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皆の心と破裂
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チュリップは教会の広場で血を吐く病人の背中に手を当てる。
「治癒魔法、神よこの者を癒したまえ」
土色だった病人の顔色が綺麗な肌色へ変わる。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。次の人」
チュリップは笑顔を振りまきながら広場に並ぶ大勢のけが人や病人を治していく。
「女神だ! 女神が降臨してくださった!」
人々は涙を流してチュリップを拝む。
「チュリップ様、お布施です。受け取ってください」
人々は喜んでチュリップに大金を渡す。
「ありがとうございます。神も喜ぶでしょう」
チュリップは笑顔でそれに応えた。
チュリップは治療が終わると、とある有力貴族の屋敷へ足を向ける。
「チュリップ様、お会いできて光栄です」
巨大な庭園で貴族の家族とその親しい商人たちに囲まれる。
「とてもお美しい方で私たちは緊張を隠せませんよ」
誰もが羨むドレスを着て、誰もが羨む上流階級の世辞を余すところなく受ける。
テーブルにはオードブルと上等な酒が並ぶ。
「まあ、お上手で」
チュリップは貴公子たちの笑みに囲まれて笑う。
王宮に帰ると自室となった客室で足を伸ばす。
「チュリップ様、お風呂の用意ができました」
十数人の使用人がチュリップに付き従う。
浴場は百人くらい入れるほど広く、湯舟には香りのよい果実の実が浮いている。
質の良い油を使った石鹸の泡が体を包む。
「気持ちいいわ」
上流階級へ変身したチュリップは、使用人たちに体を洗われながら微笑んだ。
「ふふ……迷宮に行った甲斐があったわ」
チュリップは部屋のテーブルに積まれた金の山を見て笑う。
「それに良いお部屋。どんなにお金を積んでもここで眠るなんてできない」
立ち上がると飾られた名画の前に立つ。
「アルカトラズ十五世の自画像。自信満々で憎たらしい。こっちは王宮騎士団団長ユリウスの自画像。若いのに威厳のあるお顔。こっちは王宮魔術師統括のガウスの自画像。優男なのにガタイがしっかりしていて頼りがいがありそう。こっちはアース教の教皇ゼウス様。お年なのに元気ね」
クスクスと部屋を見渡しながらベッドに寝転ぶ。
「私が求めていた贅沢な部屋、優雅な暮らし。何より……」
ベッドの頭に置いていた見合いの申し込み書を手に取る。
「たくさんのいい男! 私が欲しかった理想の人たち!」
ペラペラと中身を見る。
「有力貴族の息子に貿易商の頭取、あら! 王宮魔術師や王宮騎士団からも!」
チュリップは胸で申し込み書を抱きしめる。
「ようやく勝ち組になった……もう昔の私じゃない」
チュリップはぼんやりと天幕に描かれた刺しゅうを見つめる。
「レイ……あなたは私を恨んでいるでしょ?」
チュリップは起き上がると上着を脱ぐ。
「あなたは迷宮で独りぼっち。私は外で優雅な暮らし。真っ暗に怯えることもなく、化け物の肉も食べないで、甘いお菓子に囲まれている。上流階級の人たちが私に微笑みかけてくれる。スラム街じゃ考えられないくらいの生活」
下着姿となると再度枕に頭を乗せる。
「あなたも帰ってきたら上流階級だったのに、何て可哀そうな人なの?」
汗がじっとりと滲んでくると息が荒くなる。
「幻滅した? そうよね。これが私。あなたを愛していると言いながら、外に出たら他の男にお尻を振る。それが私。殺したいでしょ? 殴りたいでしょ? 犯したいでしょ? ごめんなさい。迷宮の中じゃ無理ね」
寝転びながら器用に下着を脱ぐ。
「迷宮から出たらあなたは私を真っすぐ殺しに来るのかしら? それとも犯しに来るのかしら?」
リンゴのように赤い舌が桃のように瑞々しい唇を舐める。
「楽しみだわ」
少しずつ、じらす様に己の体に手を這わす。
「レイ? 私ね、たくさんの男と出会ってきたわ。今日もいっぱい会ったわ。どの人も優しそうで、端正な顔立ちで、ガタイも良くて、お金持ち。あなたとは全然違う。あなたは優しくて、かっこいい顔立ちで、女を惑わす体を持っていて、とても強い!」
手つきが激しくなる。
「レイ! 私! 全然興奮できなかった! 今日もたくさん良い人と出会ったけど抱かれたいと思わなかった! 吐き気がした!」
両手を天に突き出して切なく口を開ける。
「レイ……私を許して……お金ならいっぱいあるわ……愛していると言って……お金ならいっぱいあるから」
全身が高揚する。
「キスをして、愛していると囁いて、私を抱いて! あなたは何もしなくていいの! お金なら私があげる! ただ傍に居てくれるだけでいいの! 殴ってもいい! 罵ってもいい! 何をしてもいい! だから私を抱いて!」
涙が目尻を通って枕を濡らす。
「ダメ! 我慢できない!」
甘く切ない声で部屋が濡れた。
「行かなくちゃ」
荒い息を整えると汗だくのままフラフラと立ち上がる。
「そうよ……間違えただけよ。私はあなたを愛してる。だからあなたも私を愛してる!」
大股で扉のノブまで走り、勢いよく引く。外開きの扉は根元からけたたましい音を立てて外れた。
「チュリップ!」
丁度ノックをしようと扉の前に居たゼウスと目が合う。
「あら! ゼウス様!」
湧き上がる衝動が抑えられない。
「ゼウス様! 私迷宮に行きます! レイが呼んでいるんです!」
チュリップは掴んだノブを離さず歩く。ズルズルと扉を引きずる。
「落ち着きなさい!」
ゼウスはチュリップの肩を掴んで引き留める。
「離してください!」
チュリップはドンとゼウスを押す。
「ぐ!」
ゼウスは廊下の端まで吹き飛ぶ。チュリップはわき目も振らずに歩く。
「治癒魔法! 神よ彼女の心を静めたまえ!」
チュリップは体が光に包まれるとハッと足を止めた。
「落ち着きなさい」
ゼウスは口から出た血の泡を拭う。
「ゼウス様」
チュリップは膝から崩れ落ちた。
「申し訳ありません」
チュリップは寝巻に着替えて別室にゼウスと向かい合う。
「昔君に噛みつかれた時のほうが数倍痛かったよ」
ゼウスは甘い蜂蜜と果実を混ぜたジュースを飲む。チュリップもそれに倣って飲む。
「やっぱり私、ダメですね。変われたと思ったけど、全然ダメ。考えなし、思い込んだらそれだけ。暴れ馬みたい」
「昔に比べたらずっと落ち着いている」
「そうでしょうか?」
「昔の君なら、私と向かい合うのも嫌がって、今頃外に飛び出している」
ゼウスが微笑むとチュリップも苦笑いする。
「迷宮で何があった?」
ゼウスは落ち着いた声で聞く。
「……それは以前お話した通りです」
チュリップは声を上ずらせる。
「嘘を吐いているね」
微笑みながらじっとチュリップの瞳を見る。
「……なんで分かるのです?」
チュリップはゼウスから顔を逸らす。
「君は私に嘘を吐く時、必ず顔を逸らす」
「おかしいですね。もう克服したと思ったのに、どうしてゼウス様のお顔は未だに真っすぐ見れないのでしょうか?」
ゆっくりと時間が流れる。
「私はアース教の教皇だ。君がどんなに悪いことをしても許す。私は君を断罪するためにここに居るのではない。君を救うためにここに居る。それを思い出してほしい」
ゼウスの言葉に、チュリップは体の緊張を解く。
「初めて私と出会った時と同じことを言いますね」
「私はあの時と変わっていないよ」
「白髪が増えたように思いますが。あと顔のしわも」
ゼウスが苦い顔をすると、チュリップは軽く笑った。
