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後編
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「本当に大変でしたよ、この三年間。据え膳食わなかった俺に祥子さんはちゃんと感謝してくださいね」
そう言ってにこにこと、いつか見たことのある幻の笑顔を浮かべる彼、梶塚郁真がアパートの扉を開けたらそこにいて、わたしは目を剥いていた。
インターホンが鳴って、荷物が届いたのかなってぼんやり思っていたのに、なぜ彼がこんなところにいるのか。
また夢でも見ているのかと思って頬を抓ろうとしたら、その手をやんわりと止められ、握られた。
「え、えっ? かっ、かじっ、梶塚くん?」
「ああほら、またそうやって……酷い人です。祥子さんは」
一体なにを言われているのかもわからないけれど、なによりわからないのは彼だ。
「それで、本題ですが……ちゃんと覚えてますか? 祥子さん」
「おっ、覚えてるもなにも……なんのことやら……」
なぜって、三年間という数字がわからない。
素直に考えるなら高校三年間という数字かもしれないけれど、わたしが梶塚くんの担任になったのは彼が二年生の時だ。
だから彼と直接関わったのは彼が二年生になってからだし、一年生の秋に他県から来た転校生だ。
それに――。
「あ、もしかして冗談かなにかだと思ってましたか?本当に酷い人ですね。あんなに好きだと伝えたのに、信じてくれなかったんですか?愛してるとでも言った方がよかったですか?でも俺、学生の言う愛ってなんだか深いようで浅い気がして好きじゃないんで、やっぱり好きって伝えさせてください。まだ俺、身分的には学生なんで。ああでも生活費諸々は心配しないでください。祥子さんの稼ぎはそのまま祥子さんのお金で大丈夫です。絶対に面倒は掛けさせません。祥子さんと結婚すると決めてからしっかり用意しておきましたし、大学卒業したら適当な会社にも入ります。世間体を気にするなら取り合えず籍を入れるだけでも構いません。祥子さん、好きです。ずっとずっと、これからも好きです。だから結婚してくれませんか?」
「え、えっ、まっ、待って!」
「チッ」
なにやら舌打ちのようなものが聞こえた気がするけれど、それよりも……それよりも、待ってほしい。
「ゆ、夢っ、夢じゃなかったの!?」
あの放課後の後――。
どう考えても『結婚』を、プロポーズをされているとしか思えなくて眠れなかった次の日。
なにかの間違いか、冗談か、なんなのかわからずそれでもなんとか、心臓が口から飛び出るんじゃないかと思いながらもいつも通りに朝のHRの為にクラスに顔を出した。挙動不審なことを梶塚くん以外の生徒から揶揄われながらもいつも通りに午前も午後も何事もなく授業をこなして、帰りのHRの時にはあまりにも普段と変わらない周囲と梶塚くんの様子に、キツネに抓まれたような気持でそのままいつも通りに担当の部活動に顔を出し、悶々としながらもいつも通りに帰宅して――あれは夢だったんじゃないかと思ったのだ。
だって、今まで異性にプロポーズどころか告白をされるという経験はわたしにはない。
そんなイベントは小説やゲームの中でしか存在しないんだろうと思うくらいには無縁だった。
自覚はしている。
だってわたしは特に可愛くも綺麗でもなんでもない平凡な顔立ちだ。それにスタイルだって良くはない。服を着れば目立たないけれど、胸はブラジャーを付けてるのが逆に恥ずかしいくらい無く、ポヨポヨのお腹のほうが出ている気がする。
身長だって、高すぎず低すぎず、至って平均的。
見た目がこれで、中身はライトノベルやゲームを家族にも内緒でコソコソと集め遊んでいるような隠れオタク。
これからもずっとお独り様なんだろうなと漠然と思っていたのに、よりにもよって生徒にプロポーズされるという現実は、到底現実として受け止められなくて、わたしの中で夢での出来事ではないかという可能性が浮上したのだが、それがまたわたしを苛んだ。
だって、『夢に見ちゃうくらい、プロポーズされたいと思ってる』ってことでしょう?
