運命売切御免(うんめいうりきれごめん)

やなぎ怜

文字の大きさ
6 / 7

(6)

しおりを挟む
「相談してくれてありがとう」「怖かったよね」……榮がそう言って珊瑚の肩を抱き寄せたので、珊瑚は危うく涙をこぼしそうになった。

 榮は約束通り珊瑚を責め立てるようなことはしなかったし、その不安を抱く心に寄り添ってくれた。それが、なによりもうれしく、珊瑚をひどく安堵させた。

「ごめん。嘘ついたりしてごめん」
「謝らなくていいよ。あの場ではそうするしかなかったんだろ? 珊瑚は女の子なんだからさ。いきなり大人の男に迫られたら怖くなっちゃうのは普通のことだって」
「うん……でも」
「もういいって。それに……珊瑚の言ったこと、あんがい本当かもよ?」
「え?」

 珊瑚は榮の顔を見た。榮はいつも通りの顔をしていたので、珊瑚は彼が己の心を和ませようと冗談を言ったのだと思い、「ふふ」と思わず笑みをこぼす。

 その珊瑚の額を榮は人差し指で軽く押す。

「……その男のこと、どうする?」

 ひと段落したところで榮が珊瑚に問うた。

 その問いに珊瑚は困り果ててしまう。

「どう、って言われても……」
「そうだよね。まあ、珊瑚が出来ることは限られてる」
「うん……」
バラしちゃおうか」
「え?」

 ひどく軽やかな調子で榮が言ったので、はじめ珊瑚は己がなにかひどい聞き間違いをしたのかと思った。

 榮はいつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま、畳み掛けるように続ける。

「だって、珊瑚が打てる手は限られてる」
「……うん」
「ひとつ、このままその『運命』とかいう男と一緒になる」
「……それは嫌」
「だろうね。……ふたつ、『運命』とかいう男とは一緒にならない」
「でも」

 その言葉の先を紡ぐには、珊瑚の勇気は足りなかった。

 珊瑚の肉体は、本能は、あの男を求めていた。馴れ馴れしく珊瑚に触れて、下卑た笑みを浮かべた男を。

 だから、榮の言ったように「男と一緒にならない」という選択肢を己が遂行できるのか珊瑚にはわからなかった。

 なにかのはずみで男と――。そういうことはいくらでも想像できる。それほどまでに「運命」がもたらす効能は絶大だった。

「『でも』――『運命』に抗うのは難しい」

 榮は、珊瑚が言わずとも彼女の懸念を見透かしていた。

 言葉にされたことで再び珊瑚の中に不安が渦を巻く。来て欲しくない未来ばかりが脳裏を埋め尽くして行く。

 男と一緒になるとか、そういうことをする未来は絶対に嫌だった。なのに記憶を想起させて、あの男から香ったフェロモンのにおいを思い出すと、珊瑚の下腹部はずんと重くなった。それが、吐きそうなほどに気持ち悪い。

 再び、珊瑚のまなじりに涙が浮かんで行く。

 榮の言った通り、珊瑚が打てる手は限られているが、そのどれもが珊瑚が思い描く最悪の未来を遠ざける決定打には欠けているように思えた。

バラそうか」

 榮がいつもと同じ顔をして、明日の天気でも話すかのような調子で言う。

 榮の口調からは剣呑な様子は一切感じられない。けれどもたしかに榮は今、珊瑚の「運命」の男に殺意を向けている。

 珊瑚はそのことがなんとなく怖かった。けれどもそれで榮を一度に嫌いになるということもなく、ただ漠然と彼もヤクザものの血を引いているのだという事実を実感するばかりだった。

「でも、さ……」
「ん?」
「犯罪だよ」
「そうだね。でも表に出なければ罪に問われることはない」
「うん……」
「手はずは俺が整える。大丈夫。口の堅い組員には心当たりがあるから」
「うん……」
「このままじゃ珊瑚は不幸になる。好きでもない男と『運命』だっていうだけで結婚させられるかもしれない」
「……それは嫌」
「うん。――じゃあバラすしかないよね? 大丈夫。バラしてしまえばもう『運命』のまやかしはなくなるよ。な、珊瑚。その男、バラすよな?」

 珊瑚は榮が決して「殺せ」とも「殺してあげる」とも言わないことに気づかなかった。

 榮はずっと「殺すかどうか」の判断を珊瑚にゆだねていることに、珊瑚は最後まで気づかなかった。

 なぜだか「殺せば『運命』など関係なくなる」と語る榮の言葉に、妙な実感がこもっていることにも、珊瑚は気づかなかった。

 ただ、「運命」の男を殺すか殺さないか――。珊瑚は榮によってその二択だけしかないような気にさせられる。

 それは短絡的な方法だ。それくらいの判断力は珊瑚にもあった。

 けれどもそれは強力な方法だ。男がいなくなれば、珊瑚はもう「運命」を気にしなくて済むという、単純明快な答えがあったからだ。

ころすよな? 珊瑚」

 珊瑚は「うん」と頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

カモフラージュの恋

湖月もか
恋愛
容姿端麗、文武両道、しかも性格までよし。まるで少女漫画の王子様のような幼馴染な彼。 当たり前だが、彼は今年も囲まれている。 そんな集団を早く終わらないかなと、影から見ている私の話。 ※あさぎかな様に素敵な表紙を作成していただきました!

隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり

鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。 でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

幼馴染に10年片想いしてたら、冷酷御曹司にプロポーズされました

ほーみ
恋愛
 春の匂いが、駅前の並木道をくすぐる。満開の桜の下、私はひとり歩いていた。駅までの道は、高校時代、彼とよく歩いた道だ。  制服姿の学生が笑いながらすれ違っていくのを横目に、私はスマホを見下ろした。  「今日、伝えるって決めたんじゃなかったの?」  送信したきり返信のないメッセージ。画面には「既読」の文字があるだけだった。  ――渡瀬 湊。私が10年間片想いをしている、幼馴染。

冷徹社長は幼馴染の私にだけ甘い

森本イチカ
恋愛
妹じゃなくて、女として見て欲しい。 14歳年下の凛子は幼馴染の優にずっと片想いしていた。 やっと社会人になり、社長である優と少しでも近づけたと思っていた矢先、優がお見合いをしている事を知る凛子。 女としてみて欲しくて迫るが拒まれてーー ★短編ですが長編に変更可能です。

冷たかった夫が別人のように豹変した

京佳
恋愛
常に無表情で表情を崩さない事で有名な公爵子息ジョゼフと政略結婚で結ばれた妻ケイティ。義務的に初夜を終わらせたジョゼフはその後ケイティに触れる事は無くなった。自分に無関心なジョゼフとの結婚生活に寂しさと不満を感じながらも簡単に離縁出来ないしがらみにケイティは全てを諦めていた。そんなある時、公爵家の裏庭に弱った雄猫が迷い込みケイティはその猫を保護して飼うことにした。 ざまぁ。ゆるゆる設定

【完結】少年の懺悔、少女の願い

干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。 そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい―― なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。 後悔しても、もう遅いのだ。 ※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。 ※長編のスピンオフですが、単体で読めます。

処理中です...