す。

「なんで……なんでこんな……」
「ヒナタ……」
「ゴメン八月……涙が、止まらな……」
「いい。いっぱい泣いていい。だれも駄目だなんて言わない」

 八月が優しい手つきで宇野ヒナタの背中を撫でる。

 宇野ヒナタは大きくしゃくり上げ、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。

 僕はそのときになって、軽率に「オメガになりたい」などと考えていた自分の浅ましさに気づいて、その場から消えたくなった。

 そしてこんなときにまで、僕は宇野ヒナタを同情の目で見ながら嫉妬していた。

 八月に心配されて、八月を独占できて――やっぱり、「つがい」になれる彼は、妬ましい。

 八月だってあんなにも僕を「つがい」にするような行為を示していたのに、あやうく暴行されそうになった、そばにいる僕には目も向けない。

 優しい視線で宇野ヒナタを見ている八月へ八つ当たりじみた感情を抱いて、僕の心はぐちゃぐちゃだった。


 そのまま僕らは遅れてやってきた教師に連れられて保健室へと向かうことになった。

「僕はケガしてないから……」

 そう言って保健室から出た僕の腕を、八月がやんわりと引き寄せる。けれども僕は八月を振り返っただけで、彼のそんな力には抗った。

「宇野くんのそばにいてあげて」
「いや、それは――」
「……僕じゃなくて、宇野くんのそばにいた方がいいよ。うん。その方が、たぶん――合ってる」

 なぜベータはアルファやオメガに恋をしないのか、することを避けるのか、わかった気がする。

 アルファにはオメガ、オメガにはアルファ。それが正解なのだ。

 なのになぜか、八月はまるで理解できないといった不可解そうな顔をする。

「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。宇野くんのそばにいるのは、八月じゃなきゃダメなんだ。――それじゃ!」

 僕はその場の空気に耐えられなくなって、無理やり会話を切り上げる。

「おいっ」

 そしてそんな八月の呼び声から逃げるように、僕は通学鞄を手に学校を飛び出した。

 そうして家に逃げ帰った僕は、自室であまりに浅ましく、可愛げがなさすぎる自分が嫌で、泣いた。

 そのまま八月からの連絡も全部無視して、夏休みへと入ったのだった。
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