30 / 38
寝目田
第4話 燻る炎
しおりを挟む(俺はそんな礼をされるような人間じゃない……頼むから、もう帰してくれ!)
はっきりとそう口にしたいくらいだったが、寝目田はグッと堪えた。
「いや、大したことしていないんで。……お大事に」
それだけ言うと、寝目田は開ノ戸に背を向けて玄関に向かう。
しかしその背中に向けて、なおも開ノ戸は言葉を投げかける。
正直「もう勘弁してくれ」と寝目田は思ったが、興奮させて無理に立ち上がろう
とした開ノ戸がまた倒れでもしたら、先ほどの二の舞だ。仕方なく背を向けたまま、
寝目田は寝室が面している廊下の前で足を止める。
「それなら良い条件の仕事を紹介させてはくれないか? 君もまだ若いのだから、
環境の良い職場で伸び伸びと仕事をした方がいいだろう」
先ほどからお人好しな性格が見え隠れする開ノ戸の言動は、無自覚に寝目田の
心の奥を突き刺していたのだが、この言葉が引き金となり寝目田の中で何かが
弾けた。
「あのさあ、あんた、誰にモノを言っているのか、本当に分かっている? あんた
の財布盗んだの、俺だよ。そのせいで節約生活をすることになって、挙句の果てに
感染症になって入院したんだろ? それなのに礼がしたいって、おかしいだろ!」
病院で医師との会話から聞かされた内容は、そのまま寝目田の罪悪感をチクチク
と刺すもので、身の置き所がなかった。
もちろん寝目田も悪いのは自分だと自覚はしている。だからこそ盗んだ後も結局
中身を使う気にはなれなかったし、女の霊が夢に出れば、気になってこの家まで
来てしまった。
「そ、そうだったのかい……。それで、どこか様子がおかしかったのか」
「わかったら、通報するなり好きにしろ。じゃあな」
なんだ。そんな話なら聞かなければ良かった。
盗んだ財布のことだって、結局1円も使わないまま、夢の女が怖くて電車の隅に
置いてきてしまった。
何も得をしなかったのに、聞かれてもいないのに自白するなんて、本当にバカ
みたいだ。
――これまでのいつまでも灰色がかったパッとしない人生が、寝目田の脳内で
走馬灯のように流れる。
「それじゃあ、どうして私のために救急車を呼んだのかい? 君が自分のことを
どう思おうと、私は根は優しい子なのだと思うよ」
「……おめでたい爺さんだな。本当にもう帰るからな」
この開ノ戸という男性は無自覚に罪悪感を煽ってくるからタチが悪い――半ば
八つ当たりだと自覚しながらも、寝目田は腹の奥で 燻る炎を持て余しながら、
ガラガラと大きな音を立てて引き戸を開けて玄関から出て行った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる