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タケルの前世(裏側:ローズ、チュリップ、リリーの思い)
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「俺の過去を語る前に、お前の過去を少しだけ聞きたい。迷宮に来る前はどんなことをしていたのか」
タケルは焚火の向こうで猫背になる。
「何をしていたって。迷宮に入る前は、山の獣を狩ったり、山菜を採ったりして、村に売る毎日。飯は母さんが作るパイだ」
「ある意味退屈だな」
「まあな。だから山の獣と遊んだりもした。あいつら駆けっこが強いんだ」
「獣と駆けっこを楽しむ奴は初めてだ」
タケルは再度煙草を取り出し、焚火で煙草に火をつける。
「お前の世界で、役立たずは殺すか?」
「役立たずは殺す? 言っている意味が分からねえ」
殺すという単語が出てきたので内心ムカッとする。
死やら殺しやらと殺伐な雰囲気は嫌いだと、改めて思う。
「迷宮で、飯だけ食って敵と戦わず、危なくなったら仲間を見捨てる奴って言えば少しは理解できるか?」
「あー。それが役立たずか。少しは理解できた」
「で、だ。そういう役立たずは始末する社会か?」
「それが分からねえ。どうして役立たずを殺す? 殺す必要など無いだろ?」
「俺の前世の世界は、役立たずを殺すことは合法だった。国が率先して行っていた」
「殺しが合法?」
「想像できないか?」
「できないし、したくも無い」
「なるほどな。お前は随分と、良い世界に生まれた」
タケルは煙草を吸うとため息とともに煙を吐き出す。
「一方的に喋ることになるが、俺の世界では三度の世界大戦が起きた。その結果、土壌は核で汚染され、人々は核シェルターの中で暮らすことになった。丁度この迷宮のように」
息継ぎをする。
「お前なら分かると思うが、地下は余裕がない。特に食糧が無い。そうなると、闇雲に人を増やすわけにはいかない。生きるべき存在と死ぬべき存在を分ける必要がある」
「馬鹿じゃねえか! 何が死ぬべき存在だ! そんなこと考える暇が合ったら、どうやって皆が笑顔で居られるか考えたほうが良いだろ!」
タケルが語る世界に腹が立ち、つい、声を荒げる。
「お前は良い奴だ。政治家になって欲しい」
タケルは初めて、苦しそうな笑みを浮かべる。
「俺の世界じゃ、そんなこと考える奴は居なかった。誰を殺していいか? そればかり考えていた。世界はそれに支配されていた。明日などどうでもいい。今日生きるので精いっぱいだ。それを言い訳にして」
「それが役立たずに繋がるのか」
「そうだ。勉強ができない、顔が悪い、仕事ができない。あらゆる理由で人が死んだ。最も、確かに死んだ奴は屑だった。お前には想像できないが、居るだけで虐めたくなるような奴ばかりさ」
どうしてもタケルの世界に反論したくなった。それは間違っているという理由を突きつけたくなった。
「役立たずって言うけど、だったら、子供は殺したのか?」
「子供!」
タケルの表情が強張る。そしてゆっくりと横に顔を振る。
「仕事ができないだったら、子供がそうだろ。俺も弟たちが役立たずだと思った! クソはするし、飯は食うし、泣くし、うるせえし、何にも役に立たない! 居ないほうが良いと思った! それをボソッて親父と母さんに言ったらぶん殴られた! たんこぶが三つもできた!」
「激しい親父たちだな」
「だろ! でも次に言われた。そんな寂しいこと言うなって。あの頑固な親父と母さんが涙を流してた! 驚いた。だから、しばらく弟たちの世話をしてみた。何で泣いたのか、分かりたかった」
「分かったのか」
パシンと膝を叩く! 今思い出しても笑える!
「弟たちは可愛いんだよ! 世話していくと、にっこり笑ってくれるんだ! それが良い! 今はクソ生意気なガキになっちまったが、それでも笑ってくれると嬉しい! 会いてえな!」
「そうか! そんな世界があったのか!」
タケルの目は焚火の炎で輝いていた。
そして目を閉じると、涙が出た。
「涙か。まさか、人を殺して笑える今になっても流せるとは思わなかった」
タケルが苦笑すると、鼻水を啜るような音が聞こえた。
「お前は肉親以外にも、そんなことが思えるか?」
「思いたい。そっちのほうが楽だ」
「そうか。だからこそ、俺は負けた」
再度煙草を吹かす。煙は焚火の火に混じって溶けていく。
「話を戻す。俺はその世界で役立たずとめでたく認定された。結果、処刑されることになった。ガス室で」
「お前が役立たず? この世界の文明を数週間で発展させたお前が?」
「その時はそんなことできなかった。その時は、ぐうたらで、飯と酒と煙草だけを嗜む屑だった。仕事は色々理由を付けてしなかった。もちろん、殺されるという話は知っていた。だが俺は殺されないと己惚れていた。俺はあいつらのような屑ではないと。だから逮捕された」
壮絶な事実で、口が塞がらない。
「俺は嫌だった。だから逃げた。運よく、鉄格子の一部が劣化していた。そこから逃げ出した。ところが見張りに見つかった。俺はその時、初めて人を殺した」
煙草の火が消えていないのに、再び煙草を取り出して火をつける。
余分に煙草に火をつけたことに気づくと、古いほうを焚火に放り込む。
「それから殺人人生の始まりだ。追われる毎日だ。だから殺した。殺し続けた。運よく、俺には殺人の才能があった。殺せば殺すほど上手くなった。まあ、そうじゃなきゃ生き残れなかった。銃の作り方、爆弾の作り方、格闘術、心理学、生理学、数学、物理学、化学、人殺しに役立ちそうなものはすべて学んだ」
「壮絶な過去だ」
「確かに壮絶だろう。だが早合点するな。それで俺が歪んだと思うな。その先こそ、俺が殺しを楽しむ人格になった事実がある」
「何があった?」
タケルは口を閉じて、鼻で深呼吸する。
「殺しになれたある日、追手の目を避けるために民家へ逃げ込んだ。そこで住人と鉢合わせた。住人は包丁を持っていた。料理をしていただけなんだが、俺はいつものように何も考えずに殺した」
「もはや癖だな」
「そうだ。そして殺した相手は、俺の母親だった」
焚火の薪が、パチンと弾けた。
「その時から、俺の頭にムカデが住むようになった。いつもいつも頭を這いまわっている。頭を開いてみたが、何も居なかった。だけど必ずいる。今も激しく、俺の脳みそを食い荒らしている。こいつを収めるにはただ一つ、誰かを殺すしかない」
「……それは……」
「分かっている。異常だと言うのだろう。俺も幻覚だと分かっている。だがどうしようもない。ムカデが這っている感覚はあるのだから。そしてなぜ人を殺せば収まるのか? もはや分かりたくも無い。分かるのは、ムカデが収まるとき、強烈な安心感と心地よさを感じることだけだ」
何を言えば良い? 言葉が見つからない。
「俺が殺しを楽しむ理由はそれだ。俺は不快感を取り除くために、安心感と心地よさのために人を殺す。殺しは俺にとって最良の処方箋だ」
顔を覆う。タケルの顔を直視できない。
「なぜ泣く?」
「悲しいだけだ」
「嘘かもしれないぜ」
「お前も泣いている。もしも嘘なら、スッキリと騙されるさ」
涙が洞窟に落ちる。焚火の炎が温かい。
「最後に、お前を見て笑える理由だ。お前を見ているとムカデが居なくなる。安心感と心地よさを残して」
しばらく、無言の空気の中、炎だけがメラメラと洞窟を照らす。
「タケル……俺の仲間になれ。一緒に来い……」
「……敵対した俺を受け入れるのか?」
「……俺はお前の笑顔が見たい。狂気ではなく、普通の笑顔が」
「……口説き文句として最高だな。ローズたちが惚れる訳だ」
レイがタケルの話を聞いて涙している頃、マリアはローズたちに問いかける。
「レイと結婚か」
ローズたちは言葉を選びながら口を開く。
「私は、あまり考えたことは無い」
リリーは露になった胸元を両腕で隠す。
「迷宮に居るからだろう。置いて行かれるのでは? それが頭にチラつく」
「結婚は想像してないのか」
マリアは足を組んでリリーに向き合う。
「迷宮は敵だらけ。そしてレイは強い。だから離れたくない」
「レイなら、どんな関係でもあなたを見捨てない」
リリーはマリアの言葉にタラリと涙を流す。ランタンの明かりがガラス玉のように透き通った涙を照らす。
「分かっている。だがどうしても切り離せない。レイが迷惑と思っていても!」
リリーは両手で顔を覆う。隙間から涙がキラキラ星のように流れる。
「私は、レイを犯しました。大変迷惑をかけてしまいました」
チュリップがポツリと言う。
「レイは許してくれました。だから私は何度も、この迷宮を出たら、レイの元から去り、他の殿方と一緒になろうと思いました。でも、そう思うと吐き気がしました! どうしてもレイが欲しい! 他の男なんて嫌だ! そう思ってしまいます」
チュリップは手のひらで鼻をかむと、いったん席を立ち、水桶で手を洗う。その間、誰も喋らない。リリーの泣き声だけが響く。
「私は、迷宮に来る前は金持ちの性奴隷でした」
席に座ると、辛い過去を語る。
「お尻も、膣も、口も、全身を犯されました。それが嫌で嫌で、ついに金持ちの喉を食いちぎって逃げました。でも身寄りのない性奴隷が生きるには、他の男の性奴隷になるしかありませんでした。そして何度も何度も、喉を食いちぎりました」
「……とてつもない過去ね」
マリアのため息が静かに古ぼけた小屋の壁に吸い込まれる。
「そうですね。幸い、教皇のゼウス様に拾われたため、負の連鎖は断ち切れました。死刑からも守ってくれました。私はそこで気持ちを入れ替えて、二度と男は愛さないと決めました。ええ、嫌な話ですが、私は性奴隷にされながら、それを喜んでいました。馬鹿なんです。セックスしてくれたから、愛されていると躾けられたんです。それで居ながら、嫌になるんです。だから殺しました」
痛いほどの沈黙が漂う。
「レイは違いました。あの人は、私に笑いかけてくれました。私が作った手料理を美味しいと食べてくれました。私を犯さないと言い切ってくれました! そして約束を守ってくれました! 何度も犯す機会はあったのに! そうなると、私の淫乱な血が叫ぶんです! レイに抱かれろ! 頭が茹ったようにぼうっとするんです」
自虐的な笑みが涙とともに零れる。
「結婚でしたね。私はそんなこと考えたことありません。私の頭にはセックスしかありません。私は、そういう女なんです」
チュリップが俯くと、マリアはコップの水を飲む。カラカラだったのか、なみなみあった水が一口で空になる。
「私も、結婚は考えたこと無かったな」
ローズはぼんやりと器のスープに浮かぶ油を見つめる。
「私は自分からレイに結婚を申し込んだの。でもそれって、レイに捨てられたくなかったから。ずっと一緒に居たかったから。うん、正直、真面目に考えてなかった」
隙間風が吹くと、皆の髪がサラサラと揺れる。
「学校で虐められてた。家族には居ない者だと扱われてた。どこにも居場所はなかった。だから居場所が欲しかった。レイは、そんな私に居場所をくれた人。もしかすると探せば、レイみたいに居場所をくれる人がいるかもしれない。でもそんなの想像できない! だから私はレイと一緒に居たい」
突然ビュウッと強い隙間風が吹いて、四人の体を冷やす。
「……私の気持ちって、好き、何だよね? それとも、違うの? 私は、間違っているの?」
マリアは対面に座る三人をじっと見つめる。
「一度だけ、リリーに確認したいんだけど、リリーは外に出たら、レイと離れられる?」
「無理だろうな」
リリーは立ち上がり、水桶で手と顔を洗う。
そして座るとぼんやりと天井を眺める。
「私は今まで、ずっと言いなりになって生きてきた。両親に言われたから騎士になろうと思った。ユリウス様に言われたから迷宮に入った。それが楽だった。私は考えるのを放棄していた。考えても仕方ないと思った。そして私はレイに出会ってしまった。レイは私たちを導いてくれた。私の体にはレイが間違う訳無いという考えが沁みついている。その安心感から、逃れることはできない」
リリーのため息で、隙間風も無くなり、静寂だけが支配する。
「根が深いな……私じゃどうしようもない。レイだってどうしようもない。皆でもどうしようもない」
マリアは力無い三人に、憐みの言葉を捧げる。
四人のお尻は、冷たい空気の中、じっとりと、熟れた果実のように汗ばんでいる。
「でもさ! レイなら皆を嫌わない! その思いがどうであっても受け入れる!」
マリアの明るい言葉に、三人は顔を上げる。
上向きにツンと張りのある乳房が瑞々しく揺れる。
「皆の思い、レイに正直話してみたら。何か分かるかもしれない。何も変わらなくても心配ない」
マリアの真珠のように輝く歯が、ルビーのように煌めく唇の隙間から見える。
「あなたたちが思うレイは、そんなことであなたたちを嫌うような弱い奴じゃないでしょ」
マリアはピースサインを三人に向ける。
その姿は美の女神のように艶めかしく、見る者を見とれさせた。
「……うん……そうだね……いい加減、話しちゃおう」
三人は呟いた。
見とれるほど美しい肌と均整の取れた体に添えられた笑みは、どんな相手も魅了するほど美しかった。
タケルは焚火の向こうで猫背になる。
「何をしていたって。迷宮に入る前は、山の獣を狩ったり、山菜を採ったりして、村に売る毎日。飯は母さんが作るパイだ」
「ある意味退屈だな」
「まあな。だから山の獣と遊んだりもした。あいつら駆けっこが強いんだ」
「獣と駆けっこを楽しむ奴は初めてだ」
タケルは再度煙草を取り出し、焚火で煙草に火をつける。
「お前の世界で、役立たずは殺すか?」
「役立たずは殺す? 言っている意味が分からねえ」
殺すという単語が出てきたので内心ムカッとする。
死やら殺しやらと殺伐な雰囲気は嫌いだと、改めて思う。
「迷宮で、飯だけ食って敵と戦わず、危なくなったら仲間を見捨てる奴って言えば少しは理解できるか?」
「あー。それが役立たずか。少しは理解できた」
「で、だ。そういう役立たずは始末する社会か?」
「それが分からねえ。どうして役立たずを殺す? 殺す必要など無いだろ?」
「俺の前世の世界は、役立たずを殺すことは合法だった。国が率先して行っていた」
「殺しが合法?」
「想像できないか?」
「できないし、したくも無い」
「なるほどな。お前は随分と、良い世界に生まれた」
タケルは煙草を吸うとため息とともに煙を吐き出す。
「一方的に喋ることになるが、俺の世界では三度の世界大戦が起きた。その結果、土壌は核で汚染され、人々は核シェルターの中で暮らすことになった。丁度この迷宮のように」
息継ぎをする。
「お前なら分かると思うが、地下は余裕がない。特に食糧が無い。そうなると、闇雲に人を増やすわけにはいかない。生きるべき存在と死ぬべき存在を分ける必要がある」
