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第二章
6
しおりを挟む瓶を詰めた籠はかなり重い筈だが、戻って来たウィルは、軽々と持ち上げた。
カチャカチャと鳴る音に、ウィルが耳を傾ける。
「楽しそうな音がしますね!これは何ですか?」
「ウィル、当ててみて!」
「何でしょうか…瓶ですか?」
「ええ、ヒントは甘い物よ!」
「砂糖?それとも、蜂蜜ですか?」
「近いけど、違うわ」
「僕が知っている物ですか?」
「勿論よ!ウィルは好きだと思うわ」
わたしは笑いを抑え、ウィルを伺った。
ウィルは閃いた様だ、パッと顔を明るくした。
「ああ!分かりましたよ!林檎ジャムですね?」
「正解よ!皆に食べて貰おうと思ってるの、他にもあるのよ…」
「林檎ジャムはどれですか?」
「これと、これと、これ…」
わたしが籠からそれを見つけ出すと、ウィルは一つを自分のポケットに入れた。
「これは僕が貰います!」
ウィルの笑顔は、春の陽の様に温かい。
「さぁ、行きましょう!外は凄い雪ですよ!エレノアは僕の後ろを歩いて下さいね!」
ウィルは外に出ると、雪の中を、しっかりとした足取りで歩き出した。
わたしはその後ろに付いて歩く。
冷たい風と吹き付ける雪に身を竦めながらも、わたしの胸の中は温かかった。
◇◇
程なく、本格的に冬が深まり、外一面は厚い雪に覆われ、外へ出る事も難しくなった。
姉はクレイブの仕事…辺境伯の仕事を手伝っている。
元より姉は賢く優秀だったので、十分に役に立っている様だ。
「社交界より、仕事をしていた方が私の性に合っているわ。
それに、クレイブは、私が賢ければ賢い程良いと言ってくれたの」
これは、姉に気に入られようと言っているのではなく、本気で、
クレイブは知性の光る女性が好みの様だ。
二人はいつも熱心に、難しい話をしている。
そして、内緒話をする時には、外国語を使うという、理解し難い遊びを楽しんでいる。
姉の気取っていた所は和らぎ、少しは親しみ易さも出てきている。
そして、あれ程『体型を崩したくない』と、食事に気を遣っていたというのに、
その考えをあっさりと覆した。
「健康であるには、食事は重要なのよ、偏った食事では病になるわ、
それに、量も必要なのよ、本に書いてあったわ。
体型?クレイブは私が痩せ過ぎだと言っていたわ、もっと太らないといけないわ!」
何を話していても、クレイブの名が出て来る…
姉はすっかり、クレイブに心を奪われてしまった様だ。
そんな姉の変化に、わたしは目を見張っていた。
これが、恋というものなのかしら?
恐ろしい…
いえ、お姉様にとっては、良い事かしら?
わたしは館で雑用をさせて貰っている。
ウィルやプリシラ夫人は、何もしなくて良いと言ってくれたが、
それではわたしが時間を持て余してしまう。
主に、老年のセバスとアンナを助け、掃除や洗濯をしている。
それから、塔の中に移した鶏の世話だ。
掃除をし、餌をやり、水を換えてやる。
撫でてやり、話し掛ける事も大事だ。
良い飼料を十分に食べ、太った鶏は、大きく色の良い、美味しい卵を産み、
皆を喜ばせてくれた。
姉がクレイブの仕事を手伝う様になってからというもの、ウィルは作曲の仕事ばかりしていた。
昼前に起きて来て、昼食を食べてから、作曲を始め、晩餐まで続く。
晩餐を終えると、また作曲に戻り、夜に眠るか、そのまま起きているか…
気の向くままだった。
一番自由に生きているのは、ウィルではないか?
「そろそろ、お茶の時間ね」
わたしは掃除道具を置き、手を洗うと、調理場へ向かった。
「マックスさん!ウィルにお茶を持って行きますね!」
「はい、お願します、エレノア様」
プリシラ夫人のお茶はケイシーが、クレイブのお茶は姉が、
そしてウィルのお茶はわたしが運ぶ事にしている。
ワゴンにトレイを置き、二人分のお茶のカップとポット、
マックスの用意したサンドイッチ、スコーンを乗せる。
それから、林檎ジャムと、クリームも。
わたしはワゴンを押し、ウィルの部屋へ向かった。
部屋に近付くと、ピアノの音が聴こえてくる。
わたしはピアノを弾くのが苦手で、ピアノの音を聴くとぞっとする事が多かったが、
ウィルのピアノを聴く様になり、それも無くなった。
ウィルのピアノは、気まぐれで、そして、魅力的だった。
わたしは声を掛けずに扉を開け、中に入る。
扉を叩いた処で、ピアノを弾いている時のウィルは気付かない。
部屋に入ると、一面に楽譜が散らばっていたが、これも日常だ。
わたしはワゴンを置き、お茶のセットをテーブルに移してから、
熱心にピアノを弾くウィルに声を掛けた。
「ウィル!少し休んで、お茶にしない?」
「ああ、うん、いいよ!そう、ここがね…」
ウィルは何やら独り言を言っていたが、手を置き、振り返った。
「エレノア!お待たせしました、すみません、つい、夢中になってしまって…」
「気にしなくていいけど、こっちに来て、お茶にしませんか?
折角の紅茶が冷めてしまうわ」
「頂きます!僕は毎日、この時間を楽しみにしていますからね!」
ウィルは明るく言いながらやって来ると、ソファに座った。
「お茶を、ですか?」
「あなたとのお茶は、僕に閃きをくれますからね!」
ウィルは明るく言うと、早速、スコーンに手を伸ばした。
二つに割り、たっぷりと林檎のジャムを乗せる…
わたしが?
それとも、林檎ジャムが?
どちらにしても、『閃き』なんて、全然ロマンチックではない。
『ときめき』ならいいのに…
姉はクレイブから告白された。
姉は黙っていても、告白してくる男は多い。
だけど、わたしは、誰からも告白なんてされた事がない…
あの嘘吐き男のネイサンは数には入らない。
わたしは姉とは違うもの…
そうよ、待っていても駄目!
欲しいものは、自分で掴み取るしかないんだわ___!
「そっちの方がわたしらしいわよね?」
わたしもウィルと会うと、《閃き》があるらしい。
わたしは自分の考えに満足し、スコーンを割った。
そして、たっぷりと、クリームを乗せる。
「エレノアはいつもクリームですね?クリームがお好きなんですか?」
ウィルがわたしを伺う様に見ながら、スコーンを頬張った。
「ジャムも好きだけど、わたしは作った時に沢山食べたから、これは皆に食べて欲しいの」
自分が作った物を、自分で食べても美味しいし、満足感はあるが、
誰かが「美味しい」と言ってくれた方が、より一層うれしい。
それに、林檎ジャムはウィルが気に入ってくれたので、彼に食べて欲しかった。
「あなたは優しい人ですね、エレノア、でも、僕はあなたと一緒に食べたいです」
ウィルがジャムの瓶をこちらに向ける。
やはり、断るのは難しく、「そこまでおっしゃるのでしたら、頂くわ」と、それを乗せた。
大きく口を開けてスコーンに齧り付く。
「どうですか?美味しいでしょう?」
「ええ、でも、こんなに食べたら、太っちゃうわ!」
「大丈夫ですよ、あなたは太っていても、可愛いですからね!」
お世辞でもうれしいわ…
わたしは気恥ずかしさを誤魔化そうと、紅茶のカップを手に取った。
だが、そんな必要は無かった。
ウィルが突然、「ああ!そうです…いいメロディが浮かびました!」と、ソファを立ち、
ピアノに飛んで行ったからだ。
わたしは呆れつつも、ウィルが紡ぎ出すそのメロディに耳を傾け、紅茶を飲んだ。
◇
どうしたら、ウィルに好きになって貰えるのだろう?
《欲しいものは、自分で掴み取るしかないんだわ___!》
そう思ってみても、恋愛などした事の無いわたしには、何も思い浮かばなかった。
だが、そんな事を考えている暇は無くなった。
寒さの所為か、プリシラ夫人の病が悪くなったのだ。
気分が悪く、ベッドを出る事は勿論、体を起こす事すらも難しくなった。
町から主治医を呼び、診て貰ったが、原因は分からなかった。
「寒さと年の所為でしょう、体を温かくして、休ませてあげて下さい」
館の皆が心配したが、中でも、ウィルは酷く心配し、作曲の仕事を放り出し、
ケイシーを手伝い、付きっ切りで世話に当たっていた。
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