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地下9998階
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「……ここは……俺たちの故郷?」
地下9998階に下りる。そこは真っ白な世界ではなく、太陽と風、森、山が広がる地上だった。
それは良い。地下12階や地下5000階、何より地下9000階以降から太陽や風はあった。
俺たちが驚いたのは、俺たちの故郷である地上世界と全く同じ建物が建っていることだ!
「あの建物……アルカトラズ王のお城だ」
階段を下りると城下が広がっていた。そしてすぐ正面に見上げるほどの城が建つ。
「あれは冒険者ギルドの建物だ」
大通りの目立つ場所に平屋が建つ。そこの看板は冒険者ギルドの紋章が刻まれている。
「私たちが居たアルカトラズ国と全く同じですね」
ならされた地面を撫でると風が舞い、砂埃が目に入る。
「だが……誰も居ない」
人っ子一人居ない大通りを見つめる。
馬車が無ければ馬も居ない。人が居なければ出店も無い。耳を澄ましても誰も居ない。
この世界には俺たちしか居ない。まるで張りぼてだ。
「……ルシー? 何を考えている」
この階層はルシーの物だ。だからこの世界を作ったのはルシーだ。
なぜこんな世界を?
「とにかく、歩いてみよう」
一応警戒して街並みを見回る。
「それにしても、本当にそっくりですね」
「怖いくらいだね」
「違うのは、私たちしか居ないところだ」
城下を歩くと懐かしさで警戒心が解れ、昔話を思い出す。
「あ……私の家だ」
大通りの外れまで歩くと大きな屋敷が見える。ローズはそこへ走る。
「これが、ローズの家か」
豪勢な作りに口が塞がらない。
「金持ちですね。嫉妬します」
チュリップは磨かれた門をコツコツ叩いて鼻を鳴らす。
「アントワネット家! アルカトラズ国でも有数の魔術師の家系だ! こんな家に仕えることができれば、将来安泰だ!」
リリーは家紋の前で震える。
「そんな大した家じゃないよ。見栄っ張りで、私のことは無視する嫌な家だもん」
ローズはギリッと屋敷を睨む。
頭を撫でて笑いかける。
「落ち着け落ち着け。俺たちが居る」
「……ん! ありがとう!」
パッと笑顔を見せると、じっと屋敷を見つめる。
「中に入ってみるか? 何か分かるかもしれないし」
ローズは少ししてから頷くと、門に押す。
門はゆっくりと、俺たちを迎え入れた。
「この陶器、輸入品ですよ! 金持ってますね!」
チュリップは廊下を彩る飾りに歯ぎしりする。
「ローズ、地上に戻ったらぜひ私を騎士として雇ってほしい!」
リリーはローズの手を取って笑いかける。
「雇うって、私たち仲間だよ?」
ローズが首を捻るとリリーはちっちっと指を振る。
「私の本職は騎士だ! これほどの名家に仕えるのは騎士の本懐だ!」
リリーは興奮した面持ちで廊下を見渡す。
「何だか俗っぽい」
ローズがため息を吐くとリリーはニヤリと楽しそうに笑う。
「騎士は名誉と金のために命を捧げる。これほど俗っぽい職業は無いと思うが?」
「わ! 爆弾発言!」
ローズは二階に上がると、一番奥の部屋へ入る。
「……前と同じ。私が迷宮に行く前と」
大きなベッドの上に沢山のぬいぐるみが置かれている。机には本が山積みになっている。
ローズは部屋に入って中を確認するとすぐに出る。そして次々と扉を開ける。
「お父さんの部屋だよ」
ローズは寂しそうに俺たちを案内する。
「私ね、家族と仲が悪かったの」
すべての部屋を見ると客間で休憩する。その時、ポツリと呟く。
「才能無いからって、無理やり婚約者まで決められたの」
「婚約者! 俺が居るのに!」
気になる発言だったので語尾が強くなる!
「もう! 私に怒らないでよ!」
「お、おお! すまない」
ローズはため息を吐いて、客間を見渡す。
「レイは、私の家族と出会ったらどうする?」
「どうするって? 婚約者です。娘さんをください。ちなみに娘さんは天才だから、一回目を作り替えたほうが良いですよって」
「はは! 絶対喧嘩になる!」
「俺が勝つな」
「殺さないでね。あんなのでも私の家族だから」
ローズはチュリップとリリーに目を向ける。
「リリーは、私の家族に出会ったらどうする?」
「娘さんのおかげで脱出できました。だから私を雇ってください」
「何それ」
プッとローズの口から笑いが漏れる。
「リリーなら騎士にならなくてもお金持ちでしょ。働く必要ないじゃん」
「騎士であること。だらだら過ごす生活は嫌だ」
「レイといっぱいエッチしてダラダラしてたのに?」
「それはお前もだろ! それに! あれは迷宮という特殊な場所だからだ! 我が家に帰れば、国のため、家族のために働く必要がある!」
「なんか、リリーらしいな」
ローズはチュリップの目を見る。
「チュリップは何て言う?」
「お金ください」
「えぇ……帰ったらお金持ちなのに?」
「今まで貧乏人でしたから、ひがみです」
「うーん。チュリップらしい……」
腕を組んで唸る。
「ついでに、あなたのお友達です、と言っておきます」
チュリップは照れ臭そうに視線を逸らす。
「ありがとう!」
ローズはにっかり笑うと立ち上がる。
「学校に行くから着いてきて!」
スキップするローズの後ろ姿について行く。
「……本当に懐かしいな」
俺たちに警戒心は無かった。
懐かしい思い出の場所で警戒心を持ちたくなかった。
「ここ! 懐かしいな」
ローズに続いてデカい門を潜るとデカい城が目の前にそびえたつ。これが学び舎とは豪勢な物だ。
「むかーし、ルシーの魔法でここを見たが、実際に見ると本当にデカいな」
「今の私たちなら、これよりも大きく成れますけどね」
「そういう問題じゃないな」
いじけるチュリップの頭を撫でる。
跳ねるローズの後に続いて建物に入る。
中は真っ赤な絨毯と重厚な木の香りが広がっていた。
「ほんっと金持ってますね! 腹立ってきました!」
「チュリップはさっきから怒りっぱなしだろ」
腕組みして貧乏ゆすりしながら歩くチュリップを笑う。
「気持ちは分かる。騎士学校とは比べ物にならない作りだ」
リリーは複雑そうに腕組みしながら歩く。
「もう! 皆ブツブツうるさい! 黙って早く来て!」
ローズは子供のようにプリプリと俺たちを急かす。
「いや……本当は子供だ。俺たちも」
ローズの姿を見て思い出す。
俺は数百万年も迷宮に潜っているが、古郷では十六年しか過ごしていない。
そう考えると、子供だ。
「母さんたちに会いたいな」
ポロっと弱音が口に出た。
「ここが私の教室! そしてここが私の席!」
トスンと椅子に座って体を黒板に向ける。
「私は、いつもこうやって黒板を見てたの」
メモ用紙を机にバシンと置いて、黒板を凝視しながらペンを走らせる。
「そうしていると後ろから囁き声が聞こえたの。才能無いから帰れって。たまに隣の席から、死ねって書かれたメモが渡されるの。思い出したら腹立ってきた!」
「俺も腹立った」
隣の机をコツコツ叩く。
「ここに座っている奴をぶん殴れば良いのか? あと後ろの席?」
真面目に言うとローズはクスクスと表情を崩す。
「大丈夫! 前に迷宮から帰ったとき、バシッと復讐したから! 皆、退学。ざまあみろ!」
ぐっとガッツポーズして、寂し気に笑う。
「この席が嫌いだった。この部屋が嫌いだった。この建物が嫌いだった。でも、一つだけいい思い出があるの」
ローズはぼんやりと黒板に笑いかける。
