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6章 コンドームおばあさん

6-3 ナンパ反対撲滅おばあさん改め、コンドームおばあさん

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「初連れ出し、おめでとうございます」
「いえいえ、最後失敗しちゃったんで」
 喫茶店を後にすると、ガリさんはLINEで皆に連絡して招集をかけた。子凛はすぐに駆けつけ、爽やかな笑顔を振り撒いている。
「でも、確実に向上してるじゃないですか。大丈夫ですよ。自信を持ちましょうよ」
 肩の上で体育座りしている妖精も『そうだよ』と言わんばかりに大きく頷き、から励まされてしまった。
「子凛はアポだったんですよね」
「いえ、そのつもりだったんですけど、中止しました。朝十時から声をかけています」
 ポケットからカウンターを取り出した。使い込まれていて、かすり傷がいくつも刻まれている。
「今日は二百十二声かけです。ノルマの二百を超えて一安心です」
「すげぇ。結果はどうだったんですか」
「4人連れ出して、8人連絡先交換しました」
「さすが、子凛」
 ローズマリーティーのペットボトルのふたを開けると、気持ち良さそうにごくりと飲んだ。閉めると、鋭い目つきに変わった。ターゲットを見つけたのだろう。無言で立ち去ると、狙った女の最短距離を駆けていった。
「グリーン、お前も声かけだ。良いリズムは維持しようぜ。よし、あれ。シュシュでポニーテールしている細身のあの
「はい」
 子凛のように最短距離で女に向かった。ちょうど3秒。
「すいません。ちょっといいですか」
 アイコンタクトが全く取れず、巧みに逸らされてしまった……。
「いやぁ、ポニーテールがすごい似合うね。東京でベスト5に入れると思うよ」
 しーん。
「港区でアテンダーしてます。……って、もちろん嘘だけど」
 ガンシカされ続けてしまった。まぁ、しょうがないか。次、行こ。次次。

「ピィィイイィーィィー!!!」

「うわっ!」
 耳の側で思いっきり笛を吹かれてしまった。
 何? 何? 一体何がどうしたんだ。
 振り向くと、そこには笛を首からぶら下げた魔法使いのようなおばあさんが突っ立っていた。
 まさか、逆ナン……。乳ローはたまに女からナンパされるって言ってたけど、初めての逆ナンか。いやいや、違うよな……。どう見たって怒っている。
「おぬし、今ナンパしてたじゃろ」
「はい。してましたけど」
 ショッキングピンクのマントには似合わぬ麦わら帽子から出ている髪の毛は、縮れながら背中まで伸びている。マントの内側に右手を入れて何かを取り出すと、俺に向けて天高く振りかざしてきた。
「レッドカードじゃ」
 何が何だかさっぱりわからない。
「今すぐ街から退場するんじゃな」
 と言うと、左手で持っている杖で頭をコツンと叩かれてしまった。
「痛いですよ……。全く意味がわかりません。自分、何か悪いことでもしましたか」
「悪いことは言わん。ナンパなんて辞めるんじゃ。女から言わせると、ナンパは迷惑なだけなんじゃよ」
「迷惑かどうかは個人が決めればいいでしょ。女性全体を一括りにして、迷惑というのはおかしいんじゃないですか」
 強い南風が吹くと、押さえ損ねたおばあさんの麦わら帽子が飛ばされてしまい、あっという間に上空に舞い昇っていった。
「ナンパは犯罪の温床になりやすいんじゃ」
「例えば、どういう犯罪ですか」
「街中でナンパされた女の子が、無理矢理車に乗らされて山奥に連れていかれたんじゃ。車から降りると、十人近くの男共おとこどもが待ち構えていてなぁ……。何時間もレイプされたんじゃ……。その子はその後、どうなったと思う?」
 おばあさんの杖が小刻みに震えている。
「長い間、血の涙を流し地獄の淵を彷徨った挙げ句、自殺したんじゃ」
 何か言葉を発そうと思い口を開いたが、自分の意見がうまくまとまらず黙って口を閉じた。
「他にもある。中絶と性感染症の問題じゃ」
「せいかんせんしょうって何ですか」
「性感染症っていうのは、『セックスによって感染する病気』のことをいう。クラミジア、カンジダ、ヘルペス、尖圭コンジローマ、トリコモナス、毛ジラミ、カンジダ、B型肝炎、C型肝炎、淋病、梅毒、エイズ……。どうじゃ。聞いたことあるじゃろ?」
