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その後の話

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 あの日から、兄貴は変わってしまった。
 口が悪く態度も悪い、けど優しい兄貴。
 それが、まさかあんな風になって、しかもそれより更に進化してヤバイ感じになってしまうだなんて思わなくない?

「恋すると人が変わるって、ホントウだったんダネ」
「ソウダネ」

 父さんとあたしが何度思ったか、言ったかわからない。
 喋り方は丁寧になり、姿勢もしゃんとして、だらけた姿や表情を見せなくなった兄貴。
 これだけでも別人かと思えるほどの変化なのに、兄貴はそれだけではなく髪の毛も染め直したしピアスもやめた。
 学校での振る舞いも変わり、頭は良いけど生意気で近づきがたい不良生徒から頭もいい模範的で地味な生徒になった。
 正直な話、それだけで終わっていれば文句はなかった。

「ねぇー、なんであたしがこんな頑張らなきゃいけないわけ?」
「うるせぇ黙れてめぇが馬鹿すぎるからだって言ってるだろうが馬鹿」
「兄貴、化けの皮剥がれてる剥がれてるっいだ!」
「チッ。痛くはないでしょう。それから『兄さん』ですよ幸音」

 痛くはなかったけれど身構えてなかったせいで大きく頭が揺れて痛みとして認識してしまったのだ。
 これしかたないでしょ?そうでしょ?そうに決まってる。そうだそうだー!
 心の中で自分を鼓舞して兄貴に反論しようと口を開くが、

「だからなんであたっ!」

 まだ何にも言ってないのに叩かれる。
 ヒドイ。横暴だ。

「もう何度か説明してますけどね、本当に物覚えが悪いですね。いい加減脳味噌使ってくれませんか?全然進まないじゃないですか」

 ちょっと前までの兄貴は口も態度も悪かったけど、こんなに手を上げはしなかったし、こんなスパルタでもなかった。

「もういいじゃん、わかんないよぉ、許してよぉ、無理だよぉ、遊びたいよぅ……」
「ハッ、泣き言ほざくな馬鹿が。チッ……無理なわけがないでしょう。ただ甘えてるだけです。最終的に身に着ける知識を前倒ししてるだけですからね」
「だからって中二に高校の勉強させる!?」
「何を言ってるんですか?これは入試問題であってまだ高校の範囲には手を付けてません。入試問題なんて幸音と同学年でも既に勉強し始めている人だっているんですよ。むしろ遅いくらいです」
「そんなバカな!?」

 兄貴の言い分は絶対におかしい。自信を持って言える。
 なぜならあたしの友達皆、受験勉強なんてまだ視野に入れていない。
 まだ中二に成りたてほやほやのほやだよ?春休み終わって一週間だよ?名門高校に行く予定もないんだよ?まだ中二どころか中三の勉強もまともにしてないんだよ?それなのになんで受験勉強なんてしなきゃいけないわけ?せめて基礎からすべきじゃない?

「馬鹿がバカと付き合ってどうするんだ馬鹿。別に友達選べとも止めろとも言わねーけど他と歩調を合わせる考えは止めろ馬鹿。バカになるぞ」
「もーっ!馬鹿馬鹿うるさいっ!ばか兄きんぎゃ!いたいってば!」

 べしべしと叩いてくる兄貴に向かって声を荒げるが、ヒドイことに兄貴の目は冷ややかだ。

「……わかりました。お互いの為にもまずは徹底的に言葉遣いから矯正しましょう」
「なにがわかってそうなるの!?」

 まったく兄貴の思考回路に付いていけず嫌になる。
 でも、いくらあたしが嫌だ嫌だと言っても兄貴は……兄さんは、わたしに向かって有言実行を成し遂げた。

「慣れです慣れ。言葉遣いは慣れと環境の問題です。そもそもやればできるんですよ幸音は」

 この時点で、わたしはショウコさんとやらが嫌いになっていた。
 ショウコさんとやらが兄さんと会わなければ、兄さんはこんな変にはならなかったし、わたしもこんなにいらない苦労をすることはなかったのにと恨めしく思っていたから。