「年に一度だけど、ガウス様が教壇に立つことがあるの。その時一生懸命黒板を書き写してたら、ガウス様が真面目だって褒めてくれたの。誰も褒めてくれなかったから、嬉しかった」
じんわりと浮かぶ涙を袖で拭って立ち上がる。
「ありがとう! もう気が済んだ! 次はどこに行く!」
「ならば、一度私の家に行きたい」
間髪入れずにリリーが声を上げる。
「良いよ! 行こう!」
「ありがとう! 着いてきてくれ!」
リリーが歩き出す。その足取りは軽かった。
「ここだ」
大通りからかなり離れたところにある屋敷の前で止まる。
「こうして見ると、ローズの家に比べて小さいな」
リリーは思いっきり肩を落とす。
「私の屋敷じゃないもん」
ローズは頬っぺたを膨らませる。
「分かっている。ただ、あれを見た後だと、どうしてもな」
リリーは屋敷の周りを歩く。門や柵など無いため、ローズの家に比べると質素に感じる。
「あれ、小さい」
家の玄関でローズがぼそりと呟く。リリーはフンッと肩を怒らせる。
中は飾り気など無く、廊下も短い。少々埃が溜まっているようにも見える。
「なんか汚いですね」
チュリップは棚に溜まる埃を指でツツッと撫でる。
「使用人も居ないし、母も父も体が悪い。私自身、早い時期に騎士学校へ行ったから、掃除する人が居ない」
リリーは箒など掃除用具を持って現れる。
「掃除をする! 手伝ってくれ!」
有無を言わさない迫力だ。
「分かった」
最も、嫌と言うような俺たちではない。
「ありがとう」
それでも、リリーは笑ってくれた。
「母は私を産むと、騎士を退職した」
掃除が済むと客間でゆっくりとリリーの話を聞く。
「私が十歳になる前か。父が事故で騎士を退職した。その時から、家に元気がなくなり、父も母もふさぎ込むようになった。寂しかったのを覚えている」
リリーは壁に飾られた歴代の家長の自画像を眺める。
「補助金は貰えたが、それでも金が無かった。だから私は騎士学校へ行った。家族を食わせるには、騎士になるのが一番だった」
「結婚する手もあったと思いますが?」
チュリップの言葉にリリーは笑う。
「没落騎士の娘を貰おうと思う物好きは居ないし、まだ幼い子供と結婚しようと口を出す奴は居ない。万が一出して来たら、父の怒鳴り声が聞こえただろう」
「良いお父さんとお母さんだね」
ローズが自然な表情で微笑む。
「今思うとな。ただ、その時は騎士になれ騎士になれとうるさかったのも事実。正直、嫌だった」
リリーは思い出したように客間を出ると、寝室へ向かう。
「それでも、父と母のぬくもりを感じながら眠るのは好きだった」
リリーはベッドに腰をかけて、じっと三つの枕を見つめる。
ポロリと涙が溢れる。
「遊び道具もほとんどない家だったが、寝るときに父と母が聞かせてくれた話は楽しかった。そうだ……だから私は、騎士になりたいと思ったんだ」
指で涙を掬い取るとパクリと舐めとる。
「良し! 次は騎士学校へ行こう!」
リリーはウキウキと走り出す。チラリと寝室を眺める。
「いい部屋だ。狭いけど、温かい」
「レイ! 早く行かないとリリーに置いてかれるよ!」
ソワソワするローズに笑いかけて一緒にリリーを追いかける。
「いい世界だ」
「辺鄙なところにありますね! 無駄に疲れます! それに汚い!」
城下からかなり離れた砦に着くとチュリップが鼻を鳴らす。
「前に、古い砦を再利用した場所だと言っただろ」
「実際に歩いてみると文句の一つも言いたくなります!」
チュリップはぷんぷんと学校の門を睨む。
「それにしても汚い門と柵ですね! 掃除くらいしたらどうです!」
仰々しく無骨な鉄門と鉄柵に顔をしかめる。
確かに錆が目立つ。
「この程度の汚れなら逃げ出せない」
リリーは笑いながら重い鉄門をこじ開ける。
「最も、今の私なら無いも同然だ」
中に入ると鉄門に振り返り、ため息を吐く。
「あれほど硬かった門が、絶望の門が、容易く破られるとは……何となく寂しい」
リリーの後をついて行く。
「ここが訓練場だ」
血の沁み込んだ広場に立って剣を構えると、ゆっくりと素振りを始める。
「最初に学んだのは剣の重さだ。素振りはもちろん、いつも腰に備え付ける。そうして武器の重さになれる。始めは辛かった」
次に地面に手を付いて腕立てを始める。
「その次は筋力だ。腕立て腹筋スクワット。技術よりも力! それがユリウス様、引いてはアルカトラズ国の戦いの精神だった。血の小便が出るほどやった」
腕立てを止めると、いたるところにある血の跡を見つめる。
「辛かったが、そのおかげで強く成れた」
ぺろりと服を捲り、美しい腹筋を見せる。
「しかし、お前たちと一緒に居ると、何となくこれが恥ずかしい。女らしくない」
コツコツと薄っすらと割れた腹筋を叩いてため息を吐く。
「そうか? 俺は勃起したけど」
「品がないです」
バシンとチュリップに頬っぺたをぶっ叩かれる! 凄まじく痛い!
「次は食堂だ! くたくたになるほど訓練した後の食事は格別だぞ!」
リリーは顔を赤くして小走りに広場を横切る。
その後を頬を摩りながらついて行く。
「ここだ」
長机が何十個も並ぶ部屋に入る。
「このトレーを持って一人一人がここに並ぶ。すると係りの者が食事を渡してくれる」
部屋の隅にある机の前に立つ。
「食事は山盛りの黒パンと、山盛りの濃い肉と野菜のスープだ! 顔が洗えるんじゃないかと思えるくらい大きな器だ! トレーからはみ出して、零すかとハラハラする! そして空いている椅子に座る」
ドサリと腰を下ろすと、ギシギシと椅子が軋む。
「量が量だ! 最初は吐いた! だけど無理やりにでも食べろと言われた! 体を作るためと言われた! 始めは嫌で不味かったが、数週間もすると慣れた。そして十三を過ぎるとこれでも足りないくらいになった!」
洗い場に指を向ける。
「皿洗いを手伝うと余った食事を貰えた。何度もあそこで皿を洗った」
トレーに目を移すと懐かしむように微笑む。
「訓練して、倒れるほど疲れた時に食べる食事は美味しかった。また、食べてみたい」
「あそこが座学を学ぶ建物だ。その隣が宿場だ。あそこに私の部屋がある」
奥に進むと小奇麗で大きな建物が現れる。
「ここが座学を学ぶところだ」
「私の教室と似てるね」
「そうだな。正直退屈だった。眠らないように頑張った」
リリーは教室を眺めるとすぐに建物を出て、隣の宿場に入る。
「ここが私の部屋だ」
そこは物置と思うほど狭い部屋だった。窓もなく、部屋の半分をベッドが占領している。
「荷物等はベッドの下に置く。鎧や武器はここ。狭いな!」
リリーはベッドに座って乾いた笑みを浮かべる。
「辛く無かった? 私なら息が詰まっちゃう」
「辛かったが、女は個室だから狭くて当たり前だ。男の部屋など十人部屋だぞ」
「病気が流行りそうですね!」
「実際、一人が風邪を引くと大騒ぎだ」
カラッとした笑いを浮かべる。そして顔をしかめる。
「しかし、貴族となると個室の広い部屋だ。少し離れた場所に貴族専用の宿場がある」
重い足取りで部屋を出る。
「私が貴族に襲われたのはここだった」
学び舎の裏の影に立つ。
「反撃したから襲われなかったが、怖かった。そして先生に訴えたのに処罰されなかったことが辛かった」
「なるほど。つまりそいつらを半殺しにすればいいんだな」
指をボキボキと鳴らしてみる。良い音だ。殴りがいがある。
「心配するな。そいつらは一度帰ったとき、私の手で半殺しにした。訓練場で訓練の相手を募集したらノコノコ出てきた。馬鹿な奴だ」
リリーは空を見上げて太陽を見つめる。
「辛かった。だけど、それでもここは、私の第二の故郷だ」