本当に夢だったのか、それとも現実だったのか。
現実だったら、なぜ、どうして相手がわたし?という疑問が止まらない。
夢だったら、なぜ、どうして相手が梶塚くん?という疑問が止まらない。
ぐるぐるぐるぐると答えの出ない疑問が頭の中を回る中、不意に浮かぶのは、にこにこと笑顔を浮かべる梶塚くんの顔だ。
本当に嬉しそうに、見たことのない笑顔で、にこにこと笑っていた梶塚くん。
その度、無意味に叫び声を上げたい衝動に駆られて、それを抑えるためにクッションを抱えて転げ回った。
だって、そもそも『梶塚くんが笑顔を浮かべている姿を見たことがない』。
わたしが知っているのは常に笑ってもいない、怒ってもいない、無表情でもない、絶妙な表情を浮かべている梶塚くんだ。
もし夢だったら、そんな子の笑顔を勝手に想像してこんなに心乱されてる、バカな女になってしまう。
もし現実だったら、そんな子に笑顔でプロポーズされたことになってしまう。
どちらにせよ悶絶ものだ。
以来、ついつい気になってしまい、梶塚くんを視界に入れては逸らし、逸らしては盗み見ていたのだが、そこにはやはり、にこにこと笑顔を浮かべて怒涛のように喋る彼などはやっぱりいない。黙々と教科書やノートに向く至って真面目で大人しい見慣れた梶塚くんしか映らなかった。
たまに、ほんのたまに視線を感じることはあっても、その目には特になんの感情も映ってないように見えて、わたしだけが意識してしまっているように思えて、二学年の残り僅かな毎日なんだか無性に恥ずかしかった。
梶塚くんが三年生になり、担当クラスが変わってほっとしたのを覚えている。
でも、同時により強く意識するようになっていた。
たまに梶塚くんとすれ違ったりする度、やっぱりわたしだけが意識しているだけで、授業中でさえ特に目も合わないし、特別会話もしていない。
梶塚くんから呼び止められたこともないし、にこにこと笑いかけてもらったこともない。
やっぱりあれは夢だったんだという思いが日に日に高まり、なんであんな夢を見てしまったのかという疑問が膨れ上がり一つの答えを出すのだが、どうしても納得できないまま、認められないまま時が過ぎて――二月は本当に大変だった。
自由登校の三年生、梶塚くんは学校に来ない日が多い。
わかっていても梶塚くんは今日学校に来るんだろうか、もうすぐ梶塚くんの卒業だな、あの夢は本当に夢だったのかな、正夢だったらどうしよう、いやいや生徒にそんな邪な夢を見るって教師失格じゃないか、いやでも夢でもなければ信じられないし、そもそもわたしは本当に梶塚くんのこと……好き、なのかな?
何度も自問自答したけれど、明確な答えは出せなくて、ついに三月。
梶塚くんはあっさり卒業してしまった。
本当にあっさり、何事もなく、つつがなく式も終わり、三年生のいない学校が始まった。
ああ、やっぱり夢だったんだと思うと同時に、なんだかポロリと目から零してしまったモノに動揺した。
わかっていたはずで、当然のことなはずなのに、当たり前のことなのに、本当にバカみたいな話、慣れないお酒を飲んだ。
誰が二十歳も年の離れた女性にプロポーズなんてするのだろうか。
そもそも相手はつい先日まで高校生。
対するわたしは女性としての魅力も特にない、ただの行き遅れだ。
頼んだところで、誰が貰ってくれるのかわからない。
でももし逆の立場だったら、そうしたら――そんなことまで考えてしまうくらい、馬鹿になっていた。
春休み。
不真面目だけど仲の良い部活動の送別会も無事に終え、四月から新たに担任を務める新入生のための準備が着々と整えられても、周りになにかと気を使われるほどわたしは落ち込んでいた。
もういい加減、吹っ切れなきゃいけない。
いい大人として、子供たちの見本として教壇に立つ身だ。
こんな情けなく陰鬱とした先生ではいけない。
そうやって自分を奮い立たせていたのが約一週間前のことだ。
「夢に見てくれたんですか?俺との結婚。両思いですね、結婚してください」
今、目の前でまたあの笑顔を見せられて、顔が紅潮しているのを感じる。
これは本当に夢じゃなくて現実なの?
あれは夢じゃなくて現実だったの?
「えっ……え!?」
「うーん、もう一声欲しかったなぁ……」
「ええっ!?」
「おしいです、祥子さん」
にこにこ笑う、梶塚くんは意味の解らないことを言いながらわたしの手に何かを乗せた。
「え?」
「受け取ってください」
促されるまま視線を掌に落とすと、そこには銀色に輝く指輪が一つ。
「……えぇええっ!」
「祥子さん、声抑えてください。流石に近所迷惑です」
「えっ、あ、ご、ごんむ!?」
反射的に謝ろうとしたら、人差し指で止められた。
どこの小説漫画ゲームの話かと思うかもしれないけれど、下唇を押し上げるように添えられた人差し指によってわたしの言動は封じられてしまったのだ。
「ソレはダメです」
変わらない笑顔のまま言われて、ソレってドレとも聞けず、目を合わせるのもいたたまれなく無くてどうすればいいかと戸惑っているうちに、そっと離された。
「落ち着きましたか祥子さん」
「……」
正直、全く落ち着いてないし、落ち着けるはずもないし、いったい何が起きているのかも未だによくわかってない。
「祥子さん?」
「……な、なんで……?」
ほんとうに訳がわからない。
なんで梶塚くんがここにいるのだろう。
なんで笑ってるのだろうか。
なんでプロポーズなんてするのだろう。
なんで今日になって会いに来たのだろう。
なんで学校で話しかけてくれなかったのだろう。
なんで学校で笑ってくれなかったのだろうか。
なんでわたしは泣いているのだろうか。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――?
「祥子さん」
「……」
なにをどう言えばいいのかもわからない。
なにか言って、答えを知りたいのに、なにも言えない。
代わりに涙ばかりが溢れてくる。
「祥子さん、」
歪む視界に詰まる息。
わたしは苦しいのに、訳が分からなくて辛いのに、悲しかったのに。
それでも彼が笑っているのがわかる。
「好きです。俺と結婚してください」
馬鹿の一つ覚えみたいにそんなことを言う。
「……なんで」
絞り出した声は思った以上に震えている。
自分でもちゃんと発音できてるかわからなかったけど、彼は答えてくれた。
「好きだからです。それから、泣かせてしまったようなので、その責任も取らせてください」
瞬間、なんだか色々、どうでもよくなってしまった。
ただ衝動に任せて、梶塚くんに頭突きをした。
どんっと彼の胸に当たって、目の前の服を握り締める。
「……」
「祥子さん」
ぎゅっと服を掴んだわたしの手を、彼が上から包むように握る。
「……ちゃっ、ちゃんと、責任取ってよね……!」
「喜んで」
彼の手がわたしよりも大きいことを初めて知った四月二日のその日――あれよあれよという間に婚姻届けを書かされ、わたしの親に挨拶の後、新居候補を提示させられ、数日後に引っ越しすることが決まった。
金森祥子38歳。既婚、ただし彼氏いない歴=年齢。
たぶん、今後も彼氏いない歴は変わらない。
そう言ってにこにこと、いつか見たことのある幻の笑顔を浮かべる彼、梶塚郁真がアパートの扉を開けたらそこにいて、わたしは目を剥いていた。
インターホンが鳴って、荷物が届いたのかなってぼんやり思っていたのに、なぜ彼がこんなところにいるのか。
また夢でも見ているのかと思って頬を抓ろうとしたら、その手をやんわりと止められ、握られた。
「え、えっ? かっ、かじっ、梶塚くん?」
「ああほら、またそうやって……酷い人です。祥子さんは」
一体なにを言われているのかもわからないけれど、なによりわからないのは彼だ。
「それで、本題ですが……ちゃんと覚えてますか? 祥子さん」
「おっ、覚えてるもなにも……なんのことやら……」
なぜって、三年間という数字がわからない。
素直に考えるなら高校三年間という数字かもしれないけれど、わたしが梶塚くんの担任になったのは彼が二年生の時だ。
だから彼と直接関わったのは彼が二年生になってからだし、一年生の秋に他県から来た転校生だ。
それに――。
「あ、もしかして冗談かなにかだと思ってましたか?本当に酷い人ですね。あんなに好きだと伝えたのに、信じてくれなかったんですか?愛してるとでも言った方がよかったですか?でも俺、学生の言う愛ってなんだか深いようで浅い気がして好きじゃないんで、やっぱり好きって伝えさせてください。まだ俺、身分的には学生なんで。ああでも生活費諸々は心配しないでください。祥子さんの稼ぎはそのまま祥子さんのお金で大丈夫です。絶対に面倒は掛けさせません。祥子さんと結婚すると決めてからしっかり用意しておきましたし、大学卒業したら適当な会社にも入ります。世間体を気にするなら取り合えず籍を入れるだけでも構いません。祥子さん、好きです。ずっとずっと、これからも好きです。だから結婚してくれませんか?」
「え、えっ、まっ、待って!」
「チッ」
なにやら舌打ちのようなものが聞こえた気がするけれど、それよりも……それよりも、待ってほしい。
「ゆ、夢っ、夢じゃなかったの!?」
あの放課後の後――。
どう考えても『結婚』を、プロポーズをされているとしか思えなくて眠れなかった次の日。
なにかの間違いか、冗談か、なんなのかわからずそれでもなんとか、心臓が口から飛び出るんじゃないかと思いながらもいつも通りに朝のHRの為にクラスに顔を出した。挙動不審なことを梶塚くん以外の生徒から揶揄われながらもいつも通りに午前も午後も何事もなく授業をこなして、帰りのHRの時にはあまりにも普段と変わらない周囲と梶塚くんの様子に、キツネに抓まれたような気持でそのままいつも通りに担当の部活動に顔を出し、悶々としながらもいつも通りに帰宅して――あれは夢だったんじゃないかと思ったのだ。
だって、今まで異性にプロポーズどころか告白をされるという経験はわたしにはない。
そんなイベントは小説やゲームの中でしか存在しないんだろうと思うくらいには無縁だった。
自覚はしている。
だってわたしは特に可愛くも綺麗でもなんでもない平凡な顔立ちだ。それにスタイルだって良くはない。服を着れば目立たないけれど、胸はブラジャーを付けてるのが逆に恥ずかしいくらい無く、ポヨポヨのお腹のほうが出ている気がする。
身長だって、高すぎず低すぎず、至って平均的。
見た目がこれで、中身はライトノベルやゲームを家族にも内緒でコソコソと集め遊んでいるような隠れオタク。
これからもずっとお独り様なんだろうなと漠然と思っていたのに、よりにもよって生徒にプロポーズされるという現実は、到底現実として受け止められなくて、わたしの中で夢での出来事ではないかという可能性が浮上したのだが、それがまたわたしを苛んだ。
だって、『夢に見ちゃうくらい、プロポーズされたいと思ってる』ってことでしょう?
本当に夢だったのか、それとも現実だったのか。
現実だったら、なぜ、どうして相手がわたし?という疑問が止まらない。
夢だったら、なぜ、どうして相手が梶塚くん?という疑問が止まらない。
ぐるぐるぐるぐると答えの出ない疑問が頭の中を回る中、不意に浮かぶのは、にこにこと笑顔を浮かべる梶塚くんの顔だ。
本当に嬉しそうに、見たことのない笑顔で、にこにこと笑っていた梶塚くん。
その度、無意味に叫び声を上げたい衝動に駆られて、それを抑えるためにクッションを抱えて転げ回った。
だって、そもそも『梶塚くんが笑顔を浮かべている姿を見たことがない』。
わたしが知っているのは常に笑ってもいない、怒ってもいない、無表情でもない、絶妙な表情を浮かべている梶塚くんだ。
もし夢だったら、そんな子の笑顔を勝手に想像してこんなに心乱されてる、バカな女になってしまう。
もし現実だったら、そんな子に笑顔でプロポーズされたことになってしまう。
どちらにせよ悶絶ものだ。
以来、ついつい気になってしまい、梶塚くんを視界に入れては逸らし、逸らしては盗み見ていたのだが、そこにはやはり、にこにこと笑顔を浮かべて怒涛のように喋る彼などはやっぱりいない。黙々と教科書やノートに向く至って真面目で大人しい見慣れた梶塚くんしか映らなかった。
たまに、ほんのたまに視線を感じることはあっても、その目には特になんの感情も映ってないように見えて、わたしだけが意識してしまっているように思えて、二学年の残り僅かな毎日なんだか無性に恥ずかしかった。
梶塚くんが三年生になり、担当クラスが変わってほっとしたのを覚えている。
でも、同時により強く意識するようになっていた。
たまに梶塚くんとすれ違ったりする度、やっぱりわたしだけが意識しているだけで、授業中でさえ特に目も合わないし、特別会話もしていない。
梶塚くんから呼び止められたこともないし、にこにこと笑いかけてもらったこともない。
やっぱりあれは夢だったんだという思いが日に日に高まり、なんであんな夢を見てしまったのかという疑問が膨れ上がり一つの答えを出すのだが、どうしても納得できないまま、認められないまま時が過ぎて――二月は本当に大変だった。
自由登校の三年生、梶塚くんは学校に来ない日が多い。
わかっていても梶塚くんは今日学校に来るんだろうか、もうすぐ梶塚くんの卒業だな、あの夢は本当に夢だったのかな、正夢だったらどうしよう、いやいや生徒にそんな邪な夢を見るって教師失格じゃないか、いやでも夢でもなければ信じられないし、そもそもわたしは本当に梶塚くんのこと……好き、なのかな?
