209 / 274
北部編
1.鳴りやまぬ降伏放送
しおりを挟む
「まるで魔物がアリのようですね」
外套の胸元を引き寄せたアーマーの眼に映りこんでくるのは大量の魔物だ。
彼女が現着した時、すでに北部軍司令棟には魔物が大挙して押し寄せてきていた。だが、その割には大人しく、号令を待つように周りを囲むだけなのだという。
仕方なく彼女は何人かの軍人に先導されて隠し通路を通って、中へと入っていく。
狭い暗い地下道は湿り気を帯びていて靴の上を虫や蛇が通っていくこともあった。普通の少女ならば帰りたいと泣くところだろう。
だが、アーマーは前のみを見据えて黙して歩いていく。
(無事でいてください、シュウさん。シルベリアさんも、皆)
すべては兄の友人を想うこそだ。
そして、エディスやエドワードの信頼に報いる為でもある。
ついに地下道を抜けて、北部軍司令棟の中に入ることができた。
こっちだと手招かれ、アーマーは油断せずに地下道を塞いで、よく来たなと肩を叩く軍人たちに頭を下げながら急ぎ足で進む。
連れていかれた先、奥まった小部屋に入る。
大きなデスクと何脚かの椅子、それに壁際のソファーしかない簡素な内装。
そこには、立ち上がってこちらを驚愕して見やる、親しい青年たちの姿があった。
「シュウさん、シルベリアさん!」
ご無事でしたかと兄の友人たちに駆け寄ると、彼らに抱き締められる。
怪我はないかと案じられて首を振った。
二人とも疲労や寝不足がたたっているのか、目の下にうっすらとクマができており顔色も良くはないが、こちらの予想を越えて元気そうではある。
戦況を聞くともう一週間もこう着状態なのだと説明を受けた。
「ハイデが潰れたらシュウを使おうって魂胆なんだろうな」
「冗談じゃない、俺には王族の血は流れてないんだぞ!」
親父もキシウ・ティーンスもどうかしていると椅子に腰を下ろしたシュウが頭を掻きむしる。
勘弁してくれと頭を抱える彼の肩を気遣わし気にシルベリアが抱き寄せた。
「それで……あの降伏放送ですか」
北部軍司令棟に来てから今に至るまで、アーマーの神経を逆なでしていたものがある。
常にではないものの、一定の間隔で”ある声”が聞こえてくるのだ。
『兄さ~んっ、僕と帰りましょう!』
『牢屋があなたを待っていますよ』
『出てこなければ北部軍司令棟を壊滅させます!』
などという降伏放送だ。地下にいた時は聞こえてこなかったが、今も遠くから届く。
一体どこにいるのかと窓辺に寄ると、隣に立ったシルベリアが「さっきまでは車の中だったが、今はあそこにいるな」と指差して教えてくれる。
見張り用の高台に拡声器を片手に持って、格好をつけて片足を掛けた姿の、シトラス・ブラッド。
「あれはなんの為にいるのでしょう」
冷ややかなアーマーの顔と声色に年上のお兄さん二人は顔を見合わせた。
「ど、どうした」
「なにか嫌なことあったのか」
と訊いてくる二人に首を傾げ、いいえと答える。
「ただ、あの方が好きではないだけです」
兄であるシュウさんの前で言うのは申し訳ないのですがと前置きをしてから伝えた言葉に、シュウは俺に気を遣わなくていいと手を振った。
「エディスにも嫌われてたしな」
笑ったシュウに対し、小さく「エディス様……」と呟く。
俯いたアーマーの脳裏に王宮での様々な嫌がらせや、絶え間なく流れた謂れのない悪評が過り、手を握り締める。
絶対に許せないと普段は波立たせないようにしている精神が崩れるのを感じて、二人の前なのだから堪えろと息を細く吐き出す。
「アーマー、俺があそこまで行って代わりに殴ってくるぞ」
その様子を驚いたように見ていたシルベリアが自分を指差してそう言うが、アーマーは慌てて首を振った。
いつでも自分に自信を持っていて、気高く美しいシルベリアがあの凡俗と口を交わすどころか触れるだなんて! とんでもないことだ。
「いいえ、結構です! シルベリアさんの手が汚れますので」
シュウさんも駄目ですからねと必死に止めると、二人は分かった分かったと苦笑いを浮かべる。
「前線の指揮をあんな方に任せるだなんて、敵もなにを考えているんでしょうね」
なにができるというのかと鼻で嗤うと、シュウが「何回かは攻めてきたんだぞ」と腰に手を当てた。
「遠くから見ましたが、建物も無傷のようだったんですが」
「そりゃ、その前に一掃したからな」
北部軍の中心基地なのになと呆れを通り越してどう扱えばいいのか分からない様子のシルベリアに、アーマーは「それでは」と背を伸ばす。
「泳がせず全部片づけてしまえばいいのでは」
「俺たちもそうしたい。でも魔物が無尽蔵に増えてくるんだ」
どこかに増殖機があるみたいでと苦い顔をするシュウに、アーマーはなるほどと頷いた。
「怪しい地点を教えてください。潰しに行ってきます」
その為に来ましたからと言うアーマーに、シュウは顔に困惑を滲ませる。