リリーが言い終わると心地よい風が吹いた。
次はチュリップが希望する場所へ向かう。
「慈悲の教会です。私のお家」
教会の前に立つと静かに呟く。
そしてゆっくりと歩き出す。
「ここが、病棟です」
教会の離れにある病棟に入る。中は沢山のベッドがこれでもかと並んでいた。
「私は毎日、ここで患者のお世話をしました。愚痴もたくさん聞きました。恨み言もたくさん聞きました」
ベッドの一つ一つを撫でて歩く。
「いい思い出はありません。抜け出したいと思ってました。でも、このベッドに眠る患者さんのお世話だけは好きでした」
部屋の隅にあるベッドの前で止まる。
「その人はお爺ちゃんで、私にありがとうと、いつも言ってくれました。それがとっても嬉しかったです。私が作った食事も美味しいと言ってくれました」
枕をそっと撫でる。
「私が着てすぐに、死んでしまいましたけど」
チュリップはぼんやりと外に出て、墓場に立つ。
「その人に祈りの言葉を捧げたのは私です。胸が痛みました」
両手を組むと墓の前で祈りを捧げる。
そして次に教会の玄関の前に立つ。
「ゼウス様と出会ったのはここですね。逮捕される直前に助けを求めました」
サラリと言うとさらに歩く。そして城下を進む。
「ここが……私が初めて犯された場所で、初めて人を殺した場所です」
大通りから外れた小道に佇む大きな家の前で涙を流す。
「本当に辛かった……夫どころか妻すらも私を叩いた。私に夫を取られたと嫉妬したんです。痛かった! 誰も助けてくれなかった!」
両手で顔を隠したので、ギュッと抱きしめる。
「今は俺たちが居る。だから泣くな」
「……ありがとうございます……私は! あなたに会えて本当に良かった!」
ワンワンと立てなくなるほど泣き散らす。泣き止むまで、頭と背中を撫で続けた。
「古郷にいい思い出はないけど、あなたたちと一緒なら、いい思い出が作れるでしょうね」
泣き止むとスッキリした顔で笑った。
「ここが俺が良く肉や山菜を売りに来た村だ。あの屋敷が貴族の家で、ここらへんの地主だ」
最後に俺の実家へ向かう。その途中にある村で足を止める。
「貴族の屋敷が近いせいか良く商人が来た。だから結構、店がある」
「ほうほう。確かにお店がいっぱい。家もいっぱい」
「中中に賑やかですね。何度か城下から離れた村に行ったことがありますが、ここまでお店はありませんでした」
ローズとチュリップが頷く。
「ここはサータ山脈の入り口で、他国との国境沿いにある重要貿易地区だ。サータ山脈から流れる水資源も豊富で、安定した小麦が収穫できる。アルカトラズ国で一番大きい村だったと思うぞ」
リリーが小麦畑を見渡す。
「もしかして、レイはサータ山脈に住んでいたのか?」
リリーがなぜか恐る恐るとした目で見つめて来る。
「そうだ。言ってなかったっけ?」
「サータ山脈? ちょっと待ってください。レイのフルネームは何ですか?」
チュリップも目の色を変える。
「俺の名はレイ・サータだ。言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!」
ローズが血相を変えて叫ぶ。
「サータ家と言ったらサータ山脈の主じゃないですか! 北部貿易の要で最重要人物! 結婚したら幸せ一直線です!」
「サータ山脈はサータ家しか踏破できない! 北部防衛の鍵を握る一族だ! 騎士学校の座学で習うほどだ!」
「サータ家! 引きこもりの私でも知ってるほどの有名人! それが私の婚約者! 凄い!」
なぜか三人がぼそぼそと話し合う。
「えっと、どうした? お前ら?」
三人に置いてきぼりにされてしまったので戸惑う。
「どうしたって、サータ家ですよ? 偉いんですよ? 凄いんですよ? 金持ちなんですよ? 騒がずにいられますか!」
チュリップの様子が変だ。興奮して暴れ馬のようだ。
「そんな金持ちでもないし偉くも無いぞ」
「か、金持ちじゃない? サータ山脈の案内人なのに? 案内でお金を取っているはずでは?」
「サータ山脈とか知らないけど、あの山は俺の庭だ。庭を案内するのに金を貰うのは変だろ? 親父や母さんもそう言ってたし」
くらくらとチュリップが膝を付く。どうした?
「レイ! もしもサータ家なら何度も国の大臣! 下手すると王が訪ねたはずだ!」
リリーの様子も興奮した暴れ馬だ。
「そんな偉い人が俺たち家族に訪ねて来るはずないだろ。……ただ、身なりのいい金持ちの兄ちゃんが何度か来たな」
「そ、その人の名前を憶えているか!」
「なんて言ったかな? ……アルカトラズだっけ? そう言えば一度お城に案内されたことがあったけど、偉い人だったのかな?」
思い出し終わってリリーを見る。
リリーは跪いていた。
「何やってんだお前?」
「今までのご無礼を詫びています。どうかお許しください。まさかサータ家のお人とは思いませんでした」
「顔を上げろ! 普通にしろ! 訳が分からなくて頭がおかしくなりそうだ!」
混乱しているとローズが服を引っ張ってくる。
「レイが告白した女の子ってどこで働いてたの?」
「ん? あそこのお菓子屋だけど」
指さしするとローズがそこに頭を下げる。
「レイを振ってくれてありがとう! レイは私がしっかり幸せにします!」
「何なんだよお前らは!」
もはや混乱の極みだ。いい加減恥ずかしくなったので引きずって実家に行く。
「俺の家そんな凄いのか?」
偏屈な親父と平凡な母親、何より実家の前に立つと殊更不思議に思う。
自然に囲まれただけの田舎だ。ローズやリリーの家のほうが広いし綺麗だ。
「レイの家って川が近いんだ」
ローズが少し離れた川を見る。
「そっちのほうが便利だからな」
「外にお風呂がありますね。屋根付きだとは思いませんでした」
チュリップが家のすぐ隣にある石造りの風呂を見る。
「むかーしにご先祖様が作ったらしい。たまに修理を手伝うことがある」
中へ入る。いつもの古ぼけた家だ! たまに雨漏りする。
「中にかまどがありますね。洗い場も」
「それもご先祖様が作ったらしい」
「結構贅沢な家ですよ」
「そうか? 古いだけだぞ」
久々に実家のテーブルを触る。
「ここが俺の席だ。両隣が弟たち。向かい側が親父と母さんだ」
奥の部屋へ進む。
「ここが俺と弟たちの部屋だ。あそこで弟たちと一緒に寝る」
案内するとローズがひょこひょことベッドの上に寝転ぶ。
「ちょっと狭いね」
「そうだろ。弟たちもデカくなってきたから、床で寝ることもある」
思い出すと口がにやける。
「これが親父と母さんの寝床だ」
「食事処と同じ部屋で寝るんですね」
チュリップが意外そうにベッドを見る。
「狭いからな。いい加減小屋を大きくしようって思ってる」
思い出すと、突然涙が溢れた。
涙は止まらない。そしてどんどん胸の中に溜まった物が沸き上がる。
「家に帰りてえ! 親父と母さんに会いてえ! 弟たちに会いてえ!」
テーブルに突っ伏す。
「もう何年顔を見てないんだ! あと何年頑張ればいいんだ! もう疲れちまった!」
弱音が止まらない。家族に会いたい! それだけが溢れて来る。
「もうそろそろだよ」
顔を上げると隣でローズが微笑む。
「次が地下9999階だ! 一緒に頑張ろう!」
リリーがテーブル越しに手を握ってくれる。
「私たちが居ます」
チュリップが背中におっぱいを押し付けて、頬っぺたにキスをする。
皆の笑みを見ると、ざわつく心が落ち着く。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
深呼吸して涙を拭く。そして元気よく笑う!
