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中編
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夕食を無理やり平らげてベッドに潜り込んで、落ち着かない気持ちでいたはずだが、いつの間にやらアニカは眠りに落ちていた。
魅了体質になる「呪い」。そしてその呪いを解く方法である可能性が高い「真実の愛」。
そのふたつの事項はアニカの脳内で手を繋いでくるくると回っていたような状態だったからか、夢の中に出てきたのは思い人であるザーグだった。
ザーグは、先の通りに聖女であるユエリアの身の安全を守る護衛騎士だ。その父親は伯爵位を持っていたが、五男坊であるザーグは継げる爵位がないという事情もあり、騎士を志したと聞く。
その事情がなくともザーグは騎士になったのではないかとアニカはなんとなく思っていた。
ザーグの家系は武神の末裔を言われており、彼は五男であるからして直系ではないものの、武神の末裔と呼ぶに相応しい恵まれた体躯を持っている。
清廉潔白が服を着て歩いているようなザーグは、その品行方正さで煙たがられることもあるが、おおむね畏敬や憧憬の目を向けられていた。
アニカは、どちらかと言えば初めはそんなザーグを苦手に思っていた。
アニカはユエリアと親友という間柄ではあったものの、ユエリア同じような人間かと問われれば、アニカは否と答えるだろう。
ユエリアは「聖女」の称号に相応しい、気高くも穏やかで高潔な少女だが、アニカは男爵令嬢という立場ではあるものの、平々凡々を絵に描いたような人間である。
そもそもアニカが男爵令嬢なのは、父親の商才のお陰である。ユエリアが聖女の地位を維持しているのがその努力の成果であることと比べれば、ひどく対照的だ。
だからアニカは、ユエリアへの敬愛を隠さないザーグから、その友人である己がどのように見られているのか、少し怖かった。
けれどもユエリアを含めた三人でいる時間が長くなればなるほどに、アニカはザーグに対する見方が変わっていくのを感じた。
劇的な、ロマンチックなきっかけがあったわけではない。
祖先の武神に敬意を払う姿。ユエリアを敬愛する真摯さ。それでいて少し生真面目がすぎて、ときにユエリアに苦言を呈される頭の固さ。いつも背筋をぴんと伸ばして、凛々しい目つきで周囲を警戒する様子……。
じわじわと時間をかけるほどに、ぜんぶひっくるめて、アニカはザーグを好ましく思うようになっていた。
ザーグは、アニカが当初危惧したような目でアニカを見ることはなかった。成り上がりの男爵令嬢は聖女ユエリアの友人にはふさわしくないだとか、釣りあわないだとか。そういった陰口を、アニカはこれまで散々聞いてきた。
『ユエリア様がああして穏やかに笑っていられるのは、貴女のお陰でもあるのだろうな』
なにかの拍子にふたりきりになった折、ザーグはそう感慨深そうに微笑んだ。
「平民聖女」と下に見られることもあるユエリアは、神殿内外において、アニカの見えないところでもそれなりに苦労しているのだろう。ザーグは護衛騎士としてそれを見てきたから、アニカに対してそういった感想を抱いたのかもしれない。
その言葉はユエリアのために出てきたものだろう。けれども皮肉なことに、アニカはその言葉でザーグへの恋心を自覚した。一瞬のうちに、高潔な騎士であるザーグに……ユエリアのように守られてみたいと、アニカはそんな想像をしたのだ。
けれどもザーグの敬愛と関心はユエリアにだけ捧げられているようだった。ユエリアは「そんなことないけれど」とアニカの恋を応援してくれているが、アニカは正直、この恋に勝算はないと思っていた。
アニカの恋心をザーグが受け入れる未来を、アニカは思い描けなかったのだ。
『私には、ユエリア様を守るという仕事がある』
そんなセリフでアニカの思いを拒絶する姿だけは、鮮明に像を結べた。
そしてアニカは夢うつつの狭間で、そんな風に恋が砕け散る瞬間を、夢なのか現実なのかわからない状態でうんうんとうなりながら見ていた。
しかしさすがに神殿を振るわせるほどの地の揺れを感じては、飛び起きずにはおれない。
なにごとだろうと神殿の中庭へと繋がる扉のかんぬきを外し、顔を出した。
「――だめっ! アニカ、今は出てこないで!」
途端、魔力の奔流が熱風という形を取って、アニカの顔に押し寄せる。
アニカのこげ茶色の瞳いっぱいに、今映るのは――巨大な魔獣の姿。
魔力の流れを感じたのは、魔獣の、魔力を伴った咆哮とユエリアの防御魔法が何度もぶつかりあっているからだということを、アニカは寝起きの頭でもどうにか理解することができた。
「ゆっ、ユエリア……!」
「アニカ! この魔獣の目的は恐らく貴女――だから、今は隠れていて!」
よくよく中庭を見渡せば、他にも神官たちがいたが、すでに地に伏すようにして倒れている者も幾人かいる惨状だった。そんな光景を目の当たりにして、アニカは血の気が引いていくような心地になった。
魔獣はやたらに興奮しきっており、あちこちへめちゃくちゃに、魔力を伴った咆哮を放っている。そのせいで神殿の屋根の一部が崩れて、地面に小さな白い石の山を作っていた。
――これも、魅了体質の……呪いのせい?