「はい。どれも名前だけは聞いたことがあります」
「最近、梅毒が大流行してるの知ってるか? 痛い思いはしたくないじゃろ?」
 畳み込むように言われたので、指で顎を挟み「んー」とうなってしまった。
「それと、中絶。男は簡単に堕ろせというが、手術台に乗せられるのは女なんじゃ。中絶によってどれだけ女の身体と心が傷ついているかわかってないじゃろ。ほんと男はヤルだけの虫けらと同じ。後始末はいつも女の役目で全てを背負い込む。そんなのは許せないんじゃよ」
 なぜだか、素人童貞の俺が男代表で怒られてしまった。
「もっと、男女ともに避妊の重要性を認識しなければいけないんじゃ。こんな状況が続くならば、セックスも免許制にすればよい。学科と実地を行い、合格したものだけにセックスを許すんじゃ」
 セックスの免許って……。学科とか実地って何やるんだろ……。
「合格していないのにセックスをしたら罰金じゃ。百万ぐらいは納めさせないとダメ。二回罪を犯したらちょん切りじゃ」
「ちょん切りって?」
 持っている杖で、今度は強めにゴツンと叩かれてしまった。
「マジで痛いんですけど……」
「ペニスをちょん切りの刑に決まってるじゃろ」
「それはちょっと……」
 おばあさんは両手を腰に置いてから喋り始めた。
「冗談じゃ。でも、それぐらい避妊の問題を危惧してる。一瞬の快楽に溺れちゃダメ。セックスはいいんじゃ。男女の営みだから、何も言わん。でも、避妊はちゃんとしてほしいんじゃ。それが、相手を思いやるってことにも繋がるんだから」
「おばあさんは何者なんですか」
「ただの老婆よ。年を取ると説教を垂れたくなるもの。お主より長く生きてるから老婆心と思って聞いとけ。もう、これ以上女の悲しむ姿を見たくないんじゃ」
「でも、ナンパは男の本能なんですよ。全否定はおかしいと思います」
「全てが悪いとは思っていないんじゃ。しかし、ワンナイトラブなんか考えるんじゃないぞ」
 ぐっ……。
「どこの馬の骨ともわからん人間とその日に性行為をすることは、危険がいっぱいなんじゃ。セックスは真面目に交際してる彼女とするんじゃな」
「確かにそうかもしれませんが」
「性欲のおもむくままのセックスは、すぐにルーティン化してつまらなくなるんじゃ。愛のあるセックスを身に着けられるように精進するんじゃな」
 でも、即を目標としてるのに……。
「大事なことじゃからもう一度言うぞ。真面目に交際してる彼女と愛のあるセックスをするんじゃ」
 でも……。
「それが、一番幸福なセックスなんじゃよ」
 ……。
 男の全てを見透かしているかのように、「ふぉっふぉっふぉっ」と不気味に笑っている。
「お主、失敗して痛い目みないとわからんタチらしいのぉ」
「何でそんなことがわかるんですか」
「お主みたいな青二才、全てこの老婆にはお見通しじゃて。痛い思いをする前に、よく噛み締めるんじゃな。後悔するんじゃないぞ」
「こぅうかーいぃなんて、しませんよ……」 
「坊や、大丈夫かい? だいぶ、しどろもどろじゃが。ふぉっふぉっ。まぁ、それでもワンナイトラブをしたいんだったらコンドームをしっかり着けることじゃな」
 おばあさんからコンドームが入れられた正方形の袋を渡された。
「避妊と性感染症予防、両方の効果が得られるのはコンドームだけなんじゃ。さらに避妊率を上げたいならば、コンドームとピルなど、併用がベストじゃがな」
「大丈夫ですよ。いつもちゃんとしてますから」
 ちょっと嘘をついてしまった。素人童貞だから風俗以外ではセックスなんてしたことがない。でも、だからそういう意味では嘘をついていない。
「でも、コンドームをちゃんと使いこなせない男が多いのも問題なんじゃ。射精時だけ装着するアホもいるし、『時々使ってる』と言う馬鹿げた輩もいる。毎回ちゃんと使わなければ意味がないんじゃから。本来、コンドームの正しい着け方を義務教育でみっちり叩き込まなきゃいけないんじゃ。全くもう……」
「膣外射精ってダメなんですか?」
「論外じゃ! 射精前にペニスから出る分泌液に精子が含まれていたり、膣口の近くに射精した場合、精子が侵入する可能性があるんじゃから。そもそも、そのコンドームでさえ、失敗率は3%や12%や15%という数字が並ぶ。その数字も正しく使うことによって0%に近づけることができるんじゃよ」
