突然始まる兄貴による兄貴のためのビフォーアフター

あせき

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兄貴のビフォーアフター

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「兄貴ー、勉強教えてー」
「うるせぇ面倒くせぇ勝手にしてろ」
「ケチー」

 あたしの兄貴は口が悪い。
 態度も悪い。
 けど、優しい。

「チッ。まだこんなの勉強してんのか?頭悪ぃな、ユキ」
「フツーですぅー」

 怠そうにスマホを弄ってる兄貴の向かいに座って教科書とノートを置く。
 それをひょいと奪われパラパラとページをめくり馬鹿にされるが、五日後には高校生になる人に言われてもあたしは痛くも痒くもないね!

「チッ、面倒くせぇなー……」

 めちゃくちゃ口悪く言う上、舌打ちまで何度もされてるけど、べつに兄貴は怒ってるわけじゃない。
 いつもこうつまらなそうに怠そうに、半眼で口を一文字かへの字にして、なにかと舌打ちをしているだけだ。
 外では眉間に皺も寄せてるけど、家で見たことはないし、今もないからきっと怒ってないのだ。
 まあ?ちょっぴり?『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』に出てくるレオ様だったりヴィー様だったりみたいに優しく教えてくれてもいいのにとは思わなくもないけど?
 優しいのは間違いないからオッケーオッケー!

「お前……また変なこと考えてんな?」
「さーっ、ベンキョーベンキョー!ほらここっ!これ意味わかんなくてさぁ~」

 ノートの方を指して言えば、兄貴はその上に奪っていた教科書を開いたままバサリと放るように置いた。

「はぁ……チッ」

 ため息と舌打ちがセットでだ。
 でもこれもいつもの事なのでスルースルー。

「サンキュー兄貴ー!」

 言葉が足りないし、態度が酷いけどこうやって解き方は教えてくれる兄貴はやっぱり優しい。
 ……まぁ、教科書経由ですけど?あたしが大人しく教科書開けばいいって話かもしれないけど?でもあたしは兄貴みたいにこの問題が教科書のどこに載ってるどの問題の応用で解けるかなんてすぐわからないからこれでオッケーオッケーなのさ!
 さてさて、どうやって解けばいいのかなー?
 と、あたしが教科書を覗き込んでいると兄貴が徐ろに立ち上がった。

「どったの?」
「出かけてくる」
「ええーっ!わかんないとこ出てきたらどうすんの!?」

 兄貴を頼りにする気しかなかったあたしは行かないでと引き止めるが、それで留まる兄貴ではない。当然ない。

「お前の目は節穴か?蛆虫でも湧いてんのか?あ、沸いてんのは頭ン中だったな?くっだらねーゲームばっかしてっから馬鹿なんだよ」
「馬鹿で悪ぅーございましたぁー。でも息抜きは必要でしょー?」
「息抜きの意味知らねーのかお前は。ただ遊び呆けてるだけだろ」

 そうかな?いや、でもあたしと違って頭がいい兄貴が言うならそうかもしれない。
 うーん、でも楽しいからしかたなくない?
 ゲームって、夢があっていいよねいいよね!

「……ってもう行っちゃったの!?」

 いつもゆるゆるだらだらのそのそ動いてるくせに、こういう時だけ素早いのはどういうことか。
 ――まぁでも、どうせすぐ帰ってくるでしょ。
 しかたなく春休みの宿題に一人で挑むことになったそんなあたしの予想は外れ、兄貴が帰ってきたのは3時間以上経ってからだった。

「あ、お帰り兄貴、遅かっ……兄貴?」

 ズカズカと見たことのない乱暴な動作で帰宅早々あたしとの距離を詰めた兄貴は、稀に見る真剣な面持ちで口を開いた。

「ユキ、今すぐ『真実のなんちゃら学園』やら『夏の君だか花だか』を貸せ。他にもあるなら全部出せ」
「は?う、うん、いいけど……ちょっと待ってて」

 今まで勧めたことはあるけど、兄貴は冷めた目と口調で「現実見ろ」と言って触れようとしなかったあたしの好きなゲームたち。
 興味を持って貰えたのは嬉しいんだけど、なんか兄貴の様子が変だ。
 そうは思いつつも、言われたままに用意をして、急にどうしたのか尋ねる前に、それを奪う様に取っていった兄貴は自室に籠もってしまった。

 ――そして。

「親父……いや、父さん。お願いします、俺が百万円集められたら転校する許可をください」
「「…………は?」」

 夜になって父さんが帰ってくるなりそう言い始めた。
 キリッと、いつになく真面目な顔つきで、いつものような怠さを感じさせないハキハキとした口調で兄貴は続ける。

「あ、あとこの書類にサインと捺印もお願いします。確か父さんここの証券会社使ってましたよね?明日には戸籍謄本を揃えて投函したいので今日中にお願いします。それから、バイトも始めるので予め家に入れる金額を決めたいんですが、とりあえず半分でいいですか?初任給は全て家にと言いたいところですが、すみません。早急に資金が必要なんです。いいですよね?」
「「…………は?」」

