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4 いざ森へ

4-1 森への出発

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 マイはトリスタンとの約束の時間が近づくと、早めに集合の場所へと向かった。ただの裏山にあの戦士は何の用だろうか、それに地図が既に用意されていて他の者には見せれない、なんだか不穏なものを感じたが、今更帝国のお願いを断るわけにはいくまい。
 トリスタンの部屋を出たマイは、すぐに彼女にとってはうざったい衣装を脱ぎ、いつもの森へ行く格好に着替えた。ところどころが擦り切れ、洗っても落とせないような汚れがついている。本来であれば殿方の前できるような服ではないが、森へ行くのだ、致し方ない。森は人間の臭いを覚えている。いつもと違う臭いを感じれば、警戒を深め、さらにこの地の者ではない男が入ろうものには何をするかわからない。少しでも、いつも通りをこなす必要がある。化粧も全て落とし終えたマイは、森へ行く荷物を背負い、護身用の剣を腰に身に付け、トリスタンを待つことにした。

「申し訳ない。待たせてしまいましたか。」
マイは突然横から聞こえた声に、はっと飛びのいた。すぐ横にトリスタンが立っていたのだ。
この男、まるで、気配がない。
帝国からの戦士を侮っていた訳ではないが、こいつは予想以上に手練れかもしれない。
「いえ、大丈夫です。では、行きましょうか。」
マイは、動揺した心を悟られまいと笑顔を見せた。腰の短剣に触れてしまったことに気付かれただろうか。帝国のお客様相手に剣を抜いたとなれば、命だけじゃ済むはずがない。落ち着け、と自らに言い聞かせながら、トリスタンを森の入口まで案内した。

 宿屋の本館から、離れに向かい、マイが毎朝一番に向かうため池を通り過ぎる。ため池の奥に森が広がっており、宿屋の人間だけが通ることができる小道がある。そこからは、森の領域だ。

 ここまで歩いてきたが、一言も会話はなかった。無駄な会話をしないタイプだろうか、普段一緒に過ごしている男性といえばレンぐらいだったマイは、何か気を悪くしただろうかと思ったが、トリスタンの表情は変わらない。何を考えているかわからない人だ。
小道の手前までくると、マイは足を止め、後ろを振り返った。
「ここが森の入り口です、ただ、一人で入ることはお勧めしません。よっぽどないとは思いますが、森は、人を選びます。私が知る中で、森に拒まれた人間はいませんが、そういう言い伝えが残っているだけです、まあ村の人間がともにいるから大丈夫だと思いますが、ただ森の獣は信頼に足る人間しか縄張りに入れません。これは私がいても必ず大丈夫だと保証はできませんので、自分の身を自分で守ることをお願いいたします。」
そういうと、トリスタンは「了解しました。」とだけ答えた。

帝国の戦士に対して、自分の身を守るように警告するのは不要だったかと若干後悔しつつ、失礼がないようにしないと奮い立たせた。
「失礼いたしました。では、進みます。」
そういって、いつも通り森へ踏み出した。
ざくっと、森を踏みしめる音が静寂の中に鳴り響く。
トリスタンも同じように、踏み出した。

その時、地面が大きく震え始めた。
マイは驚き、思わず後退りした。後ろにいたトリスタンにぶつかり、思わずすがるように掴んでしまう。
地面の揺れは徐々に大きく鳴り、鳥達は恐れをなして空へ飛びあがった。

地面に亀裂が走る。空には黒雲が立ち上る、青い空はすぐに黒く染まっていく。
森の入口であった場所が、崩れていく。

戻れなくなる、叫ぶ間もなく、マイの立つ地面が崩れ落ちた。

ぐっと腕が引き上げられ、体が宙に浮いたかと思うと、男の人の胸に抱き寄せられる。トリスタンだ。
あまりの恐怖と、抱き寄せられた硬い胸に少しの安堵も感じてしまう、ああ嫌だ。怖い、でもすがるしかない、地面が崩れ、木々が騒めき倒れていく音が体中に響く。

どうなっているのだろうか、このまま死ぬのだろうか、村のみんなは無事だろうか、

何もわからないまま、そんなことが脳裏によぎる。
その時ガツンと頭に衝撃が走った。マイの意識はそこまでだった。



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