「私は生まれた時から性奴隷だった。言葉よりも先に男の喜ばせ方を学んだ」
チュリップは過去を思い返す。
「私は十三歳の時、それに耐えきれず、主人たちの喉元に噛みついた。そして金を持ち去って街へ逃げた。でも、男の喜ばせ方しか知らない雌ガキができることは、結局男にすがること」
頭痛を抑えるように頭を押さえる。
「ほんと、不思議です。あれだけ男を嫌いになったのに、いざ縋り付くと、その男が神様に見えるんです。太陽に見えるんです」
涙がカーペットに落ちる。今日で何度目の涙か分からない。
「でも男って嫌ですね! すぐ私を捨てるんです! ええその気持ちは分かります! 私はおもちゃ! でもおもちゃで良いんです! 傍に居てくれるだけで良い! なのに他の女のところに行く!」
親指の爪に噛みつく。ギリギリと爪が根元から軋む。
「許せない! そんなの絶対に許せない! 私が愛しているのにどこかへ行くなんて許さない! だからどこにも行かないようにした! 女も近づかないようにした!」
「辛かったな」
ゼウスは興奮するチュリップに穏やかな相槌を打つ。
「辛かった! そして自分が許せない! 何度騙されれば良いの? このお馬鹿さんはどうして学ばないの! どうして惚れっぽいの! どうして淫乱なの! どうしてどうして!」
「今の君なら騙されないと思うが」
「ゼウス様! それはゼウス様のおかげです! ゼウス様が教会に保護してくれたから! 私は男に恋をすることなんてなかった! だから真面に見えた!」
「なら君は、恋をしてしまったのか?」
ゼウスは安心させる表情で言葉を待つ。
「ええ……私はレイに恋をしてしまいました」
チュリップはついに恥部を暴露する。
「一番最初、落とし穴に落ちた時、不味いと思いました。私は惚れっぽいから、彼らを滅茶苦茶にしてしまうと思いました。だから好きにならないように意識しました。でもすぐに好きになってしまいました。地下十一階の輝かしい宝を目にしたとき、私は彼に感謝してしまった! 出られれば私は絶対に幸せになれると思ってしまった! 思ってしまうと、彼が私を導いてくれた神様に見えました!」
興奮状態で前後不覚になったのか、理由の分からない笑みを浮かべる。
「でもレイの方が酷いんですよ! あんな真っ暗で怖いのに、自信満々で大丈夫だって言うんです! 皆オロオロ不安なのに太陽みたいに温かくて明るかったんです! だから皆夢中になったんです! 皆レイが欲しかったんです! そしたらあの雌ガキがレイに手を出した! 許せない! だから私はレイを奪い返した!」
感情のまま、思いつくことを口に出しているため、話が支離滅裂になっている。それでもゼウスは聞きに徹する。
「私はレイを犯した! そうすれば女たちはレイに幻滅する! 女なんて馬鹿! どんな理由だろうと自分以外の女を抱いた男は許せない! そうすればレイは私だけの物! 私だけを見てくれる! なのにどうして? どうして私を捨てたの?」
チュリップは止めどない思いをゼウスに吐き出した。
真夜中、王宮から少し離れた隠れ家で、アルカトラズ十五世、ユリウス、ガウス、ゼウス、バッカスの五人が集まる。
「ようやく全員、真実を話してくれた」
アルカトラズ十五世は黒板に因果関係を図示する。
「リリー、ローズ、チュリップの話から察するに、落とし穴から少しして全員がレイに恋をした」
アルカトラズ十五世は因果関係を書き足していく。
「始めに均衡を破ったのがローズ。それに怒りを覚えたのがチュリップ。だからチュリップはレイを襲った。これがチームの崩壊に繋がった。そしてそれが今もなお尾を引いている」
アルカトラズ十五世は舌打ちする。
「ガキの痴話げんかかよ。めんどくせえ」
ため息が隠れ家を包む。
「しかし、それが本当なら、あいつら地下100階からずっと不仲のまま地下1000階まで下りたのか? よく下りられたな」
バッカスが首をかしげる。
「引っかかるのはそこですね。特にリリーは規律を重んじる。彼女なら痴話げんかがあっても仲裁に徹したはず」
ユリウスも首をかしげる。
「レイの奴、三人を見限ったな」
アルカトラズ十五世は果実酒を舐める。
「三人は嘘を吐いている。あいつらはレイを置いて行ったことに納得していない。だがレイに見限られたから渋々応じた」
「そうなると、神の水差しを持ってきたことも説明が付く」
バッカスは報告書を投げ出す。
「地下100階の騒ぎでレイは単独で地下1000階に向かった。三人はそれを追いかけただけだ」
「となるとイライラの原因を取り除くにはレイと会うしかありませんね」
ゼウスは苦悶の表情でため息を吐く。
「ローズは寂しがり屋だ。彼女は裏切られた怒りよりも見限られた恐怖のほうが強い。だからレイに見限られてパニックを起こした」
ガウスに続きユリウス、ゼウスが喋る。
「リリーは痴話げんかに関係しない部外者だ。それなのに突然見限られたとなると怒りを覚える」
「チュリップは今までの経験から捨てられるとは思っていなかった」
精神分析を行う中、アルカトラズ十五世が顔を青ざめる。
「ちょっと待て! あいつらまさか殺し合いなんてしないよな!」
全員の顔が青ざめる。
「あいつらは仲直りどころか話し合っても居ない! お互いが自分を被害者だと思っている!」
ゼウスが頭を抱える。
「チュリップもそう思ってんのか! ふざけんな!」
「先に手を出したのはローズ! そしてローズの態度に問題があったのも事実だ!」
ゼウスはアルカトラズ十五世に言い返す。
「くそくそく! 三人が鉢合わせると不味い! すぐに離れ離れにさせないと!」
アルカトラズ十五世が叫んだ瞬間、遠方で火柱が立ち上り、アルカトラズ国を照らした!
「ローズの炎魔法だ!」
「迷宮の方角だ!」
ガウスとバッカスが叫ぶ。
「どうして? どうして? 君たちは今まで大人しくしてたじゃない! どうして僕ちゃんが王位を返上するまで我慢できないの? どうして僕ちゃんの国を壊すの? どうして僕ちゃんを困らせるの?」
アルカトラズ十五世は目と同じ幅の涙を流す。
「神に祈りましょう。今できることはそれだけです」
「俺用事思い出したんで王宮騎士団団長を辞職します」
ゼウスは諦めの祈りを捧げ、ユリウスは予め忍ばせておいた諦めの辞職願を提出する。
「ふざけんなてめえら! こうなったら道連れだ馬鹿野郎この野郎!」
アルカトラズ十五世が隠れ家の戸を蹴飛ばすと、全員それに続く。
「ゼウス! 念のために仕込んでいた結界を作動させろ! バッカス! ユリウス! ガウス! 役立たずどものケツを蹴飛ばして市民を非難させろ! すべて済んだら宝物庫に来い!」
全員がクモの子散らすように駆けまわる。
一足早く宝物庫にたどり着いたアルカトラズ十五世は急いで重い扉を開ける。
彼は窓から強烈な光が差し込むと外を見る。結界が起動した証である光が空に広がっていた。
「結界が作動した」
ホッとしたように空を見続ける。
「俺たちが探し出した中でも最高級、神具級の道具で作り出した結界だ。さすがのお前たちでも簡単には破れない」
結界が破れて熱線が王宮を掠める。
「これが終わったら全部燃えるゴミに出してやる!」
アルカトラズ十五世は宝物庫を引っかきまわす。
地震のように王宮が揺れると、アルカトラズ十五世の目つきが変わる。
「小娘どもめ。神のごとき力を手に入れた程度で調子に乗るなよ」
様々なアイテムを装備する。
「俺はアルカトラズ十五世、ここは俺の庭だ。たとえ神でも俺には従ってもらう!」
「治癒魔法、神よこの者を癒したまえ」
土色だった病人の顔色が綺麗な肌色へ変わる。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。次の人」
チュリップは笑顔を振りまきながら広場に並ぶ大勢のけが人や病人を治していく。
「女神だ! 女神が降臨してくださった!」
人々は涙を流してチュリップを拝む。
「チュリップ様、お布施です。受け取ってください」
人々は喜んでチュリップに大金を渡す。
「ありがとうございます。神も喜ぶでしょう」
チュリップは笑顔でそれに応えた。
チュリップは治療が終わると、とある有力貴族の屋敷へ足を向ける。
「チュリップ様、お会いできて光栄です」
巨大な庭園で貴族の家族とその親しい商人たちに囲まれる。
「とてもお美しい方で私たちは緊張を隠せませんよ」
誰もが羨むドレスを着て、誰もが羨む上流階級の世辞を余すところなく受ける。
テーブルにはオードブルと上等な酒が並ぶ。
「まあ、お上手で」
チュリップは貴公子たちの笑みに囲まれて笑う。
王宮に帰ると自室となった客室で足を伸ばす。
「チュリップ様、お風呂の用意ができました」
十数人の使用人がチュリップに付き従う。
浴場は百人くらい入れるほど広く、湯舟には香りのよい果実の実が浮いている。
質の良い油を使った石鹸の泡が体を包む。
「気持ちいいわ」
上流階級へ変身したチュリップは、使用人たちに体を洗われながら微笑んだ。
「ふふ……迷宮に行った甲斐があったわ」
チュリップは部屋のテーブルに積まれた金の山を見て笑う。
「それに良いお部屋。どんなにお金を積んでもここで眠るなんてできない」
立ち上がると飾られた名画の前に立つ。
「アルカトラズ十五世の自画像。自信満々で憎たらしい。こっちは王宮騎士団団長ユリウスの自画像。若いのに威厳のあるお顔。こっちは王宮魔術師統括のガウスの自画像。優男なのにガタイがしっかりしていて頼りがいがありそう。こっちはアース教の教皇ゼウス様。お年なのに元気ね」
クスクスと部屋を見渡しながらベッドに寝転ぶ。
「私が求めていた贅沢な部屋、優雅な暮らし。何より……」
ベッドの頭に置いていた見合いの申し込み書を手に取る。
「たくさんのいい男! 私が欲しかった理想の人たち!」
ペラペラと中身を見る。
「有力貴族の息子に貿易商の頭取、あら! 王宮魔術師や王宮騎士団からも!」
チュリップは胸で申し込み書を抱きしめる。
「ようやく勝ち組になった……もう昔の私じゃない」
チュリップはぼんやりと天幕に描かれた刺しゅうを見つめる。
「レイ……あなたは私を恨んでいるでしょ?」
チュリップは起き上がると上着を脱ぐ。
「あなたは迷宮で独りぼっち。私は外で優雅な暮らし。真っ暗に怯えることもなく、化け物の肉も食べないで、甘いお菓子に囲まれている。上流階級の人たちが私に微笑みかけてくれる。スラム街じゃ考えられないくらいの生活」
下着姿となると再度枕に頭を乗せる。
「あなたも帰ってきたら上流階級だったのに、何て可哀そうな人なの?」
汗がじっとりと滲んでくると息が荒くなる。
「幻滅した? そうよね。これが私。あなたを愛していると言いながら、外に出たら他の男にお尻を振る。それが私。殺したいでしょ? 殴りたいでしょ? 犯したいでしょ? ごめんなさい。迷宮の中じゃ無理ね」
寝転びながら器用に下着を脱ぐ。
「迷宮から出たらあなたは私を真っすぐ殺しに来るのかしら? それとも犯しに来るのかしら?」
リンゴのように赤い舌が桃のように瑞々しい唇を舐める。
「楽しみだわ」
少しずつ、じらす様に己の体に手を這わす。
「レイ? 私ね、たくさんの男と出会ってきたわ。今日もいっぱい会ったわ。どの人も優しそうで、端正な顔立ちで、ガタイも良くて、お金持ち。あなたとは全然違う。あなたは優しくて、かっこいい顔立ちで、女を惑わす体を持っていて、とても強い!」