「自分はお守りのように財布に入れっぱなしにしてるので大丈夫です」
「それも論外じゃ! ゴムはすぐに劣化するんだから。保存状態が悪ければ劣化が進むので、使用するときに箱から出すんじゃな。当然、使用期限を守ることは言わずもがなじゃ」
 ……。
「お主みたいな輩が、失敗率を上げているんじゃからな」
 思いっきり睨まれてしまった。
「すいやせん……」
「女性の長い爪も危ないんじゃ。切れたら意味がないんだから。それに嫌われたくないからってコンドームを着けない彼に、毅然と『着けて』と言えないのも問題なんじゃ。性欲興奮時の男ほど信用できないものはこの世にないし、女がしっかりしないといけないんじゃから……」
 色々思い出したのか怒りが増してきたようで、俺は「まあまあ」と言ってなだめた。
「だから、」
 と言うと、イエローカードを翳された。
「エッチするときにコンドームを使う。しかも、正しく使うということを誓うならば、ナンパの許可を出してもいいぞ。それならば、レッドカードからイエローカードに変更するんだが。どうじゃ、誓えるか?」
「はい。誓います」
 手を高く掲げて天地に誓った。しかし、ふと俺は何をやってるんだろという気持ちが過った。
「守らないとブラックカードじゃ。お主、覚悟しろよ」
 イエローカードの後ろからブラックカードが姿を現した。目の前でいやらしく右や左に振られた後に翳されてしまった。
「ブラックカードって何ですか?」
「ワシがこの杖を使い呪文を唱えて、お主を殺すんじゃ!」
 今までは怒っているにしても終始温厚な表情だったが、おばあさんの小刻みに動く黒目を見つめると、本気の殺意と認識できるほどの凄みが宿っていると感じた。その視線には、悲しみの感情が地層のように幾重にも積まれたことによって滲み出されたものだと感じ、「わかりました。守ります」という返事以外に俺には選択肢が残されていなかった。
「よし、合格。わかればいいんじゃ。守らなかったらブラックカードだから覚悟するように」
 と言うと、優しいまなこに変わり、消えていた笑顔も戻っていた。
「もし、性感染症が心配だったら病院か保健所で検査を受けるんじゃな」
 だから、素人童貞だっつの。
「これ、おばあさんの帽子やろ」
 右手に麦わら帽子を持ち、左手は腰に当てたガリさんが突っ立っていた。
「ありがとう。説教に夢中だったから、いつの間にか飛ばされたみたいじゃな」
「グリーン、何やってるんや。おばあさんに逆ナンでもされてたんか」
「それならば、まだいいんですけどね」
 一言ガリさんに返し、「では、おばあさん失礼します」と言ってお辞儀をした。
「お姉さんって言いなさい、お姉さんって。バイバイ」
 と言いながら手を何回も横に振った。
 お姉さんと言われたい年頃でもないだろと思ったが、「はいはい、すいません。さようなら」と答えておいた。おばあさんに背中を見せると、すぐさま笛を思いっきり吹く音が聞こえた。またナンパ師を見つけたのだろう。チラっと振り向くと、俺と同じように赤紙を振り翳されていた。
「レッドカードじゃ!」
 その声が耳に届くと同時にガリさんの口が開いた。
「あれは、有名なコンドームおばあさんやで」
「有名なんですか」
「せや。ワイもかなり前に洗礼を受けてんねん。ナンパ師ならば誰でも知ってるで」
「どうして、ナンパ師ばかりを狙い撃ちにしてるのでしょうか?」
「むかーしむかし、娘がナンパされて輪姦まわされたらしいで」
 そっか……、あの話は娘のことだったのか。だからブラックカードを翳したとき、襲いかかるような凄みのある目をしていたのか。
「そんなわけで、ナンパ師に異常な恨みを持ってたんや。最初はナンパ師を見つけると、とっ捕まえて警察に突き出してたんやで。その時は、『ナンパ反対撲滅おばあさん』といわれてた。せやけど、色々なナンパ師と接するうちに考えが変わったらしい。『話せば、案外悪い子たちじゃない』ってね。それからコンドームおばあさんに変わったらしいで」
「そうですか。別に悪いことは言ってませんもんね」
「せやな。ワイもあのおばあさんに説教されてから、コンドームをちゃんと着けるようになったんやで」
 強い南風が吹いたので空を眺めてみると、おばあさんの麦わら帽子が飛んでいるのが見えた。
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