 父さんとあたしの間抜けな声が何度も被る。

「もし転校が認められないと言うのでしたら仕方ありません。親不孝な俺を許してくれとはいいません。暫く探さないでください。あ、でも口座の件だけはお願いします。後はなんとかしますから」
「なっ、待て待て待て待て!早まるな!」
「あ、兄貴!?」

 父さんと二人でボケっとしてたら、兄貴が家出宣言し始めすくりと立ち上がったので、慌てて止める。

「い、いったいどうしたんだ郁真。突然転校なんて……また、なにかあったのか?」

 父さんが戸惑いながらも心配そうに尋ねると、兄貴は最初は言葉を選ぶように、そして途中からはもうなにを言ってるのかわからないくらい饒舌に話し始めた。

「えっ、……その……実は、今日偶然出会った人が、……女性なんですが、その人のことがどうしても気になってしまい……、その人に会って色々と確かめたくて転校したいんです。ほら、一目惚れって単なる勘違いだったとか、少し時間が経てば冷めるものだとか言うじゃないですか。いや、まだ本当に彼女に一目惚れしたのかさえわからないんですけどね?ただ、症状を考えるに一目惚れが一番適切な表現だと思いまして、とりあえずそう仮定してるだけです。で、その彼女の事が本当に好きなのか、好きだとしても一過性の感情ではないかと確認しないと、彼女に失礼でしょう?だから転校して見極めないといけないと思ったんですが、彼女に好意を寄せていたと仮定すると、どうしても資産が必要なんですよ。彼女は立派に働いているので子供の俺から結婚を申し込んだところで相手にされないかもしれないし、もし運良く承諾まで話を持って行けても祥子さんの負担にはなりたくないので、結局の所今のうちから祥子さんも安心できるくらいの資産を持っておかないと駄目でしょう?もし結婚するなら俺が高校卒業したらすぐ届けを出したいし。だから手始めに今年中に百万を目標にして、ちゃんと夫として金銭的に祥子さんを支えていけるのか自分を試そうと思ったんです。転校に必要な資金繰りも兼ねて。あっ、もちろんゆくゆくはというより来年からは年間最低三百を目指しますよ?それに大学にも行って、定時帰宅推奨の会社に務めたいとも思ってます。世間体は大事ですからね。バカ共から祥子さんが攻撃されるようなことがないようにその辺りはちゃんとするので安心してください。まぁ、俺が年下の時点でかなり迷惑をかけると思うんですけどこればかりはどうしようもなく、金銭面で埋めるくらいしか思い浮かばなかったんですよね。なんにせよもっとちゃんと祥子さんのことを知ってからでないと祥子さんに失礼ですし、俺も納得できないので転校したいんです、お願いします」
「「……………………」」

 父さんとあたしはもう間抜けな声も出せなくなっていた。
 しかし、流石は父さんと言うべきか、兄貴が再びなにかを喋りだす前に「あー」と声を上げて自然に遮った。

「んんっ、あー……、郁真。その、色々と聞きたいことはあるんだが……その喋り方はなんだ?いや悪くはないぞ?悪くはないが、こう……ムズムズするんだが……」

 ……あ、それあたしも気になった。
 現実逃避ではない。これはそう、あたしと父さんにとっては大事な問題だ。
 今まで悪態ばかり吐いていた兄貴が急に態度を、話し言葉を改めたんだよ?フツーにきもちわるいでしょ。
 あたしはもう殆ど覚えてないけど、以前の兄貴だってこんなムズムズするような喋り方はしていなかったはずだ。

「ああ、一般的に人って自分を丁寧に扱い尊重してほしいと考えてるじゃないですか。だから今までの口調よりもこうした方が良いと思ったんです。それに祥子さんは年上だし、祥子さん『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』のキャラグッズを持っていたので、きっと好きだと思うんですよねこういう感じ。だから父さんたちも慣れてください。ああそうだ、幸音ありがとう。お前が『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』を好きで良かったよ。助かった」
「……ど……どうも……」

 ……なんだろう。
 なんて言うか、感謝されてるのに、怖いってどういう事なんだろうね?
 兄貴なのに兄貴じゃなくて……、そう、そうなんだよ。
 この人ダレ?ってくらい兄貴とは別人過ぎて怖いんだよ!
 いや兄貴なんだけどね?
 声も姿形も兄貴なんだけどね?
 いつも通りそんなに表情自体は変わってないように見えるけどね?
 目がやたらキリっとして輝いて、話し言葉も違うから全然印象が違う!

「あー……うん。えー……色々と聞きたいことはあるんだが……」

 父さんも困惑してるのがひしひしと伝わってくる。
 そうだよねそうだよね?
 ちょっと聞きたいことが多すぎて纏まんないよね?
 でもまた下手に聞くと大変なことになりそうで怖いよね?

「そう、まだまだ聞きたいことはあるんだが……そうだな……、とりあえず、転校の件に関してだが」
「認めてくれますよね?」

 食い気味で聞いてくる兄貴は本当に兄貴なんだろうか?なんか自信なくなってきた。
 実は狐とか狸とか?