「馬鹿じゃねえか! 何が死ぬべき存在だ! そんなこと考える暇が合ったら、どうやって皆が笑顔で居られるか考えたほうが良いだろ!」
タケルが語る世界に腹が立ち、つい、声を荒げる。
「お前は良い奴だ。政治家になって欲しい」
タケルは初めて、苦しそうな笑みを浮かべる。
「俺の世界じゃ、そんなこと考える奴は居なかった。誰を殺していいか? そればかり考えていた。世界はそれに支配されていた。明日などどうでもいい。今日生きるので精いっぱいだ。それを言い訳にして」
「それが役立たずに繋がるのか」
「そうだ。勉強ができない、顔が悪い、仕事ができない。あらゆる理由で人が死んだ。最も、確かに死んだ奴は屑だった。お前には想像できないが、居るだけで虐めたくなるような奴ばかりさ」
どうしてもタケルの世界に反論したくなった。それは間違っているという理由を突きつけたくなった。
「役立たずって言うけど、だったら、子供は殺したのか?」
「子供!」
タケルの表情が強張る。そしてゆっくりと横に顔を振る。
「仕事ができないだったら、子供がそうだろ。俺も弟たちが役立たずだと思った! クソはするし、飯は食うし、泣くし、うるせえし、何にも役に立たない! 居ないほうが良いと思った! それをボソッて親父と母さんに言ったらぶん殴られた! たんこぶが三つもできた!」
「激しい親父たちだな」
「だろ! でも次に言われた。そんな寂しいこと言うなって。あの頑固な親父と母さんが涙を流してた! 驚いた。だから、しばらく弟たちの世話をしてみた。何で泣いたのか、分かりたかった」
「分かったのか」
パシンと膝を叩く! 今思い出しても笑える!
「弟たちは可愛いんだよ! 世話していくと、にっこり笑ってくれるんだ! それが良い! 今はクソ生意気なガキになっちまったが、それでも笑ってくれると嬉しい! 会いてえな!」
「そうか! そんな世界があったのか!」
タケルの目は焚火の炎で輝いていた。
そして目を閉じると、涙が出た。
「涙か。まさか、人を殺して笑える今になっても流せるとは思わなかった」
タケルが苦笑すると、鼻水を啜るような音が聞こえた。
「お前は肉親以外にも、そんなことが思えるか?」
「思いたい。そっちのほうが楽だ」
「そうか。だからこそ、俺は負けた」
再度煙草を吹かす。煙は焚火の火に混じって溶けていく。
「話を戻す。俺はその世界で役立たずとめでたく認定された。結果、処刑されることになった。ガス室で」
「お前が役立たず? この世界の文明を数週間で発展させたお前が?」
「その時はそんなことできなかった。その時は、ぐうたらで、飯と酒と煙草だけを嗜む屑だった。仕事は色々理由を付けてしなかった。もちろん、殺されるという話は知っていた。だが俺は殺されないと己惚れていた。俺はあいつらのような屑ではないと。だから逮捕された」
壮絶な事実で、口が塞がらない。
「俺は嫌だった。だから逃げた。運よく、鉄格子の一部が劣化していた。そこから逃げ出した。ところが見張りに見つかった。俺はその時、初めて人を殺した」
煙草の火が消えていないのに、再び煙草を取り出して火をつける。
余分に煙草に火をつけたことに気づくと、古いほうを焚火に放り込む。
「それから殺人人生の始まりだ。追われる毎日だ。だから殺した。殺し続けた。運よく、俺には殺人の才能があった。殺せば殺すほど上手くなった。まあ、そうじゃなきゃ生き残れなかった。銃の作り方、爆弾の作り方、格闘術、心理学、生理学、数学、物理学、化学、人殺しに役立ちそうなものはすべて学んだ」
「壮絶な過去だ」
「確かに壮絶だろう。だが早合点するな。それで俺が歪んだと思うな。その先こそ、俺が殺しを楽しむ人格になった事実がある」
「何があった?」
タケルは口を閉じて、鼻で深呼吸する。