 それが変わったのは、わたしが兄さんの満足する学力を身に着け、兄さんが目標資金を集め終わり、いよいよ兄さんが待ち望んでいた転校をしてからだ。

「やっぱり、好きなんだと思うんですよ……今日、確信しました」
「「はあ?」」

 なにを今更と言いたい気持ちでいっぱいのわたしと父さんを置いて、兄さんは転校初日の夜、真剣な顔つきでそう言い出した。

「というわけで父さん。俺、卒業したら祥子さんと結婚しますね」
「待て待て待て待て待ちなさい郁真」

 急に「結婚」なんて話を……いや、結構前から言っていたけれど改めて言われて、しかも断定的に言われて動揺する父さん。
 わたしも多少動揺はしたけれど、『ショウコさんの義妹として恥ずかしくないように~』という理由でアレコレ詰め込み勉強諸々させられたり、夢を砕かれていた身としては「アーソウデスカーヨカッタデスネー」と冷めた気持ちもあった。

「そう言うってことはつまり、無事にお付き合いすることになったのか?」

 ショウコさんについて、わたしたち父娘は良く知らなかった。
 この時まで、兄さんは「本当に縁を結ぶかどうかわからない人の個人情報を漏らせない」と言っていたから。
 ショウコさんは年上の人で、働いていて、この辺りに来ないと会えないとしか知らなかった。
 だから、本当に驚いたし、兄さんの正気を疑った。

「まさか、するわけないじゃないですか」
「「はあ?」」

 わたしはてっきり『また会いましたね』『あの時の!』『あなたに会いたくてここまで来ました』『わたしもずっと気になっていたの…』というような、少女漫画的な再会をして、彼氏彼女になっちゃったのかとでも思っていた。
 だからこそ、結婚すると表明したのだと。
 たぶん父さんも似たようなことを思っていたのだろう。
 でなきゃどうしてどうやって結婚なんて色々段階をすっ飛ばした話が出てくると思う?

「えー……じゃあ、これから告白するのか?」
「いいえ、まだ時期じゃないのでしません」
「時期って……それじゃあお前、まだ付き合ってない、二回しか会ったことのない人と結婚したいのか?」
「結婚するのにそんな過程いらないでしょう」
「いや、要るか要らないかの極論は置いておいてだな?郁真、そもそも結婚って、なんだかわかってるのか?」
「なんですか藪から棒に」
「それはお前だろ!」

 一喝する父さんに対して、どこ吹く風の兄さんはけろりと爆弾を投下する。

「ああ、そうだ。祥子さんの事話しておきますね。祥子さん、えーと、金森祥子さんは俺が入学した高校の教員です。担当クラスは残念ながら違いました。そういった訳で時期と立場が悪いからまだこの好意は秘密にしておくつもりです。教師と生徒って外野から見たら教師が唆したとか根も葉もない噂が立つかもしれないので。二人もそのつもりでお願いします。それから、俺がこっちに来る前に会ったことがあるってのも秘密にしておきたいので言わないでくださいね。幸音は特に、特に注意してくださいね。絶対に口を滑らせないでください」
「……待て待て待て待て待ちなさい郁真」

 一人、明らかに先走っている兄さんに、父さんは頭を抱えている。
 わたしもまさかの話に付いていけない。
 ぽかんと口を開けることしかできない。

「お前の言い分によるとそのショウコさんにとって、お前は初対面で、知り合いでもなんでもないただの生徒なんじゃないか?」
「そうでしょうね」
「……お前も、まだショウコさんのこと全然知らないんだろ?知らないから知るためにこっちに来たって言ったよな?」
「そうですね」
「……で、お前はまだショウコさんに告白はしてないし、今のところするつもりもない?」
「はい」

