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本編
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しおりを挟む調理場は一階の奥にあり、料理人は一人だった。
料理人の他、使用人は、執事、執事の妻のメイド長、侍女のアン、殿下付きの下男、
庭師、警備の衛兵三名で、皆住み込みだった。
後は週に二度、町から数名、掃除に来て貰う。
「犬がいるんです、足を怪我していて、何か食べる物は余っていませんか?
それから、水を少し頂けますか?」
「どんな犬ですか?大型なら肉だな…」
料理人は肉を切ってくれ、適当な容器に水を入れてくれた。
わたしはそれを手に部屋に戻り、バディの前に置いた。
「わたしはこれからレオナルド殿下の御世話に行くから、
あなたは大人しく待っていてね、バディ」
「オン!」
バディは容器に顔を突っ込み、肉を食べ始めた。
わたしは部屋を出て、メイド長を探した。
「わたしにレオナルド殿下の御世話をさせて頂けないでしょうか?」
「セレスティア様が、ご自身で御世話をなさるのですか?」
「はい、殿下の支えになりたいのです」
わたしは殿下の一日のスケジュールを教えて貰った。
わたしは早速、調理場にお茶のセットを取りに行き、殿下の部屋に運んだ。
大きな扉に向かい、声を掛けた。
「レオナルド殿下、お茶を持って参りました」
ややあって、「入れ」と声がし、わたしは扉を開け、ワゴンを押して入った。
わたしは紅茶を淹れ、長ソファの前のテーブルに置いた。
そして、サンドイッチの皿とスコーンの皿、ジャム、バターを置く。
「ピートはどうした?」
ピートというのは、殿下付きの下男だ。
「これからは、わたしがお世話をさせて頂こうと思い、代わって貰いました」
「勝手な真似をするな!おまえに世話などされたくない!」
厳しく言われ、わたしは茫然となった。
殿下の怒りに触れてしまった…
「も、申し訳ございません、わたしでは役不足だとは思いますが…
一生懸命仕えさせて頂きますので、殿下のお気に召す様、何なりとお申しつけ下さい」
「分からぬ奴だな、この部屋を出て行き、ピートを呼んで来い!」
「はい、直ちにお呼び致します」
わたしは深々と頭を下げ、部屋を出た。
急いでピートを呼びに行き、殿下の部屋へ来て貰った。
「ごめんなさい、わたしが殿下を怒らせてしまったの。
殿下はまだ怒っているかもしれないけど、気を悪くしないでね」
ピートは十八歳の若者で、物心付いた時から奴隷の身だった。
無口で無表情で、わたしの言葉にも小さく頷いただけだった。
「殿下、ピートをお呼び致しました」
わたしが扉に向かい声を掛けると、「入れ!」と声が掛かり、わたしは扉を開いた。
わたしはピートがする事を覚えようと、一緒に入ったが、殿下にはそれも気に入らなかった様だ。
「俺が呼んだのは、ピートだけだ、何故おまえがまだ居る!さっさと出て行け!」
「申し訳ございません、ピートがする事を見て覚えますので、
どうか、ここに居る事をお許し下さい」
「必要ない!ピートだけで十分だ、出て行け、元大聖女!」
「どうか、わたしにも何かさせて下さい、殿下の目となり手となり足となりたいのです!」
わたしは必死に言っていた。
殿下から強い怒りを感じ、わたしは指を組み、神に祈った。
ああ、どうか、わたしの願いを叶えて下さい___!
「そこまで言うのならば、おまえが俺の目となり手となり足となれるかどうか、試してやろう。
ピート、おまえには調理人、庭師、手の足りていない仕事を手伝って貰う事にする」
レオナルド殿下がベルを鳴らすと、幾らかして執事が入って来た。
殿下はわたしたちにした説明をもう一度執事に告げると、ピートを連れて行く様に促した。
「折角の紅茶が冷めてしまった、新しい物を持って来い、冷めた物はおまえが飲め」
「はい、急いでご用意致します」
わたしはワゴンを押し、部屋を出た。
急いで調理場に走り、紅茶を淹れて貰い、戻って来た。
熱い紅茶をカップに注ぎ、殿下の前に置く。
「殿下、紅茶です、熱いのでお気を付け下さい」
殿下は手を伸ばしたが、それはカップに当たり、倒れてしまった。
ガシャン!
「殿下!危ない!」
わたしは慌ててカップを起こしたが、紅茶はテーブルに流れてしまった。
「直ぐにお拭きしますので、殿下はテーブルに触れないで下さい!」
わたしはワゴンから布を取り、テーブルを片付けた。
それから、新しく紅茶をカップに注いだ。
だが、殿下はそれも倒してしまった。
あの敏い殿下が、こんな失敗をするとは考え難かった。
しかも、殿下は驚きもせずに、顔色一つ変えていない。
「おまえがカップの位置を教えなかったからだ、そうだな、元大聖女」
それを指摘され、わたしは「はっ」とした。
「はい、わたしが至りませんでした…
殿下に怪我をさせてしまう所でした、申し訳ございません」
殿下は「フン」と鼻を鳴らした。
わたしはもう一度紅茶をカップに注ぎ、「失礼します」と殿下側へ行き、テーブルに置いた。
「殿下、お手に触れる事をお許し下さい」
「許す」
そっと殿下の手を取り、そこへ導いた。
「殿下、紅茶のカップです、熱いのでお気をつけ下さい」
殿下は満足したのか、カップを手に取り、優雅に飲んだ。
「サンドイッチとスコーンがございます。
サンドイッチは卵のフィリング、ハムです。スコーンには苺ジャム、バターがございます」
「サンドイッチ」
わたしは皿を取り、殿下の前に置き、手を誘導した。
「手前が卵、奥がハムです」
殿下は手前のサンドイッチを掴み、口に入れた。
上手く食べられている様で、安堵した。
「スコーン」
「わたしがお割りしてよろしいでしょうか?」
「自分で出来る」
「スコーンはこちらです、ジャムとバターはお塗りしましょうか?」
「自分で出来る」
「こちらがバター、こちらがジャムです、小さなバターナイフが付いています」
紅茶のカップを倒したとは思えない器用さで、殿下はスコーンを食べた。
普段から出来る事は自分でしている様だ。
「手をお拭き致します」
スコーンを食べ終わったのを見計らい、
わたしは殿下の手をボウルの水で洗い、布で拭いた。
大きな手でゴツゴツとしている。
貴族の手は綺麗だが、レオナルド殿下は騎士団長だ。
父の手を思い出した。
「紅茶の御代わりはいかがですか?」
「必要ない」
「テーブルを片付けます」
食器をワゴンに戻し、片付けを済ませたわたしは、ふと、それに気付いた。
「殿下、ソファのクッションに空気を入れてもよろしいですか?」
「ああ」
わたしはクッションを叩き膨らませた。
「他に何か御用はございませんか?」
「用がある時には笛を吹く、それまでは部屋に来るな」
「はい、何なりとお申しつけ下さい」
わたしはワゴンを押し、部屋を出た。
失敗もしたが、少しはお世話をさせて貰えた。
わたしはその事に満足し、ワゴンを押して行った。
◇
殿下は朝食と昼食、お茶は部屋で取っていたが、晩餐だけは食堂を使っていた。
着替えはピートに手伝って貰うという事で、
わたしは部屋の前で、殿下が出て来るのを待っていた。
扉が開き、殿下が杖を手に出て来た。
後ろにはピートも居る。
「殿下、セレスティアです、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
わたしが聞くと、殿下は急に不機嫌になり口を曲げた。
「そうか、おまえも居たな、待たずとも良い、先に行っていろ。
それか、食事位、一人で済ませろ」
「殿下、どうぞ、わたしの肩をお使い下さい」
「おまえの貧弱な肩が、何の役に立つと言うんだ、
一々邪魔をするな、大抵の事は一人で出来る」
殿下は顔を向ける事無く、慣れた様子で杖を頼りに歩いて行く。
やはり、一人で出来る様に、訓練をしているのだわ…
「差し出がましい事を申してしまい、失礼致しました」
わたしは殿下から少しだけ距離を置いた。
何かあれば、直ぐに支えられる様に。
「そう見張られては落ち着かぬというのが、分からないのか!」
「ピート、殿下の事はわたしに任せて、あなたは食事に行って」
「ピートではない、おまえだ!元大聖女!」
「はい、それでは、殿下の事はなるべく見ない様に致しますので…」
ピートは困った様にわたしたちを見ていたが、結局、食堂まで付いて来たのだった。
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