「殺しになれたある日、追手の目を避けるために民家へ逃げ込んだ。そこで住人と鉢合わせた。住人は包丁を持っていた。料理をしていただけなんだが、俺はいつものように何も考えずに殺した」
「もはや癖だな」
「そうだ。そして殺した相手は、俺の母親だった」
焚火の薪が、パチンと弾けた。
「その時から、俺の頭にムカデが住むようになった。いつもいつも頭を這いまわっている。頭を開いてみたが、何も居なかった。だけど必ずいる。今も激しく、俺の脳みそを食い荒らしている。こいつを収めるにはただ一つ、誰かを殺すしかない」
「……それは……」
「分かっている。異常だと言うのだろう。俺も幻覚だと分かっている。だがどうしようもない。ムカデが這っている感覚はあるのだから。そしてなぜ人を殺せば収まるのか? もはや分かりたくも無い。分かるのは、ムカデが収まるとき、強烈な安心感と心地よさを感じることだけだ」
何を言えば良い? 言葉が見つからない。
「俺が殺しを楽しむ理由はそれだ。俺は不快感を取り除くために、安心感と心地よさのために人を殺す。殺しは俺にとって最良の処方箋だ」
顔を覆う。タケルの顔を直視できない。
「なぜ泣く?」
「悲しいだけだ」
「嘘かもしれないぜ」
「お前も泣いている。もしも嘘なら、スッキリと騙されるさ」
涙が洞窟に落ちる。焚火の炎が温かい。
「最後に、お前を見て笑える理由だ。お前を見ているとムカデが居なくなる。安心感と心地よさを残して」
しばらく、無言の空気の中、炎だけがメラメラと洞窟を照らす。
「タケル……俺の仲間になれ。一緒に来い……」
「……敵対した俺を受け入れるのか?」
「……俺はお前の笑顔が見たい。狂気ではなく、普通の笑顔が」
「……口説き文句として最高だな。ローズたちが惚れる訳だ」
レイがタケルの話を聞いて涙している頃、マリアはローズたちに問いかける。
「レイと結婚か」
ローズたちは言葉を選びながら口を開く。
「私は、あまり考えたことは無い」
リリーは露になった胸元を両腕で隠す。
「迷宮に居るからだろう。置いて行かれるのでは? それが頭にチラつく」
「結婚は想像してないのか」
マリアは足を組んでリリーに向き合う。
「迷宮は敵だらけ。そしてレイは強い。だから離れたくない」
「レイなら、どんな関係でもあなたを見捨てない」
リリーはマリアの言葉にタラリと涙を流す。ランタンの明かりがガラス玉のように透き通った涙を照らす。
「分かっている。だがどうしても切り離せない。レイが迷惑と思っていても!」
リリーは両手で顔を覆う。隙間から涙がキラキラ星のように流れる。
「私は、レイを犯しました。大変迷惑をかけてしまいました」
チュリップがポツリと言う。
「レイは許してくれました。だから私は何度も、この迷宮を出たら、レイの元から去り、他の殿方と一緒になろうと思いました。でも、そう思うと吐き気がしました! どうしてもレイが欲しい! 他の男なんて嫌だ! そう思ってしまいます」
チュリップは手のひらで鼻をかむと、いったん席を立ち、水桶で手を洗う。その間、誰も喋らない。リリーの泣き声だけが響く。
「私は、迷宮に来る前は金持ちの性奴隷でした」
席に座ると、辛い過去を語る。
「お尻も、膣も、口も、全身を犯されました。それが嫌で嫌で、ついに金持ちの喉を食いちぎって逃げました。でも身寄りのない性奴隷が生きるには、他の男の性奴隷になるしかありませんでした。そして何度も何度も、喉を食いちぎりました」
「……とてつもない過去ね」
マリアのため息が静かに古ぼけた小屋の壁に吸い込まれる。