 なぜ兄さんは「それがなにか?」とでも言いたげに不思議そうな顔をしているのか、訳が分からない。

「……それでなんで結婚になるんだ?」

 当たり前な疑問だ。
 マジでわからない。少なくともわたしと父さんにとっては、当たり前に湧いた疑問だ。
 しかし兄さんにとっては違ったようだ。

「早く結婚しなきゃお互いに困るじゃないですか」

 もう本当に訳が分からない。付いていけない。
 兄さんは異星人だったのかと疑いたい気持ちでいっぱいだ。

「お互いにって……郁真、そもそも一番大事なことなんだが、ショウコさんはお前との結婚を望んでるのか?」
「まだに決まってるじゃないですか」

 挙句の果てには「話聞いてましたか?」なんて言われてしまう。
 話が通じないとはこの事か。

「でも、絶対に頷かせるので任せてください」
「いやいやいやいやなにをどう任せろと!?結婚はお前一人でするものじゃないんだぞ!?」
「だからこうしてお伺いを立ててるんじゃないですか」
「私たち以前の問題だろうが!」
「今祥子さんに結婚を申し込むのは立場的に良くないじゃないですか。祥子さんを困らせたくないんですよ」
「いやだからっ、なんで結婚なんだ!?」
「したいからですよ」

 かみ合っているようなかみ合ってないような言い合いに頭が混乱する。
 取り乱して怒鳴り散らす父さんとは対照的に、どこまでも平然と返している兄さん。

「そ、そうだ……別に卒業後すぐに結婚したいってわけじゃないんだよな?卒業後に、いつかする予定って話だよな?」
「いえ、四月にはちゃんと届けを出しておきたいので卒業したら書類の記入と引っ越しの準備手伝ってください」
「待て待て待て待て待て郁真!」

 ――結局、この日兄さんと父さんの言い合いに決着と呼べるものは付かなかった。
 そしてこの日以降、兄さんのヤバさは加速した。
 毎日毎日「祥子さんのために」と言いながらなにかしらの技術を磨き、我が家で着る者のいない服を、靴を、装飾品を買い集め、どこでどうやって撮ったのか聞きたくないショウコさんの映った写真(数種類)を取り出してはイロイロ呟くのだ。
 本人曰くストーカーや盗撮などの犯罪行為はしていないらしいが、写真のことや自宅を特定しているらしいこともあって、とても信じられないことになっている。
 兄さんのトチ狂った考えによると、女性向けゲーム『真実の愛を見つけよう☆レーンアイ学園』を参考にしているらしいことがまた信用度を下げている。
 こんなヤバイ奴に好かれてしまったショウコさんに対して、自然と申し訳なさと不安と心配のほうが大きくなっていた。
 それはわたしだけでなく、父さんも感じていたことで、よく二人になるとショウコさんは大丈夫だろうか。うちの子が迷惑かけてないだろうか。兄さんは捕まらないだろうか。ショウコさんともし結婚できなかったらどうするつもりなんだろうか。どうなってしまうのか。そもそもなんでうちの子はショウコさんに惚れたんだろうな。そういえば兄さんどうしてショウコさんの勤め先知ってたんだろうね。それを言うなら名前もそうじゃないか。いや名前は偶然たまたま教えてもらったことにしておこう。職場もそうしておこう。そうだねそれが一番平和的だね……などなどと兄さんとショウコさんの行く末を案じていた。
 兄さんの脳内ではショウコさんと結婚することが確定事項となっていて、断られる可能性が微塵もないのに、現実に否定されたら一体どうなってしまうのか、犯罪だけはしないで欲しいと日々積もる思いに、父さんはいつの間にか折れていた。

 それから、兄さんの予定通り卒業後すぐに二人は結婚した。
 兄さんのビフォーアフターに続きというか、最終形態があったことにわたしと父さんはまた驚かされたのだけど、それは割愛しておこう。
 ただ一つ言えるのは、兄さんはとても幸せそうだし、祥子さんも幸せそうなのでめでたしめでたしという話。
 その裏で、うっかり恋愛恐怖症に似た症状を発症していたわたしのビフォーアフターなんて、つまらない話なのであるまる
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