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しおりを挟むわたしたちは追い立てられる様に、王宮にある礼拝堂へ連れて行かれ、
その場で結婚契約書にサインを求められた。
こんな事になるなんて…
彼は相当、怒っているだろう…
不安になり、伺う様に、そっと隣に立つオーウェンを盗み見た。
だが、彼は無表情で、躊躇もせず、ペンを走らせた。
第一騎士団団長、オーウェン・カーライト伯爵。
三十代だろうか?かなり大人に見える。
精悍な顔立ちで、深い緑灰色の目は眼光があり、少し怖そうに見える。
それに、体も逞しく、背も高い…
わたしが知る男性は、父や司教、修道士たちだが、彼等とは全く違っている。
「ロザリーン様、サインを」
司教に促され、わたしは一瞬遅れて我に返り、羽ペンを握った。
《ロザリーン》と呼ばれる事に、慣れなくては…
何処で《成りすまし》が露見するか分からない。
気を抜かない様にと、自分に言い聞かせた。
幸いなのか…日頃から、わたしはロザリーンに仕事を押し付けられていたので、
自分のサインよりも、ロザリーンのサインの方がし慣れていた。
だが、やはり、緊張し、文字は震えてしまった。
それでも、それは認められ、わたしたちは司教から、《祝福》を受けたのだった。
「馬車で話そう」
オーウェンは短く言うと、颯然と風を切り、礼拝堂を出て行った。
わたしは迷いつつも、彼から離されない様に、早足になり、その背を追った。
オーウェンは馬車の脇に立ち、わたしを待っていた。
「乗って」と、ドアを開けてくれ、わたしは気恥ずかしさに、俯いたまま小さく礼を言い、
馬車に乗り込んだ。
立派な馬車で、座り心地が良い。
花嫁用の馬車より装飾は無いものの、かなり高級だと分かる。
十分な広さのある馬車だったが、彼が隣に座ると、一気に空間が埋まった気がした。
だが、二人だけの空間で、他に話を聞かれる心配はない…
馬車が走り出し、わたしは視線を落としたまま、おずおずと謝罪を口にした。
「…カーライト伯爵、この度は、この様な事になってしまい…申し訳ありませんでした」
隣で小さく溜息が聴こえ、わたしはビクリとした。
ああ、やっぱり、怒っているんだわ…
当然と言えば、当然だ。
突然、知らない女と結婚させられたのだ、気分を害するのが普通だろう。
あの場で怒り出さなかっただけで十分だ。
「君が謝る必要は無い、我が王の言い出した事だ。
この様な事は、君にとっても、想定外だっただろう…
だが、あの場は受けるしかなかった、断れば、もっと酷い事になっていた…」
それは、わたしにも容易に想像が付いた。
王はわたしを追放するか、処刑するか、しただろう。
「助けて下さって、ありがとうございます」
「助けになったかどうかは分からない、お互いに望まぬ結婚だ」
ズキリと胸が痛む。
やはり、わたしは何処に行っても、望まれないのだ…
今更だというのに、酷く惨めで悲しい気持ちに襲われた。
顔を背け、歯を食いしばるも、涙は止められなかった。
「すまない、だが安心してくれ、君が恐れる様な事は何もしないと約束する。
王が私たちの事を忘れるまで、暫くの間だけだ。
必ず、君を無事に、ラッドセラーム王国に送り届けよう___」
思い遣りのある、真摯な言葉なのに、わたしの感情は更に高ぶり、涙が溢れ出た。
震えて嗚咽を漏らすわたしに、彼はそっと、ハンカチを握らせてくれた。
そして、そっと、わたしの背を擦る。
こんな事をされたのは、初めてだった。
それは心地良く、わたしの心の闇を祓ってくれた。
「すみませんでした…もう、大丈夫です」
「無理はしなくていい、住み慣れた場所を遠く離れ、
父親程年の離れた男と結婚させられたんだ、不安は大きいだろう」
冷静で穏やかな声だと、改めて思った。
だけど、父親程老けているとは思えない…
わたしは視線をそっと、彼の膝の上で握られている、大きな拳に向けた。
「カーライト伯爵は、お幾つなのですか?」
「オーウェンでいい、すまないが、夫婦の振りはしておこう、
相手が我が王では、面倒な事に成り兼ねない。
私は三十六歳だ、君は十八歳だと聞いている」
十八歳はロザリーンだ。
わたしは二十歳よ…
かなり年上である事は確かだが、やはり老けては見えなかった。
騎士団長という位だから、鍛えているのだろう。
聖職者である父とは、体型も動きもまるで違っている。
「わたしの父は、五十二歳です、オーウェン様の方が、ずっとお若いです…」
それに、ヴィムソード王は、オーウェンよりもずっと年上だ。
「オーウェンでいい、それなら、年の離れた兄とでも思ってくれ、ロザリーン」
ロザリーン…
夫に呼ばれるのが、自分の名ではなく、あの妹の名だなんて…
惨めさに胸が痛んだが、直ぐに打ち消した。
最悪を考えれば、小さな事だわ…
最悪は、あの場で処刑されるか、あの王の妃にさせられる事だ。
考えてみれば、わたしは自分の保身から、彼を巻き込んでしまったのだ。
彼は、わたしを助けようとしてくれたのに…
彼は不本意な結婚を強いられても、優しく、そして、打ち解け様としてくれている。
これ程、誰かに気に掛けて貰えたのは、初めてだ。
わたしはそれで十分だわ…
後は、少しでも、彼に恩返し出来たらいい…
わたしは強張りを解こうと、そっと息を吐いた。
それから、顔を上げ、彼の方に笑みを向けた。
「ありがとうございます、オーウェン…」
オーウェンは、その深い緑灰色の目で、じっとわたしを見つめ返し、頷いた。
眼光の鋭い目で怖いと思っていたが、こうして見ると、それは優しい色に見えた。
「私たちは運命共同体だ、協力し合い、最善を目指そう」
流石、騎士団長だ。
わたしは彼の部下になった気がした。
だけど、安心出来るわ…
彼に従っていれば、大丈夫___
そんな 気がした。
◇
「館は王都郊外だ、王宮から一時間と掛からない」
オーウェンはそう言うと、口を引き結んだ。
空を見つめ、何か思案している様だった。
どうしたのかしら…
不安に思いながらも、それを待っていると、漸く彼は口を開いた。
「君に伝えておかなくてはならない事がある…」
「はい」
「館には、8歳の息子も一緒に住んでいる」
息子!?
思ってもみない事で驚いたが、考えてみると、
彼には妻がいたのだから、子供がいても不思議では無かった。
「息子、ジャスティンは、問題を抱えている子でね…」
「問題というのは?」
わたしが訊くと、オーウェンは重く息を吐いた。
「二年前に、妻が刺され、殺されたんだが…その場にあの子も居たらしい…
それから、喋らなくなり、自分の殻に閉じこもっている…
医師はショックからだろうと言っていた…」
わたしは息を飲んだ。
母親が刺される所を目撃するなど、さぞショックだっただろう…
「だが、もう二年だ…一向に良くなる気配がない。
二年では足りないのだろうか?君は、似た事例を見た事は無いか?」
《聖女》としての意見を求められている…
わたしはそれを察し、胸が痛んだ。
《聖女》であれば、心の闇を祓う事が出来る。
《聖女》であれば、ジャスティンを救う事が出来るのだ___
「聖女であれば、心の闇を祓う事が出来ます、ですが、わたしは…」
わたしにその力は無い…
それが残念で、わたしは肩を落とした。
「君の事情は承知している。
だが、ショックで力を失っているのなら、力が戻る事もあるのではないか?」
もしかすると、彼は聖女の力が戻ると思い、わたしとの結婚を受けたのだろうか?
ふと、そんな疑惑が浮かんだ。
ああ…
また期待を裏切ってしまうのね…
「申し訳ありません、力は失えば戻る事はありません…」
「そうか…今の事は忘れてくれ」
オーウェンはサラリと言ったが、彼が気落ちしている事は察せられた。
だが、期待を持たせる様な事は言えない…
だけど…
「力はありませんが、子供は好きです…
わたしがジャスティンの世話をしても、あなたは構いませんか?」
重い気を祓ってあげたくて、わたしは言っていた。
すると、オーウェンは僅かに、安堵の表情を見せた。
「ありがとう、だが、君に世話をさせる気はない、それよりも、友達になってやって欲しい。
あの子には、友もいなくてね…」
友がいない…
わたしと同じだわ…
「はい、ジャスティンに会うのが楽しみです」
「期待はしないでくれ、今のあの子は…気難しい」
それでも、きっと、ヴィムソード王やロザリーンよりは良いだろう。
わたしは心の中で呟き、オーウェンには頷いて見せた。
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