「……落ち着きなさい郁真。急いては事を仕損じると言うだろう。それで、転校の件に関してだが……」

 あたしが状況に付いて行けずただ見守る中、父さんは兄貴を見て微笑んだ。

「別に条件なんかなくても構わない。転校に関わる資金も気にするな。お前には今まで散々苦労を掛けたからな……」
「……っ、父さん……」

 ……。
 なんか、急に二人だけで、いい雰囲気。
 場違いにもちょっとずるいなーとか思ってしまった。
 あたしは未だに兄貴の、「父さん」呼びにも「ですます」口調にも戸惑って反応に困っているのに、父さんすごくない?
 これが子供と大人の差なのかな?子供と親の違いなのかな?それとも第一回兄貴キャラ変事件を覚えてる経験のおかげ?

「ただし、お前の通う場所によっては私達も引っ越すからな。一人暮らしは認めない。いいな?」
「……はい」

 あ、兄貴嬉しそう……。
 ずっと、ある時を境に笑うのも怒るのも面倒くさいことになると言って大きく表情を変えなくなった兄貴の目が細くなり、歪んで震えて、少しだけ口角が上がっている。
 ほんの僅かの違いだけど、嬉しそうにしている兄貴を見て、それ以上にそんな兄貴を見て嬉しそうな父さんを見て、やっぱりずるい。悔しいなと思ったあたしは、そっとその場から離れることにした。

「でも、まだここでやらなければならない事があります」

 が、兄貴の言葉にえっ?と足が止まる。

「やらなければいけない事?」
「はい。それができなければ転校の許可をもらっても直ぐには行けません」

 なんだそれはと父さんが首を傾げ、あたしもついつい元の場所につつっと戻る。
 だって気になるじゃん?
 どう見ても聞いても今すぐにでも飛び出したいと思ってそうな兄貴が、踏み止まる理由。
 めちゃくちゃ気になるじゃん?
 悲しいことに、馬鹿ではあるけどバカではないと思っていたあたしは、この瞬間だけ確実にのうたりんの大バカ者だった。

「幸音」

 ぞっとした。
 首すじか、耳元が、ひやっとした。
 兄貴との距離は十分離れてるはずなのに、まるで冷凍庫を開けた時のような冷たい空気が声と共に届いたような気がした。
 もっとわかりやすく例えるなら、『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』のメイン攻略対象である腹黒担当レオ様がヒロインに手を出そうとしたチャラ男担当クリス様に対してにこやかに釘を刺したときみたいな、そういう感じ。

「幸音はいつも、思ってましたよね?『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』のレオナルドやヴィンセントみたいに優しく教えてほしいって」

 いや思ってたけど、思ってただけだし、人の心を勝手に読んでるのどうかと思うよ?
 だいたい兄貴はレオ様ほど作り笑い出来てないし、ヴィー様の様なスマイルもできないと思うよ、うんうん絶対ね。
 今もほら、確かに珍しく無表情じゃないし、笑ってるように見えなくも無いけど薄ら寒い……いやまじで寒いよ?エアコンのスイッチと連動してんのってくらい寒いよ?怖いんだけど!?
 ヴィー様はもっと春の陽だまりを感じさせる笑顔って描写があったじゃん?そこ大事。大事じゃないかなぁ!?

「春休みの宿題だけと言わず、しっかり、みっちり、教えてあげますよ。それから、言葉遣いも少し直してもらいますね。祥子さんの未来の義妹として恥ずかしくない知性と振る舞いを身につけてください」

 それにどちらかと言うとやっぱりレオ様の氷の微笑に近くないかなぁこれ!?レオ様が勉強教えてくれるシーンでそんなもん浮かべたことないよ!?はい解釈違い!!
 いやいやそもそも、レオ様と違って兄貴はやっぱり笑ってるように見えなくも無いってレベルであって、よくよく見なくともあの目はあたしを殺そうとしているように見えるくらいだ!微笑だなんてとんでもない!ただの怖い顔だ!
 そんな顔で勉強するぞと言われてもあたし嫌だよ!?

「まっ、待ってよ兄貴!」
「兄さん。と、呼びなさい。それから一人称はわたしです」
「そんな急に言われても」
「チッ。いつかお前がまた宿題がわかんないなんて抜かして優しい祥子さんがお前に付きっきりになったらどうしてくれるんですか?責任取れますか?」
「責任ってなんの!?いやいやそもそも、そんなあるかどうかもわからない未来の話しされてもこま」
「問答無用です。それにこれは幸音の将来のためでもあるんです。どうせ社会に出たらそれなりの言葉遣いを求められるんですから。今の内に矯正しておきましょう。ねぇ父さん」
「と、父さん!」

 なんであたしが兄貴を「兄さん」と呼んで、あたしを「わたし」なんて言わなきゃなんないんだ。
 別に言いたくない訳ではないし、言おうと思えば言えると思うけど、こんな急に言われても、長年言い続けてきた口調を変えるのはなんか恥ずかしいし、言いにくい。
 兄貴が父さんに話を振ったのを切っ掛けに、あたしも父さんに助けを求めたが、そっと目を逸らされた。

「……すまんユキ」
「そんなぁっ!」


 ――こうして、兄貴による兄貴のためのビフォーアフターが始まったのだった……。
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