「そうですね。幸い、教皇のゼウス様に拾われたため、負の連鎖は断ち切れました。死刑からも守ってくれました。私はそこで気持ちを入れ替えて、二度と男は愛さないと決めました。ええ、嫌な話ですが、私は性奴隷にされながら、それを喜んでいました。馬鹿なんです。セックスしてくれたから、愛されていると躾けられたんです。それで居ながら、嫌になるんです。だから殺しました」
痛いほどの沈黙が漂う。
「レイは違いました。あの人は、私に笑いかけてくれました。私が作った手料理を美味しいと食べてくれました。私を犯さないと言い切ってくれました! そして約束を守ってくれました! 何度も犯す機会はあったのに! そうなると、私の淫乱な血が叫ぶんです! レイに抱かれろ! 頭が茹ったようにぼうっとするんです」
自虐的な笑みが涙とともに零れる。
「結婚でしたね。私はそんなこと考えたことありません。私の頭にはセックスしかありません。私は、そういう女なんです」
チュリップが俯くと、マリアはコップの水を飲む。カラカラだったのか、なみなみあった水が一口で空になる。
「私も、結婚は考えたこと無かったな」
ローズはぼんやりと器のスープに浮かぶ油を見つめる。
「私は自分からレイに結婚を申し込んだの。でもそれって、レイに捨てられたくなかったから。ずっと一緒に居たかったから。うん、正直、真面目に考えてなかった」
隙間風が吹くと、皆の髪がサラサラと揺れる。
「学校で虐められてた。家族には居ない者だと扱われてた。どこにも居場所はなかった。だから居場所が欲しかった。レイは、そんな私に居場所をくれた人。もしかすると探せば、レイみたいに居場所をくれる人がいるかもしれない。でもそんなの想像できない! だから私はレイと一緒に居たい」
突然ビュウッと強い隙間風が吹いて、四人の体を冷やす。
「……私の気持ちって、好き、何だよね? それとも、違うの? 私は、間違っているの?」
マリアは対面に座る三人をじっと見つめる。
「一度だけ、リリーに確認したいんだけど、リリーは外に出たら、レイと離れられる?」
「無理だろうな」
リリーは立ち上がり、水桶で手と顔を洗う。
そして座るとぼんやりと天井を眺める。
「私は今まで、ずっと言いなりになって生きてきた。両親に言われたから騎士になろうと思った。ユリウス様に言われたから迷宮に入った。それが楽だった。私は考えるのを放棄していた。考えても仕方ないと思った。そして私はレイに出会ってしまった。レイは私たちを導いてくれた。私の体にはレイが間違う訳無いという考えが沁みついている。その安心感から、逃れることはできない」
リリーのため息で、隙間風も無くなり、静寂だけが支配する。
「根が深いな……私じゃどうしようもない。レイだってどうしようもない。皆でもどうしようもない」
マリアは力無い三人に、憐みの言葉を捧げる。
四人のお尻は、冷たい空気の中、じっとりと、熟れた果実のように汗ばんでいる。
「でもさ! レイなら皆を嫌わない! その思いがどうであっても受け入れる!」
マリアの明るい言葉に、三人は顔を上げる。
上向きにツンと張りのある乳房が瑞々しく揺れる。
「皆の思い、レイに正直話してみたら。何か分かるかもしれない。何も変わらなくても心配ない」
マリアの真珠のように輝く歯が、ルビーのように煌めく唇の隙間から見える。
「あなたたちが思うレイは、そんなことであなたたちを嫌うような弱い奴じゃないでしょ」
マリアはピースサインを三人に向ける。
その姿は美の女神のように艶めかしく、見る者を見とれさせた。
「……うん……そうだね……いい加減、話しちゃおう」
三人は呟いた。
見とれるほど美しい肌と均整の取れた体に添えられた笑みは、どんな相手も魅了するほど美しかった。
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