アニカは、目の前で繰り広げられる惨劇に、手足がガタガタと震えて、力が抜けていくのがわかった。
けれど――
「――きゃあっ!」
けれど、ユエリアの防御魔法が破られて、その衝撃で彼女が軽く吹き飛ばされたのを見た瞬間、アニカの中にあった恐怖はいくぶんかどこかへ飛んで行った。
ユエリアの防御魔法が打ち砕かれたのを見計らったかのように、魔獣が追撃する。魔力を伴った咆哮は、単に鼓膜をひどく振るわせるだけではなく、衝撃によって身体そのものにダメージを与える。
だが魔獣の咆哮は、アニカの魔法によって防がれた。
しかしアニカの魔法はもちろん、「聖女」の称号を戴くユエリアとは比べ物にならないほどに貧弱だ。実際、アニカの防御魔法は展開した瞬間に魔獣の咆哮によって打ち消されてしまった。それでも、威力を相殺することには成功した。
「アニカ、だめ……逃げて……」
いかな聖女であっても、これまでの攻防でユエリアの魔力は払底に近い様子だということを、アニカは彼女に駆け寄って知った。
「無理だよ。ユエリアは大切な友達だから」
とは言えども、絶体絶命の状況を引っくり返せる力は、アニカにはない。アニカは聖女でなければ、女神でもないのだ。
けれど、ユエリアをかばうことはできる。
そもそも、ユエリアの言葉が正しければ、魔獣の目的はアニカである。魔獣がアニカをどうしたいのかはわからないし、想像することすら恐ろしくて、わかりたくもなかった。
けれども、ユエリアを見捨てて逃げることも、アニカにはできない。
アニカが魔獣に食い殺さることになれば、両親や兄弟は悲しむだろう。ユエリアもきっと、悲しんでくれるだろう。ザーグは……アニカにはわからなかったが、悲しんでくれたらうれしいなと、思った。
アニカは腹を括った。平凡な男爵令嬢の価値のある命の使い道があるとすれば、ここだとすら思った。
しかし、アニカたちの絶望は一筋のまばゆい光によって一刀両断された。
「――ザーグ!」
ザーグの両手が握るのは、見間違えようはずもない、この神殿で奉られている武神の聖剣。ザーグにとっては、父祖の聖剣だった。
他でもない武神の末裔たるザーグが振り上げた聖剣の刀身は、夜を引き裂く真昼間のごとき光を放ち、一瞬にして魔獣を両断したのだ。
常人には持ち上げることすら叶わないだろう、巨大な聖剣。しかし武神の血を引くザーグの手に握られたそれは、素早く閃いて魔獣の体を真っ二つにした。
アニカは、そのさまを呆気に取られた顔で見ていることしかできなかった。
両断された魔獣は、光に包まれてそのまま消えてしまう。途端に、神殿の中庭に夜の静寂が戻ってきた。そしてそんな静けさの中で、アニカはザーグのつぶやきを聞いた。
「アニカ嬢に害をなそうとするなど許せん……一刀両断する前に、もっと苦しませればよかった」
――あれ? もしかしてザーグも魅了されちゃってる……?!
魅了体質になる「呪い」。そしてその呪いを解く方法である可能性が高い「真実の愛」。
そのふたつの事項はアニカの脳内で手を繋いでくるくると回っていたような状態だったからか、夢の中に出てきたのは思い人であるザーグだった。
ザーグは、先の通りに聖女であるユエリアの身の安全を守る護衛騎士だ。その父親は伯爵位を持っていたが、五男坊であるザーグは継げる爵位がないという事情もあり、騎士を志したと聞く。
その事情がなくともザーグは騎士になったのではないかとアニカはなんとなく思っていた。
ザーグの家系は武神の末裔を言われており、彼は五男であるからして直系ではないものの、武神の末裔と呼ぶに相応しい恵まれた体躯を持っている。
清廉潔白が服を着て歩いているようなザーグは、その品行方正さで煙たがられることもあるが、おおむね畏敬や憧憬の目を向けられていた。
アニカは、どちらかと言えば初めはそんなザーグを苦手に思っていた。
アニカはユエリアと親友という間柄ではあったものの、ユエリア同じような人間かと問われれば、アニカは否と答えるだろう。
ユエリアは「聖女」の称号に相応しい、気高くも穏やかで高潔な少女だが、アニカは男爵令嬢という立場ではあるものの、平々凡々を絵に描いたような人間である。
そもそもアニカが男爵令嬢なのは、父親の商才のお陰である。ユエリアが聖女の地位を維持しているのがその努力の成果であることと比べれば、ひどく対照的だ。
だからアニカは、ユエリアへの敬愛を隠さないザーグから、その友人である己がどのように見られているのか、少し怖かった。
けれどもユエリアを含めた三人でいる時間が長くなればなるほどに、アニカはザーグに対する見方が変わっていくのを感じた。
劇的な、ロマンチックなきっかけがあったわけではない。
祖先の武神に敬意を払う姿。ユエリアを敬愛する真摯さ。それでいて少し生真面目がすぎて、ときにユエリアに苦言を呈される頭の固さ。いつも背筋をぴんと伸ばして、凛々しい目つきで周囲を警戒する様子……。
じわじわと時間をかけるほどに、ぜんぶひっくるめて、アニカはザーグを好ましく思うようになっていた。
ザーグは、アニカが当初危惧したような目でアニカを見ることはなかった。成り上がりの男爵令嬢は聖女ユエリアの友人にはふさわしくないだとか、釣りあわないだとか。そういった陰口を、アニカはこれまで散々聞いてきた。
『ユエリア様がああして穏やかに笑っていられるのは、貴女のお陰でもあるのだろうな』
なにかの拍子にふたりきりになった折、ザーグはそう感慨深そうに微笑んだ。
「平民聖女」と下に見られることもあるユエリアは、神殿内外において、アニカの見えないところでもそれなりに苦労しているのだろう。ザーグは護衛騎士としてそれを見てきたから、アニカに対してそういった感想を抱いたのかもしれない。
その言葉はユエリアのために出てきたものだろう。けれども皮肉なことに、アニカはその言葉でザーグへの恋心を自覚した。一瞬のうちに、高潔な騎士であるザーグに……ユエリアのように守られてみたいと、アニカはそんな想像をしたのだ。
けれどもザーグの敬愛と関心はユエリアにだけ捧げられているようだった。ユエリアは「そんなことないけれど」とアニカの恋を応援してくれているが、アニカは正直、この恋に勝算はないと思っていた。
アニカの恋心をザーグが受け入れる未来を、アニカは思い描けなかったのだ。
『私には、ユエリア様を守るという仕事がある』
そんなセリフでアニカの思いを拒絶する姿だけは、鮮明に像を結べた。
そしてアニカは夢うつつの狭間で、そんな風に恋が砕け散る瞬間を、夢なのか現実なのかわからない状態でうんうんとうなりながら見ていた。
しかしさすがに神殿を振るわせるほどの地の揺れを感じては、飛び起きずにはおれない。
なにごとだろうと神殿の中庭へと繋がる扉のかんぬきを外し、顔を出した。
「――だめっ! アニカ、今は出てこないで!」
途端、魔力の奔流が熱風という形を取って、アニカの顔に押し寄せる。
アニカのこげ茶色の瞳いっぱいに、今映るのは――巨大な魔獣の姿。
魔力の流れを感じたのは、魔獣の、魔力を伴った咆哮とユエリアの防御魔法が何度もぶつかりあっているからだということを、アニカは寝起きの頭でもどうにか理解することができた。
「ゆっ、ユエリア……!」
「アニカ! この魔獣の目的は恐らく貴女――だから、今は隠れていて!」
よくよく中庭を見渡せば、他にも神官たちがいたが、すでに地に伏すようにして倒れている者も幾人かいる惨状だった。そんな光景を目の当たりにして、アニカは血の気が引いていくような心地になった。
魔獣はやたらに興奮しきっており、あちこちへめちゃくちゃに、魔力を伴った咆哮を放っている。そのせいで神殿の屋根の一部が崩れて、地面に小さな白い石の山を作っていた。
――これも、魅了体質の……呪いのせい?
アニカは、目の前で繰り広げられる惨劇に、手足がガタガタと震えて、力が抜けていくのがわかった。
けれど――
「――きゃあっ!」
けれど、ユエリアの防御魔法が破られて、その衝撃で彼女が軽く吹き飛ばされたのを見た瞬間、アニカの中にあった恐怖はいくぶんかどこかへ飛んで行った。
ユエリアの防御魔法が打ち砕かれたのを見計らったかのように、魔獣が追撃する。魔力を伴った咆哮は、単に鼓膜をひどく振るわせるだけではなく、衝撃によって身体そのものにダメージを与える。
だが魔獣の咆哮は、アニカの魔法によって防がれた。
しかしアニカの魔法はもちろん、「聖女」の称号を戴くユエリアとは比べ物にならないほどに貧弱だ。実際、アニカの防御魔法は展開した瞬間に魔獣の咆哮によって打ち消されてしまった。それでも、威力を相殺することには成功した。
「アニカ、だめ……逃げて……」
いかな聖女であっても、これまでの攻防でユエリアの魔力は払底に近い様子だということを、アニカは彼女に駆け寄って知った。
「無理だよ。ユエリアは大切な友達だから」
とは言えども、絶体絶命の状況を引っくり返せる力は、アニカにはない。アニカは聖女でなければ、女神でもないのだ。
けれど、ユエリアをかばうことはできる。
そもそも、ユエリアの言葉が正しければ、魔獣の目的はアニカである。魔獣がアニカをどうしたいのかはわからないし、想像することすら恐ろしくて、わかりたくもなかった。
けれども、ユエリアを見捨てて逃げることも、アニカにはできない。
アニカが魔獣に食い殺さることになれば、両親や兄弟は悲しむだろう。ユエリアもきっと、悲しんでくれるだろう。ザーグは……アニカにはわからなかったが、悲しんでくれたらうれしいなと、思った。
アニカは腹を括った。平凡な男爵令嬢の価値のある命の使い道があるとすれば、ここだとすら思った。
しかし、アニカたちの絶望は一筋のまばゆい光によって一刀両断された。
「――ザーグ!」
ザーグの両手が握るのは、見間違えようはずもない、この神殿で奉られている武神の聖剣。ザーグにとっては、父祖の聖剣だった。
他でもない武神の末裔たるザーグが振り上げた聖剣の刀身は、夜を引き裂く真昼間のごとき光を放ち、一瞬にして魔獣を両断したのだ。
常人には持ち上げることすら叶わないだろう、巨大な聖剣。しかし武神の血を引くザーグの手に握られたそれは、素早く閃いて魔獣の体を真っ二つにした。
アニカは、そのさまを呆気に取られた顔で見ていることしかできなかった。
両断された魔獣は、光に包まれてそのまま消えてしまう。途端に、神殿の中庭に夜の静寂が戻ってきた。そしてそんな静けさの中で、アニカはザーグのつぶやきを聞いた。
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