「……アーマー、その」
「シュウさんがエディス様の招集に応じなかったというのは聞いております」
目を丸くした彼は、聞いていたのかと己を恥じるように眉を寄せ、目を細めた苦笑いを浮かべた。
それならどうして来たんだと言いたげな目線を寄越したシュウに、アーマーはしかと目を合わせる。
いい人ばかりが苦しい気持ちをしなくてはならない世の無情に、どうしてだと叫びたい気持ちを抱えて――少女は口を開く。
「ですが、このままでいいのですか。ブラッドというしがらみに囚われたままで……」
窓の方へとてを伸ばし、視線を誘導させるよう指で指し示す。
「シュウさんは、あの空のようだとエディス様が言っていました」
空? とシュウが顔を横向けて窓の外を見やる。
北では珍しい、雲一つない快晴が広がっていた。
「空のように広く、なんでも包み込むように見る人なんだと。私もそのように思っています」
その時、シュウの目に光が映りこんだ。ただアーマーの目にそう映っただけかもしれないが。
「優しいあなたを悪辣な者の前に連れ出すのは、私だって心が痛みます。ですが、綺麗なものが閉じ込められているのもそれと同じくらい腹立たしいんです!」
お願いですと薄い胸に手を当てて見つめた顔は、困惑に満ちている。だが、決してそれだけではない。
兄の友人、身分や性別など気にしないと親しくしてくれた兄のような人。
貴族に縁ある家に生まれた母から受け継いだ琥珀色の目を真っ直ぐ見て、美しいと言ってくれた。
「あんな男の不出来な作戦なんか、突破しましょう。魔物が増える? 上等です、エディス様へのお土産にさせていただきます」
いきましょうよと両手でシュウの手を握ると、彼は狼のような灰色の目を細めた。
「……兄貴分としちゃ、行かないわけにいかないな」
目を閉じて密やかに微笑んだ男の肩を、白く長い腕が抱く。
体を寄せたシルベリアに、シュウもまた凭れかかった。
「帰るよ、俺の故郷に――」
外套の胸元を引き寄せたアーマーの眼に映りこんでくるのは大量の魔物だ。
彼女が現着した時、すでに北部軍司令棟には魔物が大挙して押し寄せてきていた。だが、その割には大人しく、号令を待つように周りを囲むだけなのだという。
仕方なく彼女は何人かの軍人に先導されて隠し通路を通って、中へと入っていく。
狭い暗い地下道は湿り気を帯びていて靴の上を虫や蛇が通っていくこともあった。普通の少女ならば帰りたいと泣くところだろう。
だが、アーマーは前のみを見据えて黙して歩いていく。
(無事でいてください、シュウさん。シルベリアさんも、皆)
すべては兄の友人を想うこそだ。
そして、エディスやエドワードの信頼に報いる為でもある。
ついに地下道を抜けて、北部軍司令棟の中に入ることができた。
こっちだと手招かれ、アーマーは油断せずに地下道を塞いで、よく来たなと肩を叩く軍人たちに頭を下げながら急ぎ足で進む。
連れていかれた先、奥まった小部屋に入る。
大きなデスクと何脚かの椅子、それに壁際のソファーしかない簡素な内装。
そこには、立ち上がってこちらを驚愕して見やる、親しい青年たちの姿があった。
「シュウさん、シルベリアさん!」
ご無事でしたかと兄の友人たちに駆け寄ると、彼らに抱き締められる。
怪我はないかと案じられて首を振った。
二人とも疲労や寝不足がたたっているのか、目の下にうっすらとクマができており顔色も良くはないが、こちらの予想を越えて元気そうではある。
戦況を聞くともう一週間もこう着状態なのだと説明を受けた。
「ハイデが潰れたらシュウを使おうって魂胆なんだろうな」
「冗談じゃない、俺には王族の血は流れてないんだぞ!」
親父もキシウ・ティーンスもどうかしていると椅子に腰を下ろしたシュウが頭を掻きむしる。
勘弁してくれと頭を抱える彼の肩を気遣わし気にシルベリアが抱き寄せた。
「それで……あの降伏放送ですか」
北部軍司令棟に来てから今に至るまで、アーマーの神経を逆なでしていたものがある。
常にではないものの、一定の間隔で”ある声”が聞こえてくるのだ。
『兄さ~んっ、僕と帰りましょう!』
『牢屋があなたを待っていますよ』
『出てこなければ北部軍司令棟を壊滅させます!』
などという降伏放送だ。地下にいた時は聞こえてこなかったが、今も遠くから届く。
一体どこにいるのかと窓辺に寄ると、隣に立ったシルベリアが「さっきまでは車の中だったが、今はあそこにいるな」と指差して教えてくれる。
見張り用の高台に拡声器を片手に持って、格好をつけて片足を掛けた姿の、シトラス・ブラッド。
「あれはなんの為にいるのでしょう」
冷ややかなアーマーの顔と声色に年上のお兄さん二人は顔を見合わせた。
「ど、どうした」
「なにか嫌なことあったのか」
と訊いてくる二人に首を傾げ、いいえと答える。