手つきが激しくなる。
「レイ! 私! 全然興奮できなかった! 今日もたくさん良い人と出会ったけど抱かれたいと思わなかった! 吐き気がした!」
両手を天に突き出して切なく口を開ける。
「レイ……私を許して……お金ならいっぱいあるわ……愛していると言って……お金ならいっぱいあるから」
全身が高揚する。
「キスをして、愛していると囁いて、私を抱いて! あなたは何もしなくていいの! お金なら私があげる! ただ傍に居てくれるだけでいいの! 殴ってもいい! 罵ってもいい! 何をしてもいい! だから私を抱いて!」
涙が目尻を通って枕を濡らす。
「ダメ! 我慢できない!」
甘く切ない声で部屋が濡れた。
「行かなくちゃ」
荒い息を整えると汗だくのままフラフラと立ち上がる。
「そうよ……間違えただけよ。私はあなたを愛してる。だからあなたも私を愛してる!」
大股で扉のノブまで走り、勢いよく引く。外開きの扉は根元からけたたましい音を立てて外れた。
「チュリップ!」
丁度ノックをしようと扉の前に居たゼウスと目が合う。
「あら! ゼウス様!」
湧き上がる衝動が抑えられない。
「ゼウス様! 私迷宮に行きます! レイが呼んでいるんです!」
チュリップは掴んだノブを離さず歩く。ズルズルと扉を引きずる。
「落ち着きなさい!」
ゼウスはチュリップの肩を掴んで引き留める。
「離してください!」
チュリップはドンとゼウスを押す。
「ぐ!」
ゼウスは廊下の端まで吹き飛ぶ。チュリップはわき目も振らずに歩く。
「治癒魔法! 神よ彼女の心を静めたまえ!」
チュリップは体が光に包まれるとハッと足を止めた。
「落ち着きなさい」
ゼウスは口から出た血の泡を拭う。
「ゼウス様」
チュリップは膝から崩れ落ちた。
「申し訳ありません」
チュリップは寝巻に着替えて別室にゼウスと向かい合う。
「昔君に噛みつかれた時のほうが数倍痛かったよ」
ゼウスは甘い蜂蜜と果実を混ぜたジュースを飲む。チュリップもそれに倣って飲む。
「やっぱり私、ダメですね。変われたと思ったけど、全然ダメ。考えなし、思い込んだらそれだけ。暴れ馬みたい」
「昔に比べたらずっと落ち着いている」
「そうでしょうか?」
「昔の君なら、私と向かい合うのも嫌がって、今頃外に飛び出している」
ゼウスが微笑むとチュリップも苦笑いする。
「迷宮で何があった?」
ゼウスは落ち着いた声で聞く。
「……それは以前お話した通りです」
チュリップは声を上ずらせる。
「嘘を吐いているね」
微笑みながらじっとチュリップの瞳を見る。
「……なんで分かるのです?」
チュリップはゼウスから顔を逸らす。
「君は私に嘘を吐く時、必ず顔を逸らす」
「おかしいですね。もう克服したと思ったのに、どうしてゼウス様のお顔は未だに真っすぐ見れないのでしょうか?」
ゆっくりと時間が流れる。
「私はアース教の教皇だ。君がどんなに悪いことをしても許す。私は君を断罪するためにここに居るのではない。君を救うためにここに居る。それを思い出してほしい」
ゼウスの言葉に、チュリップは体の緊張を解く。
「初めて私と出会った時と同じことを言いますね」
「私はあの時と変わっていないよ」
「白髪が増えたように思いますが。あと顔のしわも」
ゼウスが苦い顔をすると、チュリップは軽く笑った。
「私は生まれた時から性奴隷だった。言葉よりも先に男の喜ばせ方を学んだ」
チュリップは過去を思い返す。
「私は十三歳の時、それに耐えきれず、主人たちの喉元に噛みついた。そして金を持ち去って街へ逃げた。でも、男の喜ばせ方しか知らない雌ガキができることは、結局男にすがること」
頭痛を抑えるように頭を押さえる。
「ほんと、不思議です。あれだけ男を嫌いになったのに、いざ縋り付くと、その男が神様に見えるんです。太陽に見えるんです」
涙がカーペットに落ちる。今日で何度目の涙か分からない。
「でも男って嫌ですね! すぐ私を捨てるんです! ええその気持ちは分かります! 私はおもちゃ! でもおもちゃで良いんです! 傍に居てくれるだけで良い! なのに他の女のところに行く!」
親指の爪に噛みつく。ギリギリと爪が根元から軋む。
「許せない! そんなの絶対に許せない! 私が愛しているのにどこかへ行くなんて許さない! だからどこにも行かないようにした! 女も近づかないようにした!」
「辛かったな」
ゼウスは興奮するチュリップに穏やかな相槌を打つ。
「辛かった! そして自分が許せない! 何度騙されれば良いの? このお馬鹿さんはどうして学ばないの! どうして惚れっぽいの! どうして淫乱なの! どうしてどうして!」
「今の君なら騙されないと思うが」
「ゼウス様! それはゼウス様のおかげです! ゼウス様が教会に保護してくれたから! 私は男に恋をすることなんてなかった! だから真面に見えた!」
「なら君は、恋をしてしまったのか?」
ゼウスは安心させる表情で言葉を待つ。
「ええ……私はレイに恋をしてしまいました」
チュリップはついに恥部を暴露する。
「一番最初、落とし穴に落ちた時、不味いと思いました。私は惚れっぽいから、彼らを滅茶苦茶にしてしまうと思いました。だから好きにならないように意識しました。でもすぐに好きになってしまいました。地下十一階の輝かしい宝を目にしたとき、私は彼に感謝してしまった! 出られれば私は絶対に幸せになれると思ってしまった! 思ってしまうと、彼が私を導いてくれた神様に見えました!」
興奮状態で前後不覚になったのか、理由の分からない笑みを浮かべる。
「でもレイの方が酷いんですよ! あんな真っ暗で怖いのに、自信満々で大丈夫だって言うんです! 皆オロオロ不安なのに太陽みたいに温かくて明るかったんです! だから皆夢中になったんです! 皆レイが欲しかったんです! そしたらあの雌ガキがレイに手を出した! 許せない! だから私はレイを奪い返した!」
感情のまま、思いつくことを口に出しているため、話が支離滅裂になっている。それでもゼウスは聞きに徹する。
「私はレイを犯した! そうすれば女たちはレイに幻滅する! 女なんて馬鹿! どんな理由だろうと自分以外の女を抱いた男は許せない! そうすればレイは私だけの物! 私だけを見てくれる! なのにどうして? どうして私を捨てたの?」
チュリップは止めどない思いをゼウスに吐き出した。
真夜中、王宮から少し離れた隠れ家で、アルカトラズ十五世、ユリウス、ガウス、ゼウス、バッカスの五人が集まる。
「ようやく全員、真実を話してくれた」
アルカトラズ十五世は黒板に因果関係を図示する。
「リリー、ローズ、チュリップの話から察するに、落とし穴から少しして全員がレイに恋をした」
アルカトラズ十五世は因果関係を書き足していく。
「始めに均衡を破ったのがローズ。それに怒りを覚えたのがチュリップ。だからチュリップはレイを襲った。これがチームの崩壊に繋がった。そしてそれが今もなお尾を引いている」
アルカトラズ十五世は舌打ちする。
「ガキの痴話げんかかよ。めんどくせえ」
ため息が隠れ家を包む。
「しかし、それが本当なら、あいつら地下100階からずっと不仲のまま地下1000階まで下りたのか? よく下りられたな」
バッカスが首をかしげる。
「引っかかるのはそこですね。特にリリーは規律を重んじる。彼女なら痴話げんかがあっても仲裁に徹したはず」
ユリウスも首をかしげる。
「レイの奴、三人を見限ったな」
アルカトラズ十五世は果実酒を舐める。
「三人は嘘を吐いている。あいつらはレイを置いて行ったことに納得していない。だがレイに見限られたから渋々応じた」
「そうなると、神の水差しを持ってきたことも説明が付く」
バッカスは報告書を投げ出す。
「地下100階の騒ぎでレイは単独で地下1000階に向かった。三人はそれを追いかけただけだ」
「となるとイライラの原因を取り除くにはレイと会うしかありませんね」
ゼウスは苦悶の表情でため息を吐く。
「ローズは寂しがり屋だ。彼女は裏切られた怒りよりも見限られた恐怖のほうが強い。だからレイに見限られてパニックを起こした」
ガウスに続きユリウス、ゼウスが喋る。
「リリーは痴話げんかに関係しない部外者だ。それなのに突然見限られたとなると怒りを覚える」
「チュリップは今までの経験から捨てられるとは思っていなかった」
精神分析を行う中、アルカトラズ十五世が顔を青ざめる。
「ちょっと待て! あいつらまさか殺し合いなんてしないよな!」
全員の顔が青ざめる。
「あいつらは仲直りどころか話し合っても居ない! お互いが自分を被害者だと思っている!」
ゼウスが頭を抱える。
「チュリップもそう思ってんのか! ふざけんな!」
「先に手を出したのはローズ! そしてローズの態度に問題があったのも事実だ!」
ゼウスはアルカトラズ十五世に言い返す。
「くそくそく! 三人が鉢合わせると不味い! すぐに離れ離れにさせないと!」
アルカトラズ十五世が叫んだ瞬間、遠方で火柱が立ち上り、アルカトラズ国を照らした!
「ローズの炎魔法だ!」
「迷宮の方角だ!」
ガウスとバッカスが叫ぶ。
「どうして? どうして? 君たちは今まで大人しくしてたじゃない! どうして僕ちゃんが王位を返上するまで我慢できないの? どうして僕ちゃんの国を壊すの? どうして僕ちゃんを困らせるの?」
アルカトラズ十五世は目と同じ幅の涙を流す。
「神に祈りましょう。今できることはそれだけです」
「俺用事思い出したんで王宮騎士団団長を辞職します」
ゼウスは諦めの祈りを捧げ、ユリウスは予め忍ばせておいた諦めの辞職願を提出する。
「ふざけんなてめえら! こうなったら道連れだ馬鹿野郎この野郎!」
アルカトラズ十五世が隠れ家の戸を蹴飛ばすと、全員それに続く。
「ゼウス! 念のために仕込んでいた結界を作動させろ! バッカス! ユリウス! ガウス! 役立たずどものケツを蹴飛ばして市民を非難させろ! すべて済んだら宝物庫に来い!」
全員がクモの子散らすように駆けまわる。
一足早く宝物庫にたどり着いたアルカトラズ十五世は急いで重い扉を開ける。
彼は窓から強烈な光が差し込むと外を見る。結界が起動した証である光が空に広がっていた。
「結界が作動した」
ホッとしたように空を見続ける。
「俺たちが探し出した中でも最高級、神具級の道具で作り出した結界だ。さすがのお前たちでも簡単には破れない」
結界が破れて熱線が王宮を掠める。
「これが終わったら全部燃えるゴミに出してやる!」
アルカトラズ十五世は宝物庫を引っかきまわす。
地震のように王宮が揺れると、アルカトラズ十五世の目つきが変わる。
「小娘どもめ。神のごとき力を手に入れた程度で調子に乗るなよ」
様々なアイテムを装備する。
「俺はアルカトラズ十五世、ここは俺の庭だ。たとえ神でも俺には従ってもらう!」
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カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
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