「気合入った!」
バシバシと頬を叩いて立ち上がる。
「ルシー! どこに居る!」
「ここに居るよ」
いつの間にか、ルシーが部屋の隅に立っていた。
その表情は悲しげだった。
「進むつもりなんだね」
力のない声だ。
「君たちを引き止めるために、この世界を作ったけど逆効果だったか」
切なそうな目だ。
「引き止める?」
「そう。君たちでは全王に勝てない。死よりも恐ろしい世界を見るだけだ」
ルシーは諦めたような様子だった。覇気がない。
「やってみなくちゃ分からないだろ」
「やってみたら遅いから止めているんだ!」
ルシーが大声を出すと鼓膜とともに山が揺れる!
ガラガラと遠くから崖崩れの音が聞こえる。
「ごめん。怒鳴るつもりは無かった」
ルシーは椅子に座ると俺たち一人一人に目を向ける。
「君たちの気持ちは分かる。だけど急ぐことは無い! ここでゆっくりするのも悪くはない」
「ここで暮らすってことか?」
ルシーは儚げに微笑む。
「そう。ゆっくり、子供でも作って」
いたずらっぽく微笑まれると恥ずかしくて頬が熱くなる。
「全王は脅威だ。だけどここは全王の手は届かない。僕が守る」
ルシーは笑っているが、口調は真剣だった。
「それはできない」
だからこそ、キッパリと断る。
「確かに、この世界は俺たちの故郷に似ている。そのままと言ってもいい。だけど、足りないものがある」
「生き物か」
「そうだ。鳥も馬も居ない。人間も!」
「植物なら作れるけど、脳を持つような複雑な生命体はベルが専門だからね。僕には無理だった」
ルシーは口を閉じると痛いほど沈黙が訪れる。
「でも生き物ならチュリップが作り出せる。ベルから学んだはずだ」
「嫌です」
チュリップは険しい顔でルシーを見つめる。
「生き物を作るとは、その生き物を管理する責任が生まれます。そんな面倒なことしたくありません。私は神のような力を持っているかもしれませんが、神ではありません!」
「信心深いし、倫理観がしっかりしているね。だからこそ、レイが好きになったんだろうね」
ルシーは深くため息を吐く。
「その、ルシーも一緒に戦わない?」
ローズが恐る恐る手を上げる。
「ルシーが味方になれば、絶対に勝てると思うの! 私の師匠だし! 絶対に勝てるよ!」
「僕は上り階段も下り階段も作れない。ここはまだいいけど、結局は全王の手のひら。悪いけど、頷けない」
ローズはシュンと黙る。ルシーはローズから顔を逸らす。
「しかし、そうなると結局、私たちは全王と戦わなくてはならない」
リリーはルシーを睨む。少しだけ体が震えている。
「ここは全王の手のひらだ。いつ襲ってくるか分からない。ならばこんなところで子供は産めない」
「……僕は信用できない?」
「その自信の無さを見て信用しろと言うのか!」
リリーが恫喝すると、ルシーは口を閉じる。
胸が締め付けられるほどの悲しい沈黙が包む。
「僕と戦うことになっても、行くんだね?」
ルシーの目は覚悟を決めていた。
「……ああ。大丈夫! 絶対に全王をぶっ倒す! そしたら、また、今度こそ、一緒に笑おう」
ルシーに笑いかける。ルシーははにかむ。
「最後に、手を触らせてもらえないか?」
ルシーが手を伸ばしたので、全員手を伸ばす。
ルシーはまるで壊さないように優しく、離さないように強く手を握る。
「人間って、温かいな」
ルシーは満面の笑顔で泣いた。
突如地震が起きて世界が揺れる!
「我に立ち向かう愚かなる人間よ」
ルシーの姿は消えていた! 外だ!
「く、暗闇の巨人!」
外に出ると空高くに羽を八つ生やした真っ暗闇の巨人が浮いていた。
「まるで天使です! でも色が違う!」
チュリップがガタガタと歯を鳴らす。
「み、皆! 私に捕まって!」
突然ローズが叫ぶ! 急いで手を取ると暗黒の巨人に引き寄せられる!
「空間魔法のブラックホール! 私よりもずっと強い! 中に入ったら魂ごと砕けちゃう!」
ローズに捕まる間にも世界が崩壊する!
地面が剥がれる、森が剥がれる、木々がなぎ倒される、家が、水が、草木が浮かび上がる。
それらはすべてルシーの体へ吸い込まれていく。
「大きくなっている! ベルよりも巨大だ!」
リリーが口を大きく開けて叫ぶ!
暗黒の巨人は太陽も光も闇も何もかもを吸収し肥大化する!
「ベル! お前の言う通り、ルシーは最強だ!」
世界が崩壊した後、残されたのは俺たち四人と暗黒の巨人、ルシーだけだった。
その大きさは、今までで一番大きく、恐ろしかったベルさえも指先で摘まめるほどだった!
「我に立ち向かう愚かなる人間よ。神に近き存在として、慈悲を持って葬ろう」
ルシーの目前に力が集まる!
「受けるがいい。神魔法! 始まりの光!」
「空間魔法! ギガグラビティレーザー!」
ローズの暗黒光線とルシーの光光線がぶつかる!
「押される!」
見る見るとローズの光線が押し返される!
「皆! ローズに力を与えろ!」
グッとローズの背中を抑えて、力を分ける!
それでも! 全員で総動員しても押される!
「レイ! このままじゃ押し負ける!」
「心配するな」
叫ぶローズたちに微笑む。
「あれはルシーだ。俺たちが大好きなルシーだ」
もう片方の手をルシーへ伸ばす。
「あんなに黒いのに、とても温かい力だ。太陽のように優しい、恵みの力だ」
迫る光光線を片手で受け止め、力を吸収する!
目がチカチカする。
体が燃えるように熱い。
だけどとても温かい。
「行くぜ! 集中しろ!」
吸収した力をローズへ流し込む!
「お! お!」
ローズは目をしろくろさせながらも踏ん張り、ルシーを見る。
「ルシー。私の成果、見せてあげる」
グッと体に力を入れる。
暗黒の光線がジリジリと光の光線を押し返す。
それは少しずつ、ルシーの顔面に迫る。
ふっと涙とともにルシーとの出会いを思い出す。
ルシーの笑顔を思い出す。
ルシーの悲し気な顔を思い出す。
「ルシー! 俺たちは全王を必ず倒す! 約束する!」
暗黒の光線がルシーの光光線を貫く!
「君たちに会えて、本当に良かった」
暗黒の光線がルシーを飲み込んだ瞬間、ルシーの声が聞こえた。
ルシーが居なくなり、何もない世界で涙を流す。
俺たちは何人の犠牲を払ってここまで来たのか? それを思うと辛い。
「レイ。次の階段だ」
リリーの声に、ローズとともに顔を上げる。
「ああ。次は地下9999階! 全王が待つ階層だ!」
いよいよ大詰めだ! 涙を拭って先に進む!
因縁の相手だ!
だが! だが! 気合を入れて下り階段に入った瞬間! 突然の極寒が襲い掛かる!
「ほ、炎が凍った!」
ローズが白い息を吐く! 手元には凍り付いた炎がある!
「炎という概念すらも凍り付かせるとは!」
リリーは歯を食いしばりながら、凍り付く足を動かす!
「加護魔法も通用しません! もはや神すらも拒む領域です!」
チュリップはガタガタ震えながらも進む!
「今まで階段は安全だった! それをぶっ壊すほどの力か!」
それでも進むしかない! 後退はない!
生きるためには、進むしかない。
どれほど長い年月をかけたのか分からない。一瞬か数百年か、それすらも判断できないほど辛い道のりだった。
「着いたぞ! 地下9999階!」
それでも俺たちはたどり着いた!
地下9999階! 俺たちの目標であり、全王が居る場所に!
「良くぞここまでたどり着いた」
階段を下りた先で、全王が笑っていた。
「全王!」
凍える体を奮い立たせて走る!
「まずは小手調べだ!」
全王が構えた!
地下9998階に下りる。そこは真っ白な世界ではなく、太陽と風、森、山が広がる地上だった。
それは良い。地下12階や地下5000階、何より地下9000階以降から太陽や風はあった。
俺たちが驚いたのは、俺たちの故郷である地上世界と全く同じ建物が建っていることだ!
「あの建物……アルカトラズ王のお城だ」
階段を下りると城下が広がっていた。そしてすぐ正面に見上げるほどの城が建つ。
「あれは冒険者ギルドの建物だ」
大通りの目立つ場所に平屋が建つ。そこの看板は冒険者ギルドの紋章が刻まれている。
「私たちが居たアルカトラズ国と全く同じですね」
ならされた地面を撫でると風が舞い、砂埃が目に入る。
「だが……誰も居ない」
人っ子一人居ない大通りを見つめる。
馬車が無ければ馬も居ない。人が居なければ出店も無い。耳を澄ましても誰も居ない。
この世界には俺たちしか居ない。まるで張りぼてだ。
「……ルシー? 何を考えている」
この階層はルシーの物だ。だからこの世界を作ったのはルシーだ。
なぜこんな世界を?
「とにかく、歩いてみよう」
一応警戒して街並みを見回る。
「それにしても、本当にそっくりですね」
「怖いくらいだね」
「違うのは、私たちしか居ないところだ」
城下を歩くと懐かしさで警戒心が解れ、昔話を思い出す。
「あ……私の家だ」
大通りの外れまで歩くと大きな屋敷が見える。ローズはそこへ走る。
「これが、ローズの家か」
豪勢な作りに口が塞がらない。
「金持ちですね。嫉妬します」
チュリップは磨かれた門をコツコツ叩いて鼻を鳴らす。
「アントワネット家! アルカトラズ国でも有数の魔術師の家系だ! こんな家に仕えることができれば、将来安泰だ!」
リリーは家紋の前で震える。
「そんな大した家じゃないよ。見栄っ張りで、私のことは無視する嫌な家だもん」
ローズはギリッと屋敷を睨む。
頭を撫でて笑いかける。
「落ち着け落ち着け。俺たちが居る」
「……ん! ありがとう!」
パッと笑顔を見せると、じっと屋敷を見つめる。
「中に入ってみるか? 何か分かるかもしれないし」
ローズは少ししてから頷くと、門に押す。
門はゆっくりと、俺たちを迎え入れた。
「この陶器、輸入品ですよ! 金持ってますね!」
チュリップは廊下を彩る飾りに歯ぎしりする。
「ローズ、地上に戻ったらぜひ私を騎士として雇ってほしい!」
リリーはローズの手を取って笑いかける。
「雇うって、私たち仲間だよ?」
ローズが首を捻るとリリーはちっちっと指を振る。
「私の本職は騎士だ! これほどの名家に仕えるのは騎士の本懐だ!」
リリーは興奮した面持ちで廊下を見渡す。
「何だか俗っぽい」
ローズがため息を吐くとリリーはニヤリと楽しそうに笑う。
「騎士は名誉と金のために命を捧げる。これほど俗っぽい職業は無いと思うが?」
「わ! 爆弾発言!」
ローズは二階に上がると、一番奥の部屋へ入る。
「……前と同じ。私が迷宮に行く前と」
大きなベッドの上に沢山のぬいぐるみが置かれている。机には本が山積みになっている。
ローズは部屋に入って中を確認するとすぐに出る。そして次々と扉を開ける。
「お父さんの部屋だよ」
ローズは寂しそうに俺たちを案内する。
「私ね、家族と仲が悪かったの」
すべての部屋を見ると客間で休憩する。その時、ポツリと呟く。
「才能無いからって、無理やり婚約者まで決められたの」
「婚約者! 俺が居るのに!」
気になる発言だったので語尾が強くなる!
「もう! 私に怒らないでよ!」
「お、おお! すまない」
ローズはため息を吐いて、客間を見渡す。
「レイは、私の家族と出会ったらどうする?」
「どうするって? 婚約者です。娘さんをください。ちなみに娘さんは天才だから、一回目を作り替えたほうが良いですよって」
「はは! 絶対喧嘩になる!」
「俺が勝つな」
「殺さないでね。あんなのでも私の家族だから」
ローズはチュリップとリリーに目を向ける。
「リリーは、私の家族に出会ったらどうする?」
「娘さんのおかげで脱出できました。だから私を雇ってください」
「何それ」
プッとローズの口から笑いが漏れる。
「リリーなら騎士にならなくてもお金持ちでしょ。働く必要ないじゃん」
「騎士であること。だらだら過ごす生活は嫌だ」
「レイといっぱいエッチしてダラダラしてたのに?」
「それはお前もだろ! それに! あれは迷宮という特殊な場所だからだ! 我が家に帰れば、国のため、家族のために働く必要がある!」
「なんか、リリーらしいな」
ローズはチュリップの目を見る。
「チュリップは何て言う?」
「お金ください」
「えぇ……帰ったらお金持ちなのに?」
「今まで貧乏人でしたから、ひがみです」
「うーん。チュリップらしい……」
腕を組んで唸る。
「ついでに、あなたのお友達です、と言っておきます」
チュリップは照れ臭そうに視線を逸らす。
「ありがとう!」
ローズはにっかり笑うと立ち上がる。
「学校に行くから着いてきて!」
スキップするローズの後ろ姿について行く。
「……本当に懐かしいな」
俺たちに警戒心は無かった。
懐かしい思い出の場所で警戒心を持ちたくなかった。
「ここ! 懐かしいな」
ローズに続いてデカい門を潜るとデカい城が目の前にそびえたつ。これが学び舎とは豪勢な物だ。
「むかーし、ルシーの魔法でここを見たが、実際に見ると本当にデカいな」
「今の私たちなら、これよりも大きく成れますけどね」
「そういう問題じゃないな」
いじけるチュリップの頭を撫でる。
跳ねるローズの後に続いて建物に入る。
中は真っ赤な絨毯と重厚な木の香りが広がっていた。
「ほんっと金持ってますね! 腹立ってきました!」
「チュリップはさっきから怒りっぱなしだろ」
腕組みして貧乏ゆすりしながら歩くチュリップを笑う。
「気持ちは分かる。騎士学校とは比べ物にならない作りだ」
リリーは複雑そうに腕組みしながら歩く。
「もう! 皆ブツブツうるさい! 黙って早く来て!」
ローズは子供のようにプリプリと俺たちを急かす。
「いや……本当は子供だ。俺たちも」
ローズの姿を見て思い出す。
俺は数百万年も迷宮に潜っているが、古郷では十六年しか過ごしていない。
そう考えると、子供だ。
「母さんたちに会いたいな」
ポロっと弱音が口に出た。
「ここが私の教室! そしてここが私の席!」
トスンと椅子に座って体を黒板に向ける。
「私は、いつもこうやって黒板を見てたの」
メモ用紙を机にバシンと置いて、黒板を凝視しながらペンを走らせる。
「そうしていると後ろから囁き声が聞こえたの。才能無いから帰れって。たまに隣の席から、死ねって書かれたメモが渡されるの。思い出したら腹立ってきた!」
「俺も腹立った」
隣の机をコツコツ叩く。
「ここに座っている奴をぶん殴れば良いのか? あと後ろの席?」
真面目に言うとローズはクスクスと表情を崩す。
「大丈夫! 前に迷宮から帰ったとき、バシッと復讐したから! 皆、退学。ざまあみろ!」
ぐっとガッツポーズして、寂し気に笑う。
「この席が嫌いだった。この部屋が嫌いだった。この建物が嫌いだった。でも、一つだけいい思い出があるの」
ローズはぼんやりと黒板に笑いかける。
「年に一度だけど、ガウス様が教壇に立つことがあるの。その時一生懸命黒板を書き写してたら、ガウス様が真面目だって褒めてくれたの。誰も褒めてくれなかったから、嬉しかった」
じんわりと浮かぶ涙を袖で拭って立ち上がる。
「ありがとう! もう気が済んだ! 次はどこに行く!」
「ならば、一度私の家に行きたい」
間髪入れずにリリーが声を上げる。
「良いよ! 行こう!」
「ありがとう! 着いてきてくれ!」
リリーが歩き出す。その足取りは軽かった。
「ここだ」
大通りからかなり離れたところにある屋敷の前で止まる。
「こうして見ると、ローズの家に比べて小さいな」
リリーは思いっきり肩を落とす。
「私の屋敷じゃないもん」
ローズは頬っぺたを膨らませる。
「分かっている。ただ、あれを見た後だと、どうしてもな」
リリーは屋敷の周りを歩く。門や柵など無いため、ローズの家に比べると質素に感じる。
「あれ、小さい」
家の玄関でローズがぼそりと呟く。リリーはフンッと肩を怒らせる。
中は飾り気など無く、廊下も短い。少々埃が溜まっているようにも見える。
「なんか汚いですね」
チュリップは棚に溜まる埃を指でツツッと撫でる。
「使用人も居ないし、母も父も体が悪い。私自身、早い時期に騎士学校へ行ったから、掃除する人が居ない」
リリーは箒など掃除用具を持って現れる。
「掃除をする! 手伝ってくれ!」
有無を言わさない迫力だ。
「分かった」
最も、嫌と言うような俺たちではない。
「ありがとう」
それでも、リリーは笑ってくれた。
「母は私を産むと、騎士を退職した」
掃除が済むと客間でゆっくりとリリーの話を聞く。
「私が十歳になる前か。父が事故で騎士を退職した。その時から、家に元気がなくなり、父も母もふさぎ込むようになった。寂しかったのを覚えている」
リリーは壁に飾られた歴代の家長の自画像を眺める。
「補助金は貰えたが、それでも金が無かった。だから私は騎士学校へ行った。家族を食わせるには、騎士になるのが一番だった」
「結婚する手もあったと思いますが?」
チュリップの言葉にリリーは笑う。
「没落騎士の娘を貰おうと思う物好きは居ないし、まだ幼い子供と結婚しようと口を出す奴は居ない。万が一出して来たら、父の怒鳴り声が聞こえただろう」
「良いお父さんとお母さんだね」
ローズが自然な表情で微笑む。
「今思うとな。ただ、その時は騎士になれ騎士になれとうるさかったのも事実。正直、嫌だった」
リリーは思い出したように客間を出ると、寝室へ向かう。
「それでも、父と母のぬくもりを感じながら眠るのは好きだった」
リリーはベッドに腰をかけて、じっと三つの枕を見つめる。
ポロリと涙が溢れる。
「遊び道具もほとんどない家だったが、寝るときに父と母が聞かせてくれた話は楽しかった。そうだ……だから私は、騎士になりたいと思ったんだ」
指で涙を掬い取るとパクリと舐めとる。
「良し! 次は騎士学校へ行こう!」
リリーはウキウキと走り出す。チラリと寝室を眺める。
「いい部屋だ。狭いけど、温かい」
「レイ! 早く行かないとリリーに置いてかれるよ!」
ソワソワするローズに笑いかけて一緒にリリーを追いかける。
「いい世界だ」
「辺鄙なところにありますね! 無駄に疲れます! それに汚い!」
城下からかなり離れた砦に着くとチュリップが鼻を鳴らす。
「前に、古い砦を再利用した場所だと言っただろ」
「実際に歩いてみると文句の一つも言いたくなります!」
チュリップはぷんぷんと学校の門を睨む。
「それにしても汚い門と柵ですね! 掃除くらいしたらどうです!」
仰々しく無骨な鉄門と鉄柵に顔をしかめる。
確かに錆が目立つ。
「この程度の汚れなら逃げ出せない」
リリーは笑いながら重い鉄門をこじ開ける。
「最も、今の私なら無いも同然だ」
中に入ると鉄門に振り返り、ため息を吐く。
「あれほど硬かった門が、絶望の門が、容易く破られるとは……何となく寂しい」
リリーの後をついて行く。
「ここが訓練場だ」
血の沁み込んだ広場に立って剣を構えると、ゆっくりと素振りを始める。
「最初に学んだのは剣の重さだ。素振りはもちろん、いつも腰に備え付ける。そうして武器の重さになれる。始めは辛かった」
次に地面に手を付いて腕立てを始める。
「その次は筋力だ。腕立て腹筋スクワット。技術よりも力! それがユリウス様、引いてはアルカトラズ国の戦いの精神だった。血の小便が出るほどやった」
腕立てを止めると、いたるところにある血の跡を見つめる。
「辛かったが、そのおかげで強く成れた」
ぺろりと服を捲り、美しい腹筋を見せる。
「しかし、お前たちと一緒に居ると、何となくこれが恥ずかしい。女らしくない」
コツコツと薄っすらと割れた腹筋を叩いてため息を吐く。
「そうか? 俺は勃起したけど」
「品がないです」
バシンとチュリップに頬っぺたをぶっ叩かれる! 凄まじく痛い!
「次は食堂だ! くたくたになるほど訓練した後の食事は格別だぞ!」
リリーは顔を赤くして小走りに広場を横切る。
その後を頬を摩りながらついて行く。
「ここだ」
長机が何十個も並ぶ部屋に入る。
「このトレーを持って一人一人がここに並ぶ。すると係りの者が食事を渡してくれる」
部屋の隅にある机の前に立つ。
「食事は山盛りの黒パンと、山盛りの濃い肉と野菜のスープだ! 顔が洗えるんじゃないかと思えるくらい大きな器だ! トレーからはみ出して、零すかとハラハラする! そして空いている椅子に座る」
ドサリと腰を下ろすと、ギシギシと椅子が軋む。
「量が量だ! 最初は吐いた! だけど無理やりにでも食べろと言われた! 体を作るためと言われた! 始めは嫌で不味かったが、数週間もすると慣れた。そして十三を過ぎるとこれでも足りないくらいになった!」
洗い場に指を向ける。
「皿洗いを手伝うと余った食事を貰えた。何度もあそこで皿を洗った」
トレーに目を移すと懐かしむように微笑む。
「訓練して、倒れるほど疲れた時に食べる食事は美味しかった。また、食べてみたい」
「あそこが座学を学ぶ建物だ。その隣が宿場だ。あそこに私の部屋がある」
奥に進むと小奇麗で大きな建物が現れる。
「ここが座学を学ぶところだ」
「私の教室と似てるね」
「そうだな。正直退屈だった。眠らないように頑張った」
リリーは教室を眺めるとすぐに建物を出て、隣の宿場に入る。
「ここが私の部屋だ」
そこは物置と思うほど狭い部屋だった。窓もなく、部屋の半分をベッドが占領している。
「荷物等はベッドの下に置く。鎧や武器はここ。狭いな!」
リリーはベッドに座って乾いた笑みを浮かべる。
「辛く無かった? 私なら息が詰まっちゃう」
「辛かったが、女は個室だから狭くて当たり前だ。男の部屋など十人部屋だぞ」
「病気が流行りそうですね!」
「実際、一人が風邪を引くと大騒ぎだ」
カラッとした笑いを浮かべる。そして顔をしかめる。
「しかし、貴族となると個室の広い部屋だ。少し離れた場所に貴族専用の宿場がある」
重い足取りで部屋を出る。
「私が貴族に襲われたのはここだった」
学び舎の裏の影に立つ。
「反撃したから襲われなかったが、怖かった。そして先生に訴えたのに処罰されなかったことが辛かった」
「なるほど。つまりそいつらを半殺しにすればいいんだな」
指をボキボキと鳴らしてみる。良い音だ。殴りがいがある。
「心配するな。そいつらは一度帰ったとき、私の手で半殺しにした。訓練場で訓練の相手を募集したらノコノコ出てきた。馬鹿な奴だ」
リリーは空を見上げて太陽を見つめる。
「辛かった。だけど、それでもここは、私の第二の故郷だ」
リリーが言い終わると心地よい風が吹いた。
次はチュリップが希望する場所へ向かう。
「慈悲の教会です。私のお家」
教会の前に立つと静かに呟く。
そしてゆっくりと歩き出す。
「ここが、病棟です」
教会の離れにある病棟に入る。中は沢山のベッドがこれでもかと並んでいた。
「私は毎日、ここで患者のお世話をしました。愚痴もたくさん聞きました。恨み言もたくさん聞きました」
ベッドの一つ一つを撫でて歩く。
「いい思い出はありません。抜け出したいと思ってました。でも、このベッドに眠る患者さんのお世話だけは好きでした」
部屋の隅にあるベッドの前で止まる。
「その人はお爺ちゃんで、私にありがとうと、いつも言ってくれました。それがとっても嬉しかったです。私が作った食事も美味しいと言ってくれました」
枕をそっと撫でる。
「私が着てすぐに、死んでしまいましたけど」
チュリップはぼんやりと外に出て、墓場に立つ。
「その人に祈りの言葉を捧げたのは私です。胸が痛みました」
両手を組むと墓の前で祈りを捧げる。
そして次に教会の玄関の前に立つ。
「ゼウス様と出会ったのはここですね。逮捕される直前に助けを求めました」
サラリと言うとさらに歩く。そして城下を進む。
「ここが……私が初めて犯された場所で、初めて人を殺した場所です」
大通りから外れた小道に佇む大きな家の前で涙を流す。
「本当に辛かった……夫どころか妻すらも私を叩いた。私に夫を取られたと嫉妬したんです。痛かった! 誰も助けてくれなかった!」
両手で顔を隠したので、ギュッと抱きしめる。
「今は俺たちが居る。だから泣くな」
「……ありがとうございます……私は! あなたに会えて本当に良かった!」
ワンワンと立てなくなるほど泣き散らす。泣き止むまで、頭と背中を撫で続けた。
「古郷にいい思い出はないけど、あなたたちと一緒なら、いい思い出が作れるでしょうね」
泣き止むとスッキリした顔で笑った。
「ここが俺が良く肉や山菜を売りに来た村だ。あの屋敷が貴族の家で、ここらへんの地主だ」
最後に俺の実家へ向かう。その途中にある村で足を止める。
「貴族の屋敷が近いせいか良く商人が来た。だから結構、店がある」
「ほうほう。確かにお店がいっぱい。家もいっぱい」
「中中に賑やかですね。何度か城下から離れた村に行ったことがありますが、ここまでお店はありませんでした」
ローズとチュリップが頷く。
「ここはサータ山脈の入り口で、他国との国境沿いにある重要貿易地区だ。サータ山脈から流れる水資源も豊富で、安定した小麦が収穫できる。アルカトラズ国で一番大きい村だったと思うぞ」
リリーが小麦畑を見渡す。
「もしかして、レイはサータ山脈に住んでいたのか?」
リリーがなぜか恐る恐るとした目で見つめて来る。
「そうだ。言ってなかったっけ?」
「サータ山脈? ちょっと待ってください。レイのフルネームは何ですか?」
チュリップも目の色を変える。
「俺の名はレイ・サータだ。言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!」
ローズが血相を変えて叫ぶ。
「サータ家と言ったらサータ山脈の主じゃないですか! 北部貿易の要で最重要人物! 結婚したら幸せ一直線です!」
「サータ山脈はサータ家しか踏破できない! 北部防衛の鍵を握る一族だ! 騎士学校の座学で習うほどだ!」
「サータ家! 引きこもりの私でも知ってるほどの有名人! それが私の婚約者! 凄い!」
なぜか三人がぼそぼそと話し合う。
「えっと、どうした? お前ら?」
三人に置いてきぼりにされてしまったので戸惑う。
「どうしたって、サータ家ですよ? 偉いんですよ? 凄いんですよ? 金持ちなんですよ? 騒がずにいられますか!」
チュリップの様子が変だ。興奮して暴れ馬のようだ。
「そんな金持ちでもないし偉くも無いぞ」
「か、金持ちじゃない? サータ山脈の案内人なのに? 案内でお金を取っているはずでは?」
「サータ山脈とか知らないけど、あの山は俺の庭だ。庭を案内するのに金を貰うのは変だろ? 親父や母さんもそう言ってたし」
くらくらとチュリップが膝を付く。どうした?
「レイ! もしもサータ家なら何度も国の大臣! 下手すると王が訪ねたはずだ!」
リリーの様子も興奮した暴れ馬だ。
「そんな偉い人が俺たち家族に訪ねて来るはずないだろ。……ただ、身なりのいい金持ちの兄ちゃんが何度か来たな」
「そ、その人の名前を憶えているか!」
「なんて言ったかな? ……アルカトラズだっけ? そう言えば一度お城に案内されたことがあったけど、偉い人だったのかな?」
思い出し終わってリリーを見る。
リリーは跪いていた。
「何やってんだお前?」
「今までのご無礼を詫びています。どうかお許しください。まさかサータ家のお人とは思いませんでした」
「顔を上げろ! 普通にしろ! 訳が分からなくて頭がおかしくなりそうだ!」
混乱しているとローズが服を引っ張ってくる。
「レイが告白した女の子ってどこで働いてたの?」
「ん? あそこのお菓子屋だけど」
指さしするとローズがそこに頭を下げる。
「レイを振ってくれてありがとう! レイは私がしっかり幸せにします!」
「何なんだよお前らは!」
もはや混乱の極みだ。いい加減恥ずかしくなったので引きずって実家に行く。
「俺の家そんな凄いのか?」
偏屈な親父と平凡な母親、何より実家の前に立つと殊更不思議に思う。
自然に囲まれただけの田舎だ。ローズやリリーの家のほうが広いし綺麗だ。
「レイの家って川が近いんだ」
ローズが少し離れた川を見る。
「そっちのほうが便利だからな」
「外にお風呂がありますね。屋根付きだとは思いませんでした」
チュリップが家のすぐ隣にある石造りの風呂を見る。
「むかーしにご先祖様が作ったらしい。たまに修理を手伝うことがある」
中へ入る。いつもの古ぼけた家だ! たまに雨漏りする。
「中にかまどがありますね。洗い場も」
「それもご先祖様が作ったらしい」
「結構贅沢な家ですよ」
「そうか? 古いだけだぞ」
久々に実家のテーブルを触る。
「ここが俺の席だ。両隣が弟たち。向かい側が親父と母さんだ」
奥の部屋へ進む。
「ここが俺と弟たちの部屋だ。あそこで弟たちと一緒に寝る」
案内するとローズがひょこひょことベッドの上に寝転ぶ。
「ちょっと狭いね」
「そうだろ。弟たちもデカくなってきたから、床で寝ることもある」
思い出すと口がにやける。
「これが親父と母さんの寝床だ」
「食事処と同じ部屋で寝るんですね」
チュリップが意外そうにベッドを見る。
「狭いからな。いい加減小屋を大きくしようって思ってる」
思い出すと、突然涙が溢れた。
涙は止まらない。そしてどんどん胸の中に溜まった物が沸き上がる。
「家に帰りてえ! 親父と母さんに会いてえ! 弟たちに会いてえ!」
テーブルに突っ伏す。
「もう何年顔を見てないんだ! あと何年頑張ればいいんだ! もう疲れちまった!」
弱音が止まらない。家族に会いたい! それだけが溢れて来る。
「もうそろそろだよ」
顔を上げると隣でローズが微笑む。
「次が地下9999階だ! 一緒に頑張ろう!」
リリーがテーブル越しに手を握ってくれる。
「私たちが居ます」
チュリップが背中におっぱいを押し付けて、頬っぺたにキスをする。
皆の笑みを見ると、ざわつく心が落ち着く。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
深呼吸して涙を拭く。そして元気よく笑う!
「気合入った!」
バシバシと頬を叩いて立ち上がる。
「ルシー! どこに居る!」
「ここに居るよ」
いつの間にか、ルシーが部屋の隅に立っていた。
その表情は悲しげだった。
「進むつもりなんだね」
力のない声だ。
「君たちを引き止めるために、この世界を作ったけど逆効果だったか」
切なそうな目だ。
「引き止める?」
「そう。君たちでは全王に勝てない。死よりも恐ろしい世界を見るだけだ」
ルシーは諦めたような様子だった。覇気がない。
「やってみなくちゃ分からないだろ」
「やってみたら遅いから止めているんだ!」
ルシーが大声を出すと鼓膜とともに山が揺れる!
ガラガラと遠くから崖崩れの音が聞こえる。
「ごめん。怒鳴るつもりは無かった」
ルシーは椅子に座ると俺たち一人一人に目を向ける。
「君たちの気持ちは分かる。だけど急ぐことは無い! ここでゆっくりするのも悪くはない」
「ここで暮らすってことか?」
ルシーは儚げに微笑む。
「そう。ゆっくり、子供でも作って」
いたずらっぽく微笑まれると恥ずかしくて頬が熱くなる。
「全王は脅威だ。だけどここは全王の手は届かない。僕が守る」
ルシーは笑っているが、口調は真剣だった。
「それはできない」
だからこそ、キッパリと断る。
「確かに、この世界は俺たちの故郷に似ている。そのままと言ってもいい。だけど、足りないものがある」
「生き物か」
「そうだ。鳥も馬も居ない。人間も!」
「植物なら作れるけど、脳を持つような複雑な生命体はベルが専門だからね。僕には無理だった」
ルシーは口を閉じると痛いほど沈黙が訪れる。
「でも生き物ならチュリップが作り出せる。ベルから学んだはずだ」
「嫌です」
チュリップは険しい顔でルシーを見つめる。
「生き物を作るとは、その生き物を管理する責任が生まれます。そんな面倒なことしたくありません。私は神のような力を持っているかもしれませんが、神ではありません!」
「信心深いし、倫理観がしっかりしているね。だからこそ、レイが好きになったんだろうね」
ルシーは深くため息を吐く。
「その、ルシーも一緒に戦わない?」
ローズが恐る恐る手を上げる。
「ルシーが味方になれば、絶対に勝てると思うの! 私の師匠だし! 絶対に勝てるよ!」
「僕は上り階段も下り階段も作れない。ここはまだいいけど、結局は全王の手のひら。悪いけど、頷けない」
ローズはシュンと黙る。ルシーはローズから顔を逸らす。
「しかし、そうなると結局、私たちは全王と戦わなくてはならない」
リリーはルシーを睨む。少しだけ体が震えている。
「ここは全王の手のひらだ。いつ襲ってくるか分からない。ならばこんなところで子供は産めない」
「……僕は信用できない?」
「その自信の無さを見て信用しろと言うのか!」
リリーが恫喝すると、ルシーは口を閉じる。
胸が締め付けられるほどの悲しい沈黙が包む。
「僕と戦うことになっても、行くんだね?」
ルシーの目は覚悟を決めていた。
「……ああ。大丈夫! 絶対に全王をぶっ倒す! そしたら、また、今度こそ、一緒に笑おう」
ルシーに笑いかける。ルシーははにかむ。
「最後に、手を触らせてもらえないか?」
ルシーが手を伸ばしたので、全員手を伸ばす。
ルシーはまるで壊さないように優しく、離さないように強く手を握る。
「人間って、温かいな」
ルシーは満面の笑顔で泣いた。
突如地震が起きて世界が揺れる!
「我に立ち向かう愚かなる人間よ」
ルシーの姿は消えていた! 外だ!
「く、暗闇の巨人!」
外に出ると空高くに羽を八つ生やした真っ暗闇の巨人が浮いていた。
「まるで天使です! でも色が違う!」
チュリップがガタガタと歯を鳴らす。
「み、皆! 私に捕まって!」
突然ローズが叫ぶ! 急いで手を取ると暗黒の巨人に引き寄せられる!
「空間魔法のブラックホール! 私よりもずっと強い! 中に入ったら魂ごと砕けちゃう!」
ローズに捕まる間にも世界が崩壊する!
地面が剥がれる、森が剥がれる、木々がなぎ倒される、家が、水が、草木が浮かび上がる。
それらはすべてルシーの体へ吸い込まれていく。
「大きくなっている! ベルよりも巨大だ!」
リリーが口を大きく開けて叫ぶ!
暗黒の巨人は太陽も光も闇も何もかもを吸収し肥大化する!
「ベル! お前の言う通り、ルシーは最強だ!」
世界が崩壊した後、残されたのは俺たち四人と暗黒の巨人、ルシーだけだった。
その大きさは、今までで一番大きく、恐ろしかったベルさえも指先で摘まめるほどだった!
「我に立ち向かう愚かなる人間よ。神に近き存在として、慈悲を持って葬ろう」
ルシーの目前に力が集まる!
「受けるがいい。神魔法! 始まりの光!」
「空間魔法! ギガグラビティレーザー!」
ローズの暗黒光線とルシーの光光線がぶつかる!
「押される!」
見る見るとローズの光線が押し返される!
「皆! ローズに力を与えろ!」
グッとローズの背中を抑えて、力を分ける!
それでも! 全員で総動員しても押される!
「レイ! このままじゃ押し負ける!」
「心配するな」
叫ぶローズたちに微笑む。
「あれはルシーだ。俺たちが大好きなルシーだ」
もう片方の手をルシーへ伸ばす。
「あんなに黒いのに、とても温かい力だ。太陽のように優しい、恵みの力だ」
迫る光光線を片手で受け止め、力を吸収する!
目がチカチカする。
体が燃えるように熱い。
だけどとても温かい。
「行くぜ! 集中しろ!」
吸収した力をローズへ流し込む!
「お! お!」
ローズは目をしろくろさせながらも踏ん張り、ルシーを見る。
「ルシー。私の成果、見せてあげる」
グッと体に力を入れる。
暗黒の光線がジリジリと光の光線を押し返す。
それは少しずつ、ルシーの顔面に迫る。
ふっと涙とともにルシーとの出会いを思い出す。
ルシーの笑顔を思い出す。
ルシーの悲し気な顔を思い出す。
「ルシー! 俺たちは全王を必ず倒す! 約束する!」
暗黒の光線がルシーの光光線を貫く!
「君たちに会えて、本当に良かった」
暗黒の光線がルシーを飲み込んだ瞬間、ルシーの声が聞こえた。
ルシーが居なくなり、何もない世界で涙を流す。
俺たちは何人の犠牲を払ってここまで来たのか? それを思うと辛い。
「レイ。次の階段だ」
リリーの声に、ローズとともに顔を上げる。
「ああ。次は地下9999階! 全王が待つ階層だ!」
いよいよ大詰めだ! 涙を拭って先に進む!
因縁の相手だ!
だが! だが! 気合を入れて下り階段に入った瞬間! 突然の極寒が襲い掛かる!
「ほ、炎が凍った!」
ローズが白い息を吐く! 手元には凍り付いた炎がある!
「炎という概念すらも凍り付かせるとは!」
リリーは歯を食いしばりながら、凍り付く足を動かす!
「加護魔法も通用しません! もはや神すらも拒む領域です!」
チュリップはガタガタ震えながらも進む!
「今まで階段は安全だった! それをぶっ壊すほどの力か!」
それでも進むしかない! 後退はない!
生きるためには、進むしかない。
どれほど長い年月をかけたのか分からない。一瞬か数百年か、それすらも判断できないほど辛い道のりだった。
「着いたぞ! 地下9999階!」
それでも俺たちはたどり着いた!
地下9999階! 俺たちの目標であり、全王が居る場所に!
「良くぞここまでたどり着いた」
階段を下りた先で、全王が笑っていた。
「全王!」
凍える体を奮い立たせて走る!
「まずは小手調べだ!」
全王が構えた!
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