何度も自問自答したけれど、明確な答えは出せなくて、ついに三月。
梶塚くんはあっさり卒業してしまった。
本当にあっさり、何事もなく、つつがなく式も終わり、三年生のいない学校が始まった。
ああ、やっぱり夢だったんだと思うと同時に、なんだかポロリと目から零してしまったモノに動揺した。
わかっていたはずで、当然のことなはずなのに、当たり前のことなのに、本当にバカみたいな話、慣れないお酒を飲んだ。
誰が二十歳も年の離れた女性にプロポーズなんてするのだろうか。
そもそも相手はつい先日まで高校生。
対するわたしは女性としての魅力も特にない、ただの行き遅れだ。
頼んだところで、誰が貰ってくれるのかわからない。
でももし逆の立場だったら、そうしたら――そんなことまで考えてしまうくらい、馬鹿になっていた。
春休み。
不真面目だけど仲の良い部活動の送別会も無事に終え、四月から新たに担任を務める新入生のための準備が着々と整えられても、周りになにかと気を使われるほどわたしは落ち込んでいた。
もういい加減、吹っ切れなきゃいけない。
いい大人として、子供たちの見本として教壇に立つ身だ。
こんな情けなく陰鬱とした先生ではいけない。
そうやって自分を奮い立たせていたのが約一週間前のことだ。
「夢に見てくれたんですか?俺との結婚。両思いですね、結婚してください」
今、目の前でまたあの笑顔を見せられて、顔が紅潮しているのを感じる。
これは本当に夢じゃなくて現実なの?
あれは夢じゃなくて現実だったの?
「えっ……え!?」
「うーん、もう一声欲しかったなぁ……」
「ええっ!?」
「おしいです、祥子さん」
にこにこ笑う、梶塚くんは意味の解らないことを言いながらわたしの手に何かを乗せた。
「え?」
「受け取ってください」
促されるまま視線を掌に落とすと、そこには銀色に輝く指輪が一つ。
「……えぇええっ!」
「祥子さん、声抑えてください。流石に近所迷惑です」
「えっ、あ、ご、ごんむ!?」
反射的に謝ろうとしたら、人差し指で止められた。
どこの小説漫画ゲームの話かと思うかもしれないけれど、下唇を押し上げるように添えられた人差し指によってわたしの言動は封じられてしまったのだ。
「ソレはダメです」
変わらない笑顔のまま言われて、ソレってドレとも聞けず、目を合わせるのもいたたまれなく無くてどうすればいいかと戸惑っているうちに、そっと離された。
「落ち着きましたか祥子さん」
「……」
正直、全く落ち着いてないし、落ち着けるはずもないし、いったい何が起きているのかも未だによくわかってない。
「祥子さん?」
「……な、なんで……?」
ほんとうに訳がわからない。
なんで梶塚くんがここにいるのだろう。
なんで笑ってるのだろうか。
なんでプロポーズなんてするのだろう。
なんで今日になって会いに来たのだろう。
なんで学校で話しかけてくれなかったのだろう。
なんで学校で笑ってくれなかったのだろうか。
なんでわたしは泣いているのだろうか。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――?
「祥子さん」
「……」
なにをどう言えばいいのかもわからない。
なにか言って、答えを知りたいのに、なにも言えない。
代わりに涙ばかりが溢れてくる。
「祥子さん、」
歪む視界に詰まる息。
わたしは苦しいのに、訳が分からなくて辛いのに、悲しかったのに。
それでも彼が笑っているのがわかる。
「好きです。俺と結婚してください」
馬鹿の一つ覚えみたいにそんなことを言う。
「……なんで」
絞り出した声は思った以上に震えている。
自分でもちゃんと発音できてるかわからなかったけど、彼は答えてくれた。
「好きだからです。それから、泣かせてしまったようなので、その責任も取らせてください」
瞬間、なんだか色々、どうでもよくなってしまった。
ただ衝動に任せて、梶塚くんに頭突きをした。
どんっと彼の胸に当たって、目の前の服を握り締める。
「……」
「祥子さん」
ぎゅっと服を掴んだわたしの手を、彼が上から包むように握る。
「……ちゃっ、ちゃんと、責任取ってよね……!」
「喜んで」
彼の手がわたしよりも大きいことを初めて知った四月二日のその日――あれよあれよという間に婚姻届けを書かされ、わたしの親に挨拶の後、新居候補を提示させられ、数日後に引っ越しすることが決まった。
金森祥子38歳。既婚、ただし彼氏いない歴=年齢。
たぶん、今後も彼氏いない歴は変わらない。
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