「ただ、あの方が好きではないだけです」
兄であるシュウさんの前で言うのは申し訳ないのですがと前置きをしてから伝えた言葉に、シュウは俺に気を遣わなくていいと手を振った。
「エディスにも嫌われてたしな」
笑ったシュウに対し、小さく「エディス様……」と呟く。
俯いたアーマーの脳裏に王宮での様々な嫌がらせや、絶え間なく流れた謂れのない悪評が過り、手を握り締める。
絶対に許せないと普段は波立たせないようにしている精神が崩れるのを感じて、二人の前なのだから堪えろと息を細く吐き出す。
「アーマー、俺があそこまで行って代わりに殴ってくるぞ」
その様子を驚いたように見ていたシルベリアが自分を指差してそう言うが、アーマーは慌てて首を振った。
いつでも自分に自信を持っていて、気高く美しいシルベリアがあの凡俗と口を交わすどころか触れるだなんて! とんでもないことだ。
「いいえ、結構です! シルベリアさんの手が汚れますので」
シュウさんも駄目ですからねと必死に止めると、二人は分かった分かったと苦笑いを浮かべる。
「前線の指揮をあんな方に任せるだなんて、敵もなにを考えているんでしょうね」
なにができるというのかと鼻で嗤うと、シュウが「何回かは攻めてきたんだぞ」と腰に手を当てた。
「遠くから見ましたが、建物も無傷のようだったんですが」
「そりゃ、その前に一掃したからな」
北部軍の中心基地なのになと呆れを通り越してどう扱えばいいのか分からない様子のシルベリアに、アーマーは「それでは」と背を伸ばす。
「泳がせず全部片づけてしまえばいいのでは」
「俺たちもそうしたい。でも魔物が無尽蔵に増えてくるんだ」
どこかに増殖機があるみたいでと苦い顔をするシュウに、アーマーはなるほどと頷いた。
「怪しい地点を教えてください。潰しに行ってきます」
その為に来ましたからと言うアーマーに、シュウは顔に困惑を滲ませる。
「……アーマー、その」
「シュウさんがエディス様の招集に応じなかったというのは聞いております」
目を丸くした彼は、聞いていたのかと己を恥じるように眉を寄せ、目を細めた苦笑いを浮かべた。
それならどうして来たんだと言いたげな目線を寄越したシュウに、アーマーはしかと目を合わせる。
いい人ばかりが苦しい気持ちをしなくてはならない世の無情に、どうしてだと叫びたい気持ちを抱えて――少女は口を開く。
「ですが、このままでいいのですか。ブラッドというしがらみに囚われたままで……」
窓の方へとてを伸ばし、視線を誘導させるよう指で指し示す。
「シュウさんは、あの空のようだとエディス様が言っていました」
空? とシュウが顔を横向けて窓の外を見やる。
北では珍しい、雲一つない快晴が広がっていた。
「空のように広く、なんでも包み込むように見る人なんだと。私もそのように思っています」
その時、シュウの目に光が映りこんだ。ただアーマーの目にそう映っただけかもしれないが。
「優しいあなたを悪辣な者の前に連れ出すのは、私だって心が痛みます。ですが、綺麗なものが閉じ込められているのもそれと同じくらい腹立たしいんです!」
お願いですと薄い胸に手を当てて見つめた顔は、困惑に満ちている。だが、決してそれだけではない。
兄の友人、身分や性別など気にしないと親しくしてくれた兄のような人。
貴族に縁ある家に生まれた母から受け継いだ琥珀色の目を真っ直ぐ見て、美しいと言ってくれた。
「あんな男の不出来な作戦なんか、突破しましょう。魔物が増える? 上等です、エディス様へのお土産にさせていただきます」
いきましょうよと両手でシュウの手を握ると、彼は狼のような灰色の目を細めた。
「……兄貴分としちゃ、行かないわけにいかないな」
目を閉じて密やかに微笑んだ男の肩を、白く長い腕が抱く。
体を寄せたシルベリアに、シュウもまた凭れかかった。
「帰るよ、俺の故郷に――」
0
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
腐男子♥異世界転生
よしの こひな
BL
ある日、腐男子で新卒サラリーマン・伊丹トキヤの自室にトラックが突っ込む。
目覚めたトキヤがそこで目にしたのは、彼が長年追い続けていたBL小説の世界――。しかも、なんとトキヤは彼が最推しするスパダリ攻め『黒の騎士』ことアルチュール・ド・シルエットの文武のライバルであり、恋のライバルでもあるサブキャラの「当て馬」セレスタン・ギレヌ・コルベールに転生してしまっていた。
トキヤは、「すぐそばで推しの2人を愛でられる!」と思っていたのに、次々と原作とは異なる展開が……。 ※なろうさん、Caitaさん、PIXIVさんでも掲載しています。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる